武蔵野美術大学入学式典

日時 2014年4月7日(月)9:30開場 10:00開式
場所 武蔵野美術大学 体育館アリーナ

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 学長式辞 学長 甲田洋二
  • 理事長祝辞 理事長 天坊昭彦
  • 教員祝辞 教授 関野吉晴
  • 卒業生代表祝辞 柏原由佳
  • 閉式の辞

会場風景

式典スタッフ

総合演出 堀尾幸男(空間演出デザイン学科教授)
舞台監督 北條孝 / 本田和男(有限会社ニケステージワークス)
照明 原田保 / 田中剛志(株式会社クリエイティブ・アート・スィンク)
音響 市来邦比古(株式会社ステージオフィス) / 吉田豊(有限会社サイバーテック)
特効 南義明 / 酒井智大(株式会社ギミック)
舞台施工 延島泰彦 / 古川俊一(東宝舞台株式会社)
リーフレットデザイン 角田真祐子 / 長谷川哲士(株式会社ミンナ)
オープニング音楽制作 クリストフ・シャルル(映像学科教授)
オープニング映像制作 山崎連基(映像学科助手)
司会 村岡弘章(教務課教務担当課長)
制作進行 大野洋平 / 開田ひかり(空間演出デザイン学科助手)
協力 楫義明(芸術文化学科教授) / 篠原規行(映像学科教授) / 空間演出デザイン学科学生有志
特別出演 林家たい平(芸術文化学科客員教授) / 堀尾ゼミ / 空間演出デザイン学科学生有志

学長式辞

武蔵野美術大学学長 甲田洋二

新入生の皆さん入学おめでとう。心から歓迎いたします。ご臨席のご父兄の皆様、今日の良き日をお迎えになって、お慶びも一入かと拝察いたします。
誠におめでとうございます。

本日、造形学部・大学院修士課程・博士後期課程、そして各国からの留学生82名を含めて1,242名の新入生を迎えることが出来ました。

本学としては、重い責任を自覚するとともに、大きな慶びとするところであります。

さて、今日より皆さんは、この武蔵野美術大学に於いて、いかに充実した、そして楽しい学生生活を過ごすかにあります。本学は、各学科により多少の違いはありますが、ものを創ることを第一にしている大学です。従って作品制作・演習などが中心になっております。ということは、クラスメート各々の取り組み方や、その結果としての作品が常に自分の視野に入ってくるということです。友人達の作品の出発から、結果まで見ることが出来る訳です。各々の資質の違いや、努力の度合いが表に晒されます。つまり、嘘や誤魔化しは意味をなしません。自分に正直になり、努力を重ねることの大切さを感じとることでしょう。学生生活を通じて自分の本質を問い、創造、ものを創りだすことの素晴らしさと、それに伴う困難さもしっかり体験することが出来ましょう。本格的な創造への準備が始まるのです。優れた教師、先輩や、友人に出逢い、そして健康に注意し、楽しく充実したものにして下さい。

最後に、皆さんに記憶しておいて欲しい人物について紹介させて頂きます。
キャンパスを巡って行くと、本学で一番高い建物である12号館は容易に見つかるでしょう。その8階に「田中誠治記念室」があります。常時オープンしておりませんが、入学の時など年に数回オープンしています。自校教育としてのオリエンテーションを重なる部分もあるかもしれませんが、お許しください。

本学は過去を含めて、個人を殊更表彰したり奉ることを良しとはしませんでした。しかし、戦後から今日までの本学を省みる時、これからお話しする「田中誠治」については、多くの人の記憶に止めるべき人物かと思うからです。学内関係者で彼を直接知る人が極く僅かになってしまった現在、私の知っている範囲ではありますが、少し彼の話をすることにいたします。

