内田久美子

空間演出デザイン学科4年ヘルシンキ美術デザイン大学(Taik)
(現アールト大学美術デザイン学部)
2009年8月~2010年7月派遣

写真:内田久美子 最初の課題「easy chair」の講評会でプレゼン中の様子

最初の課題「easy chair」の講評会でプレゼン中の様子

こちらに来て家具学科の授業が始まり、自分が今まで学びたいと思っていたことがごく自然に進められていくので、はじめすごく戸惑ったのを覚えています。「あの湖で泳ぎたい」と神様にお願いしたら、次に瞬きをした瞬間、その湖の真ん中で溺れかけている、というような具合です。

ムサビにいた時は、空間とはなんだろう、座るとはなんだろう、身につけるとは何だろう、心地よい場所はどんなところだろう・・・心に及ぼす影響、物が空間に及ぼす影響、光、影・・・感覚的なこと、抽象的なことを必死に考え学んでいました。それは楽しかったり苦しかったり、発見をしたり、私を形成する上でとても大事な時間でした。しかしそれと同時に、手を動かして素直に素材と楽しむこと、経験することを疎かにしてもいました。私は生活空間について学んでいましたが、一般に「家具」と呼ばれるものを作ったことがない。知識も技術も知恵もない。この1年間の留学期間はそんな私の修業期間です。家具というものと真剣に向き合う。その全てを吸収して帰ってくる。

Taikでの教育理念は私がこちらで学びたいと望む、そのものでした。「経験から学ぶ」という理念の基に、充実したWorkshop(工房)がそれぞれプライドを持って構えられている。スケッチの後は原寸大の模型作りから始まる。何度も何度も改良して作って経験して学ぶ。

課題をこなしていく上で、そもそものコンセプトのスタート地点が違うことに毎回戸惑い悩みました。みんな椅子を作れと言われたら、まず「椅子」そのものから考え出すのです。当たり前のように聞こえますが、私にはどうしてもできないことでした。椅子を作れと言われたら、「椅子ってなんだ?」というところからスタートするのです。

例えば「椅子は座るものだよ」と誰かが答えたら「床だって座れるよ」と頭の中の私が答えます。では、座るは座るでもどんな時に座るものか、床に座ったときと椅子に座ったときとどう気持ちが異なるか、などなど疑問は尽きなくなるのです。私の留学生活の大半が、この「コンセプトについての苦悩」と「技術に対しての無知との格闘」で占められるのではないかと思います。(笑) しかしこれは「充実」という言葉に置き換えられる申し分のない「楽しさ」でもありました。

留学期間中もこれからも、私はやはり、日本人のための家具、日本の生活空間について考えていきたいと思っています。私の考えが感覚的に反映された私の家具たちを、Taikのクラスメイトと教授が評価し、理解してくれたとき、私の中に少し、「自信」というものが芽生えました。それはとても小さな世界での出来事で、自ら口にするととてもおこがましく聞こえてしまうかもしれませんが、私個人の問題としてはひとつ大きな一歩となりました。今、本当にすばらしい時間を過ごしています。

森田美紗子

建築学科4年ミラノ工科大学デザイン学部2009年8月~2010年7月派遣

写真:森田美紗子 デザイン科の棟の内観 (Bovisaキャンパス)

デザイン科の棟の内観(Bovisaキャンパス)

ローマのパンテオンを観てイタリアの建築に魅せられて10年、念願のイタリアの地に身を置きデザインを学ぶ事に、日々喜びを感じています。もちろん半年以上経った今も言葉の壁は感じますし、授業の進め方の違いに戸惑いを感じることもありますが、それ以上に得るものは多いです。

ムサビで建築を学び、現在はインテリアデザインを学んでいるということもありますが、ミラノ工科大学の授業内容はムサビと大きく違います。こちらでは手作業よりもパソコン上での作業が多く、仕事に就いて直ぐに即戦力となるような技術を学びます。また日本の学生と大きく違うところは、こちらの学生は教授と1時間近く話し合うようなプレゼンテーション能力があります。教授も生徒もはっきりと意見を述べる為、自分の長所、自分に何が足りずそれをどう補えば良いのかがはっきりと分かりました。

留学生活では、授業以外の時間の過ごし方も大切です。留学生が多い大学ですので、様々な国から来た学生と交流する機会が多いのも魅力です。彼らとの会話のツールはほとんど英語です。在る程度の英語力は必要ですが、大半の学生は英語以外の言語を母国語としていますので語学力だけでなく、話そうという意欲を見せる事、社交的であることがとても大切です。その上、良いと思ったものは良い、分からない事は分からないとはっきり主張する勇気も必要だと思います。育って来た環境が大きく違う為に考えが違うことも多いのですが、イタリアだけでなくほかの国々の生活習慣や特徴も知る事ができ、会話する度に新たな発見があります。好奇心旺盛な私にとって、これは新たな人と出会う原動力になります。

