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トネリコ 個性的な3人のコラボレーションで、まだ誰も見たことのない空間の創造をめざす。

イタリア・ミラノで、毎年春に開催される世界最大級の国際家具見本市「ミラノ・サローネ」。期間中は市内のいたるところでさまざまな展示やイベントが行われ、街がまるごとデザイン一色に染まる。このサローネで注目のイベントが、世界中の若手インテリアデザイナーの憧れの舞台であり、登竜門ともなっている「サテリテ」だ。ここではデザイナーが自ら展示ブースを開設し、自分たちの提案を世界に向けて直接発信することができる。ただし「40歳未満、出展は3回まで」という条件があり、また世界中から押し寄せる応募の中で、厳正な審査を通過しなければならない。この狭き門を通り抜け、3度目となった2005年には、みごと最優秀賞を手にした日本人のデザインユニットがある。米谷ひろし、君塚賢、増子由美の3人で結成された「トネリコ」だ。

3人で始める、ということ

3人で始める、ということ

トネリコの結成は2002年。中心となった米谷は、ムサビの工芸工業デザイン学科インテリアデザインコースを卒業後、世界的なインテリアデザイナー・内田繁が主宰する「スタジオ80」で経験を重ね、10年目を迎えて独立を考えていた。

「でも、一人きりでやるということは全くイメージできませんでした。スタジオで働いているうちに、チームで仕事をするスタイルにすっかり慣れてしまった。ですから相談できて、一緒に考えてくれる人がぜひとも必要でした」

所長と所員という上下関係ではなく、対等に意見が言える人、つまり一緒にトネリコをつくり育てていってくれる人、そこで米谷が白羽の矢を立てたのが君塚だった。

君塚はムサビの空間演出デザイン学科に学び、3年次で建築学科に編入している。といっても「建築」に転向したのではなく、インテリアデザイナーをめざして、より深く空間を学びたいという思いからの転科だったという。少し年の離れた2人は、君塚がスタジオ80にアルバイトに来たときに知り合っていた。

増子との出会いもやはりスタジオ80だ。1995年イタリア・ミラノで行われた「方法の記憶」展の設営で、担当だった米谷は、内田繁のパートナーであるコーディネーター・山田節子のアシスタントとして参加した増子と出会う。増子は女子美術短期大学造形科出身。気持ちのいい空間と美しい食器が好きで、山田に師事した。また女子美在学中には、吉本ばななの『キッチン』をはじめとする著作の装幀も手がけたという多彩な経歴の持ち主だ。

「私はどちらかというと異業種です。でも師匠同士が組んだ福岡の『ホテルイルパラッツォ』などの仕事を見てきました。ですから食器のデザインやコーディネートなど、私にもできることがあるんじゃないかな、と参加を決めました」

こうして米谷を中心に、かたやムサビの先輩と後輩、かたや師匠同士がパートナーであるその弟子たち、そんなユニークな3人がひとつ屋根の下に集うことになった。

自己表現の機会として「ミラノ・サローネ」をめざす

自己表現の機会として「ミラノ・サローネ」をめざす

「立ち上げにあたっては自給自足、つまり各自で仕事をとってくることを原則としました。黙って待ってては仕事は来ない(笑)。それともうひとつは、常に自己表現の場を持ち、作品を発表し続けて行くこと。サテリテはその格好の目標で、トネリコとしての最初の仕事は、サテリテへの参加申し込みだったくらいです」

まだ仕事の依頼も少なく、立ち上げたばかりの事務所も安定しないこの時期に、なぜ彼らはあえて自己表現を求め、サテリテをめざしたのか。

「やはり内田さんの影響が大きいですね。内田さん自身も全く収入がないときから、路上にゲリラ的に家具のプロトタイプを並べ、勝手に展覧会をやっていたらしいんです。だから安定してからではなく、今すぐやるべきだと思った」

こうして2003年、トネリコは初めてサテリテに挑戦する。開催までの4カ月間に十数点のプロダクトを制作し、すべて新作で臨んだ。テーマは「組み合わせる」。色彩や素材、形を組み合わせ、より機能的な空間性を追求した。しかし結果は点数の多さが災いし、一瞬のうちに通り過ぎて行く大量の来場者の足を止めさせるには至らなかった。

翌2004年には、この失敗に学び点数を絞る。蛍光灯を和紙に漉き込んだ照明器具や、一枚の鉄板を折り曲げ変形させた椅子。彼らの繊細さがみごとに表出された展示だったが、それゆえ理解しにくい難しさも残った。

「とくに賞を狙っていたわけではありませんが、せっかくのチャレンジですから成果を残したかった。最後の機会となった2005年には個別の製品ではなく、インテリアデザインの原点に戻って、空間全体を作品として見せようと考えました」

