石川遼Ishikawa Ryo

作品写真:かけっこ

かけっこrace

カンヴァス、油絵具、パステルCanvas, oil paint, pastelH1620 × W1303mm

作品写真:Untitled

Untitled

カンヴァス、油絵具、パステルCanvas, oil paint, pastelH1620 × W1303mm

作品写真:休日

休日holiday

カンヴァス、油絵具、パステルCanvas, oil paint, pastelH1620 × W1303mm

作品写真:休日

休日race

カンヴァス、油絵具、パステルCanvas, oil paint, pastelH1000 × W803mm

作品写真:散歩

散歩walk

パネル、油絵具、パステル、グラファイト、色鉛筆Panel, oil paint, pastel, graphite, colored pencilH1000 × W803mm

作品写真:Untitled

Untitled

カンヴァス、油絵具、パステルCanvas, oil paint, pastelH1620 × W1303mm

気ままに引いた線や、何処から来たか分からないモチーフを眺めていると、何か意味を探したりして、絵の事がてんで分からなくなる。絵の周りにはなんてたくさんの言葉がうろついているのだろう。それでも描かずにはいられないし、惹かれてしまうものが重要な気がしています。

石川遼

好きなように絵を描くということは案外難しい。美術を専門に勉強すればするほど、当たり前に描けていたものが描けなくなる。良いと思っていたものが素直に良いとは言えなくなる。石川は美術の専門家であると同時にアマチュアの目線を持ち続けようとする。アマチュアであるからこそ、内向して行くハイアートに対して距離を持ち批評出来るし、新自由主義の奴隷になった美術に対しても、そのだらしなさを批判できるのだ。石川のイタズラガキのような作品は、ラディカルに開かれた絵画を希求している。

油絵学科教授 丸山直文

井手くるみIde Kurumi

作品写真:毒の沼地
作品写真:毒の沼地
作品写真:毒の沼地

毒の沼地The poisonous swamp

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH970 × W1303mm

作品写真:無題
作品写真:無題

無題No title

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH910 × W1167mm

目が覚めない状態は目が覚めて初めて自覚できます。中央に点があるとして、目に見える横だけではなく精神の縦、斜めも開拓できたらいいと思います。

井手くるみ

何とも不思議な絵である。ひとつの絵には裸に近い人物が描かれ、その顔や四肢がまわりの景色にとけ込むように消えかけている。それはモデルの人間でも、見た人誰かでもない。そこにある木も描きかけなのか、壊れているのかわからない。一方の羊の絵もまた同様につくりかけのようだ。だが一体これは誰がつくろうとしているのか?
ここで言えるのは、人も羊もつくりかけか、亡き者かわからないが、ただそこにあって存在がむきだしになっている、ということだ。それを孤独感とか、作者の頭のなかのイメージということもできるが、何よりも絵のなかに人、羊が成立していることが、この場合奇跡と言ってもよく、それは私たちがこの土地に生まれ住んで、存在を意識する時の共通した感情を呼び覚まし、また作者にとっての、ここまでならなんとか絵でできるといった切迫感の現れともなっている。私たちはかろうじて存在しているものを、今見ているのだ。そして作者と一緒になってそれが何なのか突き止めようとする。絵とはそのようなものなのだろう。

油絵学科教授 長沢秀之

井上真友子Inoue Mayuko

作品写真:
作品写真:踏切

踏切railroad crossing

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1400 × W3000mm

作品写真:歩道橋

歩道橋pedestrian bridge

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1400 × W3000mm

作品写真:ヒサシ

ヒサシeaves

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH3000 × W1400mm

心に残った風景をその要素を抽出して描いています。

10年と少しの間、毎朝犬の散歩をするのが日課でした。
冬は夜明け前の凍てつく空気の中、雪をかき分けて犬を散歩させていました。自然は大きく厳しいものです。そのことを過度に称賛するのではなく、また悲観することなく、当たり前のこととして受け止め、コツコツと生活していきたいです。

