新見隆教授のコラム「ゴッドハンドはどこから?」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、7月26日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年7月26日(金)「プロムナード」掲載

ゴッドハンドはどこから?
学芸員の仕事で最も重要なのは、「作品」というブツを運ぶこと。まあ、ハコビ屋さんだ。むろん、単に「運ぶ」だけではなく、そのブツを絵画ならば壁にかける、並べるわけだ。前に書いたが、私は「お前、一体何屋なんや?」と聞かれたら、「展示屋」と答える。「人さまの作品を借りて壁にかける仕事だ」
冗談みたいだが、私はかつて「ゴッドハンド」と言われていた。自画自賛極まるが、本当だ。館長時代、学芸員には収蔵庫に眠っている作品はどんなに名品であっても、それは休憩中で眠っているのだ、だから展示ギャラリーに持ち出して、しかるべき位置に、お隣さん同志も決めて、高さ何センチ、間隔何センチ、細かくミリ単位で決めて、「ココに!」という位置にかける、そして初めて作品本来の「輝き」は発揮されるものだ、と、口を酸っぱくして言ってきた。
それが、世界中回って見てきて、名だたる有名美術館でさえ「できていない」と思える時がある・何故か?簡単なことだ。「見ていない」のである。
それは、こういうことだ。
生涯、作家や美術家を後押しする私ども黒子は、「何の専門だ?」と聞かれたら、それは「見る」ことの専門家である。漢字学の大家、亡き白川静先生は、「見る」とは、本来「視(み)る」であり、崇拝し畏敬する神なるものに対して、人間が跪(ひざまず)いて供物を捧げる形である、と述べられている。かの『初期万葉論』では柿本人麻呂の防人(さきもり)の歌をひかれる。有名な、「天離(あまざか)る、夷(ひな)の長道(ながじ)ゆ恋い来れば、明石の門(と)より 大和島見ゆ」。通説では、これから、九州の北の端で、警備や軍務に当たる。生きて、大和に帰れるかどうか。もう会えるか分からない、恋人や家族が残る大和。それを最後に見るのが、明石の海からだ。古里を最後に見ること。呪的に「魂振(たまふ)る」と万葉人は使った、のだと。
私たちは普段からそうやって、さまざまなモノや景色を見ているだろうか?それが、いきなり美術館にやってきて、見られるようになれるのか?美術館の絵の前で、ジッと目を凝らして、息をこらして見ている人を良く見かけるが、それが、本当に「見ている」ことになるのか。
「見る」とは、モノの真の心の声を聞くことだ。別段、難しいとは私は思わない。よーく見てやって、その声を聞けば、それぞれの作品や絵が、スーッと動いて勝手に自分が置いて欲しい場所で止まってくれる。それだけのことだ。
えーッと?それ、テレパシーじゃないんでしょうか?そう、学生には言われる。
そうだよ、美術大学で造形やっていて、テレパシーぐらいないようじゃ、この先思いやられるなあ。私どもは見えるものを扱い、見えないものを相手にしているんだからね。
まあ、それも鍛錬さ。ずっとやればできるようになる。私とて、母親に連れられて小学校の時に、大原美術館に行ったのがはじめ、ルオーの「呪われた王」を見て、「オー、こりゃあ、本当に呪われとるな」と嘆息。それからは、季節ごと電車に揺られて行くのが楽しみだった。帰りには、近くの国際ホテルの極上ハンバーグステーキにありつける。長じて、中学では、「ちょっと学芸員下手なんじゃないか?この絵は、もうちょっと離してやらんと、あと6センチ」とか、生意気だったからね。鍛錬の歳月だよ、とゴッドハンドはのたもう。


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