シュエ・ダンニ

空間演出デザイン学科3年パリ国立高等美術学校2014年9月~2015年7月派遣

写真:シュエ・ダンニ

アトリエの様子

最初は雨に見えたが、段々と賑やかに舞い始め、金曜日のフランス語の授業を乱すパリの初雪。 ひび割れのある古い窓ガラスから暫く外を眺め、世界が急に静かになる。振り返って見たら、雪嫌いのパリシャンの先生と色んな国から来た学生たちがそれぞれの気持ちになっている。 四ヶ月に渡って、 今までこの授業では、「同性結婚」から「シャルリー・エブド」の銃撃事件まで様々なテーマをフランス語で話し合ってきた。

建築から見てもシステムから見ても、ボザールでは時間が150年前で止まっていたのかもしれない。特に前身のアカデミー時代から実施されていたアトリエ制は、学科制で育っていた自分にとって最初慣れにくい所もあったが、今は段々その合理性も開放的に感じられている。そして、この学校を中心とする徒弟制度は大学の始まりや高等教育の本質を常に考えさせている。

12月末に交換留学生の共同展示で日本から交換留学生同士と一緒にアートギャラリーでTシャツを販売していた。校外から来場したお客さんに、この単なる売る行為をアートパフォマンスだと疑う声も少なくなかった。このようなアート思考が主流となる環境の中で戸惑い、そして戦うという毎日は来る前は予想できなかったかもしれない。それまでに、ボーザルでスペースの利用、素材探し、技術のサポート、色んなプロセスでいつも交渉しなければならない場合も多くて、沢山の人と関わる事もできていた。こうやって、学校という一つの単位の「社会」の中で自己の位置を繰り返し認識する事は今までにない経験だった。

デザイン専攻の自分、最初にボザールを選ぶ一つの理由は、アートとデザインの境界線、そしてこの二つの分野が違う世界の人々にとっての意味を知りたいという事である。その答えは、学校だけではなくて、パリという大環境からも色々と教えてくれた。こっちの本屋では、アートの本は圧倒的に多い、人々は哲学、政治、演劇、歴史と幅広く読書している事に感心した。それに対して、デザインは一般の人々にとって、ただのアートのブランチに過ぎないことも感じた。アート史を離れ、社会を構成したすべての要素や歴史のコンテクストをスキップしてデザインを語る今までの自分のやり方に特に反省している。

昨年のクリスマスのイブに、あるアトリエが学生全員にプレゼントをしてくれた。 まだ覚えているのは、ワイングラスを持ちながら踊っている人の固まりを通り抜け、部屋の奥まで行って、クリスマスライトの光を借りながら、何百個の中、一生懸命に自分の名前を探していた姿。このように、毎日不思議な出来事、不思議な空間、不思議な出会いによって自分が今ここに居る理由が分かるようになった。

石井絵里子

基礎デザイン学科4年アールト大学美術デザイン建築学部2014年8月~2015年7月派遣

写真:石井絵里子

ホームパーティーにて

フィンランドに来て6ヶ月が経ちました。学校が始まったばかりの頃は、受け入れの手続きミスが判明したり、英語力がなくてディスカッションについていけなかったりと、怒涛の一年になる予感でしたが、フィンランドの空気感のせいか、今は何事もなるようになると思うようになりました。

私は今、Applied Arts and Designというプロダクトと工芸の間のようなコースに所属しています。ムサビ在学時にほとんどプロダクトデザインを経験したことがなかったので、いろいろなことに挑戦できてわくわくしています。こちらの授業では実際の企業にプレゼンする機会が多く、学生のデザインに留まらず、1人のデザイナーとしてのデザインを求められている印象があります。一番感動したのは、ものを作る環境が整っていることです。工房がすべての学生にオープンなので、木工や金工、ガラス、セラミックなど、制限なく作りたいものを作ることができます。ガラスやセラミックの集中ワークショップを取ったのですが、今までガラスやセラミック製品の作られ方を知らず、その過程を見て体験することで、素材や製造上不可能なデザインを学ぶいい機会になりました。また、設備は整っていますが、学生の面倒はあまり見てくれず、積極的に自分から行動するのが基本です。学校にどんな機械があってどんなことが可能なのかは自分で行かないとわかりません。大学側は教える場ではなく学ぶ場を提供しているという感じです。

