丸山亜由美

基礎デザイン学科3年 ケルン・インターナショナル・スクールオブ・デザイン 2016年9月~2017年7月派遣

写真:丸山亜由美

ケルンに来てから半年が経とうとしています。初めは家探しや学生ビザの取得などドイツに住むための環境を整えることに必死でしたが、今はドイツ人のホストファミリーのお家に住みながら、自分の学びたいこと・やりたいことにじっくりと取り組むことができる毎日を過ごしています。

まず学校についてですが、私が通っているKISDには必修科目というものがないので、自分の好きな授業を好きなだけ取ることができます。私は本当にやりたい授業だけに絞っているので、武蔵美にいた頃よりも課題や制作にたくさんの時間を掛けることができています。また全ての授業はどの学年であっても受講できるので、いろいろな年齢・バックグラウンドの学生とプロジェクトを進めることができ、自分自身の表現やアイデアの幅を広げることができます。武蔵美と大きく異なる点は、学生自身の考え方がより尊重されること。日本だと教授の言っていることは絶対、という雰囲気がありますが、こちらでは先生や他の学生たちとたくさんのディスカッションをしながら、一緒に一つの作品を作ってゆく感じです。講評の時も必ず他の学生からのフィードバックがあり、常に双方向なコミュニケーションが行われています。コンセプトやアイデアに重きが置かれることが多いため、求められる作品の完成度は武蔵美の方がよりきっちりとしている印象があります。

次にドイツ、ケルンでの生活ですが、こちらはいろいろなものを受け入れる寛容さがある大らかな雰囲気があります。ドイツの人にケルンはどんなところ?と聞くと「フレンドリーで、親切なオープンマインドな人が多い」という答えがいつも返ってきます。私は医療系の大学を出て製薬会社で社会人を経験してから武蔵美に入ったのですが、そんなキャリアチェンジにもこちらの人はとても前向きです。日本だと高校を出てからすぐに大学に入って、卒業したら就職して、と履歴書に空白を作らないことがいいこと、という空気感があります。でもドイツでは、自分の人生を豊かに過ごすことが大事、本当に自分が心からやりたいことを見つけて実際にやるのが大切、という考え方です。なので、高校や大学を卒業した後に「ギャップ・イヤー」と呼ばれる自分探しの旅をする期間を取る人も多く、社会人を経験してから大学に戻ってくる人の割合も日本に比べたらずっと多い印象です。

最後に、これから留学する人に向けてメッセージです。私はケルンに住んでKISDに学ぶことができて本当に良かったと思っています。日本にいるだけでは知らなかった考え方や価値観に出会うことができ、次の人生のステップに向けてより多くの選択肢と可能性を持つことができたからです。留学前にするべきこととしてアドバイスを挙げるとすれば、留学前に留学先に実際に行ってみることをお勧めします。私は留学が始まるおよそ半年前にKISDで開催されたワークショップに参加しました。その時は自分の英語力が到底及ばず、ブレイクタイムで友達が話しているカジュアルな会話さえ良く分からなくて、悲しくて家で思いっきり泣いたのを覚えています。帰国してから、自分には何が足りないのか、どうしたら大学の授業についていけるようになるのかを冷静に分析して、準備できたことが今の留学に繋がっています。また、トビタテ留学ジャパンは金銭的な支援だけでなく、世界中に留学仲間を作るきっかけも提供してくれているので、ぜひ多くの人にこのスカラシップを取得してもらいたいなと思っています。いつも私の留学生活をサポートしてくれている皆さんに感謝を申し上げると共に、これから留学される皆さんの夢が一つでも多く海外で叶うことを願っています!

岩本悠里

工芸工業デザイン学科4年 アールト大学美術デザイン建築学部 2016年8月~2016年12月派遣

写真:岩本悠里北極圏の夏

「不思議の国スオミ」
フィンランドデザインの持つ独特な親和力、自然に対する深い観察と尊敬、サステナビリティ。こんなに素敵なものを作る彼らは一体何を見て、何を考えているのかが知りたくてフィンランドへやってきた。ヘルシンキで生活を始めて約半年、なんとなく答えがぼんやり見えてきたようで、日々疑問も増えてゆく。

