大坪圭輔

大坪圭輔(おおつぼ・けいすけ)
OHTSUBO Keisuke

専門
美術・工芸教育法、 教育方法
Art and Craft Education, Methodology of Education
所属
教職課程
Teaching Careers
職位
教授
Professor
略歴
2002年4月着任
1953年長崎県生まれ
武蔵野美術大学大学院 修士課程修了(修士)
研究テーマ
造形美術教育における実践研究、特に初等・中等教育段階での造形能力の発達とその教育方法について研究。

著書:『表現と鑑賞』開隆堂出版 '06年(共編著)、『美術教育の動向』武蔵野美術大学出版局 '09年(共編著)、『中学校美術移行措置資料』開隆堂出版 '08年(共著)、『小「図画工作」・中「美術」連携資料』開隆堂出版 '09年(共著)、文部科学省検定中学校美術教科書『美術1』、同『美術2・3上』、同『美術2・3下』(以上 '05年文部科学省検定済、開隆堂出版 '06年、著者代表)。
論文:「子どもの存在と国際理解教育」『美育文化』'06年1月号(財団法人美育文化協会、単著)、「新学習指導要領と現場の専門性」『美育文化』'08年5月号(同、単著)、「学習指導要領を読むPart2-『中学校学習指導要領解説美術編』を読み解く-」『造形ジャーナル』'08年409号(開隆堂出版、単著)など。
学会関係:(社)日本美術教育連合常任理事、(財)教育美術振興会委員、(財)画像情報教育振興協会委員、美術科教育学会員、国際美術教育学(International Society for Education through Art)会員。
受賞:'05年(財)日本教育研究連合会教育研究賞受賞。


造形美術教育実践研究の概要

学校教育における芸術教科軽視の傾向が進む中、芸術が情操教育として位置付けられたままであることに疑問を感じ、幼児期から成人までの一般的な人々の芸術とのかかわりを調査するとともに、日常生活における造形的な思考の実態と重要性を検証している。
長年にわたって取り組んでいる中学美術文部省検定教科書の編集と執筆では、上記のような視点から、中学生にとっての造形環境を重視した学習の展開を目指している。特に、近年のサブカルチャーの隆盛は、小・中・高生にとって魅力的であるだけでなく、思考そのものにも大きな影響を与えている。教科書編集では、そのような漫画やアニメ等を積極的に学習題材として取り上げながらも、自身の価値観を持って造形活動に取り組み、文化芸術と社会のかかわりを考えながら成長することを主たる目的としている。
一方、子どもたちの「美術」環境があまり豊かではないというデータもある。平成16年12月に発表された「OECD 生徒の学習到達度調査 2003(PISA調査)」では、日本の子どもの学力が国際水準のトップから転落したことのみが報道され、「ゆとり教育」批判に油を注いだが、この調査には「生徒の学習背景」を探る質問紙調査も含まれている。そこでは、「家庭におけるクラシックな文化的所有物」として「文学作品(例:夏目漱石、芥川龍之介)」「詩集」「美術品(例:絵画)」の三項目を示し、その結果として、文学作品の選択率は、OECD平均(「生徒の学習環境」調査に参加した13の国と地域の平均)49.9%に対して日本は42.5%、詩集の選択率は、平均47.6%に対して日本は24.6%、美術品の選択率は、平均48.3%に対して日本は28.8%となっている。「詩集」と「美術品」は13の国と地域中、香港に次いで低く、結果報告書をまとめた国立教育政策研究所のプロジェクトチームも「国際的に見て家庭の文化的所有物が豊かであるとは言えないことがわかる。」と断じている。
しかしながら、3年後の2006年の調査分析における本設問については、学習状況を分析するためのグループ分けに用いられているのみであり、その実数は提示されていない。「美術品(例:絵画)」だけの表記では、調査対象の生徒たちが具体的にどのようなものを連想して回答したのか不明であるし、この結果だけで我が国の文化芸術の普及度が低レベルにあると考えるのは尚早であるが、子どもたちが文化的に豊かな環境の中にあるとは言い難いことも事実である。狭義の学力向上を学校教育の中心的な課題と限定するならば、文化の普及、向上は何をもって考えるべき課題なのだろうか。
下記の写真は、明治5年に学制ができて間もなくの頃の教師用指導書のひとつ、『小学入門教授解』(明治7年刊)中にある掛図を用いた色名の指導方法の部分である。左頁は木版による色刷りが施された色名表となっており、かなり手の込んだ教師用指導書となっている。以来140年、上記のPISA調査から見えてくる貧弱とも言える我が国の文化芸術環境の原因を見極めつつ、造形美術教育における教育方法を開発することが当面の課題である。