自分の気持ちを上手く伝えられず悔しい思いや辛い思いをした事もありましたが、それ以上の喜びや収穫があり、私の人生の中で掛け替えのない1年になる事でしょう。念願のミラノでデザインを学ばさせて頂いていることに感謝しています。

山本しほり

建築学科4年プラット・インスティテュート2009年8月~2010年7月派遣

写真:山本しほり drwaing installationのクラスで使用している個人スタジオ

drwaing installationのクラスで使用している個人スタジオ

こちらに来てもう7カ月がたちました。現地の生活にもすっかり慣れ、充実した生活を送っています。私は武蔵野美術大学で建築学科に所属し、文字通り主に建物のデザインをしていました。しかし自分のやりたいことは建物のデザインではなく建築的スケールをもったFine Artsだということに気付き、Prattでは彫刻専攻という区分で勉強しています。日本で自分のやりたいInstallationという分野を説明しようとした時、常に苦戦していたことを覚えています。彫刻に近いことをやりたいと言えば、Installationではなく基本的に鑿を使って何かを彫っている人ととられ、建築と言えば単純に建物をデザインしている人だという認識があります。

NYに来て、まずなによりもNYの人々のArtに関する知識の高さに感銘し、いかにスムーズに自分のやりたいこと、やっていることを伝えられるかという点に驚きました。写真は現在とっているDrawing Installationというクラスで使用している私のスタジオです。学生にそれぞれ専用の部屋が与えられ、その部屋を利用してInstallationを作るというクラスです。私はまず部屋を真っ白にペンキで塗り直し、正方形をテーマにしたInstallationを作っています。この部屋全体をキャンバスとしてとらえ、2Dではなく、3Dの絵画の製作をしているといったほうがわかりやすいかもしれません。

人々のArtに対する知識の高さに加えて、きちんとしたビジネスとしてのArtのシステムが出来上がっていることにも驚きました。NYの若いアーティストはコネクションを作るためにひたすらにアートを作らなければなりません。作品を作れば作るほど自分の財政的にはマイナスになる、なんだかばかばかしい話ですがそれでも続けなければなりません。頑張って外に出て作品のプロモーションをし、コネクションを作る努力をしているとギャラリーなどでの展示の機会をつかめます。対外があまり有名でない小さなギャラリーか、もしくはレストランやそのほかの展示スペースと言ったところです。作品が売れるかもしれません。でもそれでもやはり収入どころかマイナスです。しかし、そこで自分の名前が少し広がったことは確かです。展示を見に来ていただいた方の中からまた別の展示のオファーがあることもあります。作品を買ってくれた人が作品を家に飾り、彼らの開いたホームパーティで自分の知らないところで作品が勝手に宣伝されていて彼らの友達から連絡があるということはこちらでは驚くことでもなんでもありません。依然収入はマイナスですが、確実に名前が広がっていくのです。そして名前が広まれば広まるほど作品の価値は上がっていきます。コレクターたちはこれを待っています。若い無名のアーティストに投資してその作品の値段が上がっていくことで、彼らは周囲に彼ら自身のアートに関する知識の高さや自身の洞察力を見せたいのです。最終的にそのアーティストが美術館レベルに有名になった時、コレクターは作品を美術館に寄贈し、美術館に彼らの名前が刻まれます。それが彼らの求めることで、1つのステータスになっています。

このシステムのおかげでアーティストは現実的に制作活動で生活していけます。もちろんそうはいっても、NYでアーティストとして生きて行くことは全く簡単なことではありません。そこで重要になってくるのが、日本人としてそして自分としてどう勝負していくかという点です。アメリカ人と同じことをやっていたのでは一向にらちが明きません。アートを作る以外にも沢山のリサーチと勉強が必要になります。わたしも日本にいたときには考えられないほどの本を読むようになりました。作品に費やす時間も格段に増えています。本当に日本にいたころころには想像のできない生活をおくっています。

大学3年生のこの時期にこの協定留学でNYに来たことは今後の進路を決めるにあたって非常に大きな役割を果たしていると思います。私はNYの大学院への進学を目指していますが、これに関しても各大学の情報を得るのに、教授陣やスタジオ、工房などの施設についてなど、より具体的に把握でき、やはりこちらにいることの便利さを感じます。大学院だけでなく、就職に関しても日本に比べていろいろなチャンスがNYにはあるように思います。

