入山きららIriyama Kilala

作品写真:Ride
作品写真:Ride
作品写真:Ride
作品写真:Ride

Ride

ブロンズ、鉄、木、鋳造Bronze, iron, wood, castingH1600 × W1300 × D700mm

点と点は線になり、線と線は面になる、面と面は立体に。
面と面の連続は、新たな形を生み出し、そこにある光と影は、立体を曖昧なものとして存在させた。

入山きらら

木の箱に
ヘヴィーなメタルが
乗っている
この作品は多面体のユニットで構成された抽象彫刻だと言えるかもしれない。しかし単純に形態の問題のみでは語り得ない、生きのいい収まりの悪さがここにあるのだが、それはどこから来るのだろうか。例えば多面体の結合から生じる平行四辺形の面の生み出すイリュージョン。箱のような、やけに目立つ台座。量感を感じさせるブロンズ鋳造。どことなくヘビメタ風スタッズを連想するユニットの連なり。意識的なのか偶然なのかこれらの要素が関係して予想外の化学変化を生み出しているのがこの作品の身の上か。そういえば作者はこれまでイカのような軟体動物ばかり作っていたそうな。この異質な展開こそがこの作品世界に連なるのだろう。イカは落語の「てれすこ」の如く作者の頭の中で「すてれんきょう」になったのだろうか。イカはブロンズという質量を得る事によって斯く変化し、我々の脳の中を動き回る。彫刻のメタモルフォーゼの変幻自在をけっして侮ってはならない。

彫刻学科教授 伊藤誠

菊池美穂Kikuchi Miho

作品写真:戯事~解放宣言~
作品写真:戯事~解放宣言~
作品写真:戯事~解放宣言~
作品写真:戯事~解放宣言~

戯事~解放宣言~TAWAGOTO-Release declaration-

漆、砥の粉、麻布、木材、乾漆Lacquer, clayslate powder, hemp cloth, wood, hollow dry lacquerH1600 × W800 × D800mm

以前、屠殺場を見学した。牛や豚の腹を裂くと美しい内臓がボトリと落ち、残された身体にはきれいな空洞ができた。その時、自分自身もこれらと同じようにモノとして美しい構造をした身体を持っていることへの喜びを感じた。また、自分の身体でありながら、見ることができる部分や、自らの意思でコントロールできる部分がほんの一部でしかないことへの虚しさを感じた。

この作品では、「充実」と「空虚」という相反する感情を、ひとつの立体の中に両立させようと試みた。

菊池美穂

目鼻立ちの曖昧な頭部、引き延ばされた首、中身を欠いたコスチュームを拡げる実態感のない両手。中身を欠いた空洞の膨らみから流れ出す粘性のある流体、そのうねりが蛸の足のように下肢を象り、形の全体が無闇に安定する。乾漆というメディウムは、身体的なものの攪乱を幸せな情感に変え、人々の受動的でよそよそしい想像力の器を、作者の悪夢と丹念に共鳴させるだろう。作者は漆というマテリアルが持つ他者をおびき寄せる力を見事に我がものとしたが、そのはじめに仕草として求められた錯覚を何処まで持ち続けられるのか、これから験される。

彫刻学科教授 黒川弘毅

髙山瑞Takayama Midori

作品写真:海の群星
作品写真:海の群星
作品写真:海の群星
作品写真:海の群星

海の群星umi no gunsei

WoodH2600 × W500 × D900mm

樹という一つの生命であったモノに、中心的な線を探る行為を与えることで、かたちは分断され新たなかたちが生まれる。年輪の終端は外へ離れてゆくが現在の空間は中心へと近づき、それは過去を学ぶこと、生命進化の過程に似ていると感じた。いつの間にか中心を通り越し深く彫り込まれた場所だけは私念であり、その事により内側に反転するものを持つという点で原始の魚、人間、植物、地球の構造を持つ一つの世界のように考えたが、私達はまだ中心を見つけられない。

髙山瑞

大木の自然な形体を保ちながら、表面の傷痕を彫りの起点とし、内部へと彫り込み、その結果無数の丸みを帯びた突起を持つ作品を出現させた。その突起は大木の中心に向かっているようにも見えるが、それぞれの突起は微妙に方向を変え、決して一つの中心に向かうのではなく、内部に多中心的視線の束を幻視させる。この内部の構造は彫出した突起によってもたらされたものであり、彫刻の表面と内部構造との関係は、古典的西欧彫刻の求心性とは異なっている。木という植物から産み出された形体ではあるが、細胞分裂を繰り返し、海の中から発生した生物全般の有り様をも示している。自己の意識の半身を絶対的自然に寄り添いながら、同時に人間的構築を、彫刻を通して探求しようとする意志を感じさせる。

