平成27年度武蔵野美術大学卒業式典

日時 2016年3月18日(金) 10:20開場 11:00開式
場所 武蔵野美術大学 体育館アリーナ

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 学位記(卒業・修了証書)授与
  • 卒業・修了制作(論文)優秀賞授与
  • 学長式辞 学長 長澤忠徳
  • 理事長祝辞 理事長 天坊昭彦
  • 教員祝辞 教授 長沢秀之
  • 校友会会長祝辞 井上搖子
  • 学生パフォーマンス
  • 閉式の辞

会場風景

式典スタッフ

総合演出 堀尾幸男(空間演出デザイン学科教授)
舞台監督 北條孝 / 本田和男(有限会社ニケステージワークス)
照明 原田保 / 田中剛志 / 梶谷剛樹(株式会社クリエイティブ・アート・スィンク)
音響 市来邦比古(株式会社ステージオフィス) / 吉田豊(有限会社サイバーテック)
特効 南義明 / 酒井智大(株式会社ギミック)
舞台施工 延島泰彦 / 古川俊一(東宝舞台株式会社)
舞台装置 北川陽史(空間演出デザイン学科講師)
リーフレットデザイン 角田真祐子 / 長谷川哲士(株式会社ミンナ)
オープニング音楽制作 クリストフ・シャルル(映像学科教授)
オープニング映像制作 三浦均(映像学科教授) / 佐藤祐紀(映像学科教務補助員)
映像配信 渡辺真太郎(デザイン情報学科講師)/ 大内雄馬(デザイン情報学科助手)
司会 村岡弘章(学生支援グループ入試チームリーダー)
制作進行 開田ひかり / 川端将吾(空間演出デザイン学科助手)
協力 白石学(デザイン情報学科教授)/ デザイン情報学科 / 映像学科 / 芸術文化学科 / 空間演出デザイン学科学生有志
特別出演 堀尾ゼミ / 空間演出デザイン学科学生有志

学長式辞

写真:長澤忠徳

武蔵野美術大学学長 長澤忠徳

本日、ここに、造形学部1,008名、大学院修士課程115名、博士後期課程1名、通信教育課程160名、合わせて1,284名の卒業・修了の学生諸君に学位記を授与できますことを、私たち武蔵野美術大学教職員は、心から喜び、祝福いたします。造形学部卒業生、大学院修了生のみなさん、おめでとうございます。
また、学生諸君の勉学を支え、見守ってこられた保護者のみなさま・ご家族のみなさまの喜びもひとしおかと存じます。おめでとうございます。
我が国の美術大学を代表する伝統あるこの武蔵野美術大学に、ご子弟を学ばせていただきましたご理解とご支援に、本学を代表して心よりお礼を申し上げます。ありがとうございます。

「教養を有する美術家養成」、「真に人間的自由に達するような美術教育」という本学の教育理念は、帝国美術学校から続く本学造形教育の理念でありますが、その造形教育は、美術・造形・デザインという専門分野の教育にとどまらず、創造的人間としての「堅い意志」と世界を受け止め理解する「寛容さ」、そして、柔軟な「わかるチカラ」を育むものであると、私は信じています。

学生諸君の人生の学びのひと区切りとして、今、この武蔵野美術大学を旅立つ、輝く諸君の眼差しには、嬉しさと喜びがあふれています。「生きる、をつくる。つくる、を生きる。」という言葉があります。この言葉は、2009年、本学創立80周年の時に生まれた合言葉ですが、私は、今あらためて、この私たち創造人の人生への合言葉を、巣立って行く諸君に贈ります。本学でのすべての体験は学びであり、「生きる、をつくる。つくる、を生きる。」ことへの準備であっただろうと思うからです。

思えば、みなさんの在学中、本学は、美術大学で唯一選ばれたグローバル人材育成を推進する美術大学として、世界に開かれた可能性に挑戦して来ました。来校する訪問教授にも恵まれ、居ながらにして、世界水準の教育を体験できるようになりました。また、多くの学生諸君がワークショップなどを通して、国際体験する機会にも恵まれたことと思います。本学は、もはや日本の一美術大学であることを超えて、「世界のムサビ」へと歩みを進めているのです。そして、そのチャレンジに挑んだのは、みなさん自身なのです。

世界は、ますますグローバル化が進んでいます。英語が世界語として重要な言語の位置を占めて来ています。私たちの美術・デザインの分野は、もとよりグローバルなものでもありましたが、クリエイティブな表現という「地球人としてのみなさんの振る舞い」は、以前にもまして、世界に影響を与えるものとなって来ました。2020年には、東京オリンピック・パラリンピックが開催されますが、それはスポーツだけのイベントではありません。これから、私たちの文化・芸術の分野も、その盛り上がりとともに進んで行きます。みなさんは、その一翼をしっかり担って飛躍のチャンスをつかんで下さい。

