シャダポー夢亜

日本画学科 パリ国立高等美術学校 2023年8月~2024年6月派遣

写真:シャダポー夢亜

留学から帰国して1週間が経ちました。
パリでの1年は濃密で、日々いろいろなことを考えながら、とにかく街を歩きまわっていたような気がします。

ボザールについて
版画のアトリエに所属し、主にリトグラフを学んでいました。版画アトリエでは、基礎技法を学ぶための授業が1ヶ月ほどあり、その後は各々が自由に制作を進める形で授業が行われています。週に2回ある教授の来校日には、制作中の作品についてのアドバイスをいただけたほか、アトリエ合同のミーティングやディスカッションを行うこともありました。また教授のいない日でも、技法や機材の使い方について質問すると、他の学生たちが丁寧に答えてくれたため、スムーズに制作を進めることができました。ボザールでは決まった課題や講評日などがないため、自分のペースで納得いくまで作品を制作できます。作業中も学生同士で頻繁に声をかけあい、自分の作品や最近みた展示について話し合うなど、アトリエは和気藹々とした雰囲気に包まれていました。アトリエ以外では、Visite dessinéeというテクニックの授業が印象に残っています。これは、週に一度パリ市内のさまざまな場所(サーカス、博物館、医大の解剖室!など)にスケッチをしにいく授業で、通常は入れないような施設の内部を特別に見学しにいくなど、貴重な体験ができました。

パリでの生活について
フランス人と日本人のハーフとして生まれ、東京で育った私は、自分のルーツの国であるフランスの日常風景や芸術に興味を持っていました。そのため、「パリでの日常生活を自分で体験してみること」が、今回の留学の目的の一つでした。パリ生活は東京に比べて不便なことも多く、時には気が滅入りそうになることもありましたが、その中でどう工夫して乗り切るかを考える癖が身についたような気がします。また、なんでも自分一人で抱え込むのではなく、上手に人に頼ることの大切さを実感しました。とはいえ、パリの街はやはり美しく、どこを切り取っても絵になりますし、何時間でも歩いていられました。朝のマルシェに並ぶ野菜やフルーツ、街のパン屋さんで買うパン、何をとっても美味しくて、料理するのも楽しかったです。日が長くなる春から夏にかけては、仕事終わりにカフェのテラスや公園、セーヌ川沿いでお酒を飲みながら談笑する人々で街が溢れていたのが印象的でした。おしゃべり好きで大らかなフランス人の国民性は、こういった生活スタイルから生まれるのだな、と思いました。

寒くて暗い雨の日が続く冬。太陽がでて、草花が一気に芽吹く春。東京にいる時以上に、季節の移ろいに敏感になっている自分に気づきました。賑やかで刺激的でありつつも、どこか東京よりゆったりとした時間が流れているパリは、不思議な街です。たくさんの人と出会い、さまざまなものを観て、悩みながら作品を作る日々の中で、自分自身とじっくり向き合う時間がとれたことは、私の人生の財産になったと思います。
フランスで得た経験や感覚を忘れずに、生きていきたいです。
最後に、留学の機会を与えてくださった学校と家族に心から感謝しています。

日永沙希

視覚伝達デザイン学科 プラット・インスティテュート 2023年8月~2024年5月派遣

写真:日永沙希

Prattの授業では、完成度の高い洗練された作品を提出することは求められなかった。それよりも、作品を通じて自分の考えを主張すること、そしてそのために実験的な表現をすることが求められた。自分のやりたいことに真摯に向き合い挑戦している限り、たとえ表現が粗削りであっても、ルールを逸脱していても、結果的に失敗しても、咎められることはなかった。むしろルールを破ることを推奨している雰囲気さえあった。あるとき、「本を作る」という課題が出された際、同級生が講評に本ではなくプリンターを持参し、その場で印刷した紙に落書きを始めた光景に大きな衝撃を受けたのを覚えている。

Prattの教授たちは、学生に何かを教えることは少なく、代わりに「あなたは何がしたいの?」と問いかける。そして、学生がやりたいことを伝えると、それを実現するためのサポートを惜しみなく提供してくれる。授業は、学生一人ひとりが独自のビジョンを持っていることを前提に進行されるため、自分のやりたいことを深く考える時間が自然と増えていった。

