江田澄香
彫刻学科 パリ国立高等美術学校 2026年1月〜2026年6月派遣

もしこの留学に題名をつけるとしたら、「めげるな!ゴリ押しで行け ~in パリ~」です。
留学前の私は不安でいっぱいでした。友達はできるのか、授業についていけるのか、そもそも一人で生活できるのか。生まれてからずっと親元でぬくぬく暮らしていた私にとって、半年間も外国で一人暮らしをすることへの緊張は想像以上でした。しかし昔から密かに抱いていた留学への強い憧れが私の背中を強く押してくれました。
ボザールでは、学生一人ひとりが主体的に制作に取り組み、教授と作品について率直に議論する環境がありました。私はモザイク工房で制作し、日本ではあまり触れる機会のない技法や、なぜその表現を選ぶのかという制作への向き合い方を学びました。
一方で、順調なことばかりではありませんでした。むしろ私は上手くいったことよりも、「めげるな!ゴリ押しで行け」という考え方に至った2つのエピソードを伝えたいです。
まず一つ目は留学の初めの2月頃でした。希望していた教授のアトリエに入りたくて、丹精込めたメールを送ったものの、丁重にお断りされ、アトリエに入るどころか面接のアポイントすら取らせてもらえませんでした。けれど私はどうしても諦めきれず、せめて面接だけでもと食い下がりました。ゴリ押しです。すると面接の機会はいただけたものの、結果はまた不合格。それでも私は納得できませんでした。数日後、友人に誘われてギャラリー巡りへ行くと、その教授と再会しました。そこで思い切って話しかけに行きました。2度目のゴリ押しです。すると教授は少し困ったように笑いながら話を聞いてくれ、最終的にはアトリエへの所属を認めてくださいました。この経験から学んだのは、一度や二度断られたからといって終わりではないということです。もちろん何でも押し通せばいいわけではありませんが、本当にやりたいことなら、自分の思いを伝え続ける勇気と泥臭さも必要なのだと実感しました。
二つ目は、留学の終わりに近づいた5月末でした。就職活動で必要な書類を郵便局から日本へ送りました。しかし一週間後、その書類は機械の読み取りミスで私の元へ戻って来てしまいました。神経も張りつめていた中、焦りと悔しさでいっぱいになり、母へ泣きながらメッセージを送りました。すると母が、伯母の旧友のフランス人の方を紹介してくれました。その方は郵便局へ一緒について来て、必死に私の事情を説明して交渉してくださいました。おかげで書類は無事に日本へ届けられました。さらにその方は6月の間ずっと、私をフランス各地へ連れ出してくださり、観光地だけではない現地ならではの文化や暮らしに触れることができました。もしあの書類が戻ってこなければ、この出会いもありませんでした。最悪の出来事が、留学生活で最も大切な思い出をつくるきっかけに姿を変えたのです。
留学を通して最も大きく変わったのは、行動力です。私はもともと一人で過ごすことが好きで、自分から誰かに積極的に話しかけるタイプではなく、新しいコミュニティに飛び込むのは面倒くさいと思っていました。しかし留学中は、せっかくの留学だし少しでも新しい経験ができそうと思った誘いにはできるだけ参加するように心掛けました。すると、上記のエピソードのような思いがけない出来事が起こり、新しいコミュニティに飛び込むことの大切さを思い知らされました。
留学前は失敗したらどうしようということばかり考えていましたが、実際に行ってみると未来は誰にも分からないものだと実感しました。思い描いていた通りに進むこともあれば、予想外の出来事から新しい道が開けることもあります。一つの選択だけで人生が決まるわけではありません。だからこそ、やりたいと思ったことには勇気を出して挑戦してみることが大切なのだと思います。
これから留学を目指される方へ。めげるな!ゴリ押しで行け!