ヨーロッパの近隣の都市に比べるとヘルシンキは小さく、人影もまばらで静かだ(そして暗い)。 普通、デザインやアートで有名な都市は猥雑で騒がしくて、様々な情報や文化がめまぐるしくうごめいている。しかしデザイン大国の首都でありながら、ヘルシンキにはそういったエネルギーが足りないと思った。では、なぜか。思うに、大都市におけるクリエーションとは、そのラディカルさが引き起こす化学反応のようなものではないのか。一つの流行や主張に乗っかったり逆らってみたり、他の要素を混ぜてみたりといった風に。一方、情報量の少ないフィンランドには、自らの感性と向き合いゆっくり育てるゆとりがある。(大きなミョウバンの結晶を作るイメージがしっくりくる)
フィンランドには本当に森と湖しかない。それらと関わりながら生きねばならない宿命のなかで、審美眼を養い、暮らしとカタチの折衷点を見つけ、寿命の長いデザインをたくさん産み出してきたのだと思う。そういった、いわば”出家僧的”境地に達したデザイナーが少数先鋭で活躍するというスタイルが、フィンランド式クリエーションなのだと分かった。(それはデザイナーの雇用形態によく表れている) また、小国の経済の命綱として、国を挙げてデザインに取り組んだ時代があったのも興味深い。しかし残念ながら現在、その国策からデザインが切り離されようとしている。いまがまさにそのターニングポイントで、アールト大学でもガラス工房の存続を巡って一悶着あったところだ。一国の歴史にデザインが関わってくるのは珍しい例だと思うので、このピリオドを見てきてほしい。

「アールト大学について」
私の所属しているProduct and Spatial Design学科は、修士課程のせいか、とてもインターナショナル!彼らを通じて世界的なデザインの流行がつかめるのが嬉しい。そしてクラスメートの多くがデザイナーとしての職歴持ちアラサー世代。なので皆プロ意識が高く、自分の作品に対する責任をしっかり果たす。日本では学生という隠れ蓑に甘んじていたなと反省させられた。そして皆バックグラウンドも特技もバラバラなので、ムサビでは当たり前だった”工デ的な製作プロセス”の強みも弱みも分かったのは大きな収穫だったと思う。 また、社会保障の充実したフィンランドでは教育に対する考え方も違う。日本のカリキュラムはスペシャリストの育成という性格が強いが、フィンランドは時間をかけてジェネラリストを育てるカリキュラムになっている。(卒業に時間がかかってもなんとかなる仕組みが整っている) そういった理由からアールトでは誰でも自由に工房を使用することができるのだが、ガラスをみっちり勉強してきた私にとってその工房使用環境は少し異様だった。 こちらにくる前はジェネラリスト教育礼賛スタンスだったが、そう簡単なことではないと理解した。一つの分野を専門に勉強しているムサビ生なら、他の素材に触れて得た知識を自分の分野に還元することが出来るので、迷子にならずにこの制度を利用できると思う。

「まとめ」
フィンランド人は寡黙でのんびりしていて、やらなければならないシーンと、やらなくても平気なシーンをわきまえる要領の良さがある。そして食やジェンダー等に対する新しい常識が通っている。フィンランド文化を知るほどに日本との共通項が見つかるから不思議だ。そして共通項が多いからこそ日本との違いが浮き彫りになり、両者に足りないものも見えてくる。嬉しいことに、フィンランド人もいま日本に強い興味を持っている。相思相愛?のいま、フィンランドで勉強できて本当に良かったと思う。

山梨紗帆

工芸工業デザイン学科4年 アールト大学美術デザイン建築学部 2016年8月~2017年7月派遣

写真:山梨紗帆ファッション科の友達と、夏のヌークシオにて

フィンランドに来て半年が経ちました。12月は暗さと課題の多さに参っていたのですが、2月になりだんだんと日が伸びてきて気持ちも晴れやかになり、太陽のありがたさを噛みしめています。 

私は武蔵美ではテキスタイル、主に織りを中心制作してきました。アールトでは前期は染めと織りの授業を半々ずつ、後期は織りのワークショップを取っています。結論から言うと、私は武蔵美とアールトの両方でテキスタイルを学べてとても良かったと思っています。というのも武蔵美はクラフト色が強く、手仕事を大切にじっくり作品制作に取り組んでいました。アールトはデザイナー育成の学校で、例えば8週間で20種類の布のコレクションを発表するという授業では、布一枚一枚のクオリティよりもそれらを最終的にどのように1つのコレクションとしてまとめるか、またそのプレゼンの仕方が重要視されているように感じました。アールトには武蔵美にはないコンピューター24枚綜絖の織り機やジャガード織り機があり、組織図が作れるソフトやその授業も充実しているのでとても勉強になります。ですから、テキスタイルを学んでいてアールトへの交換留学を考えている方がいるならば、是非挑戦してほしいと思います。 

