海外留学研究奨励奨学金は、帝国美術学校の創立から80周年となる2009年から2018年までの10年間、国際的に活躍する人材の養成を目的として、本学を卒業または修了後に海外の大学院または本学が大学院と同等の課程であると認めた海外高等教育機関の正規課程に進学する者を対象として実施しました。奨学金留学生の滞在記を紹介します。(当該奨学金は2018年度をもって終了しました)

西永和輝

造形学部彫刻学科 2016年3月卒業 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)スレード校 2017年9月入学

留学までの経緯

留学は学部受験時から視野に入ってはいましたが、具体的な構想となったのは彫刻学科とスレード校の交流プロジェクトがきっかけでした。2015年に武蔵野美術大学、スレード校、ヘンリー・ムーア・インスティチュートが共同開催した「近代日本彫刻展」の関連で二度スレード校を訪れる機会に恵まれ、校風や設備を知ることが出来ました。特にプロジェクトを牽引していらっしゃったエドワード・アーリントン教授の存在感は大きく、魅力的でした(残念ながら入学直後に急逝され、直接の学生としてお目にかかることは出来ませんでしたが、それでも多くの人脈を残して下さいました)。
卒業後一年を準備に充て、2017年9月よりコースを開始しました。語学の最低スコアを前年末に取得していたので準備コースは受講していません。語学力を考慮すると悩ましい決断でしたが、費用や当時の制作スケジュールの関係で断念しました。しかしながら、実際に語学力以上に大切になるのは話の内容であるというのが現在の意見です。聞く価値があると思わせれば相手は理解しようと努めてくれます。殊、美術分野では作品がその説得力として役に立ちます。僕の場合この直前期に制作した作品が多くの人物との仲介役になってくれたので、間違ってはいない選択であったと思っています。

大学・寮付近
大学・寮付近

ロンドン

この奨学金でも既に何人かの方がロンドンに滞在されていますが、僕も所感を記録をしておきたいと思います。やはり印象深いのは文化の混淆具合でしょうか。多文化多国籍と形容される都市は数ありますが、いくつかの都市を経験した友人によれば、ロンドンの混ざり方はより複雑だそうです。例えばニューヨークは多数の人種集団を擁するが、ロンドンでは集団というより個人の単位で来歴の異なる人が行き交う、といった具合だそうです。日本人はそれほど多く見かけませんが歴史的に深いつながりがあり、こと明治期には多くの著名な日本人が留学・研究・取材に訪れました。明治43年にロンドンを取材した記者・長谷川如是閑はチャリングクロスの往来を「…確かにインターナショナルタイド世界的潮流で、その海水を分析すると、外国人の含量は〇.八三強で、英人の含量は僅に〇.一七弱に過ぎない。」*と記しており、この都市の国際性は歴史的に培われたものであると分かります。
文化的混淆が現在という一枚の紙の上の模様とすれば、歴史という幾枚もの紙の重なりもロンドンの魅力です。過去幾度も大火や戦災を経験しているロンドンですが、建材の工夫や都市政策、住民の努力で歴史的建造物が現役状態で残されています。こうしたハードの部分が多文化というソフトを受容しつつ、ロンドンの不思議と統一された空気感を醸成しているのではないかと思います。
*長谷川如是閑『倫敦!倫敦?』(岩波文庫、1996年)p31

スレード校

スレード校は総合大学ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドンに属する美術学校で、1871年の創立以来多くの芸術家を輩出してきました。ロンドン中心部Euston駅の直近に位置し、大英博物館やウェルカムコレクションなど有数の博物館も徒歩数分の圏内にあります。建物は図書館などを擁するUCLメインビルディングの北翼を占め、校舎もまた歴史的建造物の趣があります。建物の古さは一方で工房環境の欠点にもなるのですが、スレード校の最大の魅力は設備よりむしろ、UCLという組織を活かした資料や情報の豊富さにあります。図書館や資料館は大学で共有するので、その気になれば科学や人文学を専攻する学生のための資料まで手に取ることが出来ます。勿論人的交流の機会も多様で、他分野のハイレベルな学生と対話が出来るのも素晴らしい点です。
先の理由もあり設備は不満もありますが、それでも一通りのものは揃っており、大作を手がける学生も居ます。武蔵美との大きな違いはスタジオ(制作スペース)とワークショップ(工具機械のある工房)が分かれている点で、最初はやや煩雑に感じます。スタジオにはBookable Space という予約制の空間があり、講評や試作品のインストール、ドキュメンテーション、大作の制作などの目的で使われます。
大学院にレベルでは理論と美術史に重点を置いたMAと、コンテクスト構築に重点を置いたMFAコースがあり、どちらも2年制です。

