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2009年春、世界最大の家具見本市「ミラノ・サローネ」において、「TOKYOFIBER'09-SENSE WARE」が公開され、世界中に大きな話題を巻き起こした。日本デザインセンターの代表であり、社内に原デザイン研究所を主宰するグラフィックデザイナー、原研哉のディレクションによるものだ。
身近かな日用品をデザインし直す「RE-DESIGN」展、触覚をテーマとした「HAPTIC」展など、これまで原は、多くの展覧会を企画・制作してきている。その最新作となった「SENSE WARE」は、日本の高度な人工繊維技術を世界にアピールするために、経済産業省から依頼されたもの。原は人工繊維の作品展を構想し、17組のクリエイターに声をかけた。その領域はひろく、建築、インダストリアルデザイナー、アーティストなどに及び、自動車メーカーや家電メーカーも、ここではクリエイターとしてエントリーされている。
「単によくできたものをつくって見せるのではなく、人間と繊維と環境というものを新しい輪郭で括り直すことで、建築とも、インテリアとも、ファッションともいえない、全く新しい領域をつくろうと考えました」
隈研吾、津村耕佑など、原プロデュース展のベテラン勢にまじって、演劇的なファッションショーで人気のあるシアタープロダクツや、佐藤オオキ率いるnendoなど、新しい顔ぶれも見える。年代を超えて、時代のトップを走るクリエイターたちの、知恵と才能が集められたのだ。「参加者にお願いしたのは、製品の提案ではないということ。製品にするための制約から自由になって、発想を飛躍させてほしかった」と原。
「製品とはとても緻密なもので、市場の好みもあるし、マーケットの大小もある。価格、品質、耐久性など、さまざまな条件をクリアして初めて、製品ができる。製品になることはすばらしいことですが、それをゴールにすると、可能性は萎縮してしまう」
展示されるすべての作品には、制作意図と素材の特性が表記され、繊維サンプルが添えられている。それを読み、手に取れば、作品の意味や構造もより分かりやすく伝わってくる。
「半製品であることで、最後に結実する部分は、見ている人が自分でイメージできるようになっています。展覧会というのは、少なからず過去のものを展示する場所です。新製品の発表会ですら近過去のものですが、この展覧会は“未来”を展示するものになりました」
素材やクリエイションから最大限の可能性を引き出す原のプロデュースは、われわれに、モノが生まれ出る現場に立ち会わせてくれるのだ。

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「肩書きはグラフィックデザイナーですが、最近は“コト”をつくるデザイナーだといっています。新たなモノが生まれ始めるようなできごとを仕掛けていく。そういう意味では展覧会というメディアはとても面白い」と原は言う。
2000年に開催された「RE-DESIGN」展は、トイレットペーパーやマッチといった、われわれがよく見慣れた日用品を、32名のクリエイターがデザインし直すというもの。ひとつひとつの作品の発想も面白いが、いつもとはちょっと違う日用品を見て、何かしら世界が新鮮になったように感じさせる展覧会だった。
「展覧会は自分のデザイン観がちゃんと表現できる仕事」だという原だが、展覧会だけではなく、ビジネスベースの仕事においても、この“コト”をつくるという考え方は、すべてに及んでいるように見える。
たとえば白い綿布を用いた産婦人科・梅田病院のサイン計画では、汚れやすい白い布を常に清潔に保つことによって、“より清潔であること”をみごとに可視化し、アピールしている。と同時に、いつも洗いたての布によるサインという素材の変換は、妊婦さんにもやさしい、明るい院内環境を実現するものとなっている。
あるいは松屋銀座のリニューアルプロジェクト。コーポレートカラーを白とし、ファサードなどに立体的なドットパターンを展開することで、視覚から触覚へと、メッセージの質を変換している。またそれにともなう改修工事では、銀座通りに面した幅100メートルの仮囲いに巨大なジッパーを描いた。時期に応じて、それをパネルごと移動させるという単純な操作によって、あたかもジッパーが少しずつ開いていくように見せ、デパートのオープニングを鮮明に印象づけている。
「そうしたちょっとした“コト”でも、世界が変わって見え始めるんですね。それは、世界を新鮮に感じるきっかけでもある。僕はそれを“覚醒”とよんでいて、それがデザインの大きな力だと考えています」

