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大竹伸朗

「全景」を見せることにこだわる理由

「全景」を見せることにこだわる理由

1980年代の初めに、大きなキャンバス、原色の多用と勢いのあるダイナミックな筆致で圧倒的な人気を博した「ニューペインティング」。その日本における旗手の一人として、大竹伸朗は鮮烈なデビューを飾った。ムサビを卒業してすぐのことだ。
ニューペインティング熱は時代とともに終わりを告げたが、大竹は、もともとそんな流行とは無縁だったというように、その後もひたすら作品をつくり続けてきた。

大竹ほど多作のアーティストは、ちょっといない。その事実を衝撃的に見せてくれたのが、2006年10月、東京都現代美術館を全館まるごと使って開催された初の回顧展、「全景1955-2006」だった。3層のフロアからなるこの広大な美術館を、たった一人で使い切ったのは、もちろん大竹が初めてだ。

「量が見せられなければ不完全燃焼になっちゃう。だから美術館での回顧展はずっと断ってきた。『全景』も全館まるごとじゃなきゃやらない、って言って(笑)。ホントはそれでも足りなくて、もう一館ほしいくらいだったけどね」

この展覧会では、2,000 点にも及ぶその作品数に、まず圧倒される。そこには小学生のころの落書きや作文から、中学、高校時代、もちろんムサビ時代の作品もある。その後の制作はさらに膨大で、会期後ほぼ一年を費やしてまとめられた展覧会図録は、優に1,000ページを超えるものとなった。

「画廊での新作展は、その2?3年の制作を切り取って見せる、いわば"点" でしょう。おれの場合それじゃあバラバラで、なにがなんだかわかんないと思う。それを一本の線上に並べてみる。そうすれば絶対何か、ラインが見えてくるはずなんだと思っていた」

大竹にとって、たとえば「ニューペインティングの旗手」が当時の「大人たち」の貼ったレッテルに過ぎなかったように、その作風はあくまでも自由で多彩だ。
オーソドックスに油絵具でキャンバスに描くかと思えば、突然切り貼りのコラージュが乱入してくる。一方では抽象的なタブローが展開し、また船の廃材を使ったり、楽器を組み合わせた音を奏でる立体作品も制作する。そもそも大竹は、アーティストとしてより、ミュージシャンとしてのデビューの方が早かったともいう。さらに現代日本のチグハグな風景をぬりえ風に仕立てて見せた「ぬりどき日本列島」ではイラストレーション風に、かと思えば『ジャリおじさん』という、子どもにも大人にも広く支持された絵本まで手がけている。
しかもそのすべてがほとんど同時に進行していて、全貌はなんともつかみにくい。だからこそ、「(できるだけ)すべて」を、しかも一挙に見せることに、大竹はこだわり続けてきた。その成果が、東京都現代美術館の「全景1955-2006」展なのだ。

自分地図として続ける「スクラップ・ブック」

自分地図として続ける「スクラップ・ブック」

「自分の一生を使って、自分のやりたいことをやる。だからおれには抽象も具象もないし、立体になるか、プラスチックを使うか、そんなことにも全くこだわらない」
そう言いきる大竹だが、この30年間、変わらず続けてきた制作がある。1977年に始めて以来、すでに冊にも及ぶ「スクラップ・ブック」だ。ファッションからアート作品、風景、マンガ、エロ・グロまで、あらゆる印刷物の図像(イメージ)が、気の向くままに切り取られ、貼り付けられ、膨大な量にふくれあがっていく。

「よく日記だといわれるけど 、むしろ自分なりの地図をつくってる感じかな。終わりのない地図。ここにはそのときどきに目にする図像がジャンルを無視して貼り込まれていて、その中を歩き回ることで、『そこにある風景』を、改めて見直していくような作業なんだよね」

発端となったのは、ムサビ在学中に一年間休学して飛び出したロンドンでのこと。とある蚤の市で見つけた、ごっそりと袋に入ったマッチのラベル。買い込んでスクラップブックに貼り付けてみると、「ものすごく気持ちよくて、これがおれのやることだ」と感じ、そこから「すべてが動き出した」。

「それまでもチケットや包み紙なんかはスクラップしていたし、それこそ小学生のころから印刷物が好きで、マンガの絵や文字を切り貼りしてた。マッチのラベルを貼ってみて、ようやくそのことに気づいた。あまりに身近すぎて、求めながらも意識化できなかったことに、ここで初めて出会ったという感じだった」

大竹にとって印刷物は時代や社会を映すメディアであり、それを膨大に貼りつけていく行為は、今、世の中に起こるさまざまなことを、一度全部ひっくるめて受容し、体験する作業なのではないか。それは頭で理解することともちょっと違う。まるでぐつぐつと煮え立つ「るつぼ」のように、キャッチされた外界のさまざまな事象が、溶かし込まれ、多様な反応を見せる。あるいは反応しつつも、何かしら形にならないもどかしさが、大竹の、次の新たな創作意欲をかきたてていくのかもしれない。