敗戦後の混乱期、つまり昭和20年から数年間は、本学の存在も危ぶまれる時期を迎えておりました。資金、人材等に窮しているなか、本学経営者のひとりとして参加した人物が、田中誠治の父親である田中高愚であります。高愚の参加により、今後に多少の光を見出せるかと言う時に、高愚が不幸にして急逝してしまいます。当時、早稲田大学を卒業したばかりの息子、誠治が後任として25才の若さで理事として就任することになります。この人事については後に本人よりかなり複雑な思いがあり、不本意な要素があったと聞いたことがあります。
しかし、当時生活することに精一杯な社会状況の中、あえて厳しい「美」の道を目指そうとする若者の熱き思いを同世代として強く受け止め、決断したのでしょう。 その後、27才で当時の武蔵野美術学校の理事長となり、1986年61才で無念の死を迎えるまで本学を日本有数の美術の総合大学に育て上げることを目標にしてその実現にま邁進し続けたのが、彼の全人生であったと思われます。正に、現在の武蔵野美術大学の実質的な創設者と言って良いでしょう。
引き継いだ当時の本学は、経営基盤が非常に弱く、人間関係も加わってかなりの年月塗炭の苦しみが続いたようです。そうした状況の中でも、熱意ある優れた指導者の獲得に奔走し、その実現により、この時、武蔵野美大の造形教育の礎が成立したものだと思います。本学経営者としての30年間は、先の目標を実現化し、更に今後の展開を計ろうとする矢先であったと思われます。彼の葬儀の折、今は亡き奥方、志津子さまが「鷹の台には主人の血が滴って居ります」と言わしめた会葬者への言葉は田中誠治の全てを語っているのだと思います。そして、私心を持たず、人事も彼の個人的な影を一切残さず世を去っていった彼の潔さは、第一に記憶しておくべきことと思います。

ご清聴感謝いたします。

因みに、先程紹介した田中誠治記念室と12号館と桜並木の間に設置されている本学脇谷教授制作の田中誠治の肖像彫刻が彼を直接偲ぶ場所と思います。

理事長祝辞

武蔵野美術大学理事長 天坊昭彦

理事長の天坊です。

新入生の皆さん 武蔵野美術大学へ入学おめでとう。
皆さんの入学を心から歓迎します。
又、ご列席のご家族の皆様、本日は誠におめでとうございます。
新入生の皆さんは通常の受験勉強に加えて、志をもって、デッサンや油絵を特別に勉強し、見事、本学に入学され、夢と希望に胸がふくらんでいるものと思います。
ご家族の皆様にとってもお喜びひとしおのことと思います。

私は、一昨年12月に本学の理事長に就任し、1年4ヶ月経ったのですが、この大学に来て、初めて気がついたことがあります。それは、この大学で行われている美術の創作活動は美術の技術力を磨くことと同時に、考える力を鍛え対話する能力を高める教育を行っているということです。

前段の美術の技術力を磨くことは当然と思っていました。しかし、創作するためには、その前に、自分の考えをまとめ、その思い、自分が訴えたいことを何をもって表現するか、どういう形にするか、先ず考え抜くことが必要になります。
その上で、作品を作り、その前で見る人に考えが伝わっているか、先生たちの批評を踏まえ、自分の考えを伝え、更に良い作品に仕上げていくという教育を4年間も繰り返し経験することになります。これはすごいことです。考える力をつけ、対話する能力を高める教育です。

世の中で今、企業が求めている人材というのは、個性ある人材です。個性ある人材と言うのは、変わった人という意味ではありません。しっかりした自分の考えを持ち、相手と対話しながら、相手を説得できる能力です。
勿論、企業に就職して、力を発揮して行く為には、企業で必要な専門的な知識を身につける必要がありますが、自分の考えを常に持ち、周囲の人と対話して、意見を集約して行く能力は、そう簡単に身につくものではありません。
そういう意味では、企業経営者としての私の経験から、本学は企業が求めている人材の宝庫ではないかと思っています。

私は、今ここで、美術を志して、本学に入学した皆さんに企業に就職しろと言うつもりで、この話をしている訳ではありません。
この大学で美術を学ぶということは、美術から離れた一般の社会でも必要な基本的な能力を高める教育も一般の大学生以上に時間をかけて訓練されているということを新入生の皆さんだけでなく、ご家族の皆さにも、もしご存知なければ、知っておいて頂きたいと思い、話をさせて頂きました。
さて、最初に少し違った観点からの話をしましたが、新入生の皆さんに、これから在学中に、是非心がけて頂きたい要望事項を3点お話しし、私の祝辞とします。

