安倍弘晃Abe Hiroaki

作品写真:日本独特の空間性を探る
作品写真:日本独特の空間性を探る
作品写真:日本独特の空間性を探る
作品写真:日本独特の空間性を探る

日本独特の空間性を探るExploring the unique spatial nature of Japan

スチレンペーパー、木材、寒水石Styrene paper, wood, KansuisekiH2300 × W2300 × D2300mm

私達は日々、多様な空間の中で生きている。

日本らしい空間とはどのような空間であるのか。

建築、インテリア、茶室や近接距離学といった諸領域から日本独特の空間性を探り、作品表現に落とし込んだ。

日本独特の空間性とは内部と外部の連続的な関係性であると考えた。

スチレンペーパーという「弱い素材」が生み出す、光のグラデーションは空間の内部と外部を緩やかに繋ぎ、連続性のある空間を生み出した。

安倍弘晃

伝統的日本家屋には様々な外光が満ちている。障子という紙の建具を透過した柔らかい光。開け放たれた縁側から入った光は畳で反射し、壁、天井を照らし出す。安倍君は、日本建築が伝統的に持つ光と流れる空気が創る空間性を研究し、先達の作品に触発されながら、現代的な素材を用いて意匠と構造の両面から独自の壁面表現にひとつの美しい解答を提示した。具体的な研究の上に見せた伝統の新たな継承のスタイルとして評価したい。

芸術文化学科教授 楫義明

津村根央Tsumura Neo

作品写真:散歩の味がする
作品写真:散歩の味がする

散歩の味がするSanpo no aji ga suru

冊子|紙Book|PaperH297 × W210mm

原画
H297 × W210mm ×53点

我々は都市を漫然と眺めている。そして自分の中で気になるものをピックアップして認識し、意識下に置く。例えば看板というものは特別意識していないが深層に留まるもののひとつである。よくよく観察してみれば、意味も見た目もバラバラな無数の文字列が群れをなして風景に溶け込んでいるこの街の状況は不思議だ。
常日頃眺めている風景を再考し、個々人に蓄積する都市の記憶をすくい上げるような取り組みを再構成した漫画形式の作品を制作、都市の記憶と表象のいまを記録する。

津村根央

東京とは、都市とは、をテーマに何気なく見てきた風景から深層に留まっているモチーフを切り取っていった。慣れ親しんだ漫画を表現手法として用いているが、時空間の捉え方は自在で形式に囚われない。写真をも漫画に引き寄せた独自の空間は、断片性と重層性を持った独特の空気感をつくり出している。
彼女が称する「散歩漫画」は路上観察であり、自らの視点であると同時に誰もが記憶の中に持っている情景となる。そのために触発され共感する。

芸術文化学科名誉教授 今井良朗

西塚沙織Nishitsuka Saori

作品写真:対話を求めるアート ―3.11以降に生まれた表現の系譜
作品写真:対話を求めるアート ―3.11以降に生まれた表現の系譜

概要

2011年3月11日は、大きな節目である。
「3.11」と呼ばれるこの大惨事は、地震による被害だけでなく原子力発電所事故という極めて大きな社会問題を含んでいる。そして6年が経った今現在も、進行形で私たちが直面していること、なのではないだろうか。
私の中にぼんやりとあった社会と個人の関係に対する違和感を出発点として、「3.11」のみならずあらゆる社会問題に目を向けた時の、私たちの「傍観者的」な態度へ陥りがちな風潮について考えてみる。このことは当論文では、社会で起きたことと私たちの間にある「距離」を可視化させる効果を持つのだと考える私なりの「アート」に対する認識を軸に、あらゆる角度からの眼差しを持って論じている。
メディア技術が発達した今、あらゆる場所で起きたことの情報を視覚的に取り入れやすくなったからこそ、「リアル」とは何かという問題は常につきまとう。一見世界は狭くなったように感じるが、実際のところ問題の「当事者」との距離は遠く離れている。
社会に対する葛藤を抱きながら生きて、共有する空気を必死に吸い込んでは吐き出し、どうにかカタチにしようと作品という物質に昇華してきたアーティストがいつの時代にも存在している。
水戸芸術館の『3・11とアーティスト:進行形の記録』展、ワタリウム美術館の『Don’t Follow the Wind 』展などの震災に関する展覧会や作品を見ていると、震災以降、被災地と寄り添い、人々との対話を通した「行為」を伴うアート活動が際立っていた。
このような社会的意識を持ったアーティストの活動を見ると、おのずと被災地とこの場所は地続きなのだと意識せざるを得ない。社会が孕むあらゆる問題の断面を見せられた時、私たちに思考を始めさせる。

