


壊れかけた玩具に 針金の骨を埋め 綿を詰め
皮を張り 目や口をつけ 布のハギレを着せ
拾い集めたガラクタで装飾すると
ヒトガタの獣ができあがる。
彼らのために照明を焚き、音楽を流すと
少しばかりの電力を食って生きる
Freaks(フリークス)に生まれ変わる。
[生田志織・大竹竜平]
1932年、トッド・ブラウニングによる旅回りの見世物一座を舞台にした映画『フリークス/ Freaks』は、実在の「奇形」と呼ばれた人々を動員し、公開後衝撃的なこの映像は長い間封印された。私が観たのは制作からすでに40年以上経ってからだったが、まもなくパリの北駅近くにあるピーター・ブルックが持つ劇場で舞台化され、かつての火災によって一部崩れ落ちた古く小さなオペラハウスで、焚き火による灯りだけの土の舞台に炎で浮かび上がる偽りの身体を脱ぎ、露になった本来の自身の姿でやっと自分の歴史をお互いに語り合う哀しくも美しいシーンが重なる中で、しかも温かな眼差しに満ちた舞台であった。大竹と生田による、この作品の出演者の多くも、かつて量産され動く玩具として愛され続けた役目を終え、拘束された表皮が彼らによって脱ぎ放たれ、やっと自由になった機械としての身体が、まるでミッキーマウスを演じる着ぐるみを脱ぎ放ち一息つく無名の身体のように、今度は自分のための人生を自由に謳歌し始める玩具たちの姿は、切ない一抹の夢のようだ。
[空間演出デザイン学科教授 小竹信節]

雨が地面に落ちる一瞬
マッチに火がつき熱が宿るとき
そして、人間の手によって
一日一日発行される新聞
一瞬一瞬の痕跡が
重なりあって
密になって
できているいまこの時
けれどもすべては少しずつ
無に還っていく
[国沢知海]
この作品群は3通りの手法で「時と痕跡」を表現している。<雨水による墨絵><マッチ棒に反応した感熱紙><テープで剥ぎとった新聞紙>どれもが時間と共に漂泊していく過程を綴ったものである。共通してデザインの根底にあるのは、自然とメディアへの批評性である。
製作のプロセス、人間の感情、平面作品の立体表現、などの難題を空間的に上手く提示した。目的を持たないデザインであるが故の‘ 未完の力強さ’も評価された。
[空間演出デザイン学科教授 椎名純子 講師 伊坂重春]

「当軒は注文の多い料理店ですからどうぞそこはご承知ください」
山猫のかけた幻覚に惑わされ、人間は一枚、二枚、扉を開け猫に近づいていきます。
[粂田直子・湯浅美穂里]
宮沢賢治の「注文の多い料理店」という不気味な味の物語がある。奇怪というべきか。森で迷った二人のハンターが、つかれつかれてたどりついた一軒の森の中のレストランで、塩をふりかけられて猫に食べられてしまう、その寸前、気がついて逃げ帰ることが出来たお話。その時の怖さがこの一場面だけで充分伝えられているではないか。これが舞台美術である。みよ、みごとな大化け猫が我々に飛びかかろうとしているではないか。塩をかけ、よだれを垂らして。ギャオーッ。
[空間演出デザイン学科教授 堀尾幸男]

この場所は日当たりも良く眺めも良い、とても気持ちの良い場所である。ここに人の居場所を新たに作る。
侵入しづらい空間にし、そこに手助けとして一本の柱を立てる。歩くだけの人、座る人、寝転がる人、柱にもたれかかる人、そこで起こる人の行為はまるで予測できない。
そんなことがとても面白い。
この空間だからこそ起こる感覚、作為的なものではなく、人それぞれの行為に任せてみる。
[鈴木健人]
鈴木健人は、床という概念を模索した。床は重力がある限り人と関わる。
だから椅子と同じように身体との関係を整えた。そして、床と空間と環境との関係を企てて人の心を揺るがしている。
[空間演出デザイン学科教授 小泉 誠]

かつて人が使っていた記憶の断片が刻まれた廃材と、役割を果たした一艘の廃船。
時代の移り変わりが人生のように感じる。
都市に埋没するこの最小船舶茶室には、廃材の隙間から日差しと空気が入り混じり、瞑想の時を生む。
[鈴木つくし]
この作品は、田舎の川辺に打ち捨てられた小船を見出す事から発想されたようだ。
なかば朽ちかけた小船を解体し、茶室とも見える小さな空間を出現させた。
ゆっくりと流れ、決して戻らぬ水の流れに座を託す事は茶事の一つの本義とも言え、空間のありようの本質を見せている。
[空間演出デザイン学科教授 杉本貴志]

もう思い出話になりますが、船に乗りました。
船の中では、頭の上からトンテンカンテンと音がきこえてきたり、地面がブーンンと揺れていたり、なにやら私にはわからないことが、たくさん起きていたのでした。
けれども、私の周りのせわしない音や気配は、私をワクワクさせました。
私はわけがわからないなりに楽しい気分になって、そのあとデッキに乗り出したのです。
[前田成彦]
1983年、フェデリコ・フェリーニによる映画『E LA NAVE VA /そして船は行く』は、第一次大戦前夜、偉大なソプラノ歌手エドゥメア・テトゥアの遺骨を流すために彼女を慕って世界中から集まった人々がナポリ港から大西洋横断の豪華客船グロリア号に乗り込み、様々な階層の人々が入り交じりながら不安や焦操、享楽を描いた作品で、とりわけ私の大好きな映画だった。同名のタイトルを持つ前田の作品は、かつてのミシシッピー川を渡る蒸気船の姿を描きながら、目の前に立ち塞がる巨大な壁のような水切の船影から遥かにはみ出たデッキ上でスイングする自動人形たちが、遥か遠く誰に聴かせようとしているのかモーリス・ラヴェルの静かに美しいフレーズで優しく語り掛ける。その姿は、前田自身の優しいまなざしのようだ。
[空間演出デザイン学科教授 小竹信節]