前田恭二

前田恭二(まえだ・きょうじ)
MAEDA Kyoji

専門
日本近現代美術史
Japanese art history, especially in modern period
所属
美学美術史
History of Art and Design
職位
教授
Professor
略歴
2021年4月着任
1964年山口県生まれ
東京大学文学部美術史学科卒業
学位:学士(文学)
研究テーマ
研究テーマ/文学・文化史を視野に収めた日本の近現代美術史研究。社会における美術の位置に関する考察など。

単著として『やさしく読み解く日本絵画 雪舟から広重まで』新潮社 とんぼの本 '03年8月。『絵のように 明治文学と美術』白水社 '14年9月。同書で、第65回芸術選奨文部科学大臣新人賞(評論その他部門)。'20年度に発表した論考に次の2編がある。谷崎潤一郎作、水島爾保布挿絵『人魚の嘆き・魔術師』復刻版への解説(春陽堂書店、原著は1919年、復刻版は2020年12月)、「『よみうり抄』と『鐘が鳴る』 文芸記者・加藤謙のこと」(「日本近代文学館年誌-資料探索」16、'21年3月)。

After studying art history at faculty of literature, Tokyo University in 1987, Kyoji Maeda got into the Yomiuri Shimbun, having the largest newspaper circulation in the world. While working mainly for the cultural news department, he built his careers as an art journalist and independent researcher. His main work is “E no Youni (As is Painting): Literature and Art in the Meiji Period” (Hakusui-sha, 2014). By exploring the interaction between various figures with deep and complicated emotions, Maeda earned Geijutsu Sensho Shinjin-sho (Agency for Cultural Affairs Award for New Artists) . In 2021, Maeda left the Yomiuri News, is now writing the new book; biography of Niou Mizushima (1884‐1958), half-forgotten but remarkable painter and columnist.


バックグラウンド

美術に対する関心は個人的な経験を通じて形成され、方向づけられるのだろう。私の場合、端緒は1970~80年代、地方に公立美術館がつくられ、足しげく通った少年時代にさかのぼる。次いで東京大学美術史学科に進学したのち、1987年4月に入社し、2020年3月まで在籍した読売新聞においても、ジャーナリストとして美術に関わってきた。
そのなかで特別な重みをもつ経験を言うなら、ふたつあげられる。ひとつは美術史の学生として、すぐれた識見をもつ教授陣・先輩に接したこと、もうひとつは新聞記者として、美術史学の成り立ちを再検討する1990年前後の研究動向に遭遇したことである。記者としての取材活動のかたわらで、リサーチと著述活動をつづけてきたのは、これらの経験に触発されてのことと言える。
美術史学科では、仏教彫刻の実地の調査と手堅い論理構築のトレーニングに目を開かされた。さらに中国絵画史の戸田禎佑教授(当時)の指導により、作品を熟視し、なおかつ自由に発想を広げること、すなわち、しなやかに眼と頭を連動させる営為の意義、その楽しさを学んだ。
また、新聞記者として、少しずつ美術分野の取材をはじめたのは、北澤憲昭著『眼の神殿』、木下直之著『美術という見世物』、佐藤道信著『明治国家と近代美術』といった重要な著作が陸続として公刊された時期だった。それまで自明のものと受け取っていた美術制度や美術史の枠組みそのものを問い直す研究者たちの着想、問題提起の射程には、大きな刺激を受けることとなった。

これまでの著書 Ⅰ

最初の著書である『やさしく読み解く日本絵画 雪舟から広重まで』(新潮社・とんぼの本、2003年8月)は、もともと読売新聞日曜版「絵と人のものがたり」の連載だった。多くは近世の著名な画家について、作品画像を掲げながら、ひとり数回で取り上げるスタイルである。取り上げたのは、副題に言う雪舟と歌川広重に加え、狩野永徳、長谷川等伯、俵屋宗達、尾形光琳、英一蝶、池大雅、円山応挙、伊藤若冲、葛飾北斎の11人である。
連載の担当者としては、良質な日本美術へのイントロダクションを読者に提供するとともに、近年の研究動向を反映することをめざした。当該の画家に関する論文をリサーチし、注目すべき新史料や、従来の作家・作品観を更新する見解を提示している研究者たちに対し、取材を行った。あわせて、みずから可能な範囲で史料にあたり、独自の指摘を盛り込んでいる。
この作業は、新しい学術動向を報じるジャーナリズムの使命に即したものであり、同時に、学生時代に触れえた美術史学のトレーニングの、ささやかな実践でもあった。その恩恵を受けたものとしては、古美術の世界に流布する俗説に乗じることなく、アカデミズムの成果をジャーナリズムへ接続することも意識したのである。なお、書籍化にあたり、大幅に加筆・改稿している。