こうして生まれたのが「MEMENTO」というインスタレーション。世界共通のアラビア数字を組み合わせたパターンを投影しつつ、内部で明滅する光が空間全体に広がる。それは記憶やイメージに直接訴えかける、デザインの新たな可能性を感じさせる作品となった。こうして最優秀賞受賞という最良の結果を出したトネリコだが、その後も自分たちでギャラリーを借り、毎年サローネへの参加を続けているという。

「前の年より今回、今回より次回と、新しいアイデアやかけるエネルギーの質を、少しでもアップしていきたい。サローネが終わると、もう次のサローネのことを考えています」

関係性から立ち上がるクリエイティビティ

関係性から立ち上がるクリエイティビティ

この受賞を機に、日常の仕事の規模や内容も大きく変わったという。トネリコのクリエイティビティに期待する依頼が多くなったのだ。2006年のJCD(日本商環境設計家協会)デザイン賞金賞を受賞した、名古屋の老舗和菓子店「菓匠桔梗屋」の仕事もそのひとつ。何もない敷地の段階から任され、建築とインテリアにまたがる大きな仕事となった。しかもクライアントの希望は「10年後の和菓子屋をデザインしてほしい」というもの。

「誰も見たことのない世界を一緒に創造してほしいという依頼は、全くデザイナー冥利に尽きる仕事ですが、それだけに不安も大きかった。逆に伝統という過去の時代にさかのぼることで余分な要素を排除し、その延長線上に未来の和菓子屋のかたちを構想しました」

漆喰を塗り固めた白いシンプルな箱に、スリット状の細長い開口部が印象的な外観。伝統的な要素は暖簾と家紋に絞り、過剰さを排した機能性。デザイナーの個性を前面に押し出すのではなく、老舗としてのアイデンティティを強調しつつ、あくまでも訪れるお客さんを主役とするような、繊細な神経が行き届いた空間となっている。

「どんな素材でどんな構造にすれば気持ちよく使え、コミュニケーションが円滑にいくのか、またどんな照明にすれば商品が美しく見えるのか、師匠の内田さんからは、職人的技術によって、それは実現できることだと教えていただきました。そうして無心にクライアントの希望に応えていく中で、それぞれ固有の状況に応じ、作品としての独自性が自然に立ち上がってくる。それが僕たちのクリエイティビティであればいい。最近になって、ようやくそう思えるようになりました」

ひとりでやる仕事、ふたりでやる仕事、3人がかりでやる仕事と、内容に応じてパートナーシップを組み換えるトネリコの自在なワークスタイル。しかしほとんどの仕事では、全員の前でアイデアを広げ、検討する機会をもつという。

「図面を引いたり模型をつくる以前、もやもやと空間をイメージしている段階では、アイデアやコンセプトの方向性など、まだ形に表われていない部分がすごく大切になってきます。共通の基盤を持ちつつも、それぞれ独自の視点から意見を交換し、相手の反応を見たり助言しあったりと、3人で話し合うことが僕たちの重要なスキルのひとつとなっています。もちろんときには加熱して、激論になることもありますね」

先人が見せてくれた光り輝く“太陽”を追いかけて……

先人が見せてくれた光り輝く“太陽”を追いかけて……

「スタジオ80では、先輩たちの仕事をじっくり学ぶことができました。ですから自分なりの何かを編み出すよりも、インテリアを中心としながらも、プロダクトや建築へとひろがっていた、内田さんのキャリアの幅に追いつきたいと思ってやってきた」と語る米谷には、彼らを照らし導く"太陽"が、今も目に焼きついているという。

「僕の学生時代はちょうどバブルの絶頂期でしたし、インテリアデザインの世界には内田さんや倉俣史朗さんといったスターがいて、業界全体がとても華やいで見えました。バイト先でもみんな徹夜で、でもいきいきと仕事をしていたし、たまに連れていってもらったオープニングパーティーは、目を見張るばかりにまばゆい世界でした。この"太陽"に向かって走り続けていこうという高揚感がありましたね」

君塚も「空デ」時代、内田繁の特別講義に出席し、「デザインに景気の良し悪しは関係ない。もっと根本的なところにデザインの核心がある」という言葉がすごく記憶に残っていると語る。また増子は、空間や食器の美しさに惹かれてアルバイトしていた飲食店が、実は内田繁と山田節子のコラボレート作品だったというように、きっかけこそ三者三様だが、「内田繁とその時代」が見せてくれた世界を強く体験している。

「5年先、10年先のトネリコのありかたを考えると、不安や恐怖は当然つきまといます。でもあの時代の"太陽"が、前向きな強さを与え続けてくれる。内田さんの背中を追いながら、できればさらにその先の、誰も見たことのない空間の創造をめざし続けたい。そこにこそ、トネリコ独自のクリエイティビティのかたちがあるのではないかと考えています」

PROFILE 有限会社とねりこ 2002年、君塚賢、米谷ひろし、増子由美 3人によって結成されたデザイン事務所。