奥山孝輔

建築学科3年 ミラノ工科大学デザイン学部 2015年9月~2016年6月派遣

写真:奥山孝輔

イタリア、ミラノに来て、4ヶ月が経ちました。様々なことの要領がつかめるようになってきて、生活にも少し充実感と余裕ができるようになってきたように思います。

日本からのイタリアのイメージは陽気で明るく、パンツェッタ・ジローラモのような人がたくさんいるといったところかもしれません。私もミラノに行くまではそのような想像をしていました。しかし、住んでみてそのようなイメージはかなりなくなりました。それはミラノだからかもしれません。ミラノは日本で例えるなら東京のようなところです。観光客はもちろんですが、移民や外国の人、地方から集まったイタリア人などとにかく人が多いです。その結果必然的に他の人には冷たく、サバサバしていて、周りの人に無関心な人が多い印象です。朝は満員電車で帰宅ラッシュもあります。終電、終バスも3時くらいまで動いています。とても東京に似ているようですよね。

しかし、決定的に違うのはおしゃべりが好きで、人が好きであることです。一度仲良くなるとその人のことをすごく愛し、仲良くなります。いきなりサービスをしたり、勘定がテキトーになったりしてしまいます。そういうとこが私はとても好きです。もっと話したいのに話せない自分の語学力に悔しくなるくらい好きです。

学校の話に移ります。学校はインテリアデザインのマスターコースの修了制作の授業を取っています。私は学部ですが、英語で開設している制作を行う授業がマスターにあったためマスターになりました。その授業は留学生だけが集められた授業なので留学生としか関わることがありません。それが私にとっては少し残念です。留学生同士の関わりも貴重な体験ですが、留学生の中には半年で帰ってしまうため私としてはもっと長く仲良く接することができるイタリア人と関わりたい気持ちがありました。授業の形式はグループワークです。内容はイギリスにある公民館のリノベーションをやっています。ものを形にして行くまでの工程はとても難しいです。私は英語を日常生活で使う機会がかなり少ないせいでイタリア語と混合してしまったり、意思を上手く伝えられなかったりすることもあります。また、デザインの感覚もそれぞれの国、文化によって異なるため良し悪しの評価もみんなが気を使い合っている場面がなくもないです。しかし、そのような経験は私にとって全く悪いものだと思いません。その理由は苦戦しているからこそ鍛えられ自分の糧になるのだと思えているからです。

私の私生活では、今イタリアにある日系企業で職場体験をさせてもらっています。そこは建築やインテリアデザインとは関係ありませんが、イタリア人と働く経験がしたくて希望しました。そこでの経験は最近、とても充実に感じます。イタリア語を話せるはもちろんの事、イタリアでの働き方やイタリア人の仕事に関する価値観なども身をもって経験できているからです。イタリア人はテキトーに見えますが、結構細かいこだわりを持っていたり人の働きぶりを観察したりしています。そして結構人に気を使いながら働いていてそこは少し日本人に似ている感じもあります。もちろん祝日や休日、終了時間はしっかり守ってしまいますが。

ミラノに行きたいことを第一優先にして大学生活を送り、派遣させていただけることになりましたが、いざ行く前にはすごく不安になっていました。行ってからも帰りたい気持ちが消えず不安でした。けど今は違います。もっとミラノに滞在してもっと人と関わり、もっとミラネーゼになりたいと本当に思います。だからこそ、1日1日大切に生活したいと振り返って思います。

友田菜月

造形研究科修士課程デザイン専攻視覚伝達デザインコース2年 プラット・インスティテュート 2015年8月~2016年5月派遣

写真:友田菜月

授業のあるシーズンはみんなどこかピリピリしていてスタジオにこもりっきり。限界まで作業して、常に宿題と授業に終われ、次のシーズンのインターンシップを探し回る。かと思えばwinter breakには人っ子一人寮に残らない。アジアからの留学生を残して学校は閑散としている。すごいコントラスト。

日本の大学とは比べものにならないほどの課題量。それを時間内にいかにこなすかも大切になってくる。タイムマネジメントも大学で学ぶことの一つなんだろうなと実感する。

私はというと、授業を前期は4つ、後期は5つ。これでもひいひい言いながら毎日途切れなく宿題をしているけれど、友達は当たり前みたいな顔して7つ8つの授業とその宿題を抱えている。

せっかくNYにいるんだから、、なんて思ってはいても、なかなかゆっくり観光する時間を作れないのが現実。週に一度はマンハッタンのどこかに出かけることにはしているけれど、常に今自分がやるべきことが頭から離れない。でも暇なよりはいいかなと思ってしまう私はやっぱりこの世界が好きなんだと再認識させられる。

さすがNY、世界の首都!というだけあって人種も様々。今とっている広告の授業ではフランス、トルコ、韓国、中国、ロシアと多様な留学生が集っている。みんな英語うまいなあと圧倒される毎日。

ただ、そこでのヒエラルキーの作られ方は「すごいやつ」順。いいものを作れば大してしゃべらなくても寄ってきてくれるし、名前も覚えてもらえる。そして、一度顔を覚えてくれるとみんなとにかく親切。わからないことを手取り足取り教えてくれるのが当たり前。もちろんこちらから話しかけずとも向こうから気にしてくれるのだ。