増田陽月
空間演出デザイン学科 ベルリン芸術大学 芸術学部 2025年9月〜2026年3月派遣

ベルリンに降り立ったその日に、まずはベットカバーや食器、最低限の日用品を買いに出かけました。日本から持ってきた荷物は大きなキャリーケース一つだけ。寮に着いたはいいものの、明日朝ごはんを盛るためのお皿もない。今まで地続きだった自分の生活がここでプツン、と一度途切れ、今日からまた、0から自分で作る。IKEAまでの道のりを歩きながら、景色が移り変わるごとに、自分がたくましくなっていくような気がしました。
ベルリン芸術大学(Udk)の授業では、ワークショップやフィールドワークなど、なるべく手や体を動かして経験できるものを選択していました。言語が不十分だったこともあるし、UdKにしかない制作設備や、周辺にある自然や環境そのものに関心があったからです。中でも「Holz im Kontext:木と木材のフィールドワーク」と「Papier werkstatt:紙と製本のワークショップ」は、毎週授業におもむくたびに新しい技法や景色との出会いがあり、先生や学生との会話もぎこちないながら楽しく、心が弾む時間でした。木材のフィールドワークでは、木を扱うアーティストの工房を訪問したり、木の伐採の現場でワークショップをしたり。伐採の現場では、真冬の雪の中、枯れ葉と雪を踏みしめて、森の中を散策。伐採する木をどうやって選ぶか体験し、実際に伐採する瞬間にも立ち会いました。幼い頃から自然に慣れ親しんで育ってきたものの、異国の森や植物は今まで触れてきたものとは全く違うオーラを放っており、見るもの全てが新鮮。その日は最後に1人1つ、胡桃の実を森の地面に植え、その場を後にしました。
ベルリンでの住環境は、各国から集まった留学生たちとの寮生活。1人部屋はあるものの、トイレやシャワー、キッチンは寮のメンバーで共用です。わたしが所属していた寮は通称Haus2。メンバーはヨーロッパ出身の学生を中心に、20名ほどでした。専攻している学科も、生活習慣も全く違う20人。キッチンでの会話や、それぞれのメンバーが振る舞ってくれる料理、シーズンごとにみんなで企画するパーティ。集団生活に不安と窮屈さを感じることもあったけど、初めての海外生活は、寮のメンバーがいてくれたから安心して過ごすことができたのだと強く感じます。日本以外の国で生活するということは、お金や生活インフラの仕組み、衣食住に関わるすべてのことをまた1から学び、自分で組み立てるということ。わからないことやトラブルがあった時助け合える仲間は、かけがえのないものでした。もちろんインターネットで調べて、行動して、解決することができるものも多いけど、そうじゃない。みんなでピザを囲んで食べて、お酒を飲んで、「いまこうゆうことで困っているんだよ。」と話す。単に問題を解決する以上のなにかがそこにはあり、それが私の家だったように思います。
たった半年間、されど半年間、な、ベルリンでの生活は、“自分で自分の毎日を作っていく”楽しさと大変さを教えてくれました。言語もぎこちなく、会う人すべてが初対面。いまをどんな風に過ごし、どんな風に目の前の人と接するか、一つ一つの行動が自分というカタチを作っていくのだということに、改めて気付かされたのです。大学在学中にこの経験ができたことは、わたしがこれからあらゆる選択をしていく場面で、大きな糧になるように思います。ベルリンで出会った人々が、多様な在り方で自分の表現や探究と向き合っている姿を目にしたことも、大きな励みになりました。武蔵美で学んだことと、UdKで学んだこと。武蔵美で出会った人と、UdKで出会った人。二つの場所で吸収したことを自分の中で大事に温め、これからの自分自身の表現、また、一つ一つの選択に生かしていきたいです。今回の留学で、自分の中や外に蒔いた小さな種が、また、次の景色や出会いを連れてきてくれることを願います。
毛利華子
大学院造形構想研究科修士課程映像・写真コース 中国美術学院 2025年9月〜2026年1月派遣

はじめに