冬に、親しくなった教授の知り合いの方の展示のお手伝いをし、そこで出会った方からお仕事のお話を頂きました。結局この仕事については見送ることにしましたが、これもなかなか日本ではおきない話のように思います。まず授業に積極的に取り組んでいたので教授の知り合いの方の展示のお手伝いというお仕事をもらえたこと、そしてお手伝いという仕事を必死になってやっていたので展示を見にいらしていた外部の関係者の方に気に入ってもらえお仕事を紹介していただけたのです。こういった話は決して珍しいことではありません。つまりいろいろな所にチャンスが転がっていて、常にどこかにチャンスがないかと気を配りながら真面目に頑張っていれば、頑張った分だけ何かしらの形になってかえってくるのです。もちろんこれは日本にいても同じことだと思いますが、私にはNYのほうが目に見えやすい形で表れてくるように思えます。

このようにいろいろな面で積極的に動けるのはムサビからのサポートがあるからだと確信しています。もしサポートなしのまっさらな状態で、一人で来ていたら、7カ月でここまでいろいろなところまでできなかったと思います。どう動くにしても、協定留学制度というサポートがあったことは常に心強く、この機会を頂いたことに非常に感謝しております。

佐々木慶一

芸術文化学科4年パリ国立高等美術学校2009年8月~2010年7月派遣

写真:佐々木慶一 仲間たちと僕らの自宅でフェット(パーティー)

仲間たちと僕らの自宅でフェット(パーティー)。新しい協定留学生と新しいルームメイトへの僕からの歓迎のしるし。留学生以外も入れて、30人は来たかと思います。一番手前にいるのは僕で、次の日のフェットに招待されているところ。(筆者中央)

パリのエコール・デ・ボザールにおいて、私がこの約半年の間に経験をしてきたことを書き綴ります。ここではアトリエでの私の経験を書き出し、私自身がそれを自身の研究へどのようにつなげ、考えているものなのか述べる形をとり、この留学の感想を読まれる方々へお伝えしたく思います。私にとってアトリエとはどのような場であるか。

私は現在、フレスコのアトリエに所属し技法研究を行っているほか、フィリップ・コニエのアトリエでは主に鉛筆を中心としたデッサンを制作しています。私の日本での所属は芸術文化学科であり、帰国後に提出する自身の学科における卒業論文のテーマにはフランス美術史を選択しています。よって、私にとってフランスでの美術史研究は念願の夢であったものの、実は私にとってアトリエでの制作もまた、非常に重要なものであり続けるものでしたし、自身にとっての必要なエッセンスでもありました。

私のアトリエへの興味は尽きないものです。様々な試みが行われ、研鑽される場。もちろん、ここボザールのアトリエにはそんな切磋琢磨な一面もあります。けれどまた、アトリエ内では日々色々な話が交わされ白熱することもあれば、静寂に包まれることもあり、作家の集中力が威圧的に、時には穏やかにアトリエ内に広がる、そんな場面も見られます。

アトリエでのフェット(パーティー)では、みんなでシャンパンやシードルのコルクを飛ばしあい、ここがエコール(学校)であることすらも忘れ、教授と学生がともに喜び、悩み、時には感情を露わにし、彼らはともにアトリエで共鳴し合っている。それもパリのボザール校内に点在するアトリエのひとつの光景です。

それは日本でも伺える事ではあるのでしょう。しかし私がパリに来て、そういう現地のアトリエで起こる感情を大事に思うのは、私が研究しているフランス美術が、まさにアトリエを介し育まれたものであるということでした。パリでは、私は実作者として研究をしています。まさに作家に囲まれ、作家を研究しています。彼らに交じり話しあい、しばしば高度なフランス語の理解に追われながらも彼らとの関係は濃密であり、また留学生の誰かが帰国する際には、再会を約束し、励まし合いつつも、悲しくて仕方がなく、時間のぎりぎりまで互いに抱き合いました。その時には、私の思いとして私の作品を手渡しました。

そういった中で、彼ら仲間に私は認識され、グループ展では友人たちと作品を並べ、学校のデモンストレーション時にはボザールのスポンサーたちを目の前に、教授から誘われ制作の実演を行いました。レストランでの壁画制作にも誘いを受け、参加しています。

今はパリで知り合った女性をフレスコで描いています。プロのピアニストの方です。それは本当に偶然の出会いからの出来事であり、私から今回のモデルをお願いしました。

私にとってアトリエは作家を外面的に知る場に留まらず、作家が自身の経路の中にその制作への思いを見つけてゆく場。制作に留まらない、思索との出会いの場でもあるのです。