石川夏帆Ishikawa Kaho

作品写真:2面のための進行
作品写真:そこで止まるとき

2面のための進行Progression for dihedral

白御影石White graniteH400 × W1200 × D750mm

そこで止まるときWhen it stops there

大理石、木材Marble, woodH700 × W1100 × D600mm

一方が決定された時、他方も決定される。そんなものを実現させたかった。決定されることに期待を寄せながら、その時々の決定はゆるがされ、それでもなにかに近づこうとする。目の前に現れるものの在り方を考えながら。

石川夏帆

幾通りもの謎を解こうとする気持ちが、この作品が生み出す力なのだろう。タイトルに示された通り、最初に恣意的なイメージがあって作られたものではない。ある方法に従って制作し、その過程で生まれてきたものを作者が発見し、掬い取ったものがここにある。それは作者にとっても、これを見ている我々にとっても等しく謎だ。彫刻家の仕事とはなんだろう、と誰しもが考えるのだが、実はこのような等しく考える「場」を出現させることなのかもしれない。この作品は結果的には「謎」だが、決して謎めいた造形ではない。

彫刻学科教授 伊藤誠

大川原暢人Okawahara Nobuto

作品写真:無題
作品写真:無題
作品写真:無題
作品写真:無題

無題undoing antennas

インスタレーション|ミクストメディア|木、プラダン、指サック、有孔ボード、結束バンド、ボウル、ほかInstallation art|Mixed media|Wood,corrugated plastic, fingerstall, perforated plate, cable tie, bowl, otherH3000 × W10000 × D7000mm

ビート板の上に立つ、バランスを崩すまで身体の方向を知ることはできない。
制作の中にビート板の上に立つ行為に似た欲求があったと思う。

大川原暢人

デッキに前足を乗せる、軸足で力強くプッシュする。ボードが勢いよく前へ押し出され、それとほぼ同時に大河原の身体もデッキ上でバランスをとりながら、ボードと一体化する。左足をボードの前側に位置し、フロントサイドを意識すると、背後に壁がくるのが自然な設えになるのだろう。この事柄から大河原はノーマルスタンスであることが理解できる。基本はマスターした、オーリーやマニュアルはお手のものだ。
大河原の作品はグラインドする際の身体とデッキ、そして、その接点が重要視されている。幾重にも構成されたパーツに接する部分にこそ独自性が与えられ、的確に選定された素材が重力を支える。それは奇しくも危うさというより、安定した印象を与えている。
「恐れるな!もう一歩踏み出せ!」と自身に言い聞かせる。より高度な次元に挑むのだ。そして、次に会う時には難度の高いトリックを見せてくれることを期待している。

彫刻学科教授 三沢厚彦

佐々木大河Sasaki Taiga

作品写真:廻る
作品写真:廻る
作品写真:廻る

廻るcirculate

漆|脱活乾漆技法Urushi|Hollow dry lacquerH2300 × W600 × D500mm

仏教には宇宙に対する思考がある。その宇宙空間まで仏像を到達させようと日本の仏像彫刻の中には様々な手法や技術、捉え方を使い、天に上っていくような造作物が作られていった。
実空間にある彫刻を物理的に宙に浮かせる事は不可能に近いだろう。しかし、思考や哲学などとそれを実現させる為の表現手法が呼応しあった時、彫刻も宙に浮く事が出来るように思えた。

佐々木大河

奇妙な!―伏せた表情をもつ頭部と右手の構成が半跏思惟像を参照したと思わせることを除けば、この人物の仕草はこの一言に尽きる。後頭で三つ編みした髪の先端を左手の人差し指で浮かせ、左足の指先で宙から地に舞い降りたこの図像の起源は、何処にも辿れない。不自然に脛に添えられた一組の手をもつ四臂の腕と、内部に肉体の実態感を欠いたコスチュームは、宗教的な妄想をかき立てる。漆というメディウムが持つ幻影を纏わせる能力を、作者は再活性化した。独力で。

彫刻学科教授 黒川弘毅

島杏奈Shima Anna

作品写真:#3
作品写真:#3
作品写真:#3

#3

鉄|溶接、鍛造Steel|Welding, forgingH1200 × W1650 × D1500mm

今この瞬間抱いている感情はどこまでが「自我」であるのだろうか。私はこの作品で、無意識と意識の狭間を体現するために目的を持たずに限られた技法で作業を続けることで、一瞬一瞬のリアルな欲求と衝動を形に落とし込む事にした。

島杏奈

半開きの塊、とは奇妙な表現だが島の鉄作品「#3」を見た第一印象だ。その後ピカソのキュビズム的版画「牡牛」が頭に浮かんだ。この二つの印象にどのような関係があるのだろうか。本来塊とはムクなもので一繫がりの表面で閉じているが、表面のあり方によって空ろにも感じられる。充実した内部から押し出されたような表面ではなく、断片化、構成化され張り付いた表面、多視点面のコラージュとも言える表現こそキュビズム的である。これは島の作品の特徴とも一致している。さらに島はこの塊を一繫がりの表面として閉じることを避け内部の空洞をさらけ出している。しかし、キュビズムから大きく逸脱しているのは、表面を視覚的表面から触覚的表面へ、皮膚的表面へと移行させ近代的造形主義を乗り越えようとしている点にある。

彫刻学科教授 戸谷成雄

須山恵子Suyama Keiko

作品写真:casket-1
作品写真:casket-2
作品写真:casket-1

casket-1

FRP
H670 × W1400 × D550mm

casket-2

FRP
H850 × W1400 × D1050mm

生物に食われて死ぬという解放された肉体が自然の摂理の輪に入り込んでいく姿から生物を「棺」という器として捉えてみる。
吸収された亡きものは栄養として生きているものに溶け込む。それを意識し形にすることにより自身の器に溶け込んでいる存在を感ぜざるを得なくなっていく。

須山恵子

メタモルフォーゼス―これらの作品は、変身の物語を連想させる。凶暴な狼の体内から安らぎにみちた表情で出現する女性。この猟奇的な主題、太古に遡ってくり返されてきた(プリミティブな)古びることのない(プリモルディアルな)夢想。その擬態によって、作者がなにか運命的な自らの憧憬を成就しているのだとしたら、異質な身体の接合が野獣的なものの崇高さ、それがどれほど精神的なものであるかを宣言している様にみえるとしても、塑造に長けた技量が達成した鑑賞者の眼差しをおびき寄せる儚い幻影は、作者自身に由来するよそよそしい力の出現によって転生を遂げるだろう。

彫刻学科教授 黒川弘毅