さまざまな領域にまたがる原の仕事の中でも、もっともよく知られているのが無印良品のディレクションだろう。2001年から参加したこの仕事では、アドバイザリー・ボードのメンバーとして、日用雑貨から家具、家まで、7500点以上のアイテムの総合的なヴィジョンづくりに携わった。2003年には、この商品群が共通にもつシンプルという特色を、ノーデザインではなく究極のデザインと位置づけた、新しいヴィジョンを打ち出している。「なにもないがすべてがある」と原が言葉で表現したように、一見何もないように見える地平線を写したキャンペーンポスターは、いまも深く心に残る。
無印良品の商品群の意味を問い続けるその過程で、原は、“エンプティ(空)”という言葉に強く魅かれていった。
「2004年のキャンペーンポスターで、京都の国宝級の茶室をまのあたりにしたとき、そのミニマムでシンプルな空間の背景にある思想が、自分がデザイナーとして感じてきたことと一致することに気がついたのです」と原は語る。
“エンプティ”をめぐって考えを進めるうちに、装飾や人を驚かすようなヴィジュアルはいらないんだと、確信を持つことができるようになった。
「そうか、デザインって、掃除をすればいいんだと(笑)」
掃除とは極めて人工的なオペレーションでもあるという原。たとえば日本の枯山水。その美しさは庭自体の造形の美しさでもあるが、掃除によって維持されてきたものだ。
「落ち葉や苔など、自然の侵食を常に受けながら、それを掃除し、いらない苔は排除され、良い苔は残される。そんなことを何百年も続けてきた。そうした自然と人工の波打ち際を管理していく果てしない作業が掃除で、そこに日本人は美を感じてきたのではないか」
いらないものを排除し、必要なものだけ置いて、わかりやすくすることを徹底する。原のデザインに共通する方法論だ。原はそうした“エンプティ”をめぐる思索を進めるうちに、“白”という概念にたどりつき、2008年、タイトルも『白』という本を刊行した。
「よく原さんのデザインは白いねと言われるんですけれど、色を乗せる必然性がない。いらないものを排除していくと、白くなるんです。でも白は色という概念からもはずれたもの。論理を超えた感覚の所産でもあります」

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こうした原のデザインに対する考え方のルーツは、いったいどこにあるのだろうか。
「やはり基礎デザイン学科に入学したことでしょうね。向井周太郎先生のデザイン思想に触れてからだと思います。先生の考えていらっしゃったことが新鮮で、ごくスムーズにハマってしまいました」
1976年、原は「基礎デ」に入学する。それ以後大学院を含め6年間在籍し、当時の主任教授、向井周太郎(現名誉教授)に師事した。原はここで、「デザインとは何か」という問題と取り組むことになる。
「その問いに答えるために、自分なりにデザイン活動を続けているし、それを語る言葉を今でも探し続けている。ようやく自分なりのボキャプラリーが少しずつ生まれはじめているかもしれない」と原はいう。
“コト”をデザインする、“覚醒”、“エンプティ”、“白”など、これまで見てきたように、原のデザインは、原自身のさまざまな言葉で表現されている。
「言葉になってくるときに確信を得るのか、確信を得たから言葉にするのか、それはわからない」と言いながらも、原は、言葉にすることで、デザインという考え方を探り続けているのだ。
その原は2003年以来、「基礎デ」の教授を務めている。4年次の原ゼミでも“覚醒”をめぐる制作を展開し、卒業制作は作品集『Ex-formation』として上梓されている。
「若い人たちには萎縮してほしくないし、理論で固まってしまわないように、といつも思っています。デザインという考え方は、とても柔軟なものですから。基礎デザイン学科を卒業した人はみんなそうかもしれませんが、僕自身もいわゆるデザイナーになると思っていませんでした。デザイナーという職業でなくてもよかったんですね。ただ、“デザインという概念を携えて生きる人”であればいい。それは今もそう思っています」


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1983年武蔵野美術大学大学院造形研究科基礎デザイン学コース修了。
'88-'90年イタリア政府給費留学生としてヴェネツィア建築大学・ミラノ工科大学に学ぶ。日本デザインセンターに入社。
'91年社内に独立セクションとして原デザイン研究室(現原デザイン研究所)設立。
長野オリンピックの開・閉会式プログラムや愛知万博ポスターをはじめ、無印良品のアートディレクション、AGF、JT、KENZOなどの商品デザイン、松屋銀座リニューアルプロジェクトなどのほか、「RE-DESIGN」展、「SENSEWARE」展など、同時代の問題をデザインから問い直す展覧会を多数制作する。
著書にサントリー学芸賞を受賞した『デザインのデザイン』や2008年刊行の『白』などがあり、英・独・中・韓国語に訳され世界に読者を持つ。
日本文化デザイン賞、毎日デザイン賞など受賞多数。