1点目 永い人生の中では、大学4年の学生生活は、あとで振り返ってみれば、あっと言う間の短い期間です。
出来るだけ多くの教養を身につけるべく、積極的に夢中になって勉強し、一方では、いろんな経験も積めるように、是非とも時間を大切に使ってもらいたいということ、これが1つ目の要望です。

次に2点目についてです。
今の世の中は、情報通信技術の進歩によって、ものすごい早さで情報が世界を駆け回っています。そういう意味では地球が小さくなっており、私達は、グローバルな動きを無視できなくなってきています。そして、特にビジネスの世界では、英語が標準語になってきました。
そういう中で、情報に振りまわされずに、世の中の動きの本質を正しく理解することが必要です。日本に居ても情報だけなら知ることが出来ますが、本質をより良く理解するためには、やはり海外に出かけて、日本と違う民族、歴史、文化に触れ、違いを認識しておくことが極めて重要です。
そのため、政府は一昨年から、国際的に活躍できる人材育成を助成する制度を始めました。この政府のグローバル人材育成推進事業に美術系大学として、武蔵美が唯一認定され、この事業に参画しています。これは平成24年度から5年間の事業で多くの助成金が出ています。この関連で本学では、英語教育に加えて、海外留学の機会も増えていますので、是非、英語の勉強もしっかりやって頂きたい。これが2点目の要望です。

3点目の話です。
ここは大学ですから、教室で勉強することが中心になりますが、学内だけに留まらず、機会があればいろんな「フィールド・ワーク」に参加して、実際に社会の人達と触れ合う実践の場を通して学ぶことにも挑戦してもらいたい。皆さんが訓練された対話能力を試してみる絶好の機会になるでしょう。これが3番目の要望です。

結びに当たり、月並みな言葉ですが、健康に留意して、悔いのない学生生活を過ごして下さい。
皆さんの成長を大いに期待しています。

教員祝辞

武蔵野美術大学教授 関野吉晴

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。
私は文化人類学を受け持っています。私はあなたたちと同じ年齢の頃から40年以上、地球の辺境を歩いてきました。

私は、最初は20年間南米を歩き続けました。その後、グレートジャーニーの足跡を辿りました。
人類はアフリカで生まれました。アフリカを出て、世界中に移動、拡散していった中で最も遠くまで行った人たち。シベリア、アラスカ経由で南米最南端までたどり着いた人たちがいます。その五万キロあまりの旅路を人類学者はグレートジャーニーと呼びます。
私はその道筋を、近代的動力を使わず、足かけ10年かけて歩きました。私は40のミニエクスペディションをクリアして最終ゴールに着いたので、多くの人は私を失敗しない男だと思います。

しかし実際は失敗の連続でした。たとえばアラスカからシベリアの間にベーリング海峡があります。最初凍った海を徒歩で渡ろうとしました。ところが地球温暖化のため、海峡は凍りません。
そこでエスキモーと一緒に、クジラを捕る時に使うセイウチの皮を張ったボートで、風の力で渡ることにしました。ところが、いい風が吹いてくれません。三度チャレンジしましたがボートが壊れ、失敗しました。
最後はシーカヤックで渡ろうとしました。ところが海は荒れて身動きができません。10日待って、やっと風はやみました。120kmを24時間漕ぎ続けて渡りました。
全行程を成功させるためには、100以上の失敗があったわけです。でも、生きてさえいれば何回でもチャレンジできます。何回もしつこくやっていればいつかは成功します。

最近は人を育てるのにいい環境ではなくなりました。人を短期間で評価するからです。
私はドキュメンタリー番組やドキュメンタリー映画の企画、制作にかかわってきました。
2,30年前には、「こいつは今は実績もないし、頼りないけど、将来なにか成し遂げそうだな」と判断すると、ポーンと多額の取材費を出すプロデューサーがいました。
人を育てる機運がありました。今はそんな人はめったにいません。

