森田奏美

大学院造形研究科版画コース 2005年3月修了パリ賞受賞 2011年度2011年9月-2012年8月入居

写真:森田奏美

現在パリ賞を頂き、Cite Internationale des Artsに入居しています。こちらでの生活もあっという間に半年をむかえようとしています。

私は学生時代から版画制作を中心に活動をしており、パリ留学を希望したのも、歴史に残る有名な工房があったほど版画の盛んな都市であったことが大きな理由の1つでもありました。そのため、シテにも版画工房が併設されており、そこで制作をする予定でいたところ、入居の半年ほど前に工房が閉鎖になるということがわかり、急遽パリ市内で制作のできる工房を探しました。
幸いにも版画制作のできるアトリエの方が受け入れてくださり、現在はそこで制作をしています。

アトリエは女性の作家さんが4人でシェアしています。みなさんとても良くしてくださり、環境が変わり、制作に関する勝手や材料が違ったりで、上手くいかないことについても相談にのってくださいます。昼食もアトリエで一緒に食べる事が多く、これも私には楽しみの一つで、たっぷり時間を取るフランス式?の昼食の間はいろいろな話を聞く事が出来るとても楽しい時間です。この間見たあの展覧会は良かったとか、あの画材屋がセールをやっているとか、こんな面白い事があったとか、シテの自室アトリエで制作しているだけでは体験することができなかった貴重な時間です。

版画工房とシテのアトリエでの制作に加え、最近は週に一日ほどスケッチに出るようにしています。始めは少し緊張しますが、外で描くというのは意外と気持ちが良く、アトリエでの制作とはまた違った面白さがあります。
パリには偉大な巨匠が作品にしているように、絵になる風景がごろごろと存在しています。そんな風景を写真とは違った切り取り方ができるスケッチは絵を描く楽しみの基本かもしれないと思いました。これも環境の変化がもたらしてくれた良い効果かもしれません。

私は学生時代にフランス語を少し勉強していたこともあって、言葉にも興味がありました。生活するのはもちろん、情報を集めたり、シテのアーティストと交流を持つためや、大事なチャンスを生かすためにはどうしても言葉が必要になります。私も充分な語学力があるとは言えませんが、その分会話が通じるととても嬉しいし、こういったコミュニケーションも私にとっては制作と同じくらい興味深いものです。美術留学といえども、言葉は必須。これからも努力の日々です。

生活面で意外にも苦労していることは水です。水道水を飲む事もできますが、こちらの水は硬度が高く、カルキが多いのでそのまま飲むのにはあまり向いていないようです。そのため、飲み水と料理には浄水した水を使うようにしました。
洗濯にも気を使います。しかもこちらの洗濯機はどれも高温で洗うため(低温設定は無し)、縮みとくすみも覚悟が必要です。女性にとっては肌や髪の毛のダメージも気になります。
さらに驚いたことに、絵を描く時にも思った以上に影響が出たという事です。
例えば水彩やガッシュなどの発色も心なしか、違ってみえます。並べて比較した訳ではありませんが、この感覚は不思議なものでした。私は版画制作の際に水で溶いた墨を使用するのですが、始めはなぜいつものように墨が溶けないのかわかりませんでした。いろいろと試した結果、これも水の影響によるものでした。このように、水の違いがさまざまなところに影響をもたらしていることには驚きました。

3月の最終日曜まで冬時間のフランスでは日照時間がとても短く、最近まで朝8時でも真っ暗な状態でした。これは思っていたよりも精神面に影響があるように思います。朝出掛けるときも暗い、陽が出ていてもなんとなくどんよりしている、こんな天気が続くと知らないうちに気分も落ち込んできます。私は気分や健康状態が制作に大きく影響すると思っているので、いつにも増して日々の生活リズムや健康管理、食事に気を配るようになりました。これはフランスに限ったことではありませんが、心身ともに健康であってこその制作、留学だと感じます。

この留学がこれからの自分に大きな影響を与えてくれることは間違いありません。一年間の時間を与えてくださったムサビに感謝しています。

風間真悟(天心)

大学院造形研究科油絵コース 2008年3月修了パリ賞受賞 2011年度2011年4月-2012年3月入居

写真:風間真悟

来年春までパリ賞でCite Internationale des Arts に滞在させて頂いております。 こちらで生活を始めてからの正直な感想ですが、「毎日楽しくて仕方がありません」。今は冬になり夜が長くなりましたが、夏場は21 時まで日が沈まず一日がとても長く感じます。天気もほとんど快晴ばかりで、明日は何をしようかとワクワクして過ごしていたことを思い出します。