さて、これから「創造の世界」という大海原に漕ぎ出そうとしているみなさんに、私からの願いを伝えたいと思います。それは、「大海原の、あの遥か彼方に見える水平線の上に立つ」ことを信じ切る「意志」の存在を、もう一度、自覚して欲しいということです。「創造という未知への挑戦」は、矛盾をひと飲みに飲み込んで、理屈を超えて「水平線の上に立つ」ことを信じることに似ていると思います。創造することは、そんな「意志」に支えられるものだと思うからです。

意志の「意」という漢字は、「音」と「心」からできています。自分にしか聞こえない「心の音」を自分の外に表出すること、あらゆる可能な方法で、自分の「心の音」を自分の中から出すことの修練が、みなさんの本学での学びであっただろうと思います。だから、「心の音」に耳を傾け、しっかりとその音を聴いてください。それこそが「表現」の根幹を成すものだからです。その内なる「心の音」こそ、みなさんそれぞれの個性なのです。表現者は自らの「心の音」を聴くことを大切にしてください。

今、私の心の中で、ある「音」が響きだしました。少し、それを自分の中から出してみたいと思います。

♪<<<<< 若いチカラと感激に〜、燃え〜よ若人、胸を張れ!>>>>>♪

今日は晴れがましい門出の日です。ご卒業されるみなさん、若いチカラと今日の日の感激に、胸を張って、「生きるをつくる、つくるを生きる」人生を歩んで行って下さい。
最後に、万感の思いを込めて、もう一度、お祝いの言葉を贈ります。おめでとう!

理事長祝辞

写真:天坊昭彦

学校法人武蔵野美術大学理事長 天坊昭彦

皆さん、おはようございます。理事長の天坊です。
卒業生の皆さん、卒業おめでとう。
卒業生の御両親はじめ、本日ご列席のご家族の皆さん、おめでとうございます。
入学から卒業まで、いろんなご苦労や心配事もあったかもしれませんが、本日は少しほっと肩の荷が降りた気持ちでおられるのではないでしょうか。
卒業生を支えてこられた皆様に対し、皆様のご支援に心から敬意を表し、改めてお祝いを申し上げます。

本日は3つの話を申し上げます。

先ず、1点目ですが、世界の経済は、21世紀に入り、リーマンショックによる混乱はありつつも、おしなべて、堅調に推移して来ていましたが、昨年頃から少しづつ変調をきたしているように思います。アメリカ、中国、EU諸国、そして日本も各々に固有の問題があり、それが各国にお互いに影響を与え合っています。
しかし、マクロで考えてみますと、いろんな意味で従来のシステムがそのままではうまくいかなくなって来ているという問題が根底にあるのだと思います。従って、あらゆる分野でイノベーションが必要だと考えられています。

行きづまった社会に変革のヒントを与える先進性のあるものは芸術や文化だと言われています。イノベーションには知恵と創造力が必要です。その為には、文化や美の追求をしてみることが重要です。ということは、言い換えれば、世界のいろんな分野で今、美術系の人材が必要とされているのです。皆さんの出番が来ているのです。
また、企業や社会で求められている人材というのは、個性のある人材です。個性ある人材というのは、変人奇人の類いの変わった人という意味ではありません。しっかりした自分の考えを持ち、相手と対話しながら相手を説得できる能力、コミュニケーション力の高い人材のことです。卒業生の皆さんは、ムサビで4年間、絵画やデザイン等、物作りを通して美術を学んできたと思っているかもしれませんが、もう一度思い出してみて下さい。皆さんが4年間毎日のようにやってきた創作活動とそのプレゼンテーションは、美術に対する能力の向上を狙っているのは確かですが、一方でこの教育の本質は、考える力を鍛え、自分の考えを人に伝え、相手を説得する力、つまり、コミュニケーション能力を高める教育でもあったのです。こんなにすごい教育を4年間も続けている大学は他にはあまりないでしょう。
皆さんのコミュニケーション能力は、社会のどこへ行っても必ず役に立つはずです。皆さんは今、企業や社会が求めている人材なのです。是非、自信を持って下さい。

卒業生の皆さんの中には、これからも大学に残って更に勉強を続ける人もいるでしょうが、社会人として、仕事に就かれる人も多いと思います。
「教養ある美術家の養成」というのは、本学の理念の一つです。この大学で4年間学んだだけで、教養ある美術家になれる訳ではありません。美術家を志す皆さんにとっては、教養ある美術家になる為の基礎を身につけた所であり、これから一生かけて、自分自身を磨き続ける努力が必要です。
美術家でない、ビジネスの世界に進む皆さんにとっては、先ずは、各々のビジネスの仕事に係る専門的な知識を修得する必要があります。その上で他の人と違った自分らしい意見をまとめ、考える力を如何なく発揮して下さい。4年間鍛えられた考える力は大きな力になるはずです。