逆に、今は1年、場合によっては半年で人を評価します。そうすると、短期間で成果を上げなければならず、失敗が許されません。
そのため失敗しないように卒なく、こじんまりとやろうとします。チャレンジとか、冒険はしなくなります。このままでは社会が澱んできてしまいます。

ロシアのシベリアを移動している時、81歳のポーランド人ウラジミルさんと出会いました。ソ連のスターリンの時代、外国人と言うだけでスパイ罪として、極寒の地の強制収容所に送還されました。
彼は、送還される前に、結婚し、1人娘ももうけていました。しかし、戦争中に奥さんも娘さんも病死してしまいました。祖国を離れ、妻子とも別れ、過酷な強制収容所に入れられるという辛い経験を持ちながらも、ウラジミルさんは「自分は幸運だった」といいます。
私は理解できず、「エッ、そんな過酷で辛い思いをしたのになぜですか」と尋ねると、「こんな年まで生きてこられたからです」と言います。

彼の柔和な顔を見ているうちに、私も、ウラジミルさんが幸福に見えました。何故幸福に見えるのか分かるまでに少し時間がかかりました。彼は大切な青春期を強制収容所で過ごしました。家族と一緒に暮らすことができる。友達や仲間と自由に会える。好きなことを言える。好きなところに住める。私たちにとっては当たり前のことですよね。人間が生まれつき持っている、譲ることのできない基本的な人権です。
しかし、ウラジミルさんは大切な時期に、そうした当たり前のことが許されませんでした。そのため当たり前のことがいかに大切であるかを誰よりも身に染みて知っているんですね。今それをかみしめ、味わって生きています。そのためウラジミルさんはとても満ち足りて、幸福そうに見えたのではないでしょうか。

病気になった時に健康のありがたみが初めてわかります。喉がカラカラに乾いた時に水のありがたみが分かります。当たり前と思っていることは、それがなくなった時に初めて大切なんだと気がつくんですね。
基本的な人権の他に、水、大地、空気といった環境も、貴金属や放射能などで汚れてないのが本来は当たり前ですね。

作品制作だけに専念する毎日もいいのですが、この大学は教養ある美術家を育てる大学です。世界や社会にも目を向けることをお勧めします。
第二次大戦中のように、いつの間にか「自由に表現できない」「好きなことが言えない」社会になっていく可能性があります。そしてなりつつあります。
それを食い止めるのは私たち自身です。また世界や社会に目を向けることによって、自分の引き出しが増えて、作品の幅も広がるでしょう。

遠い将来を見つめながらも、今の一日一日を大切にして青春を謳歌してください。
全力であなたたちを、父親のように厳しく優しく支援していきます。よろしく。

卒業生代表祝辞

卒業生代表 柏原由佳

新入生の皆さん、本日は本当におめでとうございます。

私は2006年武蔵野美術大学日本画学科を卒業しました。
私が入学した時は、大変だった受験を終えて、また始まる新しい大学生活に向けて緊張と、期待で胸をいっぱいにしての入学式で、図書館の裏に咲いている桜がとても綺麗だったのを今でも覚えています。

私は武蔵野美術大学とドイツの美術大学、2つの大学を卒業し、沢山の事を学びました。今日は、私が武蔵野美術大学とドイツの大学生活で学んだ、3つの事についてお話ししたいと思います。そしてこれらは、今でも、自分の制作活動の中で大切になっています。

まず一つ目です。「自分のやりたい事を見つけるのではなく、やりたくない事を知る事」です。

学生時代は、自分のやりたい事を見つけるのに必死で、毎日模索している日々でした。
簡単に自分のやりたい事を見つける、といっても世の中にはいくつもの選択肢が溢れかえっていて、色々な事に興味があって、沢山の選択肢を前に、どこから始めて良いものか途方に暮れる日々もありました。
私も、自分のやりたい事を見つけようと必死になっていた時があったのですが、それを知る為には、迷った時や、興味のある事はどんどん挑戦しました。その中で沢山失敗もしました。
しかし、沢山失敗をすると、その失敗の中から、これはもうやりたくないな、とかこれは違う、というものが見えてきて、消去法的に自ずと自分のやりたい事に近づけて、選択肢が狭まっていった気がしています。
みなさんも最初から素晴らしい作品を作る事だけに気をとらわれず、どんどん沢山の失敗をして、自分のやりたくない事を知っていってほしいと思いました。