井上真友子

井上は様々な支持体や描画材を使いながら、具体的な外界、風景をモチーフとして作品を展開してきた。見たいものは外界の表層的な有り様を超えて、そこに存在する眼に見えない何かである。それを抽出し具現化するために、井上は思い切り身体を動かし絵の具という物質を突き放すように使う。コントロールしようとするがしきれない絵の具は、意図と偶然の間で、絵画を作者の内面でも世界の深奥でもない絵画そのものへと導く。自己の内面と向き合い、身体のエネルギーを集め、世界の不思議や謎を強く感じ吸い込みながらも、描き始めるその瞬間すべて忘れ、ただ一回こっきりの行為として描かれた作品に出会う時、見たいものは自己でも世界でもない新しくこの世に生み出された絵画そのものであることに気づくのだ。

油絵学科教授 樺山祐和

仙波歩Semba Ayumi

作品写真:部屋

部屋Room

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH803 × W1000mm

作品写真:部屋

部屋Room

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH727 × W1000mm

作品写真:部屋

部屋Room

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH803 × W1000mm

作品写真:部屋

部屋Room

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH803 × W1000mm

作品写真:部屋

部屋Room

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH803 × W1000mm

作品写真:部屋

傍らThe side

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1000 × W803mm

作品写真:

気になるものや好きなものを絵にしています。石、椅子、床、壁などです。描きながら、自分の罪について考えました。一番つらいとき(そして今も)自分のために祈り続けている方がおられることを思いました。
これからはもう少し外に目を向けて生きたいです。

仙波歩

落ち着いた色調の室内風景は、観る者に何かを予感させる。それは夢の中の景色にも思えて、光や人の動きによって画面が微かに揺らいでいるように感じる。その揺らぎは、間を意識した構図によるところもあるが、作者の心のざわめきのような気がする。それは不安と安心のせめぎ合いであり、図像と筆跡のせめぎ合いでもあるが、その揺らぎによって微妙なバランスで絵として成り立っている。観ていると様々な思いが巡ってきて、豊かな時間を過ごしたとしみじみ感じる、よい絵である。

油絵学科教授 小林孝亘

谷口智美Taniguchi Tomomi

作品写真:毎日、目の前で、つなげてゆく
作品写真:毎日、目の前で、つなげてゆく
作品写真:毎日、目の前で、つなげてゆく

毎日、目の前で、つなげてゆくEveryday, I tie them up, in front of my eyes

インスタレーション|粘土、板、布、ピアノ線、手ぐす、雁皮紙、顔料Installation art|Clay, board, cloth, piano wire, nylon line, ganpishi, pigment

私は今、自分のいた場所を見ている。元いた場所は空洞になっていて、私がまわりにつくった粘土の膜だけが残って、目に見えている。今は見え無い、私と粘土が触れ合った時間も、確かに在る。
頭を下げると、そこには見える限りの自分のからだと皮膚が見える。その内側では、様々なことが私の見えないところで確かに起きている。
そんなこととは関係無いかのように、出て来たものは私の目の前に、今、在る。その唐突に出来るきょりに、目に飛び込んでくる物質の強さや重々しさに置いて行かれそうになりながらも、私は乾く前の粘土の柔らかさを思い出す。目の前に見えることと、私が肌を通して確かに覚えている感覚を、今は信じていたいと思う。

谷口智美

谷口さんは自分の身体の皮膚の状態に興味を持ち、制作のなかで、その構造すなわち内容物を覆っている境界の在り方について考えてきた。皮膚の表面を観察し記録するということを制作の一つの流れとし、さらに卒業制作では、皮膚─外界から自分の存在を保護する境界物─という概念を自己の身体性を生かした独自の方法で作品化した。このユニークで冒険的な視点によって新鮮でリアリティのある造形物を生み出すことができた。作品の在り方にこれまでとは異なる考え方や新しい肌触りをもたらすものと評価された。