フィンランド人は英語が出来るので、前期に取った2つの授業は本来はフィンランド語での授業でしたが、留学生2人の為に英語にしてくれて本当にありがたかったです。また日本文化に興味を持ってくれている方も多く、それをテーマにしている作品もちらほら見ます(ある授業では3人も日本文化をテーマにしていて驚きました)。友人の中にはアニメ漫画好きのオタク達から、「日本の神道が好き!」っていう子もいて、日本文化好きも色々いるんだなあと感心しました。  

こちらに来てから純粋に制作を楽しめるようになり、テキスタイルがより好きになりました。恵まれた環境で勉強させて頂けていることに感謝しつつ、この気持ちを忘れずに、残りの留学期間も大切に過ごしたいと思います。  

杉本真子

基礎デザイン学科4年 プラット・インスティテュート 2016年8月~2017年5月派遣

写真:杉本真子Senior Surveyの展示風景

着いた初日から、寮の部屋の片付けに、買い出し、近所の探索やオリエンテーション。身の回りが落ち着く前にすぐに授業が始まり課題ラッシュの毎日。気づけばここに来てもう半年が経ちました。 

ニューヨークに着いてまず感じたのが、この開放的な空気感です。個人主義で“我”に重きを置くこの国のスタイルは私の肌にとても合っていると思いました。勿論アジア人に対する偏見が一部では残っていたり、例え海外だからといって傍若無人に振る舞えるというわけではないのですが、この国の人達の明るさやおおらかさには課題で忙しい日々の中救われる事が多いです。

Prattは武蔵野美術大学とは違い、造形学部の他にリベラルスタディーといった文学系の学科も存在し、畑の違う学科の学生と共に授業を取ることもしばしば。私の在籍はCommunications Designというデザイン科のイラストレーション専攻ですが、それと同時に映像科の授業も受講しています。在籍先の学科の授業は定員数を越していても大方受講させて貰えるのですが、他学科の授業の場合は、学科の担当者と直接面会をして交渉しました。留学生というだけで特別扱いをして貰える訳ではないのですが、色々と融通をきかせてもらうことは可能なので、何事も自分から動く、という欧米式の洗礼を到着してから直ぐに受けることになります。

紙や画材類が日本と比べ高かったり、種類が少ないという事は聞いていたのですが、何より驚いたのが授業のペースと課題量でした。前任の先輩方から教えられてある程度覚悟はしていたのですが、毎月のようにプロジェクトが出され、完成までのプロセスを随時pdfに纏めて授業内で発表したりと、ムサビでの授業の進め方とは大きく違い最初はペースを掴めず徹夜続きの日もありました。

また、一つの授業の定員が15人程度と少数なので、教授との距離が近かったり、周りの学生もみな将来を見据えて課題制作に取り組んでいたりと、物作りをする空気がとても整っている印象を受けました。他にも、講習を受ければインダストリアルデザイン学科のレーザーカッター工房を、学科を問わず使用する事ができたり、ファブリックプリントや3D出力も安価で学内で行う事ができます。映像の機材も、ハイスピードカメラや4Kカメラといったものを最大4日間貸し出し可能だったりと、設備の豊富さには驚きました。欧米の大学ではよくある事だそうですが、大学自体が11時まで開いており心置き無く制作に打ち込む事ができます。学生のレベルは、ポートフォリオ選考がメインな事もあり、人によってバラバラなのがムサビとの大きな違いに感じました。しかし、それぞれ違った国、文化、経験を持って集まった学生達と共に受ける授業は、常に新たな価値観に触れ合う事ができとても勉強になります。

現在は、去年から受講しているイラストレーションの授業の延長で、ニューヨーク大学のゲームデザイン学科の院生とチームを組み、コンセプトアーティストとして参加したりと、日本ではできないような経験をしています。