国民性やデザインなど、フィンランドと日本は似ているところが多々ありますが、こちらは日本よりずっとゆったりしています。中心部から歩いてすぐのところに大自然があったり、国民の祝日になるとスーパーを含め全部のお店が閉まったりと、東京では考えられない余裕が感じられます。国全体が働くことだけでなく、生活を充実させることも重視しています。「心豊かな生活」という言葉がぴったりな環境だから、私の目指す人に寄り添うようなデザインが生まれるのだと思いました。

留学して一番変わったことは学ぶ姿勢です。周りが大学院生なのもあり、熱心でない学生がいなく、もっと頑張らなければと日々刺激を受けています。作業する環境が整っていることと、協定留学という貴重な体験をさせていただいているのも、制作に対する心構えが変わる大きなきっかけになりました。学ぶことを当たり前に思わず、小さな機会も逃さないよう貪欲に学ぼうと奮い立っています。また、人との関わり方も変わりました。フィンランド人の友人に「相手にどう思われるかを気にし過ぎだよ」と指摘され、相手をどう見るかをより重視するこちらの文化との違いを知り、思っていた以上に自分が日本人であることに気づかされました。和を尊重し、空気を読む日本の文化を誇りに思う反面、これまでいかに窮屈に過ごしてきていたかを実感しています。

協定留学も残り5ヶ月となりました。ムサビでは、井の中の蛙状態だったのですが、大海を知って、たくさんの可能性を前にもっともっといろいろな世界を見てみたくなりました。この機会を得られたことに感謝して、残りの5ヶ月も思いっきり充実させます。

中村夏海

工芸工業デザイン学科4年ミラノ工科大学デザイン学部2014年8月~2015年7月派遣

写真:中村夏海

課題のグループメイトと

イタリアに来てから早くも5ヶ月が経とうとしています。留学前の私はとにかく不安いっぱいで、想像のつかない新しい生活の心配ばかりしていました。しかし住んでみればそんな不安も徐々に消え、今ではミラノの街を楽しむことができています。まだまだ分からないことも多いですが、少しずつミラノの生活について書いていこうと思います。

まずミラノの街についてですが日本とは大きく異なり、それは街並みであったり人々であったり様々です。古くから残る美しい建物がたくさん建っているのに道路は汚れている、電車が遅れても怒らない大らかさを持ちつつおかしなところで融通が利かない人々、そんなどこかアンバランスな部分があるのがイタリアなのだと思います。もちろんそういったことに最初は戸惑いましたが段々とそれを受け入れている自分にも気づき、そしてこの街から色々なことを吸収していきたいと思うようになりました。
また基本的にイタリアの人々は陽気で親切な人が多く、こちらに来てから人に話しかける、または話しかけられる抵抗が少しなくなったように思います。こういった場面で、日本ではあまり味わえなかった人と人の関わりを強く感じることができます。そして暇さえあれば街を歩き回る、そんな楽しみを見つけたのもミラノでした。

次にミラノ工科大学の授業についてですが、プロダクトデザインのほとんどの授業がグループワークです。ムサビとは違うものを知るために留学しましたが私はこの違いにとても戸惑い苦労しました。ムサビにいる時はそれらしいグループワークをやったことがなかったので一つのプロジェクトを複数人で完成させる大変さを初めて知り、いかに一人で制作することが易しいか身をもって経験しました。そして何より私が一番苦労したことはそういったグループワークで最も重要なコミュニケーションです。
クラスメイトの雰囲気にのまれて発言できなかったり、自分の語学力の限界で言いたいことを伝えられなかったりと歯がゆい思いを何度もしました。しかしそんな私にグループメイト達はいつも快く手を差し伸べてくれました。授業のやりとりのほとんどがイタリア語で行われている中、私が今こうして無事やってこられたのも助けてくれた友人のおかげだと思っています。苦労の多いグループワークですが、様々な価値観を持った生徒が集まり一つのものを作り上げる工程は複雑でとても面白いと思います。
自分では思いつかなかった着目点をグループで共有したり逆に自分のアイディアを提案したりと一人ではできなかったことを経てデザインをすることがとても楽しいと感じています。

不安でいっぱいだった留学生活も残り半分になりました。あっという間に時間は経ってしまいましたが、知りたいこと経験したいこと行きたい所などまだまだたくさんあります。イタリアに来た時の初心を忘れないまま、さらに色々なことを吸収しつつあと半年を有意義な時間にしていきたいと思います。

