令和5年度武蔵野美術大学卒業式典

日時 2024年3月15日(金)
11:00開式(10:30開場)
場所 武蔵野美術大学 鷹の台キャンパス 体育館アリーナ
詳細

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 教員紹介
  • 学位記・卒業証書授与
  • 卒業・修了制作(論文)優秀賞授与
  • 学長式辞 学長 樺山祐和
  • 理事長祝辞 理事長 長澤忠徳
  • 教員祝辞 西田俊英
  • 校友会会長祝辞 萩原幸也
  • 閉式の辞

会場風景

学長式辞

写真:樺山祐和

武蔵野美術大学学長 樺山祐和

本日、ここに卒業生、修了生。
通学課程、造形学部837名。造形構想学部158名。
大学院造形研究科修士課程96名。同博士後期課程3名。
大学院造形構想研究科修士課程50名。同博士後期課程2名。
海外からの留学生185名。
通学課程1,146名、通信教育課程145名、総数1,291名の卒業生、修了生を送り出すことができましたことは、本学、教職員、スタッフ、並びに全ての関係者にとって喜びに耐えないことです。
本当に嬉しく思っております。

また、これまで学生たちを様々にお支えいただいた、ご家族、保護者の方々に、とりましても、お喜び、ひとしおであると、ご推察申し上げます。
本当におめでとうございます。
今、世界は、長いコロナ禍がひと段落したとはいえ、まだまだ行き先の見えない状況が続いております。そして、遠くユーラシアの東での戦禍は、自由とは何かを再び私たちに突きつけております。
そのような時代の中、美術を志す若者たちの背中を押しつづけ、励まし理解してこられた、ご家族、保護者の方々のお気持ちに思いに馳せる時、改めて心から、お祝いをお伝えしたく存じます。
本当に、おめでとうございます。

卒業生、修了生諸君。卒業、修了おめでとう。
皆さんは、武蔵野美術大学という船に乗り込み、今日、この日、卒業、修了という港までやってきました。ここは寄港地です。
それぞれの新しい場所へ旅立つために、武蔵美という船を降りる人、もう少し乗って旅を続ける人。それぞれの新しい旅が始まります。
別の船に乗りかえ海を行く者。ここからは陸路で目的地を目指す者。徒歩でゆっくり行く者。ジェット機を使って行く者。様々な行き方があり、目的地があるでしょう。しかし、旅はこれからも続いて行くのです。

希望を胸に、わくわく、ドキドキしながら本学に入学した数年前、それぞれが大きな期待に胸を膨らませていたはずの1年生は、世界に猛威を振るったコロナ禍により、入学式も行えず、最初の授業が、オンラインという、不慣れと不安に包まれた状況で、始まりました。
クラブ活動、芸術祭といった課外活動を行うことも、できませんでした。
そのような中、私たち教職員、スタッフは、なんとか学びを止めず授業を作り、そして皆さんは、本当に良く授業に、ついて来てくれたと思います。
みんな、本当に、本当に良く頑張りましたね。
それによって失ったものはあったけれど、また、それによって発見したこともあるでしょう。
私たちが場所を同じくし、向き合って作ること、学ぶこと、話すこと、笑うこと、泣く事、怒ること、そんな当たり前の事が、いかに大切であるかを、そして、本当に大切なものは、何気ない日常の中にこそ、隠されているという事を、皆さんは誰よりも知っているはずです。
そのような様々な経験が、これからの人生に、きっと役に立つ時がくると、信じています。

そんな、今までとは違った状況で制作された、君たちの卒業制作、修了制作は、例年に、全く引けを取らない、素晴らしいものになったと思います。
一人一人が心血を注いで作り上げた、すべての作品は、この世界の創造性、クリエイティビティーを少しずつ、押し上げているのです。
それは、私たち人間の想像力、イマジネーションの発露であり、その持続が、私たちの未来を切り開いてゆく、力となるのだと思います。
評価を得た作品も、そうでない作品も、すべての作品が、今、ここにいるすべての者達の、エネルギーの連鎖によって、作られたものです。君たちが作りあげた作品たちは、決して、一人の力のみで作られたものではありません。
君たちを支えてきた家族、友人、スタッフ、教職員、その他、様々な出会いによって、そして、インスピレーションを与えられてきた物、事によって作られたものであるでしょう。
すべての作品が、この、武蔵野美術大学という場において繋がり、響き合い、輝いているのです。
私たちが作り続ける意味は、たとえ評価されることがなくとも、作品が世に出なくとも、ほんの少しでも、私たち人間の作るという営み全体に、熱をもたせ、社会を変えてゆく力になってゆく、ということなのです。
この時代に生きる者の、すべての作るという行為全体が、この時代を表す作品に結びついています。

