岩崎美ゆきIwasaki Miyuki

作品写真:ゼク(am 2:00)
作品写真:ゼク(am 2:00)
作品写真:ゼク(am 2:00)
作品写真:ゼク(am 2:00)
作品写真:ゼク(am 2:00)
作品写真:ゼク(am 2:00)

ゼク(am 2:00)Zeku (am 2:00)

写真|印画紙、インクジェットプリントPhoto|Paper, inkjet printH560 × W840mm ×12点

ゼクとは解剖を意味する医療用語である。
ドイツ語Sektionに由来する。
午前2時、誰にも見つからぬようシャッター切る。

岩崎美ゆき

公的な場で開かれてはいるが、実は閉じている。そんな特異な空間の中を、真夜中にカメラ片手にあてもなく徘徊する。作者はそうした秘密めいた行為を何度も繰り返してきた。ストロボの直接的な光が陰影を排除し、奥行きのないフラットな平面として、空間がユニークに提示されている。いかにもインスタ映えしない、であるが故に、押せば写ってしまう写真の本質を鋭く追求している。

映像学科教授 小林のりお

岡田真由子Okada Mayuko

作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨
作品写真:やさしい雨

やさしい雨tender rain

映像|アニメーション|24分03秒Video|Animation|24min 03sec

辛い時、傷ついた時に感じる胸の痛みを捨ててしまいたいと思うことがある。しかし人は胸の痛みがあるからこそ、人の痛みを想像して相手を思いやることができる。
時計台に住む夫婦の人生を通して、人が人を思いやることの大切さを描きました。

岡田真由子

「心をなくす」をモチーフに2つの物語が語られます。
前半は心の不在を童話の物語で語り、後半は心臓欠落を近未来の人間性の喪失として語られています。
前半の作画は童話として語りで展開し、後半はストーリー構成を魅力的なアニメーションで作っています。
ラストで一つの物語になる展開が作者の資質を示している作品です。

映像学科客員教授 石茂雄

草地紀乃Kusachi Kino

作品写真:Evil Woman
作品写真:Evil Woman
作品写真:Evil Woman
作品写真:Evil Woman
作品写真:Evil Woman
作品写真:Evil Woman

Evil Woman

映像|37分41秒Video|37min 41sec

ふくよかで不美人な、連続殺人鬼の女。
その女に恋をする、中年の男。
そして子離れのできない、男の高齢の母。

この物語は、2007年に起きた「婚活連続不審死事件」からインスパイアを受けた作品だ。
殺人鬼をテーマにした作品は多々あれど、私は加害者側の「殺人の動機」より被害者側の、女がつけこんだ「心の隙間」に胸を打たれた。

寂しい。人恋しい。素の自分を、受け入れてほしい。
彼の気持ちは恋ではなく、依存だったのかもしれない。
でも私は、そんな誰もが奥底でもつ切実な気持ちを、今作で丁寧に描きたかった。

草地紀乃

太め体型の悪女カナエは、老母と暮らす独身男の家に巧みに入って居座り、母親を老人施設に追いやると、やがて息子も練炭自殺と見せかけ殺そうとしていた…。実際の事件をモデルに丹念な取材・調査と思考を重ねて脚本を推敲し、リアリティのある人間ドラマに集約。冷徹で業の深い主人公の女を監督自ら演じ、年配の共演者からは翻弄され餌食となる非力な中年男の哀切な少年性をあぶり出した達者な演出力と構築力を評価された。

映像学科教授 小口詩子

佐々木菜津子Sasaki Natsuko

作品写真:little collections[niwaより]
作品写真:little collections[niwaより]
作品写真:little collections[niwaより]
作品写真:little collections[niwaより]

little collections[niwaより]little collections[from niwa]

インスタレーション|ミクストメディアInstallation art|Mixed media

今回のコレクションでは、8つのものを置くことにした。通りすがりのわたしが、そこにただ在ったものの断片をたまたま見つけ、拾い上げた、たったそれだけの事実がある。わたしはこれからもコレクションを増やし続け、一喜一憂するのだろう。
近年のささやかな楽しみは、人の庭の観察である。庭は家庭に寄り添うものであり、長年の生活が積み重なることで、それぞれにとって合理的で美しいものになってゆく。

佐々木菜津子

佐々木菜津子の作品の特徴は、手のひらに乗るような小さい映像とその支持体としてのスクリーンにある。スクリーンの物質は、通常は映像にとってノイズでしかない痕がつけられたり、砕片化されており、その固定された点や線とプロジェクションによる物資の影が映像との相互作用によって、一種の化学反応に似た現象を引き起こしている。展示の全体は実家の庭の記憶、京の庭の形象によって組み立てられている。手のひらサイズの映像は庭石のように点として布置され、結界を示すような直線とコーナーの要素がそこに加えられ、全体には僅かな高低差のある地形が与えられている。その中心には自身の身体、正確にいうと、彼女の手のひらによってすくい取られた映像を内包している、身体の寸法をなぞった木のフレームが位置付けられている。その結果、この庭は自身によって生きられた庭となる。もしかしたら、誰かしらも見られることなく、この庭は存在しているかもしれない。

映像学科教授 板屋緑

田嶋瀬里音Tajima Serine

作品写真:Tiny Family
作品写真:Tiny Family
作品写真:Tiny Family
作品写真:Tiny Family

Tiny Family

物干し台、ディスプレイ、写真をプリントした布、ほかClothes drying stand, display monitor, cloth, otherH2000 × W8000 × D1000mm

映像|11分00秒、13分00秒、14分00秒Video|11min 13min 14min

私は5人兄弟の末子に生まれた。しかし、両親は離婚し、年の離れた兄弟はとっくに家を出て行ってしまった。家族とは何か。その疑問を明らかにしたくて制作を始めた。
結論から言うと、私は「幸せな家族」という幻想に囚われた幼い末子だった。
現代において、もはや家族は「なる」べきものではなく、「する」ものなのだ。だから、バラバラのように思える今の「家族」も、正しく一つの「家族」のかたちなのだ。あの輝かしい日々は、真実ではなかったかもしれないけれど、現実だった。私は、きっとそれを証明したかったのだ。

田嶋瀬里音

家族に関する私的ドキュメンタリーは数多くあるが、5人兄弟の末子である作者が離れて暮らす家族全員にインタビューを行い、それぞれが「家族とは何か」を語る映像を見て再度彼らの反映を記録したことは特筆に値する。加えて母親が29年間、近親者に向け発刊していた手記や、家族アルバムと家族史を、窓越しに夕景を借景できる洗濯の物干し台に配置し、「ある家族の肖像」が「社会的な事象」として読むことを可能としたといえる。

映像学科講師 瀧健太郎