中国美術学院への留学を決めた原点は、2年前の日中交流プロジェクトにあります。上海から杭州へと向かう高速道路から見た街並みはとても印象的でした。すごい数の団地群。中はどうなっているのだろう?そんなことを思いました。私は、浴室や部屋、団地といった生活空間に興味を持って制作をしてきましたが、あの時の体験が今回の留学の制作に大きく影響してきました。
大学について
私がいた良渚キャンパスは校舎と寮が一体となっており、ほとんどの学生は寮生活しています。私たちにとって大学は学校であり、家でした。学生たちはすごく可愛いパジャマを着て、学内を行き来しており、みんなの家なのだと思いました。
授業は中国語で行われ、講義では理解が追いつかない時も多かったですが、ゼミでは日本語ができる学生の通訳サポートのおかげで、深い議論ができました。個人面談では先生がいつも中国茶を振る舞ってくださり、3人で暖かな時間を過ごしました。
制作について
ゼミの最終目標は、「私と中国の団地」をテーマにした作品制作でした。まず研究計画書を作成し、上海へリサーチに向かいました。古い団地と銭湯文化の関係について調査するため、現地での聞き込みや銭湯の見学を行いました。貴州や武漢への旅行でその土地の暮らしを肌で感じたことも、制作の大きな糧となりました。制作ではキャンパス内の学生20名にインタビューを行い、協力を得ることができました。
学外展示について
せっかくの留学なので学外発表にも挑戦したいと考えていたところ、友人がコンペ情報をくれ、10月に武漢で開催された国際大学生アートフェア「大芸博」への出展が決まりました。さらにそのご縁から「2025年 中国新疆 世界大学生現代アート作品展」にも推薦いただき、展示が実現しました。オープニングパーティーでは現地のアーティストたちと交流でき、大学の中だけでは得られない貴重な繋がりが生まれました。
言語とコミュニケーションについて
元々言語は得意ではなく、かなり苦労しました。渡航前は「注文くらいなら英語でなんとかなるだろう」と甘く見ていましたが、現実は厳しかったです。事務室の方の英語は流暢すぎて早く聞き取れず、逆に食堂や寮では中国語しか通じず、当初は言葉の壁に直面しました。制作の一環で行ったインタビューも、最初は英語すら上手く出てこず苦戦しました。しかし、約1ヶ月かけてインタビューを重ねる中で少しずつ上達し、最終的には英語と拙い中国語を交えて意思疎通ができるようになりました。帰国間際、タクシーの運転手さんと中国語で簡単な会話ができた時は本当に嬉しかったです。
生活について
生活面では、日本との違いに戸惑うことも多くありました。特に最初の2ヶ月は、アプリ事情や寮のルール、食文化に馴染めず、生きるだけで精一杯でした。ですが、困った時いつも先生や友人たちが助けてくれました。お腹を壊してしまった時は、病院へ付き添い、手作りのそうめんまで作ってくれました。感謝してもしきれません。本当に多くの人に支えられた留学生活でした。
最後に
帰国後、実家へ向かう高速道路から東京の街並みを眺めたとき、ミニチュアみたいだと思いました。渡航前、中国の広大なスケール感を自分の中に落とし込みたいと漠然と願っていましたが、まさか本当にその感覚を持ち帰れるとは思いませんでした。その変化に気づいたのは、東京の街を見た瞬間でした。スケール感だけでなく、まだ言語化できていない中国で得た何かが、私の中に眠っている気がします。これからゆっくり紐解いていき、制作活動に活かしていきたいと思います。
木村佳希
芸術文化学科 弘益大学 2025年9月〜2026年1月派遣

まだ暑さが続く8月の終わりに、私はソウルに着いた。事前に見学もせず契約した学生向けのワンルームに入ったときはまだ留学に来た実感が湧かず、授業が始まるまでの1週間は旅行気分だったことを覚えている。
韓国・ソウルは東京から飛行機で約2時間半、武蔵美の協定留学先の中では一番近い都市だ。私が所属したのは、そのソウルの中でも人が多く賑わうホンデに位置する弘益大学の視覚デザイン学科だった。武蔵美では芸術文化学科に所属する中で、以前から続けていた写真やデザインと韓国という国への興味が高まり、協定留学の応募を決めた。時差はないし、韓国人の友達もいるし、何度も旅行に行ったことがあったから言語や文化の差にはそれほど大きな不安はなかった。ただ、近い国だからこそ旅行とは違う学びや経験を得て帰ってこなければいけないといった焦りや不安、使命感に近い感覚をずっとどこかで感じながらこの5ヶ月間を過ごしていたように思う。