そして、NYは、混沌としたエネルギーに満ちた街である。道端で一人歌いながら歩く人や、裸に近い格好で踊っている人など、どんなに奇妙な行動をとる人がいようと誰も気に留めない。秩序を乱す人がいるというよりも、そもそも秩序そのものが存在しないかのような自由な雰囲気が漂っていた。日本では「こうあるべきだ」という概念に囚われがちであった私にとって、この街の自由奔放な空気は非常に心地よく感じられた。

NYのアートシーンもまた、街同様に自由で多様性に富んでいる。アートフェスやマーケットには、様々な主義主張が交錯する作品がひしめく。社会問題をはじめとするあらゆるテーマが取り上げられているが、共通して感じられるのは、アートを通じて社会に何か変化をもたらしてやろうという熱意である。そして、それが他者に否定されることはない。あるとき、宇宙人をテーマに扱うアート団体から、UFOの実在を熱弁され、宇宙人の占領下に置かれた小さな部屋の模型を見せられたときには面食らったが、その自由さに感銘を受けたのを覚えている。NYは、多種多様ないわゆる「変なもの」が衝突し合うことなく共存し、緩やかにコミュニティを形成している点で、非常に独特な場所だと感じる。一歩外に出れば新しいものに出会える、そんな高揚感を常に感じられる街だった。この街で様々な学生と関わり合いながら作品制作をできたことは、非常に大きな刺激になった。

また、学生たちの社会問題への関心の高さには驚かされた。授業内ではジェンダーや人種差別、環境破壊、フェミニズムなど、幅広い社会問題をテーマにした作品が多く制作される。キャンパス内では、学生たちによる抗議活動が頻繁に行われ、授業では毎回のように社会問題についての熱心な議論が交わされる。そういった傾向はプライベートの時間でも同様であり、寮に住む友人たちと集まり、皆で作ったパンプキンパイを囲みながら各国の政治について語り合ったことは、印象深い思い出である。同級生たちが持つ社会問題に対する鋭い感受性と関心の高さには驚かされると同時に、私自身の意識の低さを痛感させられた。

また、学生たちが自分の作品に対して持つ強い自信も、非常に新鮮だった。日本にいた頃は自分の作品に自信が持てず、人に作品を見せることさえも避けていた私にとって、「これは最高傑作だ」と言って踊りながら作品を披露する友達の様子は衝撃的であった。自分自身の作品制作に対する関わり方を見直し始めたのも、留学に行ってからの変化の一つである。

NYでの10ヶ月は、本当に瞬く間に過ぎ去った。日本では経験したことのない数々の困難に直面したし、ストレスで高熱が出て眠れない夜もあった。それでも日本に帰りたいと思うことは一度もなかったし、もしもう一度行ける機会があれば迷わず行くだろう。それほど NYは、私にとって刺激と魅力に満ちた街だった。吸収した多くのことを全て作品としてアウトプットできたとは到底言えないが、今後の長い人生の中で、自分の制作活動に活かしていきたい。

鎌田美佑

デザイン情報学科 弘益大学校 2023年8月~2023年12月派遣

写真:鎌田美佑

弘益大学での留学生活は毎日様々な国の友達と過ごす日々でとても新鮮でした。朝起きて寮の休憩室でパジャマのまま友達に会って挨拶し、授業の間には広い大学内を移動しながらいろいろな学部の友達とすれ違って、夜は大学の友達とホンデの街を散策して新しいお店を見つけたり、夜中に寒い中コンビニでラーメンを食べたりした日々が記憶に残っています。ずっと大学という大きな街の中で生活している感覚でした。寮は2人部屋なので、1人が好きな人にとっては少し疲れるほど毎日人と関わりました。今回私は韓国での生活が初めてではなかったので、寂しさなどはありませんでした。

授業では先生や学生が本当に親切で、先生がわからないことがあれば聞いてねと授業が終わるたびに言ってくれたり、日本からの留学生と知って話しかけに来てくれる韓国人の学生がどの授業にもいたりして予想以上に周りが優しくしてくれました。

