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一級建築士事務所「Team Iwakiri Japan」を率いる男、岩切茂。社名に「Japan」という文字を掲げているのは、それなりの理由がある。実はTeam Iwakiri、ローマに本社を構えているのだ。つまり、Team Iwakiri Japanは日本支社ということになる。現在、岩切はイタリアを中心に活動しているが、近年は東京やモスクワの仕事も増えつつある。
生まれたのは1962年。実家は東京・高輪。生粋の街っ子だ。ものごころついた頃からモノづくりに興味があった。
「といっても、最初から建築家になりたいと思っていたわけではないんです。なんとなく考えていたのは、アートやデザインに集中できる環境で、4年間、過ごしてみたいということ。まあ、美大への憧れってやつですね(笑)」
進んだのは建築学科。時代はポストモダン建築全盛。リチャード・ロジャーズなど、ロンドンのAAスクール(Architectural Association School of Architecture)出身者の動向にも注目が集まっていた。
当時、建築学科では、竹山実が教鞭を執っていた(ちなみに竹山は芦原義信とともに建築学科創設に参加した)。竹山といえば、ポストモダン建築を、いち早く、日本に紹介すると同時に、自身も数多くのポストモダン建築を手がけてきた人物である。
「つまり、時代の最先端を走り続けている方が、教壇に立っていたわけです。非常勤講師として、伊東豊雄さんもいらしていたんじゃないかな。そういう環境自体が非常に刺激的でしたし、学んだことも多かった」
東京生まれ、東京育ちの岩切にとって、街や建物はつねに変化していくものだった。とりわけ、岩切の少年時代は日本の経済成長の季節と重なっている。徹底的なスクラップ・アンド・ビルドが実践されていた時期だ。
「友達と遊んでいた空き地が、あっというまに工事現場に変わってしまう。そして、いつのまにか新しい建物が生まれている。そういうことが何度も繰り返されていました。だから、あえて原風景を探すとするなら、それは工事している町並み。記憶の中では、鉄の匂いが漂っている。美しい光景とは言えないけれど、そこにワクワクする気分を感じていたことは確かです」

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1988年、ムサビを卒業した岩切は、イタリア政府給費留学生としてヴェネツィアに渡る。ヴェネツィア建築大学で、さらなる研鑽を積むためだが、同時に「いままでの生活とは、まったく正反対の環境に身を置いてみたい」という気持ちも強かった。
ヴェネツィアは、かつて栄華をきわめたヴェネツィア共和国の首都だった。中世以降、数百年にわたり、水の都として、変わらぬ姿を保持し続けている文化都市である。そこでは、東京の喧騒とは対照的に、歴史の重みを感じさせる時間が、ゆったりと流れていた。
「それまで当たり前だと思っていたことが、一気に崩れ去りました。スクラップ・アンド・ビルドだなんてとんでもない。何百年前の建築物が、いまだに生活の場として使われているわけですから」
仲間が真剣にル・コルビュジエを研究している姿にも驚かされた。日本で学んでいたのは、最先端のポストモダン建築。しかし、ヴェネツィアでは、モダニズムの祖、ル・コルビュジエの思想や建築が、過去のものではなく、今日的なものとして捉えられていたのだ。
「ムサビで学んでいた頃、ポストモダン建築に関しては、ある程度まで理解していたつもりでした。けれども、その自信が大きく揺らいでしまった。というのも、ポストモダンに至る歴史的文脈や文化的背景を欠いたまま、単なる情報として処理していたことに思い至ったからです」
さらに岩切は、日本の建築史の特異性に目を向けることにもなる。欧米におけるモダニズムからポストモダニズムへの移行は、ある必然性に基づき、およそ半世紀を要したが、日本においては、その半分ほどの時間で様式が変化した。しかも断続的なかたちで。
「そのことに気づいたのが、ちょうど25歳頃。自分にとってのパラダイム・シフトでしたね。いままでのやり方ではなく、もっと大きな流れで建築というものを把握しなきゃダメなんじゃないか。そして、単純に表面上の様式をなぞるのではなく、それを下支えしている歴史や文化を理解する必要がある。そんなことを感じたんです。その点、ヴェネツィアという土地を選択したのは大正解でした」
ヴェネツィアで2年間過ごした後、ミラノ工科大学に籍を移し、彼の地で8カ月ほど生活。ヴェネツィア建築大学出身で、世界的な活躍をしているスイス人建築家、マリオ・ボッタの下でインターンを務めた後、1991年、岩切は丹下健三・都市・建築計画研究所に入所する。ヨーロッパでの経験を買われてのことだ。