作るという行為は、美術という枠組みにとどまるものでは、ありません。
生活をつくる。関係を作る。友人を作る。家族を作る。社会を作る。世界を作る。そして未来を作る。私たちの生活そのもの、生きるということが、そのまま作るということに結びついています。
はるか昔、生活とは全てが神事、かみごとでした。
寝ること。食べること。朝日を迎えること。働くこと。愛すること。
全ては、世界に感謝し、祈ることと結びついていました。
ならば、作るという行為は、祈るという行為と深く結びついているものかもしれません。祈りとは世界との対話であり、対話とはコミュニケーションに他なりません。
作るということを通して、この世界を少しでも良きもの、美しきものへと押し上げてゆくこと。
美術の力をこれから行く新しい場所で、自分なりに周りの人々に伝えてゆくこと。それは、今までここで学んだことを、精一杯、実践してゆくことでなされるのです。
私たち美術を志す者には、作るということを、絶え間のない営みとして続け、そして伝えてゆく、人間的使命があるのだと思います。

全ての卒業生、修了生たちに、贈ります。
幸せに、なりなさい。
幸せとは人それぞれの幸せがあるでしょう。
社会的に成功すること。物質的な豊かさを手に入れることも幸せなら、自ら望んで困難に身を投じ、信ずる事に向かってゆく事も、幸せでしょう。
暖かい家庭を作る事も、もちろん幸せです。
しかし、ここで言う幸せとは、「自由である」という事です。
自由とは何か。
それは私たち人間が考え続けて来た深い質問です。

みんなはこの大学において、ファインアート、デザイン、芸術文化を志し、制作、勉学をして来ました。そして、自らの選択と判断で、自由に、それを、行なって来たのです。
武蔵美での学びとは、底流において、自由とは何か知る事であったとも言えるでしょう。
これからの新しいステージにおいて、新しい学びが始まります。
今までの自由が通用しない許容されない事も起こってくるでしょう。しかし、武蔵美で培った自由への意志の種は、みんなの中に既に蒔かれています。これから出会う様々な物事や人々との対話の中で、頑なにならず、柔軟に、そしてしたたかに、大学とは違う新しい自由を手に入れてください。
この大学で学び、この大学で過ごした時間が、特別な時間であったことを、みんなは知ることになるでしょう。
自由とは堰き止められた時に意識され、その意味に気付かされるものです。
これから上手くゆかないことも起こるはずです。しかし困難に直面した時こそ力が試されるのです。
みなさんはムサビで課題を発見し、それをどのように乗り越えて行くかを徹底的に学びました。その学びを社会で活かす時がやってくるのです。

この現代という時代は、私たちにとって、あるいは生命にとって必ずしも優しいものではないでしょう。これからは予測のつかない出来事や想像もできない事が生じてゆく可能性もあるでしょう。
科学技術である量子コンピューターや生成AIの出現と発展によって、様々に未来は予測されている一方で、人間はいまだに争うことについて何一つ克服していません。
そんな先端的科学と人間の欲望、衝動が現生している時を私たちは生きています。
「わからない」時代を生きているのです。
しかし、わからないからこそ強い問いを設定する事ができる。
そんな時代に美術、デザイン、芸術文化はいかに、その力を発揮できるのか。
これからの君たちの「つくる」が、生命の、そして、この惑星の未来にかかっているのです。
みんな、がんばれ!

理事長祝辞

写真:長澤忠徳

学校法人武蔵野美術大学理事長 長澤忠徳

すがすがしく晴れた本当に気持ちの良い朝、2023年度・令和5年度の卒業式は、久しぶりに、卒業生、修了生が一堂に集う式典となりました。
学部卒業生の皆さん、大学院修了生の皆さん、おめでとうございます。

また、学生諸君の勉学を支え、見守ってこられた保護者の皆さま・ご家族の皆さまの喜びもひとしおかと存じます。おめでとうございます。
我が国の美術大学を代表する伝統あるこの武蔵野美術大学に、ご子弟を学ばせていただきましたご理解とご支援に深く感謝し、本日は、映像中継となりますが、学校法人武蔵野美術大学を代表して、心よりお祝いと御礼を申し上げます。