課題が忙しくあまり頻繁に外に出ることは出来ないのですが、ブルックリンやマンハッタンの街は常に色々なものに溢れとても刺激的です。ニューヨーク州にある他の美術大学の殆どがマンハッタンにあり、初めは羨ましく思うこともありましたが、ブルックリンというアーティストが集うクリエイティブな街で、都会の喧騒とは少し離れた静かな環境で学ぶ事ができるというのが今では一つの自慢であったりもします。

気づけばもう残り半年もありませんが、目の前のものを精一杯こなし、悔いの無いように過ごしたいと思います。新しい大統領が就任し世界が大きく変わろうとしている中、その当事国に住み、学ぶというとても貴重な体験ができ、送り出してくれた大学や国際チームの方達には心から感謝しております。

岡本大河

油絵学科4年 ベルリン芸術大学美術学部 2016年9月~2017年3月派遣

写真:岡本大河一日の終わり

美術の世界というものは確かにあって、それができる環境も、それに熱狂する観客も確かに存在するようだと、それがこちらで得られた最も前向きな感想の一つです。常にいろいろな展示やイベントがそこかしこで行われ、その気になれば毎日オープニングに行けるのではないかという中で、素晴らしい作品や人と頻繁に出会うことができます。

独特なことといえば、縦にも横にも様々な階層や多様性を持ったカルチャーが並列し、時には混じり合う、そんな混沌とした状況であると言えます。この街では、大きな美術館で開催される展覧会と、街の外れのビルの一室で開かれる小さなパフォーマンスのイベントとが同じだけのエネルギーを持っています。そして面白いところにはそれだけ多くの人が集まります。若手作家ばかりのオープンスタジオに、しれっと有名作家の作品が混じっていることもあります。これらが縦の、階層の混じり合いを感じた点です。

美術だけではなく、パフォーマンスや演劇、音楽など、様々な領域の表現がそれぞれに厚いシーンを形成していて、日々、様々な刺激を受けることができます。ドイツ語が読めず特に内容もわからないままイベントに足を運び、鑑賞をしながら、はて、これは何なのか?どう言ったカテゴリーにコミットした表現なのか?美術なのか?と不思議に思うことがあります。また、友達に連れられクラブに行ってみると有名な美術作家がDJを行なっていることもあります。横の、カルチャーの並列と混じり合いがこれにあたります。

こういった多様性や、階層を飲み込んでいくようなエネルギーの所在がどこにあるのか、それはドイツという国の気質が反映されているという側面もありながら、むしろ、何かを作るためにこの街にやって来た、また住んでいる人々の力なのではないかと感じます。

大学では週に2~3個のクラスのミーティングに参加しています。
月曜日、Ming Wong という映像とパフォーマンスの作家の授業です。パフォーマンスや発声などをして体を温めたのち(自分はこの類のことが苦手なため、いつも遅れていきます)、映画を見たり、展覧会を見にいったりしています。有名作家というだけあって、他の作家やキュレーターを招待してお話を聞くこともあります。
火曜日、Hito Steyelの授業。クラスの学生のプレゼンを聞きそれについて学生間で議論、意見交換を行います。議論は批評的、政治的な内容が多く、英語であるにもかかわらず、レベルが高く、ついていけないことも多いです。聴講も認められていて、常に沢山の学生がいます。UDKで最もスカしたイケてるクラス。
水曜日、Ursula Neugebauer という女性の彫刻家のクラスに参加しています(武蔵美から正規に振られたクラス)。学生のプレゼンと意見交換が主になりますが、女子学生の割合がとても多くHito Steyelなどのクラスと比べると非常にアットホームな雰囲気があります。

学年が混合であるため、学生のレベルには差があります。また、美術教員になるプログラムにいる学生が多いクラス、少ないクラスなどがあり、そういったことでもクラスの雰囲気は変わって来ます。しかし、おそらく宗教性の影響なのか、作品の完成度を上げること、シリーズ化して強度を上げること、言説的に価値を提示することなどに関して、武蔵美の学生に比べて迷いが少ないのではないと感じます。また、日本の美大と違って現役で活躍している作家が実際に教鞭を振るっているのも大きな違いであると感じました。

ここまでいいことばかり書いて来ましたが、この街における最大の問題は天気であると感じます。11、12月にかけてはほとんど太陽が出ないためか、精神的に非常に困憊していました。しかし、そんな街でも、人が来て、住み着く、それは表現というものに、美術というものに人々が魅せられているからであると感じています。