油絵学科教授 赤塚祐二

中村葵Nakamura Aoi

作品写真:マールスの日
作品写真:マールスの日
作品写真:マールスの日
作品写真:マールスの日

マールスの日The day of mars

映像|ディスプレイ、DVDプレイヤー、ヘッドフォンVideo|Monitor, DVD player, headphone6min30sec

どれも 秘密にしておかれた声は 発見されませんように。 どれも。そうでなくては どうやって 生は ぼくの前で 増大され そして変容されたままでいよう。 友たちには ―故郷には 誰もいないだろう ―すでに ひとつの眼差しで充分だ。【 パウルツェラン「帰郷」】

話者と鑑賞者との間には、映像という侵せない媒体があり、それで隔たれた我々は、2時間と6分間の/話手と聞手の、埋めがたい差異の中に閉じ込められている。しかし他でもない、その映像というテクノロジーによって早送りの操作は行われ、引き伸ばされた音は、言葉として復元される。 言葉を聞く、その一点で、我々はかろうじて繋がることができるのではないか。そう信じたい。

中村葵

映像のなかの女性は、自身に起こった不思議な体験をたどたどしいことばで語り始める。作者自身が演じるその女性のあきらかに不自然な表情やことばの正体は、数十倍の長さで喋った映像を数十倍の早送りで再生するという、いたって簡素な仕掛けによるものである。しかしこのシンプルな手法は、現実とも非現実ともつかない世界をつくり出した。まるで操り人形のような女性の表情には、なにか切迫した緊張感が走り、急激に訪れる日没がつくり出す闇は、物語の不穏な夜の情景にすり替わる。映像のなかの出来事は、異常に長い発語と早送りという操作によっていわば捏造されたものである。だがその構造を知ってもなお、おびえたような女性の表情やことばの痛々しさに、鑑賞者は引き込まれてしまう。さらに、接近する火星や、暗闇で母親が発する暗示的なことばに増幅された、いわば「非日常に侵された日常」が、理由のわからない「おそれ」のようなものを鑑賞者に突きつける。

油絵学科教授 袴田京太朗

西原澄乃Nishihara Sumino

作品写真:気吹 -いぶき-

気吹 -いぶき-Breath

シナベニヤ、モデリングペースト、油絵具Linden plywood, modeling paste, oil paintH1580 × W5500mm

誘い込むような海に足を踏み入れると、そこはもう思っていたような場所ではなく、すべての感情が混沌とする世界だった。水たちは脈打ち、その鼓動はゆっくりと私をまだ知らぬところへ運んでいく。
そして私はただその水に身体を預け、自分自身、そして人間がほんのちっぽけな存在であると気づく。私の命を握っているこの海はやさしくゆったりと、しかし力強く私をいざなう。

西原澄乃

あらゆる海の記憶が重なったかのような光景は、美しくも恐ろしい不思議な魅力を放っている。大怒涛のさかまく浪の躍動の内に、静と動、剛と柔、光と影など、相反する要素を同居させ、それらを一つの世界観に纏め上げる造形的な技量は特筆に値する。日本の伝統美的な波の描写を継承しつつも、彼女ならではの視点と創造性が垣間見え、今後の活躍が楽しみである。

油絵学科教授 遠藤彰子

森田可子Morita Kako

作品写真:EAT
作品写真:EAT
作品写真:EAT

EAT

インスタレーション|キャンバス、油絵具Installation art|Canvas, oil paint

食べもの、食べること、食欲に興味があります。普段感じている食べることへの怖さや魅力、食に対する様々な意識を元に大量のドローイングや油絵を制作します。気持ち悪いと美味しそうの間のイメージ。

森田可子

美味しいものを食べたくて、ケーキやサンドイッチを描き出したのがきっかけとなって、実に多くのドローイングやらタブローが、その食欲と比例するように作られている。それらは線だけで描き飛ばしたものもあり、執拗に絵の具を塗り重ねたものもあるが、どれも筆致には荒々しい勢いがあり、純粋に欲望を忠実に絵の具に託したような強さと激しさを持った絵画作品である。近作でモチーフが判別できない作品となってからも、その豊かな感性はますます凄みをおび、絵を描く面白さに目覚めたようなその絵の具の表情は、排出のカタルシスとも言える爽快感を観るものに与えてくれる。

油絵学科教授 水上泰財