2つ目は、「自分の脳みそを使って、きちんと、能動的に考える事です。」

当たり前の事のように聞こえますが、日本人は特に苦手な事かな、と思います。
ドイツの大学に入学した頃、初めての授業で、12色の絵の具セットが配られました。中学生みたいだな、と驚いた事を今でも覚えています。
日本にいたとき、私はとにかく沢山の色数を持っていて、多分、50色くらいは持っていたかと思います。
日本の画材屋さんはとても親切で、ハーフトーンの種類も豊富で、ピンク一つとっても5種類位売っていたりします。
ドイツで配られた、12色の絵の具セットで絵を描いていると、自分の作りたい色はいくらでも作ることが出来て、そのハーフトーンは絶対に自分の欲しい色で、そこには、買ってきた絵の具の色とはほんの少し誤差があるのだと気付きました。

日本にいた時は、自分の好きなハーフトーンを買っていたのですが、その時は自分が選んでいるつもりで、沢山ありすぎる絵の具の中からきちんと選ぶ事が出来ずに、多くの選択肢の中から、選ばされていたのだな、と思いました。
それからは、わたしは12色の絵の具から色数を増やさないように、絵を描くようになりました。みなさんも、多くの情報や物質に振り回される事無く、自分自身の脳みそを使って、決断、判断し、取捨選択できるようになって欲しいと思います。

そしてまた、ドイツという国自体がとてもディスカッションが盛んな国です。幼少時期から学校で徹底的にグループディスカッションをしてきているので、そこで、何も意見を言わないと、自分の意見が無い人、と見なされてしまい、私も最初は亡霊のような扱いをされました。そこでは、周りの意見を聞く、教授の意見を聞く、受け身の姿勢だけでは通用せず、きちんと自分の意見を伝える事が必要でした。
ドイツではすぐに、「なぜ?」と言う言葉が使われます。「なぜこの作品を作ったのか。」「なぜ好きなのか。」「なぜ良いと思うのか。」そこでは、上下関係や、年功序列などは存在せず、みんな自由な発言をしていました。
最初は、なぜ、と答えられないから絵を描いているのに、と思っていた時期もあったのですが、答えを出すのが大切なのではなく、なぜ?と考える事自体が大切で、自分では気付けなかった事や、新しい物の見方が提示されて、より豊かな制作活動が出来るのではないかな、と思います。
なので、みなさんも大学生活では、常に、「なぜ?」という疑問を持って、教授や仲間と臆する事無くディスカッションをしていって欲しいと思います。

そして、最後に、大学生活、制作活動を通して学んだ事は、「真剣」なのと、「深刻」なのは違う、と言う事です。

私はいつも、何事にも一生懸命取り組むのですけど、一生懸命にやっているうちに、どんどん悩みや疑問は深くなっていき、自分の問題点に対して、深刻になっていきました。
そこで、友人に言われた一言は、「真剣なのと、深刻なのは違うんだよ」と言う事でした。真剣に取り組んでいるうちは、能動的なのですが、あまりにも深刻になりすぎると、建設的、生産的な考え方が出来なくなるのだと思いました。

これから先の大学生活は、楽しい事だけではないかもしれません。
そんな時は、みなさんも深刻に悩みすぎず、けれど真剣に問題に向き合えるような力をつけていってほしいと思います。

これらの3つの事が私が大学生活で学んだ事です。
これからの学生生活、沢山遊んで、沢山制作して、旅行に行って、悩んで、笑って、実りある豊かで充実した学生生活を送っていけるように応援しています。本日はおめでとうございます。