「丹下先生に関心を持ったのも、イタリアに渡ってから。ムサビの頃は、丹下健三のタの字も知りませんでした(笑)。まあ、それは冗談ですが、丹下先生は雲上人というか、あまりにも偉大すぎて、“歴史上の人物”という印象しかなかったんです」
日本人でル・コルビュジエに学んだのは3名。そのうちの一人が前川國男だ。丹下健三は、学生時代、ル・コルビュジエの著作に感銘を受け、建築家を志した人物だが、東京帝国大学卒業後は、前川國男建築事務所に入所。若くして、モダニズムの正統を歩んでいた。
「前川先生はお亡くなりになっていましたから、そうすると、日本でル・コルビュジエに相当するような人物は、丹下先生しかいない。いったい、どういうことを考えているのか、ものすごく興味がありましたね」
丹下事務所に在籍していたのは、およそ12年。当然、ヨーロッパの案件をサポートすることが求められ、1年の3分の2はイタリアに滞在していた。
「おそらく、ぼくは最後の鞄持ち。実際の仕事の進め方も大いに勉強になりましたが、それだけじゃない。たとえば、パリのお宅で丹下先生にバウハウスのことをうかがったりして。その言葉は、デザイン史や建築史の教科書を読むよりもリアリティがあるわけです」
“世界の丹下”の下、岩切は大型プロジェクトに参加していたが、一方、イタリアはインテリアや家具の本場でもある。とくに毎年開催されるミラノ・サローネは国際的な家具見本市として名高い。そうした環境に背中を押され、2002年に独立。「 Team Iwakiri s.r.l. 」を設立する。
「世界的には名の知れた家具メーカーでも、規模的には中小企業だったりする。逆にそれが、プラスに作用しているというか。つまり、イタリア人の気質も含め、大らかでフレンドリーなんです。仕事を続けていくうち、いろんな繋がりも生まれてきましたし、個人的な友人も増えました。それなら、イタリアで会社を立ち上げる方が有利じゃないかと考えたんです。逆に、東京だと、一からのスタートになりますから」
ちなみに、Team Iwakiri s.r.l. のオフィスは、なんとカラカラ浴場の指定公園内にある。正確には、浴場に併設されていた貴族用の宿舎をリノベーションしたものだ。これも現地で育んだ人脈がもたらしたのだという。
「イタリア人って、鷹揚なんですよ。悪く言えば、大雑把なのかもしれないけど(笑)。人間味に溢れたコミュニケーション。それがいちばんの魅力ですね」

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岩切の仕事は多岐にわたる。建築設計だけでなく、家具のデザインやインテリア、あるいはブランドコンサルティングまで、業務内容は幅広い。ただし、どれもが“空間”に関わるという点では一貫している。
「たとえば、ジオ・ポンティは、建物以外に、椅子や食器を手がけていたし、デザイン専門誌『ドムス』も編集していた。ヨーロッパには、そういうあり方を、すんなり受け入れてくれる土壌があるんですよね。その点、日本は職能が細かく分かれているから、ぼくのようにいろんなことに手を出していると、なにやらうさんくさい奴だと思われるのかもしれません(笑)」
2009年12月に竣工した商業施設「マンサード代官山」では、基本設計を日本設計が、全体のデザイン監修を「 Team Iwakiri Japan 」が手がけることになった。岩切自身は、既存の大手設計会社と組むケースが、今後も増えていくのではないかと予想している。
「人員が多い分、設計が迅速。それが大手の強みだと思っています。ただし、建築基準法上、“正しい”としても、それだけで建築が成立するわけではありません。我々の役目は、そこにプラスアルファを盛り込むこと。大切なのは“住まうこと”や“働くこと”、それに“集うこと”を、きちんと意識できるかどうか。その建物を利用する人間が、どういうふうに行動し、どう流れていくのか。そこを徹底的に考えた上で、解決策を提示することが求められている」
プレゼンテーションの際は3DCGの動画を制作する。空間の流れを疑似的に体感してもらうためのものだ。スケッチや模型では伝えることのできないリアリティ。それをクライアントと共有することで、同じ方向を向くことができるのだ。
「なぜ、建てるのか。案件によって、その理由はいろいろ変化します。けれども、基本は人と人とのコミュニケーションを活性化させるため。そのことには、つねに自覚的でありたい。そう思っています」

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1987年武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業
'88-'90年イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学・ミラノ工科大学に学ぶ。
'91年に丹下健三・都市・建築設計研究所に入社。
'02年に独立し、有限会社(イタリア)Team Iwakiri s.r.l. 設立、翌'03年秋に株式会社Team Iwakiri Japan 設立。
「街並みを形づくる」建築やアーバンデザインの仕事として、イタリア・アクイテルメ温泉保養地計画・ホテル、同イエゾロ市リドホテル、マンサード代官山、トヨタロシア本社ビルなどがある。
「人々の暮らしをつくる」ためのインテリア・家具デザインも手がけ、イタリアの家具メーカー、ポルトロナフラウ社とのコラボレーションによる「ヌービ」「ポヨ」などのソファやチェアが製品化されている。