弘益での生活はとても忙しく早い。授業では毎週教授が知らなかった知識や技術を教えてくれたし、ずっとやってみたかったフィルムでのアナログプリントや韓国語で資料を作ってプレゼンテーションをしたりして自然と作ることに自信を持つことができた。ずっと何かを作ることを考えている日々が楽しかった。視デの学生はみんな夜中まで学校に残り制作をしてから家でシャワーを浴びてまた登校するのが定番のサイクルのようで、私も期末には友達と学校に残ったり24時間営業のカフェで徹夜したりしながら作品を作っていた。ヘトヘトになりながらも、周りの熱意についていきたかったし、その分納得のいく制作ができて嬉しくもあった。そのおかげか学期終わりには教授の作業室にも訪れ、学外のギャラリーで授業の成果展に仲間と一緒に展示した。展示の開催期間はビザの期限外だったのだが、距離が近いおかげで一度日本に帰国してからまた入国して展示を行った。近い国に留学に行く良いところはこういうところかもしれない。外国で展示に参加することは、日本で行うよりもずっと達成感があり、友達が展示を見に来た時にくれた花束はとてもいい香りだったことを覚えている。また音楽関連のサークルにも入った。毎週音楽について話したり一緒にご飯を食べてお酒を飲んだりしていた。弘益では美大意外にも様々な学部があるため、サークルでは違う学部の人と話をすることができた。中には日本文化に興味を持ってくれている人も多く、迷い込んだようにサークルに入ったにも関わらずいろんな人が話しかけてくれて友達がたくさん増えた。初めは不器用だった韓国語も帰国の頃にはそれなりに操れるようになっていたし、教授や友達から褒められることは嬉しかった。言語は留学において一番大事なことではないかもしれないが、私は言語と言語の先にあるその国の文化を理解することによって得られる体験は人生において他には変えられない大切なものだったのではないかと感じている。
5ヶ月間はあっという間に過ぎ去った。ソウルの冬は日本よりもずっと寒くてマイナス10度を超える中手が霜焼けで真っ赤になっていたのに、日本に帰ってきたらもう花粉が飛んでいる。一番近い国だが、住んでみると似ているようでソウルとの間には全く違う時間が流れている。留学で出会ったすべての人と支えてくれたすべての人に感謝し、またすぐにその人たちに会えることを期待しながら春を楽しみたいと思う。
安本雅
建築学科 ベルリン芸術大学 2025年4月〜2025年8月派遣

ベルリンから日本に帰国して1週間が経ちました。
ベルリンでの生活はもうすでに遥か昔のことのように思えて、どこか儚く感じられます。懐かしさと共に、また戻りたいという気持ちが強く残っています。
大学について
建築のコアクラスであるstudioでは多くの発言が求められました。夏学期だったからか授業はほぼ外で行われ芝に座ってコーヒーを飲んだりしたりしながらのカジュアルな授業は日本とは違ってとても印象的でした。とても発言しやすいフランクな雰囲気ではあったものの英語での発言は毎回とても緊張していました。議論の内容を十分に理解できていない時や、自分の発言番が近づいてくる時はパニックでした。よく隣にいる人などに何を話せば良いのかを聞いて教えてもらっていました。しかし、こうした緊張や戸惑いも今振り返ると貴重で恋しい思い出です。
提出のフォーマットや展示空間の設営、使用するマテリアルも学生たちに決定権があり、学生個々の表現やアプローチが尊重されている印象を受けました。ただ与えられた課題をこなすのではなく、学生自身が内容や方法を主体的に考え、仲間と協働しながら進めていくスタイルが根付いているように思います。出席も厳しく管理されているわけではなく、遅刻や途中退室、欠席も珍しくありません。しかし、それは決してやる気がないということではなく、むしろ「自由の中で自分の責任をどう果たすか」が問われていると感じました。
