はじめに佐野寛林利昭佐藤康三原研哉深澤直人中島信也近藤康夫佐藤卓中西元男
略歴:
1956年 山梨に生まれる
1980年 多摩美術大学立体デザイン学科卒 セイコー・エプソン 入社
1989年 渡米、「ID TWO」 入社
1996年 「IDEO japan」設立 代表者となる
2003年 IDEOのDesign Fellowとなる
Naoto Fukazawa Design 設立
プロジェクト「±0」を立ち上げる

2002年 ドイツIF賞金賞、2003年毎日デザイン賞をはじめ、40を超える賞を受賞
特別講義第5講
ありそうでないもの
デザインは向こう側にある
 「ありそうでないもの」というキーワードは、最近自分のデザインしたものについてよく言われる言葉だ。“ありそうでない”とは、デザインの受け手のほうに存在している思考で、「こんな感じのもの今までなかったっけ?」という感覚である。
 デザインは向こう側にある。自分側ではなく相手側にあるものだと感じている。なにか沸き立つように、自分からにじみ出てくるものを表現することがデザインだと思っている人も多いかもしれないが、決してそうではない。10年ほど前にそのことに気がついてから、自分のデザイン観は一瞬にして大きく変わることになる。それまで人より長けた特別な技能を持って、それで人を楽しませるのがデザインだと思っていた。しかし、自分をいくら見つめていてもデザインは出てこないと思ったほうがいい。デザインは発明とか創作、発想などではなく、発見なのだ。みんなと同じものを見つけ出す。ただ、それに周りが気づいていなくて、自分だけが気づいたということが大切なのである。

HAPTICのジュースパック
 人は、いろんなことを五感の複合で、5つの感覚をセットにした状態で認知している。このジュースパックはそのうちの1つを変化させてしまった。これは、バナナというかたちをジュースパックに変換させたというだけで、その他は何も変わらない。五感の1つの部分が変わるとすべてが変わってしまうが、その他の4つの部分が残っているために、頭が困惑してしまう。 これは私が発案しただけで、細かい指定は一切していない。しかし周囲の人間が、何の打ち合わせもなしにこのようなかたちを作ってくれたのである。  このように知恵が1つに収束して、隆起していくような感覚、それがアイデアだと思う。自分に素直に、純粋に物事を受け入れていく力があれば、ここから同じものができていく。既知を導きだすアイデアは、自分の中から湧き立つものではない。みんながシェアしていることから、ある1つのソースや記号を見つけるということなのである。

中庸であること
 白でも黒でもなく、プラスでもマイナスでもない。中庸であるということを考える。人は最低でも2つの矛盾したマインドというものを持っている。しかしそれを認めず、どちらかに自分を規定したいという望みがある。右側にいれば左側が見え、左側にいれば右側が見える。ちょうどその中心にいて、その力関係を自分が縦横無尽に自由に行き来できるほうがいい。決してどっちつかずのいい加減な人間になれといっているわけでなく、必ずどちらかにいるのだけれど、そうでない側にも自分もいることを忘れてはならないということだ。右側と左側の線を寄せあって、最後の関係をひとつの線にしていく、その作業がデザインだと思う。

デザインの意味付け
 すべての意味は環境にこめられており、無限のものだ。私が捕らえる情報とは、インターネットや新聞、テレビなどのメディアから得られるものだけではなく、もっと日常の中にあるものである。みんなが今感じている空気やこの場、声の情報といった無意識に得ている情報も含まれる。アイデアの説明を求められたとき、人は自分の中に架空のストーリーを造り出し、その中で完結してしまうデザインを作りがちだ。デザインに意味を込めようとしても、理解してもらえなかったらまったく意味がない。ならば、そんなことはしないほうがいいだろう。自分で意味付けするのではなく、それよりも、人を含めた環境という入れ子の中に、すべての情報の美が込められている。すべての美は今ここにないと意味がない。それを見つけられるかどうかがデザインの力なのである。

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2Q&A

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