岸柚伽

空間演出デザイン学科4年プラット・インスティチュート2014年8月~2015年5月派遣

写真:岸柚伽

ショートフィルム撮影の1コマ

留学生活も半分が過ぎました。キャンパスのあるブルックリンはマンハッタンから多くのアーティストが移り住み "Brooklyn is new Manhattan. " と言われています。最近は人気が高まって北の方にも若者が流れてるようでBushwickやAstoriaなどが "new Brooklyn" なのだそうです。オープンスタジオやアートフェスの機会に面白い作家と知り合えるのもNYで美術を学ぶ醍醐味だなあと感じます。

学校ではファッション科とファインアーツ科の授業を履修しており、技術ではなく表現的な要素を多く吸収出来ているのが嬉しいです。ホイットニー美術館のキュレーターによるギャラリー展示に作品を選んで頂いたり、こちらで知り合った学生と応募したプラハ・カドレンナーレに出品も決まりました。今はその為の資金集めをしています。直接学長に交渉しに行ったり、各学科のChairに手紙を書いたりと、こちらの学生はかなり行動的で尊敬します。学外の活動ではブルックリン在住のアーティストとコラボレーションの機会を頂き、今は共同で制作を進めているところです。

せっかく広大な大陸にいるので時間を見つけては他の州を探検するようにしています。各地域の伝統的なテキスタイルを学ぶのも目的のひとつ。なかでもニューメキシコにはプエブロ族などの保留地が残っていて、実際にネイティヴインディアンの方達にお会いすることも出来ました。伝統衣装や織物などに残る彼らのクラフトマンシップは衝撃でした。一方で、ニューヨーカーの方達はNYが一番クールな街だからほとんどマンハッタンの外には出ないという話を聞きます。既にひとつの国として成立しているように感じます。

田舎育ちの私にとっては刺激と衝撃の毎日です。協定留学生として学部4年次にこうした時間と経験を持たせて頂いていることに感謝し、残りの日々を実りあるものにします。

郭一恵

大学院造形研究科修士課程デザイン専攻映像コース2年ベルリン芸術大学美術学部2014年9月~2015年3月

写真:郭一恵

ダンサーとチェロの即興パフォーマンスの一部

週末の夜の地下鉄はいつもより賑わっている。
NeuköllnからFriedrichshainへ、地下鉄を乗り継いで5駅先にある、ギャラリーと併設されたすこし大きめのライヴハウス。鳴り響く80年代の音楽に、引き込まれるわたしの意識を、つかむように名前を呼ぶ声がした。振り返るとともだちが、屈託のない笑顔で立っている。国籍も、住んでいる場所も、年齢も知らない。ただ音楽がすき、それだけでひととひとが出逢っていく。

わたしのベルリン生活は音楽からはじまった。
ここには音楽が溢れている。
contemporary, intudtrial, noise, minimal, dark ambient, synth, electronics, etc.
ベルリンにはちいさな音楽スペースがいくつも点在し、毎日のようにイヴェントが開催されている。週末の夜にMitteを歩けば、どこからともなく音楽が聴こえてきたりする。まるでひとびとの生活の一部のように、ベルリンにはたくさんの音楽が鳴り響いている。日本のように流行のようなものはなく、定まったジャンルのようなものもあまり感じられない。日本では、80年代インダストリアル、ノイズ音楽をわたしはよく聴いていた。ベルリンでのさまざまなコンサートでは、そんなかつての音楽の断片を感じられる。80年代という時代は、そんなにとおくないのかも知れない。かつてここにあった音楽は、少しずつ更新しながらも、まだ息をしているようだ。

ベルリンでの大学生活、UDKでは、visual communication学科に所属し、そこではセンサーをつかった音楽や、プログラミング言語によるヴィジュアル、サウンド制作を勉強している。アートの文脈で音楽が用いられるようになった今、その文脈ではどのように音が扱われているのか、そこで言われる音楽とは一体なんだろうか、という興味がわたしをこの学科に向かわせた。クラスには音楽をバックグラウンドとしない他学科の学生も入り混じり、さまざまな視点でされるディスカッションには、とても刺激を受けている。UDKでは、他学科の授業も単位こそ取れないが、先生の許可がおりれば聴講させてもらえ、わたしは音楽学部の授業にも参加させてもらっている。さまざまなクラスでのちがった背景を持つひととの出会いは、自分の視野を押しひろげるとともに、自分がやってきたこと、出来ることをもう一度見つめ直す機会にもなっている。授業には学外の生徒も参加したりなど、ベルリンの大学は学生にひらけている印象がある。