学生は18歳から25歳くらいまでと幅広く、休学する学生や成績のために1年生を2回するという学生、また男子は軍隊に行く関係で、それぞれの学年に様々な年齢の学生が在籍していました。 また、授業では先生の問いかけに対して積極的に発言する雰囲気があり、年齢も境遇も様々なため多様な考え方を学ぶ機会になりました。グループ課題が多く、発表の準備期間も短いためグループのメンバーとたくさん連絡をとって資料作りなどの準備を進めるのが大変でした。

私が留学生活で特別にしたことは塾に通ったことと、大学のサークルに入ったことです。塾は、3DCGを学べるところに通いました。今まで学んでみたかったけれど、そのソフトは日本では直接学ぶことが難しくて、ムサビの韓国人留学生に教えてもらったところに通ってみました。けっこう難しくて毎回5人くらいの学生に助けられながら制作していき、最後は先生に少し見捨てられながら終えました。忙しいだけで意味がなかったかなとも思ったけれど、とりあえず挑戦したことと、授業が終わってもご飯に行く友達ができたことは嬉しかったです。

サークルは、バドミントンサークルとクラシックギターサークルに入りました。最初に面接があって緊張しましたが、どちらのサークルの人たちも温かく受け入れてくれました。クラシックギターサークルはパートごとに分かれてアンサンブルを行いました。定期演奏会があり、白いシャツに黒いズボン、黒い靴の正装で舞台に上がった時はとても緊張しました。公演の映像がYouTubeにもアップロードされていい思い出になりました。帰国後も、サークルで出会った友達が日本に来てくれて再会することができて嬉しかったです。

また、留学中にインフルエンザにかかって健康の大切さを改めて感じました。高熱が出てタクシーで40分程の病院に行き、帰りは変なところで降ろされて歩いて帰ったことが思い出に残っています。そして、その頃は隔離がなかったため寮のルームメイトに移さないように気を遣ったことも大変でした。ルームメイトや同じ階の子がポカリや薬をたくさんくれて心が温まりました。

短い期間でしたが、とにかくいろんな場所に行ってみて、聞いてみて人と関わってみることで得た発見が多かったです。また、語学はできるに越したことはないけれど、留学生活に一番重要なことではないと思いました。韓国語がうまいのにあまり友達ができないと言っている人もいたし、それよりも自分の感情を素直に表現することと、分からないことを人に聞くことができれば国は関係なく誰とでも仲良くなれると感じました。

今道葵

クリエイティブイノベーション学科 ラサール・カレッジ・オブ・アート 2023年8月~2023年12月派遣

写真:今道葵

ラサールでしか体験できないその魅⼒は、多⺠族国家であるシンガポールの中でもさらにインターナショナルな環境が⽣む深く美しい⽂化の多様性と、その環境で⽣きる学⽣や教員の興味深い感性や思考に触れることだと思います。
アジア圏の個性豊かな仲間が⽣み出す⽂化のコラボレーションの場、ラサールは、新しいアイディアが溢れる創造性の宝庫であり、その環境で半年過ごせたことは私に柔軟で豊かな⼼持ちと発想⼒を与えてくれました。

ラサール芸術⼤学はシンガポールの中⼼エリアにあるため、アクセスが良く多くの飲⾷店に囲まれています。学⽣の昼休みは学科ごとに異なりますが平均90分ほどで隣の駅に歩いてご飯を⾷べて帰ってこられるほどの余裕があります。
中華系、マレー系、インド系のシンガポール⼈他、アジア、ヨーロッパ、アフリカから留学や移住で多くの⼈が来ているため、おそらくアジア圏で⼀番インターナショナルな環境なのかなと思います。
ラサールでの友⼈関係を⾒ても同じ⺠族で固まることはなく、お互いの⽂化に興味を持ち、リスペクトする姿勢が⾃然にある点が美しいと感じました。技術に焦点を当てる⽇本の美術⼤学と⽐べ、ラサールの学⽣は深いディベートやディスカッションを授業ですることに慣れているので⼝が⽴つ学⽣が多いなという印象です。武蔵野美術⼤学とラサール芸術⼤学の学⽣がコラボレーションしたらなんだか⾯⽩そうだなと常々思います。