来て早々にベネチアビエンナーレに向かう事になり、折角なのでヨーロッパを周遊してから向かうことにしました。もともとパリを拠点にして欧州各地を巡る予定だったので丁度良かったのですが、これが非常に良い経験になりました。パリの歴史からも推測できる様にこの街はヨーロッパの中心に位置し、どこへ行くにも好都合です。
この旅行により各国の状況を知った事で「パリ」もしくは「フランス」をあくまでもEU の中の一国として見られる様になりました。ヨーロッパの各国(特にパリのような大都市)は日本のように隔絶された島国ではなく様々な国と隣接しているため、様々な人種が存在します。さらに私が住むシテには全世界からアーティストが集まるためいろいろな人種、言語、文化が交錯しており、同時にそれらが芸術という共通言語で包括されています。月に1・2度は誰かのコンサートや展示が行われており、非公式なイベントとして毎週月曜日に「Picnic」という交流会(飲み会)が行われています。

絵画、写真、映像、彫刻、現代美術、建築、作曲、演奏、歌手、身体表現、学芸員…。想像してた以上に多様な表現形態をもった方々がおり、国籍、宗教はもちろん、年齢すらも幅広い人間が同じ場所に住んでいることに驚かされます。当然、自ら交流を図る意思があればいくらでも手を広げて行く事が可能です。私はフランス語がほとんど話せない状態で来ましたが、シテの中では英語で十分生活できます。 しかし、一歩外へ出るとフランス語しか通用しないこともよくあるので、どちらも話せるに越したことはありません。

私の作品は主に「巨大な屋外作品」を手がけているため、はじめから自分の望む形で発表はできないと思っていました。このアトリエは住居スペースを考慮しても、平面作品を制作する分には十分なスペースがあります。しかし道具や材料は自分の力で揃える必要がありその調達は日本よりも圧倒的に難しくなります。その上、慣れない土地で生活するだけでかなりの「労力」「時間」「経費」を費やすため1年間で個展ができる程の制作をするのは難しいとも言えます。今までの受賞者はわかりませんが、少なくとも私にとって本当に価値のある発表をするためには、もう2、3年必要でした。つまり、私にとってのパリ賞1年間はその先に続く「きっかけ」を作る為の期間と捉えていました。その成果はまだ明確なものではありませんが、発表形態として効率的なのが「オープンスタジオ」です。
自分の部屋兼アトリエで展示を行い、シテ内外から招待します。短期間しかいられないアーティストにとっては非常に有効で、時期によっては毎週のように誰かが開催していました。実はこのシテ、1~3ヶ月くらいしか滞在できない人がほとんどなので、1年間も滞在できる私たちはとても恵まれているということが住んで初めてわかってきます。

私にはアートの勉強、発表以外にもう一つの目的がありました。私はアーティストであると同時に曹洞宗(禅宗) の僧侶でもあります。布教というわけではありませんが、「禅という言葉がどのように認識されているか」また「40年前に広まったヨーロッパの禅がどのような変化をとげているか」を見聞する目的もあったのです。このためアーティストとしてだけでなく、宗教を通しても多くのフランス人、ヨーロッパ人と知り合うことができました。そして彼らとの交流が、「もう暫くヨーロッパに滞在してみよう」という決心を自分にさせました。こちらに来る前は、何か刺激を得て帰国すればいいぐらいに思っていました。しかし、半年で既に「もう少し滞在したい」と思えた事で、その後の動きも大きく変わったように思います。日本人に大きく欠けている部分として「宗教に対する見解と知識」がありますが、アートに関わる人間にとっても、この先重要になってくるのが「宗教と芸術の関係性」です。この視点を持ちながらこの土地に居続けることが、私にとってだけでなく世界の「芸術」と「宗教」に大きな収穫をもたらすと思っています。

最後に。よく言われることですが、外へ出てはじめて日本を客観的に捉える様になります。そのような視点を持って強く思ったことは「日本人ほど特殊で恵まれた才能のある民族はいない」ということです。私たち日本人はまた、その才能に自ら気付けない性質も同時にもっています。そのお陰で天才的(天然) ともいえる才能が自滅することなく、外部からも守られているとも言えます。しかし、今まではそれで良かったのが現段階の様々な状況において注目され、秘かに期待の目を向けられています。自ら発信する必要はありませんが、その期待に的確に応えられる俯瞰した視点をもってほしいと思います。そして私もそうあり続けたいと思います。
(私が継続してきたことの一つとしてブログがあります。もし興味のある方がいれば覗いてみて下さい。)