落書きでいっぱいのKreuzbergに佇ずんだ、お気に入りのカフェ
週末の夜、共に音楽を聴くともだちたち
ライブハウスで出会った、さまざまなアーティスト
突然にだれかの音楽が響く地下鉄

そんなベルリンでのかけがえのない日々、そしてこの場所で出会ったたくさんの人のあたたかさに、わたしは生きるうえでの豊かさをおしえてもらったような気がする。

ベルリンはほんとうにおもしろい街だと思う。ひとの数だけ、生き方があって、そしてわたしたちは共存している。生まれた場所もちがえば、育ってきた環境もちがう、さまざまな国のひとが無数に交差している街だ。ベルリンに来て、東京は便利なところだとつくづく思わされた。24時間空いているコンビニや整備された道路、街は情報で溢れている。だれもが携帯を手にし、それを追う。だけれど便利だということが、或は、富やある種の権力が、幸せや豊かさに通じているわけではないのだと、そう感じさせられる。

性別、年齢、国を超えて、音楽はこんなにもひととひととをつなげてしまうものなのか。音楽について、ふと想いを馳せる。

どんな新しい音と出会えるのだろうーそう胸を高鳴らせながら、今日もベルリンの街を歩く。

櫻内彩美

空間演出デザイン学科3年ベルリン芸術大学建築・メディア・デザイン学部2014年4月~2014年8月派遣

写真:櫻内彩美

ゼミ室の風景

現地に到着してから2ヶ月、学期が始まってから1ヶ月経ちました。到着したばかりの頃にくらべると、少しは落ち着きましたが、まだまだ慣れないことばかりで戸惑う毎日です。まだ日が浅いですが、ここに来て感じたことわかったことを少しずつ書いていこうと思います。

まず、ベルリンという街について。私はベルリンに来る前に3週間くらいかけてミュンヘンやウィーンやプラハなどの周辺都市を旅してきました。それらの都市と比べて、ベルリンは比較的安全な街だと思います。さらに、ドイツでは日曜日には店は閉まってしまうのですが、街の中心地では休日・祝日問わず営業している店が多数あり、さすがはドイツの首都だなと感じました。しかし、大きな都市にしては比較的静かな街でもあると思います。大きな公園が至る所にあり、緑の豊富な街と言う印象を受けました。学生が優遇されている点も日本と違うところです。学生カードを持っていれば交通機関を利用する際にいちいち切符を買う必要がなかったり、美術館や映画館や劇場などでは必ず学生割引が適用され、かなり割引がききます。なので、時間さえあれば気軽にベルリン散策を楽しめます。

学校に関しては、ムサビとの違いで戸惑うところもありました。学期の始めに驚いたことは、イースターが終わってからやっと授業が始まったクラスの多いこと。最初の週では、生徒は来てるのに教授が来ないなんてクラスもありました。逆に最初の授業を逃しても、教授に連絡をとり了承を得れば受講できるので、自分の行動力次第では何でもできるのだなと感じました。ゼミでは、主任教授以外はみな英語が話せるので、質問すれば英語で答えてくれますが、基本的に授業はドイツ語で行われます。生徒達は基本的に皆親切で、教授がドイツ語で言ったことを英語でメモして渡してくれたりと、毎回とても助けられています。授業の進め方はムサビとは少し異なります。ムサビが約1ヶ月で1つ作品を作るのに対して、UdK では7月の学期末に向けて1つの作品をつめていくというやり方をしています。さらにレギュラーの授業の他にセミナーというかたちで、作品のコンセプトの伝え方や効果的なプレゼンテーションの方法、展示表現の可能性などを一緒に考える授業も多く開かれ、自分の作品について複数の教授と話し合う機会が持てます。何ヶ月もかけて深く1つの作品について考えることができるというのは自分にとって新しい体験でした。

毎日毎日、新しい何かが起こる生活です。最初のころに比べれば友達もでき、街にも慣れてきましたがまだまだわからないことも多いので、これからの数ヶ月どんな出来事が起こるかわくわくしながら頑張っていこうと思います。