齊藤拓未Saito Takumi

作品写真:たまり

たまりtamari

高知麻紙、岩絵具、水干絵具Kochi mashi hemp paper, mineral pigments, dyed mud pigmentsH2273 × W1818mm

日常会話、行動の中で、自分を客観視している自分がいることで、冷静に物事を把握できる。しかし、それを過度にしすぎると自分に降りかかった事を重く受け止められなくなる。分離したもう1人は自分が傷を負わないように守ってくれるが、本当にこのままで良いのだろうか。自分を見つめ直すため、具象化しようと考えた。

齊藤拓未

「自己」と「他者という自己」を冷徹な眼でシンメトリーにとらえた作品である。そのふたりの黙した心の闇は、白へ白へと運ばれた。そして二体の重なりからは不気味な甲虫の壁飾りのようなものが出現してきた。こうした作者の意図したものとは別のものが生れたことで、さらにもうひとつの世界が展開して行くのだ。観る者には安定し過ぎる構成でありながら、何とも言えない不安を感じさせ、その恐れの混じった予感がまた希望にも見えてくる神秘的な双子像となった。

日本画学科教授 山本直彰

佐藤泉Sato Izumi

作品写真:5

5five

吉祥麻紙、胡粉、鉛筆Kissyo mashi, chalk, pencilH1620 × W2273mm

アルバイト中、温水プールで泳いでいるお客さんを時々眺めていました。

佐藤泉

「5」と題されたこの作品は、作者自身がアルバイト先のプール場において直感によりインスパイアされたものである。縦に4本、斜めに1本の線で「5」を一つの単位として数を数える手法の「画線法」にコンポジションを見立て、泳ぐ人物のみを抽出し他を捨象することにより達成されている。
人物を滑らかで正確な白描と内側を象牙色で施し、一切の美しい白い余白が周りを囲む。その「画線法」に沿って並べられた人物は一見合理的で冷ややかな抽象の様だが、資生堂のモガ絵の様でもあり何やら懐かしくも詩的で美しい。
「画線法」と泳ぐ人物。そこに作家の意図する関連性は何もない。だが、ときに優れた作家のその創造とは、主義主張的な理屈や数学的な調和のみに基づいて全てが証明されるのではなく、むしろ魅力的な思考と喜ばしい経験とが合わさった、不思議に理屈では説明しきれないものであることに気がつかされるのである。

日本画学科准教授 岩田壮平

下瀬美沙希Shimose Misaki

作品写真:刹那

刹那Moment

高知麻紙、岩絵具、水干絵具、墨、ガッシュKochi mashi hemp paper, mineral pigments, dyed mud pigments, ink, gouacheH1940 × W1300mm

作品のモチーフは、江戸時代に陰間と呼ばれた男娼である。14~20歳くらいの役者を目指す美少年たちがアルバイト感覚で茶屋などで売春していたという時代に衝撃を受け、私の思うジェンダーを超えた美少年の理想像を、現代の新宿西口を夜景に描いた。

下瀬美沙希

障子の向こうには紅殻格子があり、眼下には高層ビルの夜景が広がる。少し古びた出窓に座るのは現代のヴィジュアル系ロッカーだろうか、頽廃的なムードを醸し出しながら、誰かを待っている。下瀬は江戸時代に流行した風俗、蔭間茶屋の美少年を、現代のヴィジュアル系に置き換えることで、過去と現在が混在する不思議な世界を描き出している。白い肌の人体は独自性があるとともに秀逸な表現であり、黒いストッキングにかすかに浮き出た足の静脈は、男性性をリアルに表している。画面左から差し出された手は作品を構成する意味でも大切な存在であり、この手があるかないかで作品の内容も全く違うものとなる。神秘的かつ頽廃的、そして若々しい美しさに満ち溢れている絵画世界である。

日本画学科教授 内田あぐり

滝澤里穂Takizawa Riho

作品写真:紅の茶会
作品写真:紅の茶会
作品写真:紅の茶会

紅の茶会Tea ceremony in Beni

岩絵具、水干絵具、雲肌麻紙、墨Mineral pigments, dyed mud pigments, kumohada mashi hemp paper, inkH1940 × W3940mm

熱い紅茶を飲んでいると、胃の中にじんわりと温かな湖が広がってくる。それはまるで水が生まれ、植物が芽生え、新たな命が生まれる世界のようだった。感じた情景を筆に取り、私が息をしているこの場所を再認識したかった。

滝澤里穂

日常生活の中で台所のカップやポットなどの題材はセザンヌ以降の絵画のモチーフであると同時に様々な絵本の物語としても描かれてきた。滝澤はどちらかというと絵本のような物語性でそれらを取り上げ、そこに樹木などの様々なイメージを重ね、ドローイングすることで独自の重層的な画面を得ている。カップやポットは具体性を失いつつも別の物語を生み出すフォルムとして機能し今日的な物語性を持った表現となった。樹木のイメージも血管や身体を感じさせ魅力的だが、個人的には身体性を伴った筆触に強く惹かれている。

日本画学科教授 尾長良範