また、一緒に学んだ周りの学生たちの多くはドイツ外からの留学生であり、授業は英語で行われていました。ほとんどの人にとって英語は第二言語であり、それぞれの国のアクセントの英語が飛び交っていました。留学を終えた今でも自分の英語に大して自信はありませんが、これもアイデンティだと受け止められるようになりました。もちろん英語はもっと上達したいし努力中です。今までは英語を話すことに恥ずかしさや他人と比べて劣等感を感じていましたが今は学ぶこと自体を楽しみながら勉強を継続できています。
生活について
ベルリンでの生活は東京と比べたらとても不便だと思います。電車もよく遅れるしキャンセルされるし、コンビニはないし、ファミレスはないし、トイレもあんまりないしあっても有料だし、日曜祝日は大体のお店が閉まるし、、、、、、初めは文句が止まりませんでした。しかし、こうした不便さがあるからこそ、何もせずに過ごす時間や心のゆとりが自然と生まれることに気づきました。特に日曜日、公園や湖の辺りでなにもせずのんびり過ごすような時間は、日本ではなかなか味わえない贅沢なひと時だったと思います。
ベルリンの夏は最高です。公園でのんびり昼寝をしたりお酒を飲んだり、本を読んだり、絵を描いたり、湖で泳いだりと、人々は外で思い思いに過ごします。ベルリンは活気があり賑やかでありながら、時間はゆったりと流れるという不思議な感覚がありました。友人が連れてきた友人、そのまた友人と自然に輪が広がっていき、気づけばすぐに打ち解けて友人になれる——ベルリンは人と人とのつながりが自然に生まれる特別な場所でもありました。
最後に
5ヶ月間のベルリン生活は本当にあっというまで、勉強だけじゃなく人生観を広げてくれる貴重な体験でした。語学力が飛躍的に伸びたわけでもないし、性格が激変したわけでもありませんが、少しだけ度胸と勇気が備わったように思います。そして、さまざまな国籍、民族の人々が集まり、多様な言語が飛び交い、国境を超えて人々が自由に行き来する環境の中で、文化や歴史、言語や都市と人々の関わりなど、学びたいことがますます広がっていくことは日々をより楽しく豊かにしてくれました。
こうした学びや貴重な経験の機会を与えてくれ、支えてくれた全ての人に心から感謝しています。ベルリンで得た視点をもとに挑戦を重ね、自分なりの形で広げ、建築を通して社会や人とのつながり方を考えていきたいです。
そして、ベルリンで出会った友人たちと、いつかまたどこかで再会できるよう、これからさらに努力を重ねていきたいと思います。
山本遥翔
映像学科 ベルリン芸術大学 2025年4月~2025年8月派遣

結果から先に述べると、充足した実りある経験を得られた5ヶ月間でした。
私はドイツのベルリンに位置するベルリン芸術大学(Udk)のヴィジュアルコミュニケーション学科に所属していました。この学科はグラフィックデザイン、イラストレーション、情報デザインから空間デザインなど10個のコースを有しています。留学生はその中から希望のメインクラスを選択します。私はムサビで映像学科に所属しているので、主に映像作品の研究・制作を行うMoving Imageクラスを選択しました。
ムサビとは違う特徴的な点として、自分の専門とは異なる科目も横断的に受講可能ということです。前述したようにメインのクラスでは映像を学んでいましたが、その他にタイポグラフィの授業に参加していました。これまでは映像のことばかり学んでいたので、デザイン関連のことを新しく学べることを嬉しく思いました。タイポグラフィについて全くと言って良いほど知識がなかった私にとって、講義を通して学ぶ内容は新鮮で、印象深く記憶に残っています。
留学生活は楽しいことばかりではなく、言語の壁なども立ちはだかりました。ですが、いざ海外に身を置いてみると、当たり前ですが、英語やドイツ語を喋らなければならない場面に何度も直面します。自分の作品の意図や意見を伝えようと無我夢中で頑張っていたら、外国語を使ってコミュニケーションを取ることが少しずつ楽しくもなっていきました。
世界中から集まった留学生同士で友人を作ることもできました。また、学期末にはRundgangと呼ばれる大きな展覧会も開催され、半年間で制作した自分の作品の展示も行いました。5ヶ月という短い留学期間ではありましたが、日本にいては得難い濃密な時間を過ごすことができました。この経験を将来に活かせていけたらと今は考えています。