振り返ってみますと、世界的な猛威を振るった新型コロナウイルス感染症の感染急拡大の影響で、今回、卒業の日を迎えた2020年度に入学された学部生の皆さんをお迎えする入学式を開催できませんでした。全国の大学が対応に苦慮しましたが、当時、学長だった私は、入学式を中止するという苦渋の決断をしました。

何よりも、希望に満ちて入学される皆さんが一堂に会し、皆さんを満面の笑顔でお迎えする大切な入学式ができなかったことは、教職員一同も、非常に悔しく残念でなりませんでした。

そして、在学中も、オンライン授業を併用するなど、不自由な状況が続く中で学ぶことを強いることとなりました。ムサビの名物とも言える学生の祭典・芸術祭も、部活やサークル活動も十分にはできない日々が続く中、それでも、皆さんは、困難の中でもピンチをチャンスに変える「創造の持久力」を遺憾なく発揮して、大きく成長し、立派なムサビ生であったことは、ムサビにとっての救いであり、私たち教職員の大きな喜びでもあります。
そして、何よりもこの「折れずにしなって、困難を乗り越えた体験」は、皆さんのこれからの人生の自信になるであろうと思います。

コロナ禍による不自由な日々が続く中でも、決してひるむ事なく本学での学びを全うし、今、門出を迎える皆さんに、今日は、卒業式に理事長として祝辞を贈る機会をいただきましたので、4年前の入学式で、学長として皆さんにお話したかったいくつかの話をさせていただきたいと思います。

さて、2019年に本学は、歴史的な一歩を踏み出しました。新たに創設された造形構想学部には、造形学部から移設された映像学科と、新設されたクリエイティブイノベーション学科がありますが、開設から4年間を経て、昨年度その完成年次を迎え、学部の第一期生が卒業しました。そして、今回は、学部の第二期生が巣立ちます。さらに、3年前に開設された造形構想研究科博士後期課程の第一期生が、優秀な研究成果とともに、めでたく「博士号」を授与されました。

2019年度、造形学部と造形構想学部の2学部制となった本学の新たな教育の挑戦は、コロナ禍を逞しく乗り越え、国内外の教育機関からも注目を集め、とりわけ「創造的思考力を社会へ開く」造形構想学部クリエイティブ・イノベーション学科と大学院クリエイティブ・リーダーシップ・コースの徹底した「社会実装」のプログラムは、我が国のみならず、世界の創造性教育の先駆的モデルとして、すでに、社会的にも大きな影響を及ぼしています。

私は、学長時代も、そして今もなお、創造的人材を育成する大学、つまり「武蔵野美術大学そのもの自体が、創造的でなければならない」と信じています。一歩踏み出せば、きっと何かが変わるからと、「Beyond the rules」を掲げた皆さんの母校ムサビは、これまでも、そしてこれからも、果敢にチャレンジを続け、皆さんの活躍の追い風となり、応援し続ける存在でありたいと願っています。

実は、私も、皆さんを送り出した後、今月末で、定年退職を迎え、本学教員としての卒業を迎えますが、私は学長時代から、毎年の入学式で、「あの遥か彼方に見える水平線に立てるか?」と、創造的な生き方の根幹を支える「果てしないものへの挑戦」と「信じることの重要性」を、繰り返し、学生諸君に問いかけてきました。それは、ムサビに入学して以来、今年で50年目となる私自身への問いかけでもありました。

創造すること、クリエイティブであること、創造という未知への挑戦は、理屈を超えて、矛盾をひと飲みに飲み込んで、「水平線の上に立つ」ことを信じる…ことに似ていると、私は信じているからです。

水平線に向かって漕ぎ出したみなさんの航海は、全く予期せぬコロナ禍という大嵐に襲われ、これまで経験したことのない、不安で、不自由で、非常に困難な日々が続きました。

その間、やむをえず、オンライン授業と対面授業のハイブリッド方式で対応して来ましたが、皆さんには、慣れない授業の仕方と、美大生としての日常に苦労を強いることになりました。「ムサビ生の学びを止めない」ことを誓って、私たち教職員が心配したことは、教育の質を維持するにはどうすれば良いか…、学生諸君が、ちゃんと制作や研究が全うできるか…、ということでした。

しかし、そんな心配を吹き飛ばすかのように、キャンパス全域に展示された卒業研究と作品からは、皆さんの「創造の持久力」の確かな存在を確認することができました。

ものごとを「創造」するには、精神的にも、肉体的にも、長い期間の集中に耐える「持久力」が必要です。「造形すること」も「構想すること」もまた然りです。「持久力は、折れずにしなって事を成し遂げる力」です。
皆さんはコロナ禍という世界規模の困難の中、大変だっただろうと思います。しかし、それは自らの「創造の持久力」を高める鍛錬でもあったのだろうと思います。

