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現在の我々が理解している20世紀の欧文タイポグラフィの概念は、ヤン・チヒョルト(Jan Tschichold)とスタンリー・モリソン(Stanley Morison)に依っているが、特にグラフィック・デザインから見るモダン・タイポグラフィの概念は、1925年10月の「Typographische mitteilungen」誌に発表されたチヒョルトの「タイポグラフィの基本原理」(elementare typographie)(The Principles of Typography)(図1)と題されたマニフェストに始まると言ってよいだろう。
このマニフェストは、20世紀前半にヨーロッパ各地で起こった、新しい造形言語を求める芸術とデザインの変革を軸に、新しいタイポグラフィの概念を、エル・リシツキーの作品を中心に図示しながらチヒョルトよって編集されたものである。
マニフェストの内容は、当時でも難解な、またあまり一般的でない、造形芸術運動(主にシュプレマティズム、ネオプラスティズム、構成主義)における変革と、それらがタイポグラフィ・デザインの世界にどのように関係しているのか、そしてそこから生まれる新しいタイポグラフィ・デザインの可能性と、それまでに制作された新しい空間を提示している作品を、チヒョルトが選択し解説を加えながら編集したものである。そしてこのマニフェストの目的は、当時のドイツのタイポグラフィ・デザインの硬直した空間を見直し、規律を失ってしまった日常的な印刷物を糾弾し、良質なタイポグラフィ・デザインとは何かを印刷・植字業界やグラフィック・デザインの世界に対して、分かりやすく伝えようとしたものである。(図2)
この「elementare typographie」を編集することにより、若くしてタイポグラフィ・デザインの世界で論客としての頭角を現し、さらに編集者・表現者として確固たる地位を築いていくチヒョルトであるが、この時はまだ23才である。
21才まではオーソドックスなレタリングをベースにしたデザイン活動しかしてこなかったチヒョルトであるが、「elementare typographie」では明快な言葉でタイポグラフィ・デザインの革新を語っている。そしてその明快さは、チヒョルトが終世尊敬してやまなかった、リシツキーによる、新しい視覚言語の構造をベースに組み立てられたものだ。
ここでは「elementare typographie」とそれから40年後にやはりチヒョルトによって寄稿、編集された「Typografischen Monatsblattern」誌のエル・リシツキーの特集ページを比べながら、チヒョルトのみたリシツキー像を考えてみたい。
チヒョルトによる「elementare typographie」は、その後出版されたほとんどのグラフィック・デザインに関する書物のなかで、繰り返し引用されている。我々は知らず知らずのうちに、チヒョルトを通じて「elementare typographie」の文脈でモダン・グラフィック・デザインと、そのイノベーターとしてのリシツキーを知ることになる。 |

図1 「タイポグラフィの基本原理」の扉 1925年

図2 1922年頃のドイツのタイポグラフィ
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