いつだって、スタンバイはできている

いつだって、スタンバイはできている

事実、大竹が外界をキャッチする感覚はとても鋭敏で、しかも行動には躊躇がない。
「子どものころから絵はすごく好きだったけど、リンゴを描いていてもリアリティがない。で、高校時代には部屋に貼るポスター代わりに、もっぱらミュージシャンを描いていた」という大竹。8つ年上の兄の影響でポップアートを知り、自分がやってることと近いと感じた。

またその頃から労働や自活に憧れ、ムサビに入学した途端の4月には、脱サラして0ゼロから牧場生活を始めた家族についての記事に突き動かされるまま、単身北海道の牧場へ働きに出かけてもいる。さらに休学してロンドンに滞在したのもムサビ時代。こうして卒業するまでに6年間を費やした。

「でも、大学が嫌いだったわけじゃない。油絵学科だったけどもっぱらデザイン科に通って、シルクスクリーンやリトグラフなどの印刷技術も習った。今日写真を撮ってくれている中野正貴君は、当時は視覚伝達デザイン学科の学生で、その頃からの知り合いです。油絵は自宅でも描けるから、学校では学校でしかできないことをやった。単位にはならないけど、日曜日にも工房に潜り込んだりして、ほかの誰よりも学校に通っていた(笑)」

1987 年には、ロンドンと香港で制作したコラージュの作品集『《倫敦/香港》一九八○』豪華本で東京ADC賞最高賞を受賞し、また「佐賀町エキジビット・スペース」で新旧の大作による展覧会を開催した。
しかし、世間が「大竹伸朗の復活」として、再び熱い視線を送り始めた矢先の90年、大竹は突如生まれ育った東京を引き払い、愛媛県宇和島に転居してしまう。当地でもらい受けた廃棄処分の船で、制作を続けるためだ。こうして初の立体作品「シップヤード・ワークス」のシリーズが生まれる。

「とりあえず荷物を置いたつもりが、20年もたっちゃった。ほんと、行き当たりばったりだよね。来年のスケジュールなんていつも真っ白だし・・・・・・。でも、宇和島での20年があったからこそ、『全景』展ができた。東京にいたら、これだけ作品はできなかったと断言できる。おれ、もういつでもスタンバイはできていて、あの展覧会に出品しなかった作品を加えて、もう一回同じ規模の展覧会だってできると思う」

怒濤のような創作意欲のカタマリ。そんなふうに見える大竹も、つくり続けるためには、20年間、宇和島に腰を据えることが必要だったという。

「そりゃあ東京の方がいろんな人と会えるし、芝居や映画といったエンタテインメントもたくさんあって楽しいですよ。宇和島には何もなくて、作品つくるしかない。でも人間、そんなに強いもんじゃないから、自分を居心地の悪い理不尽なところにぶち込まないと、できないわけ。そう意識してここに来たわけじゃないけれど、答えは、ある日ポンと出たりするんだよね」

確かに2006年の「全景」展は、その答えのひとつであるに違いないのだが、大竹は、「これではちっとも満足してない」という。

「よく多作だと言われるけれど、一年って365日あるわけじゃないですか、 2日に一点でも180点はできるでしょう。だって自分の好きなことなんだから。百歩譲って年間80点だったとしても、30年続ければ2,000点くらい、軽く超えますよ。作家を名乗るなら、このくらいの点数は基本だと思う」

いくらつくり続けても、発表する機会がなければ、社会的には何もやっていないのと同じだと言う大竹だが、それに見あった展覧会が再びできるかどうか、それは本人にもわからないという。にもかかわらずつくり続ける、このバイタリティーはいったいどこからくるのだろう。

「誰に頼まれたわけでもないし、もともとやらなくていいことですからね。この状況でつくり続けていくことは、もう理屈じゃない。大事なのは自分の中で、意味はわからなくても、とにかく"つくりたい "という欲求が起きるかどうかだと思う。オリジナリティがあるとかないとか、芸術か芸術じゃないかなんて、誰かがあとで考えてくれればいい。まわりの評価をあんまり気にしても仕方ないですよね。でも一方で、それを自分で証明して見せたいという気概もあるから、生きているうちはつくり続けます。とにかく"つくりたい "と思うということは、"何か "がそこにあるに違いない。その"何か "には、方法論とかコンセプトとか、理屈じゃない"魔法"のようなものじゃないと届かないのかもしれないよね」

PROFILE おおたけ・しんろう 油彩、コラージュ、立体など多彩かつ多作なアーティスト。2006年には大回顧展「全景1955-2006」(東京現代美術館)を開催。 [1980年油絵学科卒業]