コロナ禍という苦境をパワーに変えて挑んだ皆さんの創造への取り組みは、皆さんを「人=人間」として強くしました。今、私は、皆さんの頑張りを大いに褒めたいと思います。この長期にわたる未曾有の困難に直面した中で皆さんが自ら鍛えた「創造の持久力」が、この先の人生で、大いに発揮されると、私は信じています。

もうひとつは、「心の音を聞け!」と言う話です。
皆さんが、クリエイティブな態度で生きていくには、強い意志が欠かせません。想像してみてください「意志」という言葉の「意」という漢字は、「音」と「心」からできています。
自分にしか聞こえない「心の音」を聞き、自分の外に表出すること、あらゆる可能な方法で、自分の「心の音」を自分の内から外へ、表に現す「表現」への修練が、さまざまな体験を通した皆さんの、ここムサビでの学びであったはずです。

だから、自らの「心の音」に耳を傾けてください。それこそが「表現」の根幹をなすものだからです。その内なる「心の音」こそ、皆さんそれぞれの「個性」なのです。どうか、「創造の持久力」を高めることができた自分に自信を持って、しっかりと生き抜いてください。

今、私たちを取り巻く環境と文明は、世界的規模で、大きく、激しく、変化しています。想像を絶する速さで進化する高度情報通信文明の中、一方で、我が国の少子高齢化も深刻さを増してきています。さらには、地球の温暖化はもとより、未だ完全には終息しないコロナ禍に加え、ロシア軍のウクライナ侵攻、そしてパレスチナでも戦いが起こり、多くの犠牲者が増え続ける悲惨な状況が今もなお続き、「この地球上で生きること」自体の「安全・安心」が脅かされる難題が山積し、増え続けています。

なによりも、生命の尊さを第一義に、私たちは、世界の平和と安全を希求し、傷ついてしまった世界を、望ましい姿に再生していかなければなりません。美術・デザイン、そして創造の世界に生きる私たちは、今こそしっかりと「心の音」を聞き、クリエイティブなパワー「創造的思考力」を存分に発揮して、世界の再生に貢献すべきだと思います。

「教養を有する美術家養成」「真に人間的自由に達するような美術教育」という本学の理念のもと、その修練の日常を通して、本学に学んだ卒業生の皆さんは、これから、クリエーターとして、また、イノベーターとして、社会の一翼を担い、鍛えた「創造の持久力」を存分に発揮し、さらに高めて、「平和な世界の新たなる構築に挑んでいただきたい」と、心から願い、期待しています。

ムサビでの日常でいっぱい浴びたであろう「ムサビらしさ」、言い換えれば、「ムサビ菌」を世界に広め、大いに貢献してください。

2029年に、ムサビは創立100周年を迎えます。ムサビ一世紀の節目は、その先の更なる一世紀へ夢をつなぐ「祝祭の年」にしたいと思っています。
ムサビを巣立っても、決して母校を忘れないで、いつでも戻ってきてください、折に触れて、「ムサビ菌」を活性化させに、ムサビに来てください。

大学生という人生の学びのひと区切りとして、今日、この武蔵野美術大学から更なる「水平線への航海」に旅立つ皆さんの大活躍を信じています。

最後に、もう一度、ここに集う卒業生・修了生の皆さんに、そして、皆さんを支え応援し続けてくださった保護者の皆様に、お祝いと感謝のエールを贈ります。「おめでとうございます!」

教員祝辞

写真:西田俊英

武蔵野美術大学 日本画学科教授
西田俊英

こんにちは。日本画の西田俊英です。
学長 理事長お二人の先生の立派な挨拶の後で、教員代表で何か贈る言葉をと言われたときに、前もってテキストを事務局の方に出してくださいとお願いされましたが、そのような立派なことは言えそうにないし、また書けそうになかったので、今日は皆さんの顔を一人一人見ながら心を込めて喋りますので、どうかよろしくお願いいたします。