『小学入門教授解』明治7年刊

文化消費者を育てることではない

不確定な時代に
(略)また、教育とは先人が築いた文化を身に付けさせることこそ、その主体であるとする考え方があります。しかし、自身の夢や希望を見出せない若い人たちに、先人の知恵や文化を真摯に受け止める姿勢を持つよう求めたとしても、彼らはそこに価値を見出すことができないだけでなく、場合によっては教育の場からドロップアウトするという現象さえ生じさせています。

中学生の文化環境
このような不確定な現代にあって、中学生の日常における文化環境はどのような状況にあるのでしょうか。さまざまな情報があふれる中で、多様な文化をそれぞれが楽しみ、一見すると、豊かな社会の恩恵を享受しているかのようです。しかしながら、そこに主体性や独自性という要素は希薄です。彼らが楽しんでいるゲーム、漫画、アニメ、ファッション、パフォーマンス、音楽などの多くは、巧妙に仕掛けられ、流行という現象を生み出しながら拡大していくように練り上げられ、生産されたものです。その仕掛けの中で、彼らの多くは右往左往し、まわりの様子をうかがい、選択の余地さえないほど流行に囚われているのが実情ではないでしょうか。人は自信を持つことができず、自らの価値観で判断することができないとき、他の強力な価値基準に従おうとします。(略)このような外見上は華やかで豊かに見えるけども、個人としての価値観や感性という視点からはあまり豊かとはいえない中学生の文化環境から、美術科の意義を考えてみる必要があります。

作品の小型化と学習態度
中学校美術科の学習内容に「漫画」が登場し、社会的な関心を集めてからすでに8年が経過しました。また、「コンピュータ等映像メディア」のことばも定着してきました。時間数は削減されながら、教科の学習内容は広がってきています。このことは中学校美術科の題材に大きな変化をもたらしました。すなわち、限られた時間内で多種多様な領域の学習を展開する必要から、各題材に配当する時間が減少し、作品の小型化が進んでいるのです。例えば地域の作品展などを見てみると、最もよく使われていた四つ切画用紙は姿を消し、八つ切以下の大きさが主流となってきています。中でも多く目にするのは、絵手紙に代表される「はがきサイズ」の絵画作品です。また彫刻に表す学習を見ても、彫像というよりはフィギュアといったほうが正確であるような作品群が中心となりつつあります。もちろん作品の大きさと学習の質を単純に比較することはできませんし、作品の小型化によるメリットもあります。しかしながら、四つ切に表現する造形性とはがきに表す造形性には、大きな違いがあります。そして何よりも表現の学習に対する生徒の態度や姿勢に、大きな影響を与えているのではなかという危惧があります。
(略)中学生が表現する楽しさを味わうには、表現活動の深まりや広がり、追い求める姿勢などによる充実感が必要です。新しい題材や技法が出会い頭にもたらす楽しさやおもしろさは、充実した楽しさを味わうためのきっかけとはなっても、それだけでは目新しさに飛びつくような一過性の喜びでしかありません。中学生にとっての表現活動の本当の楽しさとは何か問い直す必要がありそうです。

文化の主体者として
このような主体性の発揮しにくい短時間の表現題材以外に、鑑賞の授業展開にも疑問を感じるときがあります。それは、生徒が自らの価値観を育てることよりも、効率よく作品の概要を理解することに重きを置く鑑賞の授業です。従順なよき美術愛好者の育成が美術科の目的ではないはずです。文化や芸術は、それを創造する人とそれを享受し楽しむ人という単純な図式で成立するものではありません。現代において、創造者と鑑賞者、もしくは支援者の関係は一層緊密になっています。そこでは誰かが中心になるというよりも、それぞれが文化の主体者として力を発揮することになります。また、不確定な時代に社会や地域に自信を取り戻すひとつの方法として、文化や芸術の力を再評価する動きも活発になってきました。
一方、多様性はあっても深まりや、広がりそして追及する姿勢を大切にした学習が不十分な中学生が、文化商品のあふれる日常の中で、自らを文化の主体者として意識することは不可能です。窮屈な机の上だけで完結する美術科の学習では、自身と世界との関係性を見出すには無理があります。「私」という主語で独自性を基に明快に表現し、主体性を基に追及する学習を行う教科であること、そして、一人ひとりが文化の主体者としての自負を持てるようにする学習であることこそ、美術科が生徒たちの将来にわたって教科としての責任を果たすことのできる立場だと考えます。私たちは生徒を文化消費者として育ててはいけないのです。
『教育美術』No.774(財)教育美術振興会(2006年12月)より抜粋