これまでの著書 Ⅱ

それとは異なり、二番目の著書『絵のように 明治文学と美術』(白水社、2014年9月)は、記者活動とは別個に、もっぱら文献リサーチによって書きあげた著作である。とはいえ、最初のヒントは新聞社内の雑談から生まれた、読書ガイド風の記事にさかのぼる。
雑談の話題は、小説の小道具としての「カレー」だった。そこでカレーの出てくる近現代の小説を拾い、作中のコンテクストを確かめてみると、意外なほどに「家族」というテーマに関連していた。書き手と読者が暗黙裡に共有する料理のイメージを、図らずも照らし出すようだった。この記事におけるカレーを「美術」に置き換えたのが、上記の著作と言っても過言ではない。また、具体的に明治期を対象に選んだのは、既述の通り、1990年前後における近代美術史研究の成果に触発され、興味を持っていたからにほかならない。
本書においては、あらかじめテーマを設定せず、研究の手順/プログラムを先に設定し、そのプログラムに沿って、作業を進行させた。具体的にはまず、筑摩書房版『現代日本文学全集』(1953-59年)を文献リサーチのフィールドとして仮設し、何かしら美術に関係する語句や文章があれば、オートマチックに抜き書きする作業を行った。2番目に、頻出する固有名詞や定型的な比喩などに即し、量的にはそれなりの規模に達した抜き書きの分類を試みた。この結果として、日本近代文学と美術の関係において、何が文学者たちの関心事であったのかが浮上してきた。そこから自身の著作のテーマを選びだし、各テーマに沿って、通常のリサーチをかけ直した。少々変わった手法であるかもしれないが、研究テーマの客観性を担保できるメリットはあっただろう。
たとえば第1章「温泉のボッティチェルリ」は、明治22年(1889年)に山田美妙が発表した小説「蝴蝶」をめぐる論争をテーマとする。むろん日本近代における裸体画問題の嚆矢であり、一定の研究が蓄積されてはいたが、上記の抜き書き作業を通じて、裸体画をはじめとする女性表象の問題性や、倫理的な正当化の諸相を把握できていた。その見通しのもとに、論争の経過を丁寧にたどり直したところ、その起点がほとんど見落とされていた地方紙の記事であったことが判明した。そこに示された「対面性」「公然性」がまさに論争の焦点でもあった。のみならず、当時の言説空間のありよう、近代小説成立期における作中視点の設定、何よりも西洋的な美術概念の移入が絵画に対するまなざしの質を動揺させるものであったことなどを、本章において論述した。
以降の章では、文化財概念の成立、博覧会と洋画、写生をめぐる諸問題、黒田清輝と洋画新派、骨董や浮世絵などのテーマを扱い、明治末葉、美術における文部省美術展覧会の開設と、文学における自然主義的思潮の展開をクロスさせた最終章へ至る。本書は、美術と文学をめぐる比較文化の書物としても読まれうるだろう。同時に、方法論として意識していたことは、日本近代における活字史料、ことに大きな比重を占める文学者たちの書き物を、近代美術研究に活用できるかどうか、つまり史料的拡張の可能性である。この点は本学において、引き続き探求したいと考えている。

現在の研究テーマ

上記『絵のように』は幸いにして、芸術選奨文部科学大臣新人賞を得たが、この数年、主に取り組んできたのは、画家・雑文家であった水島爾保布(1884-1958年)の評伝である。
谷崎潤一郎と組んだ挿絵本『人魚の嘆き・魔術師』(1919年)によって、ビアズリー風の耽美派画家として知られ、そのほかには、大正前半期の前衛グループ「行樹社」の創立メンバーであったことや、関東大震災を記録した画文の仕事がわずかに言及される程度だった人物である。もっとも、その活躍期は明治・大正・昭和の三代にわたり、なおかつ展覧会等での発表以上に、出版メディアに膨大な画文を残している。実のところ、水島に興味をもったのは、画家として「行樹社」に拠ったころ、文筆活動を行った同人雑誌「モザイク」における散文の質に一驚を喫したからである。
爾来、図書館や文学館、古書市場等で披見可能な史料を収集するうちに、判明してきたことは、雑文と呼ぶしかない漫画漫文や時事的コラム等の量と、自己韜晦に覆い隠された博識さ、圧倒されるような知性である。もとより画家としても、文壇的にも、成功した人物とは言いがたい。こうした人物は細分化したディシプリンによっては捕捉しえず、研究対象になじみにくいのだろう。しかしながら、水島の軌跡をたどることで得られるものは少なくない。たとえば、画壇においては成功しえなかった画家たちの生活誌である。彼らはいかなる形で食いつないでいたのか。膨大な書きものがあり、つぶさに動静を把握できる水島の生涯は、興味深い実例となる。ほかにも新聞漫画の誕生、児童文学の隆盛といった出版ジャーナリズムのできごとを再考する契機を与えてくれる。
こうした水島に関するリサーチの延長線上に、2020年度にはふたつの論考を発表した。
ひとつは『人魚の嘆き・魔術師』復刻版に寄稿した解説である。挿絵本の成立事情について、新聞史料等も駆使しながら精査し、その作業の結果として、京劇の名優であった梅蘭芳の来日とシノワズリーの高まりが作用していることを明らかにした。
もう一編は、日本近代文学館の紀要「年誌16」に執筆した「『よみうり抄』と『鐘が鳴る』 文芸記者・加藤謙のこと」。加藤謙は大正時代の読売新聞に在籍した文芸記者である。ほとんど逸名の人物だが、水島に関するリサーチの圏内に入っていた。加藤は武林無想庵に親炙し、その無想庵と水島は同人誌「モザイク」で出会い、友人関係にあったからである。本稿では、読売新聞および自身の雑誌「鐘が鳴る」を通じて、文学者のふところに入り込み、黒子として、その結びつきを支え、強化した軌跡をたどり、大正期の文芸記者と新聞文芸欄の具体像を検証したところである。

講義の方針について

同時代の美術環境を捉え直す上で、近現代の美術史は避けて通れない。地続きだからである。講義においては、その地続き性を基本として、かつての美術家たちがどんな課題に直面し、いかなる作品を残したのか、みずから分析できるよう、一般的な教養と思考のツールを提示する。また、明治・大正期に遡行しながら、社会における美術の位置を検討する。そのことを通じ、現代社会における美術のありようを捉え直す視点を獲得してもらいたい。あわせて活字メディアが発達した近代における資料探索の可能性についても、研究手法上の課題と捉え、試行を進める。