対話を求めるアート ―3.11以降に生まれた表現の系譜Art that demands dialogue: Genealogy of expressions after 3.11

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH210 × W148mm

アートが社会に果たせる役割とはいったいなんだろう。あの大震災と福島第一原子力発電所の事故という、社会的に大きな衝撃を受けて、アーティストはどう動いたのか。3.11からとうに5年が過ぎた今、再びあの惨事から生まれたアートについて考えてみることが、答えを見つけるひとつの鍵になると私は考えた。作品を媒介して、鑑賞者の身体に「ある感覚」を訴えかける、アートの持つ「効果」について考察する。

西塚沙織

芸術は、社会に、如何に寄与し得るか? それはそのままで、アートは如何なる運動性でもって、あるいは「絶対理解不可能」であるかも知れない他者を「自らの深部」に、新たなダイナミズムの磁場として取り込み、甦えらせることが出来るのか? その構造の秘儀を解き明かすことと、同義ではないか。この今日的命題=「所謂、他者の痛みへの共感」その一点に、論文は、自らの思考を削りながらうねり、練磨し追い込んでゆく。その瞬間に、私どもは「書くこと=エクリチュール」の真の創造的冒険に立ち会うことの、喜びを体験するのではないだろうか。

芸術文化学科教授 新見隆

横塚成美Yokotsuka Narumi

作品写真:作家、作品からみる大正時代 ―村山槐多をめぐって―
作品写真:作家、作品からみる大正時代 ―村山槐多をめぐって―

概要

私は今を生きていて、どこか違和感がある。テレビ画面の向こう側と私は同じ世界にいるはずなのに、どこか別の世界のように感じる。画面の向こう側と自分の間にある溝に、何だか居心地が悪くなる。大正時代を生きた作家、村山槐多の作品をみた際、そんな日々積もる現代に対する違和感への答えのヒントが、そこにあるように思えた。
現代と過去の問題の根底にあるものは同じなのではないか。本論では、大正時代の作家の生き方や作品から、当時の人たちがその時をどのように見ていたのか、またどのように感じていたのかを探っていく。第一章では、村山槐多の自画像や小説などの作品、夏目漱石の「私の個人主義」を通して「個」について触れる。第二章では、作家たちが関東大震災に対してどのように反応し、どう捉えていたのかを作品を通してみていく。第三章では、槐多と交流のあった柳瀬正夢の生き方や制作活動から当時の時代の流れを追う。ただ史実を追うだけでなく、その時代に描かれた絵や書かれた文と共に時代を振り返り、現代をどのように受け止めたら良いのか、またどのように生きていくべきなのかを考察した。結果、大正時代の多くの問題は最終的に個に集約しているようだった。ここに、現代への違和感に対する答えのヒントが隠れているのではないだろうか。もし、全ての問題が個に集約するのならば、まず自分に興味を持つべきあろう。自分をしっかり見つめ、自己を中心に、他者、社会へと輪を広げていくことで、世界全体の繋がりがみえてくる。これから先、自ら自分を追い求め続け、個を意識することが現代の不安を解消する一歩となるだろう。

作家、作品からみる大正時代 ―村山槐多をめぐって―Taisho period seen from writers and works —on Kaita Murayama—

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH210 × W148mm

大正時代を生きた村山槐多の作品をみた際、現代に対する違和感への答えのヒントを見つけたように感じた。
現代の問題と過去の問題の根底にあるものは同じなのではないか。本論では、大正時代の作家の生き方や作品から、当時の人たちがその時をどのように見ていたのか、またどのように感じていたのかを探る。史実を追うだけでなく、その時代に描かれた絵や書かれた文と共に時代を振り返り、現代をどのように生きていくべきなのかを考察した。

横塚成美

村山槐多の『尿する裸僧』から受けた衝撃を今日の社会に感じることと重ねた。大正時代が抱えていた問題の根底にあるのは今も同じではないか、この問いが論文の出発点になっている。
槐多を中心に据え、同時代を生きた画家や小説家の作品、日記などを縦横に読み解いていった。表象が時を跨いで蘇り現在化されることを明らかにすると同時に、「個」の所在を他者や社会との繋がりから考察した。問題意識が明確で、図版を効果的に用いた構成は読み応えがある。

芸術文化学科名誉教授 今井良朗