彫刻学科教授 戸谷成雄

竹内美澄Takeuchi Misumi

作品写真:壁
作品写真:壁
作品写真:壁
作品写真:壁

barrier

セラミック、釉薬、紐づくりCeramic, glaze, forming with coilsH1100 × W1300 × D800mm

内と外、表と裏のようなもの同士の関係は、互いを支えあい、時に壊しあって存在している。
土を積み重ねていく行為により、時間や空間も形を現してくるように感じる。

竹内美澄

内臓のかたまりとも、珊瑚の山とも、中国の山水とも見える、得体のしれない陶の山が築かれている。縄文土器にも用いられた技法、紐作りによって地面から立ち上げられたこの形体は、その技法(焼成時に割れないため、紐状粘土で一定の厚みを保ち、積み上げ形成する。)と作者のイメージが、手と粘土を結びつけ、戯れ、さまよいながらうねりとなって上昇している。粘土の壁は、一方から押すと他方は膨らみ、他方に凹みを作ればこちらは凸起する。表と裏、内と外との関係は、連動して作用し、膨らみ、へこみ、穴を形成する。この形体の襞は、さらに増殖し複雑化しながら空洞をはらみ、この目に見える世界が、もう一方の見えない世界の力によって形成されていることを、証明しているようにも思える。

彫刻学科教授 戸谷成雄

中莖あかりNakakuki Akari

作品写真:壁
作品写真:壁

01

粘土、アクリルClay, acrylic paintH1270 × W430 × D530mm

作品写真:壁

03

粘土、アクリルClay, acrylic paintH450 × W1700 × D400mm

作品写真:壁

02

粘土、アクリルClay, acrylic paintH800 × W600 × D630mm

美しいと感じるものをつくった。

ヒトは人体作品を観るとまず性別、人種、大人であるか子供であるかなどの情報を得ようとする。
とりわけ性別においては判別できないと違和感を感じるヒトもいるようだ。

しかし、私は作品の中に表さない。
私にとって美しさを感じる上でとても邪魔なものだから。

中莖あかり

三体の人間像である。信楽粘土によるテラコッタの、マットな薄い肌色が、人体のもつ、淡い肌色のイメージにだぶらせ、程よい透明感を感じさせる。間合いが充分に保たれた配置が、個々の像の存在感を引き立てている。そして、この独特な雰囲気は何処から来るのだろうか? その顔立ちはボッテチェルリやラファエロの描く人物のようでもあり、ある一方で現代のアニメーションに登場する人物も想起させる。そして、その身体は、性差を感じさせる部位はつくられていない。それ故に美男のようにも見え、美女のようにも見える。中莖の美意識は中世と現代、男性と女性、物質と肉体、現実と非現実との間を行来きし、自然光の美しい空間に三体の人間像として定着させている。それは、人の姿をした何者かの化身がここに居る場面なのである。

彫刻学科教授 三沢厚彦

萩田彩里沙Hagita Arisa

作品写真:自刻像
作品写真:自刻像
作品写真:自刻像
作品写真:自刻像

自刻像Jikokuzou

IronH1400 × W1600 × D1600mm

鏡を見るたび眉間にあるホクロが気になっていた。ナイスな位置にあるにもかかわらず、ここを弄ってくれる人が少なく日々悶々としていた。
ここから広がる一本の鉄紐の空間は全て自分。
自分に囲まれた空間は居心地が良い。
自分が大好き。自分を見て欲しい。

萩田彩里沙

この作品は作者自身の眉間の黒子(ほくろ)を中心として同心円を描くようにつくられている。皺も歯も穿かれた目もすべて均質に表皮で連なり、その印象はまるで未知の生物が自らの棲家を作るような醒めた手業でこの作品はつくられているようだ。何かなじみのあるものではない原理で成り立っている頭。まるで浮遊する頭のかたちをした未確認飛行物体だ。「自刻像」を「自己の何かを自己と切り離して存在させる方法」と言い換えてみると、この作品について腑に落ちるものがあるのではないか。この作品は作者本人の単純な模刻ではないだろう。作者はこれまで目を向けてきたのは虫だ。その中でも特に虫酸が走るような感覚の対象を執拗につくり上げることで、むしろ魅力を感じさせる物体を追求してきたが、この作品では「黒子」という本人しか与り知れない感覚を、制作方法の起点に置いて現実化した。作者はこれまで人間の立場で虫を見てきたのだが、茲に至り虫の立場で人間を切り取ろうとしたのだろうか。

彫刻学科教授 伊藤誠