もう一つ感じたのが個人主義的思想の強さ。これはすごくアメリカのイメージそのものだけど、ここまでか!と感心した。授業では主に持ってきた作品についての講評とディスカッションをするのだが、先生よりも発表者よりも周りで聞いている生徒たちの方が発言時間が長い。一人一人思ったことを率直に言ってくれる。ただしその言い方もかなり気を使っていて、「これはあくまで自分の意見だけど」的ニュアンスを忘れない。自分は自分、相手は相手なりの考えがあるということが当たり前に認められているからこそ言いたい事言えるんだろうなと思う。私はまだまだだけども、自分の意見が誰かと衝突するということが怖くないと少しずつ思えるようになってきた。

一時帰国中にある人から、「前よりも自信を持っているように見える」と言われた。留学して一番感じるのは、孤独な土地でゼロから土壌を作るためには自分自信を強く持たないとやっていけないということ。そのお陰か、「私はもう私にしかなれないんですねそうですね。」と今話題のアーティストの歌みたいだけど本当にそう思うことが増えた。そしてそれに言葉を当てはめるなら「自信をもつ」ということになるのだろう。

残り気がつけば2ヶ月ちょっと、
こんな機会をくれた親や武蔵美、あと学校で助けてくれる仲間に感謝しつつ、
目の前のことを堅実にこなしていきたい。

村上志帆

工芸工業デザイン学科4年 ケルン・インターナショナル・スクール・オブ・デザイン 2015年9月~2016年7月派遣

写真:村上志帆

クリスマスマーケットの様子

ケルンはドイツを代表する国際都市だ。街中でアジア人を見ることはまだ少ないが、生活していくうちで様々な国籍を持つ人々に出会うことが多く良くも悪くも自由さを強く感じる場所だと思う。私が在学しているKISDはその国際性をぎゅっと凝縮したような大学で多人種・多文化から超多角的に話し合いをすすめていく様子は武蔵美で受けた授業とは大きく違っていて、話をしていくうちに自分という人間がいかに『日本人的』で魅力的な感性に恵まれたか気づくことが大いにできた。私自身も仲間たちと雑談をしながら各国の出身らしい個性の面白さを見つけることを楽しく思っている。今学期から新たに採用されたバディー制度のおかげもあってお互いの文化を共有できる機会が多くあり、毎日誰かしらから驚きのある話を聞くことができ、徐々に自分の視野が広がっていくように思える。

前半期の実技授業ではKISDの名物である長期課題『SWEETS』プロジェクト参加した。この課題ではテーマに沿ってお菓子のコンセプトを考え、パッケージや模型、広告に至るまでその全てをまるっと個人個人でプロデュースすることを目的としており、10年目である今年度のテーマは世界各国から最低でも2つの文化からヒントを得たプロダクトを考えることであった。特にアイデア出しからコンセプト決めのプロセスは興味深いものだった。まず私たちは各国を代表してあらゆる国のお菓子やお祭り事をプレゼンでシェアして、そこから学んだことからスケッチを描きどれを選ぶべきか慎重に会議を進めた。人種差別撲滅を目標に3つの肌色のサンタクロースを提案する学生、トマティーナやホリーフェスティバルを疑似体験できるクッキー、世界各国の伝統的なドレスや髪型の違いを楽しむアイデア…などがあった。この課題のコンセプト決めで一番争点になったのは『ステレオタイプ』的な考えで製品を考えていいのかどうかで、生徒はそれを避けるように満遍なく世界各国を題材にするものを選びがちだったように思う。特にアジア出身の生徒はその話題について、なるべく皆が同じ人類であるという考えを保ったデザインを作ろうと頭を悩ませていた。一週間後には皆で世界国際お菓子展示会に大学を代表して参加する予定で、一般参加者のコメントを聞くことがとても楽しみだ。

前半期を通して私が最も長く考えていたことは『日本人とは何か』ということである。外国に来たのだから当たり前なのだがここで生活をしているとどこにいても目立ってしまう。頻繁に他の東洋の国々から来たのかと間違われたり、町中でじいっと眺められたりする。母国を相手が知ると大抵は日本人の代表としてあらゆることを質問されるのはなんとも複雑な気持ちであった。『NO』と頼みを断ると東洋人は『YES』としか言わないと思っていた人が大層驚いたり、なぜ日本から来たのに英語で会話できるのかと複数人に質問攻めにあったり、まるで典型的な日本人像を強要されているような錯覚も覚えた。それが長く続くものだからもしかしてこの人は私と話したいのではなく『日本人』と話したいのでは?と考えこんだこともある。だが、よく考えてみると私達も同じことを東京の街で十二分にしているのではないだろうか。考えてみてほしい、自分のクラスに新しい欧米から来た留学生が来たらきっとその国の文化のことを主に聞きたがるだろう、そしてひょっとしたらその人の母国の文化をどこか別の国の文化と混同して記憶していたなんてことは随分とよくあることだ。きっと私達の多くは外国人らしいその人の母国語を知らないまま日本でハローと挨拶をして挨拶を試みるし、それに疑問を抱いていない人は多いだろう。