いづれの道に進もうとも、ムサビで学んだことを基礎に、これから皆さんが更に研鑽を積んで、社会で活躍される実績がこれからのムサビの伝統を作って行くことになるのです。ですから、ムサビで学んだことに誇りを持って、皆さん一人ひとりがこれからの良きムサビの伝統作りに貢献できるように努力してくれることを大いに期待しています。

2つ目の話です。
今、「自信を持と誇りを持て」と言いましたが、皆さんは未だ実社会の経験が殆んどない初心者です。だから「自信と誇り」を表に出しすぎると「高慢な人」とか「自惚れてる」と思われて、決して良いことはありません。「自信と誇り」は、自分の心の中で持ち続けて下さい。

今から50年以上前、私は出光興産という石油会社に入社しました。その時の入社式で出光の創業者、出光佐三は「卒業証書を捨てよ!」と言いました。これが大学を出て入社した社員に向って最初に発せられた言葉でした。

しかし、私も後に出光の社長になった時から、入社式で同じ話をしてきました。今日は大学の卒業式ですが、皆さんにも参考になる話だと思うので話します。これは比喩的な表現です。実際に卒業証書を捨ててしまえということではありません。
その意味するところは、大学で勉強して来たかもしれないが、それは大学の机の上で考え、議論して来ただけではないのか?実際の世の中はもっと複雑で、人間の感情やいろんな人の利害が絡み合っていることが多い。だから、先ずは、謙虚になって、人の話を良く聞いて、その上で良く考えて行動しなさい。そしてまた、話を聞いて考え、再び行動するというくらいの謙虚さが必要だ。分かったつもりで卒業証書を振りかざしても仕事は進まない。先ず謙虚に人の話を聞いて、経験を積むことが重要だという話です。こういう経験を積み重ねていくうちに、人間の機微というものが解るようになって来る。そうなると学問も活きて来るということです。

3点目です。
最後になりましたが、卒業生の皆さん、本日皆さんが無事卒業ができるよう陰に陽にこれまで皆さんを懸命に支え続けて下さったご両親はじめ、お世話になった方々に改めて、感謝の気持ちを胸に刻み、これからは折に触れて恩に報いる気持ちを尽くすことを忘れないで頂きたいということです。

「心の中で自信と誇りを持ち続けろ」
「謙虚になれ」
「感謝の気持ちを忘れるな」
この3つを贈る言葉として、私のお祝いの挨拶を終わります。

教員祝辞

写真:長沢秀之

武蔵野美術大学教授 長沢秀之

卒業、修了おめでとうございます。
この時期になるといつも5年前の震災、福島原発事故のことを思い出します。

あのときは卒業式が中止になって各科が独自に「卒業生を送り出す会」(実際は学位授与式という名前)のようなものを実施したのですね。油絵学科もFALの前でそれをやりました。
ちょうどぼくが主任教授のときで、これは大変なことになった、でもこういうときだからこそ言えることもあるだろうと長い祝辞を述べました。とにかくみんなになにか話しかけたかったのですね。こう言いました。

今回の震災と想像力とはつながっている、人間が抱えている弱さとか矛盾があるところにこそ想像力が生まれ、見えない壁を突破するのだ。そういうことを言ったと記憶しています。そうしてその会は終わったのですが、何人かが「先生!」と涙ぐんで寄ってきていろんなことを話したのを覚えています。みんな話したかったのだと思います。
そのあとの4月からの授業が大変でした。多くの学生が作品をつくれなくなってしまいました。こんな状況のなかで絵を描いていていいのだろうか?とか、なんで私はいまこういうものをつくっているのだろう?といった疑問が次々に起ってきたからです。それは私たちも同じでした。先生たちも美術家として絵をつくれなかったのです。

そんななかで被災地にスポーツ選手が行ったとか、歌手が励ましに行った、お相撲さんが行った、という話が連日ニュースで流されました。
美術のほうでも現地にワークショップをしに作家が行ったという話がありましたが、人はほとんど集まらなかったそうです。
ぼくはこのことを学生に話しながら「アートはこういうときに無力だ。でも積極的にアートは無力でもある。」と言いました。何日か経って、ある学生がそれに反論してきました。「先生、アートは無力ではないと思います。すぐに役に立ったり、効き目はないかもしれませんが、何らかの形でそれは意味があり無力ではないと思います。」と言いました。ぼくもその意味では賛成です。ただこれはアートの本質にも関わることなのです。

