パリ国際芸術都市アトリエ(フランス)

1965年にフランス政府とパリ市の援助で開設された「国際芸術都市」の中に、本学が使用権を持つ2つのアトリエがあります。
パリの中心、シテ島に臨むセーヌ川沿いに位置し、市内それぞれの文化施設への便がよいばかりではなく、ヨーロッパ各地への研究旅行にも絶好の拠点となっています。またここには世界約40カ国からさまざまなジャンルの芸術家が集まり、創作・研究を展開する環境としても恵まれています。
本学では、武蔵野美術大学パリ賞を創設し、毎年、受賞者2名を「国際芸術都市」アトリエへ派遣しています。

沿革

国際芸術都市は、民間建造物・国有宮殿総監であるフェリックス・ブリュノー氏、学士院会員で国立高等美術学校名誉学長であるポール・レオン氏、フィンランドの画家エロ・ドウ・スネルマン氏の発案によるものである。
1957年に、フランス政府とパリ市が、このプロジェクトに関心を示した。パリ市からは、ノナン・ディエール通りとポン・ルイ・フィリップ通りの間に位置し、オテル・ド・ヴィル岸通りに面する広大で見事な敷地(15,000平方メートル以上)の譲渡と、助成金の申し出があり、フランス政府の方では、2年連続して国家予算に特別費が計上された。フェリックス・ブリュノー氏が理事長を務めるこの国際芸術都市財団は、1957年9月14日に公益法人として認可された。

これにより同財団理事会が、活動計画、資金調達の方法、寄付行為の形態、内規などの詳細の本格的検討段階に入った。計画が鮮明になったことから、おのずと建設物の性格、配置が最終的に固まってきた。

  1. オテル・ド・ヴィル岸とオテル・ド・ヴィル通りに沿った近代的ビル一棟と、改修された小さめの建物二棟には、約180戸のアパートメント(各戸アトリエ、寝室、浴室、小キッチン付き)、大展示場、講堂、共同アトリエが入ることになった。
  2. パリ市より、モンマルトルの丘に残る大庭園の敷地内にある、シテ・ノルヴァンとヴィラ・ドユラデといった約30戸のアトリエが、財団のために提供された。
  3. 今後数ヵ年の間に、オテル・ド・ヴィル岸通りとジョフロワ・ラニエ通りにある他の建物も修復される予定となっている。またジョフロワ・ラニエ通りの空き地には、新たに建物が1つ建てられることになっている。これらの工事が完了すれば、使用できるアトリエの数は約350となる。

建築家ポール・トゥルノン氏

国際芸術都市の建築家としては、学士院会員であると同時に、国際芸術都市の敷地が位置する地区の歴史的景観修復責任者でもあったポール・トゥルノン氏が指名され、その補佐として、ローマ大賞グランプリ受賞者のクレマン=オリヴイエ・カクー氏が指名された。
両氏による設計図が、美術アカデミーの終身書記であるルイ・オートクール氏が議長を務める建築委員会により検討、討議された結果、国際芸術都市財団の理事会において可決されるに至った。
1960年10月大蔵大臣により、財団に対する免税の特例措置が承認された。
11月にはセーヌ県知事により、建設許可が下された。その結果1961年の5月から、第一期工事が始まった。こうして国際芸術都市が誕生したのである。
それと同時に、国の内外を問わず、財団への協力を希望する個人あるいは法人を募るために、「国際芸術都市友の会」が設立され、諸外国に対して、国際芸術都市の立ち上げへの参加を呼びかけた。

国際芸術都市について

国際芸術都市は、まさに国際的なものである。コミュニケーションの物理的手段および、知的・芸術的交流が世界規模で発展し、地球上全体に、数々の理論構成方法、物の見方、感じ方、反応の方法がまたたく間に拡散するこの時代においては、国際的であることが是非とも必要である。
多くの国や、地方、都市、団体、メセナが、私署証書作成という手続きを踏んで、寄付に協力をしてくれた。この寄付により、寄付者は国際芸術都市のアトリエ使用権を取得することになり、財団の規則を尊重しつつ、自ら選定した芸術家にそのアトリエを使用させることができるのである。
1965年7月以来、すでに名声を得ている巨匠であるか腕に磨きをかけたい若い芸術家であるなしを問わず、国際芸術都市は、彫刻家、画家、版画家、建築家、音楽家、演出家、映画監督、舞踏家、振付師など、いかなる例外も設けず、あらゆる芸術部門の人々に門戸を開放している。

入居について

国際芸術都市の入居者は、暖房、電気、給湯、クリーニング、ピアノ調律などにかかった実費の一部を負担するのみでよい。
アトリエ入居者が提出する入居申請書は、入居審査委員会に諮った上で、財団が承認をする。財団に所属するアトリエ分については、財団宛に直接入居申請書が送付されることになっているので、その中から同入居審査委員会が選定する。
開設以来国際芸術都市は、70カ国からの2500人を超える芸術家を受け入れてきた。滞在期間は2ヵ月以上2年以下であるが、平均滞在期間は1年となっている。
財団が自ら保有しているアトリエには、今までアトリエ寄贈の申し出がなかった国々の芸術家を入居させるようにしている。
国際芸術都市プロジェクトにとって、パリのこの歴史的地区ほど、設置場所としてうってつけの場所はない。

周辺環境について

この地区の歴史は古く、すでに中世末の時点から発展を遂げた一角であり、現在その歴史的景観を残すべく、大規模修復工事が行われている。国際芸術都市の建物は、その質素な趣で周囲に自然に溶け込んでいる上、実に由緒ある建造物と隣り合わせという恵まれた環境の中にある。
東側はサンス館がそそり立ち、北側は一般公開されている庭園が、オーモン館の前にまで広がっている。ほど近いところには、ボーヴェ館、シャロン=リュクセンブール館、サン・ジェルヴェ教会、サン・ポール教会、パリ市役所、アルスナル図書館、国立古文書、現在はピカソ美術館となったサレ館、ポンピドゥ・センターが立ち並んでいる。財団の建物は、セーヌ河岸に沿って連なり、ちょうどサン・ルイ島と向き合う形となっている。

設立後の願い

設立に当たって国際芸術都市の発案者の面々は、先達にならって、いかなる主義や形式の押しつけも望まなかった。パリが常に、芸術家達への自由なインスピレーションを与える特別の場所たらんと願う古き伝統に従った次第である。