卒業おめでとうございます。
去年の芸術祭が行われたころ、僕は同じ時期に美術館で「不死鳥」というタイトルの退任展をさせていただきました。大空に不死鳥が飛んで行ったり、屋久島の一滴の水から森の物語が始まり、妖精まで描いた長大な絵です。
一昨年に授業を1年間休ませていただいて、屋久島に家を借りて移住しておりました。朝、リュックを担いで、山に登り、深い森をスケッチしては夕方帰ってきて、今度は借りていた家(アトリエ)で大きなパネルの本画の画面に昼間見てきたものを写生を元に描いていきました。
僕も武蔵野美術大学の卒業生です。僕が大学の時に卒業制作で描いた絵は、決して納得いくものではありませんでした。今回の退任展は、僕の二度目の卒業制作をするつもりでやりました。また発表させていただく時期が10月から11月だったので、4年生、大学院の人がちょうど、熱がこもって制作の峠を迎えているころだと思ったので、その為にエールを送りたかったので描きました。

僕の好きな1曲に、中島みゆきさんの「狼になりたい」という曲があります。
好きというより心に残っている曲です。彼女の初期の楽曲ですので、今の若い皆さんはご存じない方もいらっしゃるかわかりません。あとで調べてみてください。
ちょっと歌いますから、笑わないでください。
「夜明け間際の吉野家では、、、」ここから始まる歌です。皆さんも吉野家で1度や2度食べたことがあると思います。僕も予備校のころ、深夜にガソリンスタンドでバイトをしていて、バイト明けの朝、朝食代わりによく吉野家に行っていました。そして、このみゆきさんの曲は、そのあと「兄ィ、俺の分はやく作れよ そいつよりこっちのが先だぜ」と進みます。歌がへたでごめんなさい。
あの、食い物の順番って大事ですよね。ちょっと、俺の方が先だったのにと思いながらなんかその場で言い出しにくくて、皆さんもそうだと思います。優しい心でちょっと我慢したりして、追い抜かれても。でも、皆さんがこれから卒業して、世の中に出たときに追い抜かれていくことっていっぱいあると思います。
人生をかけて、自分の画を世に知らしめるつもりで、半年ぐらいかかって描いて、ヨシ!これぞってのをコンクールに出したのに、卒業したての若いやつにあっさり賞を持っていかれて…
また、会社に勤めて事務職をされる人もいらっしゃるでしょう。夜遅くまで残業して会社のために尽くしているのに、夕方からディスコとかクラブに通って踊りまくっている奴が先に管理職になったりして、理不尽なことは多々あると思います。僕もいろんな追い越され方を経験してきた気がします。
そして、やがて皆さんも家庭を持つこともあると思います。周りの空気を読んで、かき乱さないように生き抜いて、言いたいことも我慢して、言葉を殺して我慢して我慢してやっと安定して、でも人生これでよかったのかなって?やりたいこともあったんじゃないかなと思う時が皆さんにもくる気がします。本当の自分のやりたかったことって何なのだろうと振り返る時があると思います。
中島みゆきさんのこの歌のサビの部分で、こう彼女は言っています。
「狼になりたい 狼になりたい ただ一度」。日本ではもう狼は滅んでしまいました。絶滅危惧種です。ひょっとしたら、狼になりたいっていうのは果たせない夢のようなものかもしれません。でも、ちょっとでも、私の本当のやりたかったことが何かあったんじゃないかな、忘れてきてしまったんじゃないかな、何か一生懸命生きているのに、何か満たされてないと思う時、それが30代、40代、50代、60代のいつ頃か、そういうふうに自分の人生を一回振り返る時が来るかもしれません。
その時に、たぶん他人からそんな冒険のようなことやっていたらだめだよ。失敗するよ。無難にやってきたのだから、そのまま行けよっていう風に言われる、嗜められることもあるかと思います。
皆さんがこれから人生を生き抜いていく中で、昔にそういえば、ムサビの教員でへたくそな歌だったけど、狼になりたいなんて変な贈る言葉を言っていた人がいたなぁと 思い出すことがあったら、そして自分の生き方の中で、忘れていることがあるんじゃないかと気付いた人は、失敗を恐れずにどうぞ、やってみてくだい。

それが、僕にとって 何か忘れてきてしまった自分をもう1回やりたかったのが、あの大作を描いた「不死鳥」でした。

この話しを皆さんがいつか思い出してくださって、自分も一度やってみようかなと思ったら、どうぞ失敗することを恐れず勇気と希望をもってやってください。しかし、我慢して我慢して、考えに考え抜いて、そこに踏みとどまるという考えもまた勇気に値することだと思います。どちらの人生にするか1人ずつが、これから1人ずつ違うと思いますので、その中で考えてください。
僕が美術館で絵を展示したときは、44mぐらい仕上げて展示しました。まだ実は50mぐらい残っています。100mを描いてゴールにしたいと思っています。あと1年も2年も描くのに多分かかると思います。必ずやり遂げますので、またそんなとき機会がありましたら、皆さん観てください。
皆さんお元気で。
皆さんに幸あらんことを教員一同願っております。

卒業おめでとうございます!

