浅沼剛正Asanuma Yoshimasa

作品写真:冷気
作品写真:冷気
作品写真:冷気

冷気Cold

Camphor treeH1850 × W1300 × D3100mm

量をとらえ、内側からの力を感じ取る。構造を意識し、軽快な形の移り変わりを探る。何を見つめ、なぜ見つめているのかを考える。

浅沼剛正

巨大な牛がいる、巨大な牛の彫刻がある、牛の形をした荒っぽい木彫がある。作者は何も無い空間に巨大な牛を出現させようとしたのか、彫刻家としてたくましい牛の姿を再現しようとしたのか、牛の形を借り量塊性や流動性や構築性を荒々しく追求した「彫刻」を作ろうとしたのか。この第三の観点は近代彫刻の目指したものだが、どの観点から見てもまだ一歩も二歩も足りない。しかし、今流行りの、かわいい、きもいキャラクター化を目指していない事は確かだ。今彫刻は、第四の観点を探しているのだが、それがどのようなものになって行くのか先の見えない状態にある。その探求が困難なことであっても作ることでしか乗り越えることはできない。
今、浅沼は近代の痕跡をゆっくりたどり直しているようだ。この彫刻は、近代彫刻の解体へと向かうとば口となったキュビズムを経由して、太古の発生の地点まで思いを巡らし牛歩を進める宣言とも見える。

彫刻学科教授 戸谷成雄

内田健太郎Uchida Kentaro

作品写真:Momently
作品写真:Momently
作品写真:Momently

Momently

木、布Wood, clothH1400 × W3800 × D1600mm

私は常々、自分が認識できる範囲の些細なものを捉えたいと思っていた。

物体が移動したり、変化をしたりするときに起こるブレやズレは、力強いのに静かな動きを連続で行っていると感じた。その動きは有機的でありながらも無機的な表情をしていて、興味深いものを見つけたと思った。しかし、それをそのまま現象として再現するのではなく、自分が反応した部分だけを摘み取ることが一番いい方法だと考え、このような作品になった。

内田健太郎

この作品を見て、形態の面白さを感じる一方で、目の前に繰り広げられている撓りと反発という現象そのものにも心が引かれる。たしかにこのかたちはひとつの現象から生まれたものかもしれない。しかしこの作品を前にした時に持つ印象は、そんなに単純ではないだろう。一般的に何の機能ももたない「かたち」は、余計な存在としてともすればアリバイを求めがちだ。かたちの所以としての現象。この作品がそのような陳腐な在り様と確実に一線を画すのは、このかたちを生み出している現象とは別のところに生まれている側面だろう。それはこの作品の持つスケールと、一見無駄なようなディテールが引き起こしているのかもしれないが、そこにこそこの作品の生命があるのではないだろうか。作者はチープな素材に対して可能な限り意図的な状態にねじ伏せる一方、局所に溢れ出てくるノイズも許容してきた。この交錯する視線がつくる「場」の現れ。全くかたちは「生もの」と思うばかりだ。

彫刻学科教授 伊藤誠

下山夕佳里Shimoyama Yukari

作品写真:物間
作品写真:物間
作品写真:物間

物間monoai

セラミック、釉薬Ceramic, glazeH1300 × W1900 × D1000mm

自身の指で土の感触を感じ続ける幸せと内部まで見える透過性を確実に獲得しようと試みた。

下山夕佳里

小さな襞状の分子が重合し、匍匐して積層し、伸び上がる。緩やかな稜線をもつひとつの個体のなかで、無数の繊細な結晶が振動している。丹念に作られた粘土の細胞のそれぞれに火の中でいのちが宿り、虫の羽音に似た諧調をかたまりの内部で響かせている。釉の滴りが観る者の眼差しを表層から堅牢な深奥へ引きこみ、プリミティブな気韻—諸々の世界の始源がいまだに放つ波動を、そこで伝えるだろう。作品の生成に寄り添った作者の気分を、これを愛でる他者の中で再生し達成する能力に、セラミックという媒体は長けているにちがいない。火によって変成した後、現前し続ける儚い物体は、古びることのない新鮮な情感を諸々の他者に想起させ続ける。そのつど移ろい、流転してやまない不動の。それが現前する以前に、作者らとともにあった。

彫刻学科教授 黒川弘毅

中谷光Nakatani Hikaru

作品写真:morning glory

morning glory

木(楠)、油絵具Camphor tree, oil paintH1940 × W700 × D730mm

作品写真:plants
作品写真:plants

plants

木(楠)、油絵具Camphor tree, oil paintH50 × W90 × D80mm H290 × W180 × D120mm H280 × W140 × D120mm

一木から植物を彫ってみた。
植物は生命力の塊。
刃物の痕が木彫独特のモノを感じる。
上から下へ変化を楽しんでほしい。

中谷光

植物の発芽は見えない地中の出来事が充分に整えられ、必然的に地中から芽を出す。そこからは地中と地上からの恩恵と関係性を受け植物は育つ。これは彫刻が出現することと存在することに似てはいないだろうか…。中谷は楠の丸太から彫りだす「一木造り」を手法として選んだ。それにより、植物の成長過程と制作過程を逆行させている。最初に朝顔の新しい先端部分の花や葉が彫りおこされ、徐々に朝顔の過去の記憶が彫り出されて行く。そのプロセスにより、初めはリアルに彫られていた花や葉も次第に厚みを増し、大きくなり、本来地中にあるべき部分は巨大な球根として表現されている。それはエネルギーを蓄えた物体として彫刻の記憶とも関係があるのではなかろうか。

彫刻学科教授 三沢厚彦