話は飛びますが、この一月に、卒業生で美術家として活躍している佐藤万絵子さんが墨田区にあるアサヒ・アートスクエアで個展をやりました。「机の下でラブレター(ポストの底に)」という題名で、大きな空間を紙とそこに描かれたドローイングで埋めつくしました。詳しいことはなかなか説明しづらい作品ですから興味ある人は彼女のサイトを見てくださいね。ぼくがここで言おうとしているのはその会場においてあったパンフレットの彼女のことばです。もちろん作品と関連したことばです。そこにはこう書かれてありました。

『他者に伝わるということを前提にしなければ、表現は、もっと自由になる。
しかし、その自由と同時に、他者との疎通を断絶する責任も、一人で背負うこと。 これが、今の私が辿り着いたばかりの、逃げ出したい真実です。』

彼女の長い文章のほんの一部分ですが、とてもいいことばです。作品をつくっている人でなければ出ないことばです。あまりにも作品とマッチしていたので、早速感想を書いてメールしました。そうしたら彼女からまたこういう内容の返事が届きました。ちょっと手前味噌の話になりますが、彼女が3年生の時に、私が授業のなかで「絵を描くということは、本当に無力なことなんだ。だけど、『(世の中で)無力だ』ということは、本当に大事なことなんだ。」
と熱っぽく言ったらしいのです。そしてその言葉がずっと彼女の心の中にあり、考え続けてきた。今回のことばは彼女がいまの時点でたどり着いたひとつの地点のことばだと、そういうことが書いてありました。

ぼくは忘れていたのに、彼女はひとつの言葉を覚えていてくれたのですね。美術大学とはそういうところ、そういう時間を必要とするところなのでしょう。

そしてアート。アートはそんなに意味が伝わるものでもないし、意味がいつも明快になっているものでもない。時にナンセンスでばかばかしくもある。それを意味でがんじがらめにしてはもうアートとは言えないでしょう。
つくる人は無力ではあるけれど積極的に無力でもある。そしてその責任を負う。それは多分、程度の差はあれ、ここにいる皆さんがものをつくっているときに感じたことでもあると思います。無力というのは、人間の抱えている弱さといつもともにあるということです。ものをつくるひとはそのことをいつも抱えているのです。
人間は弱くていい。皆さんがそこからいいものをつくり、新しい世界を切り開いていくことを心から期待しています。

校友会会長祝辞

写真:井上搖子

武蔵野美術大学校友会会長 井上搖子

本日ご卒業の皆様、おめでとうございます。心よりお喜び申し上げたいと思います。そして、卒業生の同窓会であります校友会の新たなお仲間として、皆様をお迎えします事をたいへん嬉しく思っております。
本日の卒業式は入念に準備された舞台に、本日ここにいらっしゃる皆様一人一人のパフォーマンスが加味され、たいそう独創的でドラマティックなアートになりつつある真っ最中の中で、私が卒業した頃はこんな卒業式ではなかったなぁ、こんなだったらどんなに刺激的であったかと羨ましく、大学生の頃を思いだします。

私がムサビに入学した頃の美術大学というのは、何年も浪人した人が入学するのが常識で、私自身は現役でしたから3歳も4歳も上の同級生が大勢いました。年上の同級生の動向は何かと影響が大きいのですが、私がそこから一番学んだ事は、若さに乗じて生意気な言葉を口にしたら、それを証明すべくきっちり実行しなければいけないということでした。私の年上の同級生たちは皆尖っていましたから、先生に対しても対等な立場であるかのように、思い切り高度な作品の構想を語っていました。その後、頑張って作品を創る人と創らない人では差がつく訳です。出来るかどうかわからないけれど一度語ってしまったらその言葉が嘘にならないように頑張るのみ。その結果、うまくいけば一つ上のステージに立つ事ができる、という自分を頑張らせる術であったのです。私も卒業する頃にはその術を体得し、就職した建築設計事務所で何回も試しました。全てが成功した訳ではありません。心が折れる事もありますが、人は失敗するもので、次にもう少しうまくやれば廻りは見守ってくれます。うまくいった時は自分の満足感だけではなく、周囲に認められた達成感があるのです。

無謀なやり方のように思うかもしれませんが、もう少し整理すると、自分の今出来る事より少し上の目標を立て、宣言するということです。それを実行するために今出来る事から始めて突き進むうちに道は開けます。皆さんにはぜひ自分の力を信じて出来るだけ遠くに目標を定めてほしいと思います。もしくじけるような時があったら、先生たちを訪ねるのもよし、校友会を頼りにしてくれるのもよしです。大学と協力しつつも少し違った角度で若い皆さんへの支援について日々検討を重ねています。皆様のこれからの輝かしい未来に、限りないエールを送ってお祝いの言葉としたいと思います。アートとデザインはあらゆる知識と技術を総合的に駆使して創造するものです。ここムサビで皆さんはその基本を学びました。大丈夫です。自由にはばたいてください。きっと花が咲き、実が結びます。