遠藤彩音Endo Ayane

作品写真:侃侃諤諤
作品写真:侃侃諤諤
作品写真:侃侃諤諤

侃侃諤諤outspoken

麻紙、岩絵具、箔Hemp paper, mineral pigments, gold leafH1800 × W4550mm

「自分が正しいと思う事を包み隠さずに主張する事」
「都会」で生きる為には、自分の本音とは関係なく主張をし始めなければならない時があります。時折、何もない状態に苦痛や無意味さを感じると意欲や意思を放棄してしまいそうな気持ちになります。そんな混沌とした「都会」という場所が存在として伝承の中に存在しているが、個としての決まった形のない生物である「龍」と共通していると思いました。様々な生き方、考え方を持った人間が集まる「都会」で私達が日々、唸るように生きている様を表現しました。

遠藤彩音

絵具や水の流動性はコントロールしようとするとひどく厄介であるが、素材と行為を意識において表現すると頭の中で作り上げたちっぽけなイメージを超えた表情を作り出してくれる。遠藤の作品から感じるのもイメージを超えた現実である。小さな形体の増殖や描く行為の重なりから始まりの「都市」からのイメージを超えて絵画の魅力に溢れた現実を生み出している。小宇宙という言葉を思い出した。

日本画学科教授 尾長良範

沖綾乃Oki Ayano

作品写真:食卓
作品写真:食卓
作品写真:食卓

食卓Dining

岩絵具、和紙、写真をコラージュMineral pigments, washi, collageH2000 × W2700mm

食卓を囲む家族を描いた。
私が彼らを描いている間も、彼らは生活を送っている。服も料理もいつも同じであるはずはないし、物だって動かしたり片付けたりしてしまう。静物画のモチーフを組むように、それらを固定することはできないのだ。
ドローイングや写真をコラージュしたり剥がすことを繰り返すことによって、家族の生活の痕跡を表現したいと思った。

沖綾乃

食卓に置かれた事物も、周辺に座す家族も、それぞれが途切れ途切れである。しかし、その断片たちは微妙に振動しながら存在のリアリティーを奏でる。
ところどころに生じたすき間は、作者が物質感の強い粗い岩絵具とコラージュで埋めて行く。その作業で壊れかけていた画面の調和が保たれるのだ。実に巧みである。
観る者は、そうした時のかけらを拾い集めながら、忘れかけていた日常をつなぎ合わせてみたくなる。
そしてふと作者のことを思う。作画技術の巧みさと、生きる上での巧みさが一致しないのが、画家の悲しい宿命であり誇りでもあるのだと。

日本画学科教授 山本直彰

落合あやOchiai Aya

作品写真:白露
作品写真:白露
作品写真:白露

白露dew

雲肌麻紙、岩絵具、胡粉、墨Kumohada mashi hemp paper, mineral pigments, chalk, inkH1600 × W3200mm

13年間いた町から引越す日の早朝、散歩に出ました。その時に見たヒマラヤ杉の姿、感じた空気を描きました。もう会えない景色を寂しくおもい、また、愛しくもおもいます。

落合あや

清く澄んだ空気のような、光のような絵である。
作者は2年ほど前のある早朝、このヒマラヤ杉の大樹の葉先のそれぞれに、可憐な白露が宿っている光景に出会ったという。この体験をいつしか絵にと想いつつ、長い時を要したのであろう。その稠密な仕事が心地よく我々の気持ちに沁みてくる。
風や光、水滴や心に触れる自然への感動が時を経て、作者の印象をやっと描けるように向上した描写力を身につけた喜びに満ち、若き画家らしい純な想いが溢れて、我々にその喜びが伝わってくる佳作となった。

日本画学科教授 西田俊英

寺野葉Terano Yo

作品写真:あの衣/この衣/その衣
作品写真:あの衣/この衣/その衣
作品写真:あの衣/この衣/その衣

あの衣Anokoromo

高知麻紙、岩絵具、水干絵具、墨Kochi mashi hemp paper, mineral pigments, dyed mud pigments, inkH1900 × W1620mm

この衣Konokoromo

高知麻紙、岩絵具、水干絵具、墨Kochi mashi hemp paper, mineral pigments, dyed mud pigments, inkH1900 × W1800mm

その衣Sonokoromo

高知麻紙、岩絵具、水干絵具、墨Kochi mashi hemp paper, mineral pigments, dyed mud pigments, inkH1900 × W1620mm

帰省した際に地元の街並みが幼い時と変わらずに存在しているとともに、慣れ親しんだ建物がなかったりと変わったところも見受けられて、地元を離れた数年間で変わっていない部分、上京してからいろんな経験をしたことで変わった部分があるなと自分と街が重なって見えたことを祖父母宅をモチーフにして表現しました。

寺野葉

当たり前の様に思っていた「もの」や「こと」が何かの形へと変化してゆくことは、進化とか成長であるのかもしれないが、そこには慶びとともに常に寂しさや侘びしさが付き纏う。
きっと変らぬであろう自我に沿って、何かを失いつつもその代わりに何かを得て人とは人生を前へと歩みを進めるのである。
寺野のこの三部作は、その様なノスタルジックと、そしてフューチャリスティックを現在の自らが感じとったその心の儘に表現をする優れた作品である。
「あの衣」に見られる幼い頃の且ての彼女。「この衣」に見られる此程の彼女。そして、「その衣」に見られるのは未然の彼女であろうか。
次第に成長し老いては形の違う自分。周りは雑草や樹々が生茂りを見せ、時が経ち変化を遂げてゆく自らと自らの環境の物語りを助長している。落ち着いた色合いと、ただ、其々の彼女の目だけが変らぬ意思の強さを魅せて…。
これは、歳若く多感で野心に満ちる卒業制作という今の刻にしか表現出来ない作品である。

日本画学科准教授 岩田壮平