スタジオスペース

スタジオスペース
スタジオスペース

学業

MFAコースの基本はスタジオでの作品制作と、Critical Studiesと呼ばれる研究課題の二つを中心に構成されます。作品は発表の場が2種類あり、彫刻学科全員で毎週木曜に数人ずつ講評するCritと、指導教官1名ごとに学科を超えて編成されるグループで行うTutorial Groupが学期に数回あります。武蔵美の講評と大きく違うのは、講評で議論するのは学生達であり、教員は議論の進行を手助けするに留まると言うことです。これにより議論の視点が多様化し、学生はどんな作品にも反応を返していく訓練を積むことになります。また、発表者は議論の活性具合で作品への手応えを推し量ることが出来ます。加えて、発表する作品が未完成であっても問題ありません。講評期に追い込みにかかるのは武蔵美の風物詩でしたが、こちらでは途上のプロジェクトが発表されることもしばしばで、むしろ早い段階で議論に晒すことで方向性を確認する人もいます。
比較的よく知られたことですが、イギリスでは制作技術に対する考え方が違います。日本ではまず素材の扱いが教えられ、基礎を習得してからから独自の制作活動へと移っていく一方、こちらでは学生が必要に応じて技術を習得していくという形なので、各々が持っているスキルに偏りがあります。実際、自分では制作をせずに職人を雇うプロの作家も多いそうです。その分リサーチや構想力を鍛えてきた学生も居るので一概に悪いとは言い切れませんが、制作面での技術不足が障害になることも当然あります。その点、自分はあらかじめ武蔵美でそれなりの基礎制作力を身につけていたので、良い順序で進学できたと感じています。また、技術力にまつわる問題はそれぞれ向き合い方が違うので、議論の話題としても興味深いものです。
Critical Studiesでは自身の活動を文脈に位置づけることを求められます。また、研究はエッセイとプレゼンテーションで評価されるので、内容だけでなく、活動を人に説明する技術を身につける必要もあります。こうして書くと、自作を中心にがっちりと理論構築する課題のようにも読めますが、実は真逆の所から始まるのがこの課題の面白いところです。むしろ1年目は美術外の興味についてリサーチすることが積極的に勧められます。例を挙げると、菌糸類、パンクミュージック、スノーボール、コミュニケーションなどについての発表が並び、いずれも自由な研究の成果でした。こうした興味へのリサーチを深めていくなかで、それらの領域がどう自分の活動に影響しているのかを明らかにしていくのが、今後僕が取り組む2年目の課題になります。ギャラリーや美術館に足を運んで肌で感じる傾向ですが、現在イギリスでは美術の言語のみで語られるような作品よりも、他の分野の事柄を美術の目線で捉え直す作品が多いように思われます。この課題はおそらく、そうした背景を踏まえて柔軟にリサーチと制作を関係づけていく訓練として設定されているのではないかと思います。また、前述の通りスレード校は異分野のリサーチが容易な環境にあるため、設備の面とも噛み合った内容だと思います。
講義は週二つあり、それぞれスタッフが自作を説明するものと、招待作家が経歴を紹介するものです。加えて、彫刻学科が独自に臨時で作家を招待することもあります。また、学生は好きなときに任意の教員と1時間弱のチュートリアル(個人面談)を申請することが出来、自分にとってはこれが講評以上に重要だと感じています。基本的に制約的な義務は少なく、学生の主体性に重点が置かれています。

学期末のオープンスタジオ
学期末のオープンスタジオ

生活

ギャラリーや博物館が多く毎週どこかしらでオープニングがあるくらいなので、刺激に事欠きません。友人といくつものギャラリーを回ったり、オープニングの後でパブに移るなどしたりと、展示は交流の機会にもなっています。また、文化関係に援助が手厚いのがイギリスの良いところです。美術館や博物館の入場料が無料のところが多く、コンサートや舞台なども格安の学生券があります。イギリスは物価が高いとよく言われ、それは確かに事実なのですが、こういった部分を計算に入れてみると同等の生活を日本でするよりも安いかもしれません。

友人のスペースでの展示
友人のスペースでの展示