敷地理

彫刻学科3年 ベルリン芸術大学建築・メディア・デザイン学部 2016年4月〜2016年8月派遣

写真:敷地理製作した映像作品のひとコマ

ベルリンに来て3ヶ月が経ちました。

udkが武蔵美と異なるのはより国際的で自由なところです。全ての学科の学生が、木工の工房や溶接の工房のワークショップを受け様々な工房を自由に使うことができます。授業後の夜の時間、また毎週末と言っていいほどフィルムの上映会や長期的なワークショープや講演会が開かれます。udkは総合芸術大学で、オペラやジャズを学ぶ音楽専攻の学生や演劇や舞踊を学ぶ学生とワークショップなどで出会います。また他大学の学生との交流も頻繁にあります。入試制度も異なり、udkでは入学時に自分のポートフォリオの提出が必須であり、それに数ヶ月の期間が与えられた課題が課せられ、加えて素描の試験があります。日本のように素描の試験に重きを置いておらず、たとえ写実的にうまく絵が描けなくても大学に入学することがきます。そこにはその国のアートやデザインに対する価値観が現れていると感じました。

授業のスタイルも異なり、入学したての学生から院生までいろいろな年代の学生が一つのゼミにいます。週に何度かの定期的なミーティングがある以外制作は個人です。この交換留学は自分を見つめる時間でした。自由な時間が多く課題がない分、与えられた目の前のものを一つ一つこなしていくのではなく、自分が最終的に目指しているものを見定めてそこに向かっていくために今何をするのかを考えなくてはいけません。外からの刺激が多い分そういったものをしっかりと持っていないと、他に影響されてしまいます。

自分のベルリンのイメージはざっくり言うと渋谷をおっきくしたような街です。活気があり多様な文化が混ざり合うカオスな場所です。ノイズの多い街で毎日どこかで何かしらの面白いイベントがいくつもやっていて、別に何もしなくても楽しく半年でも一年でも過ごせてしまいます。その分自分でコントロールしないといけません。

僕のベルリンの好きな場所はネイキッドパークです。ベルリンの中心にあるティアガーテンという大きな公園の一角に裸になってもいいスペースがあります。帰る前に僕もそこで裸になって1日中芝生の上で日差しを浴びようと思います。ここに来て思ったのは、ベルリンの人間はより人間らしく生きているということです。裸になれるところがあるからという意味ではありません。電車で綺麗な女性がいきなり生でニンジンを食べだしても誰も驚いてジロジロ見たりしないからでもないです。日本には良い意味でも悪い意味でももっとこうあるべきだ、こうでなきゃいけないという見えないルールがあると感じました。日本にはおかしなところがたくさんあって、髪の毛を染めちゃいけないとか、刺青を入れてはいけないとか、校則で男女交際はだめだとか、ランドセルを背負えとか挙げればきりがないですが、でもそれも好きです。

最近ベルリンで話題になっていることはイーティングリフュジー(難民を食べる)というイベントです。博物館島という、ベルリンの美術館やギャラリーがひしめく中心地の一角 に大きな檻が設けられています。その中には4頭の虎が飼育され、5日以内に政府が飛行機を使って難民がドイツに入ることを受け入れなければその檻の中にリフュージーを放り込んで虎の餌にするという内容です。彼らの主張は極端ですが明快で、毎日たくさんの難民がボートで遭難し死ぬのを見過ごしているのだから、その中の難民を助けて彼らが虎の餌になって死ぬのも見過ごせるだろうということです。そこでは毎日熱い議論が交わされています。

外国にいると日本の良さを改めて感じることがしばしばあります。僕も時折友人とパーティーやクラブへ行きますが、子供のようにはしゃぐテンションの高い外国人が苦手です。身体的にか弱い日本人だからこそ、強靭な体を持つ外国人にはない繊細な感性があると感じました。ルームメイトの一人であるフランス人が僕に、木漏れ日という日本語を知っていると言いました。彼女は仏語には木漏れ日を指す言葉はない、日本の文化は美しいと言いました。国際交流の場面で相手に尊敬されるかどうかは、GDPや外交における国際的な影響力よりも素晴らしい文化があるかどうかなのではないでしょうか。

物事を立体的に見るには遠近法のように二つの視点が必要です。武蔵美から出て外の世界で色々なものを見て、日本に戻ってきたとき少し違った景色に見えるよう、この貴重な経験を与えてくれた両親、大学に感謝し一つでも多くのことを感じてきたいと思います。