私の留学先であったアートマネジメント学科ではキュレーションに必要な資⾦調達の⽅法やターゲットオーディエンスの選定など、実⽤的授業と並⾏しながら現代の社会と芸術の関係性を考察するヒストリー(という名の社会学)の授業を中⼼に受け、実践的能⼒と教養を鍛えました。ラサールは 3つの学部に分かれており、私の留学先であるクリエイティブインダストリー学部はマネジメントやメディアを学ぶ場であるため⾼い英語⼒とコミュニケーション能⼒を求められ、苦戦しながらも同じ学科の仲間と毎⽇⼤学で話し合いや課題をこなしアイスクリームを⾷べまくる⽇々を過ごし、あっという間に親しくなりました。留学後半ではイベントのポスターモデルを務めたり、⾳楽イベントのマネジメントに参加したりと、⼤学でできた仲間と課外でも沢⼭活動できたことが嬉しく、毎⽇が刺激的でした。

ラサールには、アートマネジメントの他にも、メディア、ファインアートやファッション、インテリア、プロダクト、舞踊など様々なフィールドを学ぶことができる学科が混在しており、⾃分に合った学部を選びやすい環境であると思います。

ラサールに留学したい⽅へのアドバイスは、⾶⾏機のチケットは早く取れば取るほどお安いので決めたらすぐ取ることと、ある程度語学⼒がある⾃分でもやや授業のプレゼンやディベートには苦労したので、周りの助けはもちろんありますが後悔しないためにも英語は常に学び続けることがキーです!外国からの学⽣ばかりですから発⾳や⽂法の⼼配はしなくて⼤丈夫です。たくさん話して緊張も多くあることかもしれませんが、気を楽にトロピカルアイランドでの留学⽣活をぜひ楽しんで欲しいなと思います。

写真:今道葵

鈴木凱斗

クリエイティブイノベーション学科 ベルリン芸術大学 建築、メディア・デザイン学部 2023年4月~2023年8月派遣

写真:鈴木凱斗

UDK(ベルリン芸術大学)では、課題や講評がない自由な環境で、アーティストとしての責任を感じさせられました。先生たちは常に私たちをアーティストとして扱い、制作においては自らの選択に責任を持つことが求められました。これは東京での学びとは異なり、リラックスしつつも緊張感を感じるものでした。他の学生にアイデアや意見を求めれば、授業後、1時間以上相談に乗ってくれました。プレゼンの講評の際は、私の拙い英語にも真剣に耳を傾け、学生全員がコメントをくれるなど、熱意にあふれていました。

メインクラスのExperimental filmの授業では、グループで映像とパフォーマンスを用いた発表がベルリンの大きなシアターでありました。授業外でランチを食べながら作品の方向性について議論したり、共に展示に足を運びました。私の周辺の制作環境と比べると、議論の密度や移動距離、熱量が特に大きく違うと感じます。全ての要素に於いて細部まで学生の美学や意思を反映させるために、どうしていくかの具体的な会話を毎週行いました。

ベルリンの街はアートとの親和性が高いと思います。街全体がキャンバスであり、個性的な人々がそれぞれの表現を自由に行っています。日常の中で、街の至る所に広がるギャラリーやアートスペースに触れ、気軽にアートに触れることができます。アートが人々にとって身近な存在であり、日常と地続きになっています。友達が開く小規模な展示会でさえ、大学の友人数名に遭遇することも多々ありました。

そして、ベルリンに住む人々が案内してくれる場所はどれもがディープで楽しいです。数分前に出会った人でさえ、バーや展示に誘ってくれたりします。1ヶ月先まで予定を詰める東京の生活とは真逆で、時間的な余裕があるということは、目の前に飛び込んでくる素敵な機会を認識できる事だと実感しました。感覚に素直に、そして開かれた心で街を歩き回ることで、予想だにしない素晴らしい出会いや出来事が訪れます。私にとってベルリンは自由で、人間らしく、クレイジーで、居心地の良い場所です。

僕自身が留学を経て大きな変化は分からないが、状況を俯瞰しつつも、今の状況に対して何をどうすればさらに楽しくなるか、といった様な姿勢がより強くなったと感じています。自分より楽しんでそうな人を見つけると、自分ももっと楽しも!と思います。