


わたしたちが暮らす環境には、たくさんの文字情報が溢れています。しかし、その大半は字として読まれることなく、ただの図として捉えられているのではないでしょうか。
渋谷の街で一定区間の文字情報を採取し、それらを用いて街を再表現しました。
文字を通して街を見ることで、新しい街の体験をしていただければ嬉しいです。
[小林なつみ]
この研究は、街の特徴を表層から探るために、渋谷センター街の建物表面にある看板や表示の文字を再構成している。それらの文字の、1階2 階という高さの情報、縦書きと横書きという文字の位置情報、文字サイズ情報などを抽象しながら、抽象度の異なる複数の視覚表現として再構成している。最後には、それらの文字がテキスト化され、小説のような表現にもなっている。デザインの特徴のいくつかは表層にあらわれるが、その表層はスタイリングだけではなく、深いものとつながっていることがわかる。
[基礎デザイン学科教授 小林昭世]

毎日通ってきた鷹の台駅から学校までの見慣れた風景を私の目線で捉え、アニメーションという形で再構築することを試みた。いつものように歩きビデオカメラで撮影したものを、見ているもの、認識しているものに焦点を絞って一枚一枚描いた。私の感覚や記憶、筆触が混ざり合って立ち現れた風景は第三者にとってみれば他人の目で見た風景であり、これまで感じていたものとは違う鮮やかな風景として各人に映るのではないだろうか。
[高垣あかり]
四年間通い慣れた道。ある夏の日に鷹の台駅から駅前商店街をぬけ玉川上水を通って大学の校門をくぐるまでの通学路を、四百枚余りのデッサンで構成した映像作品である。作者にはなじみ深い場所であっても、鑑賞者は初めて触れる風景のはずだ。しかしなぜか懐かしい。一枚一枚のデッサンに作者の視線が淡々と几帳面に描かれている。ただそれだけなのに懐かしいのだ。
描くという行為が、感覚の基層を目覚めさせる力になることを知る。
[基礎デザイン学科教授 板東孝明]

古くから日本人は季節感を大切にしてきた。しかし、現在その感覚は薄らいでいるように感じた。
季節感も時代の流れによって変化しているはずだ。そこで、現代なりの季節感とその楽しみ方を提示したいと考えた。
和菓子は意匠や菓銘の響きから四季の情景に思いを巡らせることが出来る。普段生活する中でふと季節を感じるものを探しだし、それらをモチーフにして和菓子と今の季節感と生活を繋げた。
そうすることで和菓子を通して現代の季節感が浮かび上がり、季節を楽しむという行為を再び意識させることが出来るのではないだろか。
[並木 梢]
和菓子とテーマ自体は平凡であるが、日常の人々が共有している事象やイメージから菓子のかたちを導きだしていることが興味深く、卓越している。
「受験勉強」という名と単語帳の赤い表紙のような飴の重なりがいい。「プール開き」という名の濃いブルーの線と淡いブルーのゼリーが重なった四角い菓子もいい。和菓子自体がその名を聞いてその形と頭の中で人々が共有してたイメージが重なるという、繋がり難い二者を繋ぎ合わせる妙が絶妙なアートとして昇華されている。つくる前に描かれた日本画的な淡いスケッチも美しい。和菓子の名は俳句の季語のようなものである。「言われればそう見える」という曖昧な繋がりが共有という美学を成している。この作品は季語というだけではない日常の共通項を抽象の菓子としてのかたちにまとめあげたことに大きな価値がある。
[基礎デザイン学科教授 深澤直人]

ぬいぐるみの持つ魅力を考察し、それを元に具体化した。ぬいぐるみの魅力は、膨らみによってできる「張り」「たわみ」「締り」であり、それがかわいさに繋がっていると考えた。
ぬいぐるみの魅力のもう一つのポイントは、現実から大きく隔たれていることであろう。素材や表現が誇張されていることを前提にその距離感に開き直りつつ確信犯的にゆるみや余り、ふくらみや張りをことさら強調しながらひとつのレトリックを構築していく様子が観察できる。
この研究では、ぬいぐるみの持つ魅力を、多くの事例を集めて分析しつつ、その成果を具体的なぬいぐるみとして展開してみることにしたのである。
[山本勝也]
縫い包み(ぬいぐるみ)はなぜ微笑を生み出すのかという問いから研究はスタートした。山本が集めてきた縫い包みの資料は、いずれも現代アートのように視点が鋭く、定着の水準も高かった。「カエルの解剖」・「自動車」……。
その批評性の高さにうなりながら、山本は共感の根源を分析し、それを具体的な対象に適用して見せた。「札束」はその成果である。逸脱と省略。張りと膨らみ。反復生産可能な生産品としての完成度の高さに注目したい。
[基礎デザイン学科教授 原 研哉]