校友会会長祝辞

写真:萩原幸也

武蔵野美術大学校友会会長 萩原幸也

武蔵野美術大学校友会、会長の萩原幸也です。
本日、ご卒業を迎えられた皆さま、これまで学生を支えて来られた保護者、ご家族の皆さま、大学教職員、スタッフの皆さまに、心よりお祝い申し上げます。

今日卒業を迎えられた皆さまの学生生活は、コロナ渦の中でありました。
大きな不安を抱え、大変な状況を多く経験されてきたことと思います。
しかし、皆さんは、そうした状況を乗り越え、今日この時を迎えられたのです。
これまで誰もが経験をしていなかった事であり、大きな意味がある事だと考えます。

保護者の皆様、大学教職員の皆さまにも大変なご苦労があったかと思います。そのご功労に対し、改めて敬意を表したいと存じます。

武蔵野美術大学校友会は、武蔵野美術大学の卒業生が所属する同窓会です。
今年で91周年を迎え、現在75,140名の会員で構成されています。
本日、新たに1,291名の校友を迎え入れられましたこと、大変喜ばしく思います。

校友会は、卒業年度や学科を超えて、校友の親睦と情報交換、社会への貢献および、会員への支援を主軸に活動をしています。また、芸術祭への後援や、奨学金制度など、在校生への支援も行っております。市ヶ谷キャンパス内にある、Co-Creation Space -Ma-の運営も一部になっています。卒業後、校友と出会う機会は多くありませんので、是非ご活用ください。

ここで、少しだけ私の話をさせていただきます。
現在企業で働きながら、並行して武蔵野美術大でも、社会人の創造性学習プログラムの立ち上げなどいくつかのプロジェクトに関わっています。

私は、2006年にデザイン情報学科を卒業しました。デザイン情報学科の4期生にあたります。当時より、長澤理事長には教授と学生として、お世話になりました。

学生時代の私は、芸術祭の執行部を3年、その中で実行委員長も務めました。在学中の大半を芸術祭に費やしたと言って良いと思います。
この中で、多くのことを学びました。パンフレットや装飾物などの目に見える制作物だけではなく、執行部という組織のデザイン、来場者と各催しを結びつけるナビゲーションなど、その全てがデザインであり、私にとってのクリエイティビティの発揮場所でありました。その延長線上に現在の仕事があると言えます。

しかしながら、私が学生時代を学びに溢れた時間であったと振り返れるようになったのはつい最近の事です。
芸術祭に捧げた時間は、誇りであると共に、学びの時間を制限してしまったのではないかという後悔もありました。

ある時、ムサビの教育理念に「真に人間的自由に達するような美術教育」という言葉があることを知りました。卒業から10年以上たち、この言葉により、私の学生時代を肯定できるようになったのです。そうか、私はあの時間の中で「人間的自由」を得ていたのだと。

みなさんは、どのような学生時代を過ごされましたか?そして、今後どのような人生を歩まれますか?きっとそれは、みなさん自身でも不確かな事なのです。

しかし、これまで自分自身の過ごされた年月に対し、自信と矜持を持つことだけは、忘れないでください。皆さんが見てきたもの、経験した事全てが、これからの創造性に繋がっているのです。

卒業生1,291名、校友会総勢7万人。皆さんはこの数字をどう見ますでしょうか?規模の大きな大学では毎年1万人が卒業し、日本全体では今年、約55万人が大学を卒業します。皆さんは、とても希少なのです。

AIの発展により私たちの仕事のあり方が変わっていくことも確かです。
しかし、AIも道具に過ぎません、それを扱うのは人間です。
これから先、皆さんが社会で触れる全てに、人間のクリエイティビティ、創造性は、必ず、より必要になります。

そして、これからも私たちの創造性を止めることは、何者にもでき無いのです。

皆さんの創造性を信じ続けてください。
その先に、真に人間たる自由と、そして真に人間たる社会が形作られるはずです。

もしも、今後、困ったことがあれば、是非校友を頼ってください。
いつでもお待ちしています。

本日はあらためまして、ご卒業おめでとうございました。