KISDにきてドイツにきたというよりは世界各国の愛すべき国際人たちに会いに来たような気持ちである。留学を考えていて多国籍の生徒と共に制作したい生徒には私のいる大学を是非薦めたいと思う。楽しいことばかりではもちろんない、だがKISDは間違いなく全力で世界と触れあうことを大学全部で盛り上げているように思う。前半期だけでもハイキングにいったり、ハロウィーンパーティーをひらいたり、DIY寿司パーティーに東洋人で集まって餃子を作って作って食べまくる会など盛り沢山であった。他にも授業中にサンドイッチを平然と食べる生徒がいたり、課題制作の資金繰りに焼き立てワッフルをゲリラ的に売りさばいたり、何者が仕組んだのか明白すぎる巨大現代アートが忽然とロビーに現れたりする、そんな超予測不可能な毎日はあなたの脳をもっと自由に開放させ、新しい次元に導いてくれると思う。

倉田悟

大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース2年 ベルリン芸術大学 2015年9月~2016年3月派遣

写真:倉田悟

スタジオと制作途中の作品

大学のスタジオは24時間、週7日休みなく開いている。ベルリンにはコンビニもないしお店の多くは日曜日は休むのに大学は24時間あいている。まるで制作せよと言わんばかりである。

自分はと言えば毎日昼過ぎにスタジオに行って疲れたら帰るという生活をしている。終バスが0時過ぎにいってしまうのでそれを逃したら朝まで絵を描く。夜中には必ずCurry Wurstというソーセージとフライドポテトにマヨネーズとケチャップをかけただけの暴力的な食べ物を食べる。かなりうまい。

夕方6時を過ぎると隣の隣のスタジオからDark ambientと言えばいいのか、そういった類の音楽が聞こえてくる。かなりの音量で。何事かと思って廊下に出ると坊主のイカツイ女の子がいて「Hallo」と言って笑った。見た目より気さくだなと思った。そのあたりこの大学は本当に自由だなと思うし、実際うるさいのだがそんなに音楽は悪くないのでヘッドホンを外して聴いている時もある。

月に2、3回はクラスのミーティングがあって絵を見せながら先生や学生が話あっていく。自分のクラスは絵画の先生だからか、絵的な話(色とか形とか造形的な部分)が大部分で、その辺は日本の油絵の講評会と似ていると思う。クラスメイトの作品は多くが抽象画で学年が混合のクラスだからか、かなりレベルの差があるように感じた。RISD(アメリカの美大)に見学に行った時はその平均レベルの高さにかなり驚いたのだが、その部分での衝撃はあまりなかった。

それよりもむしろ自分は社会的な環境や世界的な情勢を肌で感じる事が多く、その事で深く考えさせられる事が多い。特にドイツにおける移民問題は深刻で、ビザ申請のために自分は朝の2時台からベルリンの外国人局に並んだ。その時点ですでに30人位いて7時の開場の時には恐らく300人くらいの列になっていたと思う。それくらいこの国には人が殺到している。何人かは自分よりもずっと差し迫った、切実な理由でここに並んでいるのだと思った。みんな同じように寒くて不安だから異様な連帯感が生まれていて、それが少しだけおかしかった。

またパリから来たという同じドイツ語の授業を受けている人に「パリはテロがあってすごく今危ないよね」という事を言ったら「どこも同じだよ。安全な場所なんてないよ。」と真顔で返されたこともあった。ドイツでも大晦日にテロの予告があってミュンヘンの駅が封鎖されたり、ベルリンでテロリストが捕まったという話も聞いた。そんな状況下にも拘らず、年越しの時には銃声にも似た音を出しながら、花火を陽気に打ち上げまくっているベルリンの人を見て、この国の人の無頓着なまでの強さを見た気がする。

そうした事柄を通して色々考えているうちに、自分が日本で考えてきた問題についても、少しずつ明確になってきた。ただ実際問題、今朝は突然気温が-11℃まで落ちてとても寒いし(多分自分の人生の最低気温だと思う)、かなり物騒な時期に来てしまった気もするのだが、それでもやはり今ここにいることや今見ている景色、出会った人たちとの縁には何か意味があるのだと思う。そしてそれらはこれから先の自分の価値観や認識全てに深い影響を与えると思う。残りの3ヶ月間、親をはじめ自分がここにいる事に力を貸してくれている人たちに感謝しながらいろいろな事を経験したいと思う。

金美伽

工芸工業デザイン学科4年弘益大学校2015年8月~2016年3月派遣

写真:金美伽

Culture Trip

韓国へ留学にきて、二か月が経とうとしています。

私は日本で生まれ育った在日3世ですが、留学当初、日本に対しての風当たりが強いのではと、韓国人でありながら内心不安を感じていました。
しかし、そんなものは全く無意味で、国の違いや、育った過程など気にせず迎え入れてくれるこちらの人々の優しさに救われ、初めに抱いていた不安も徐々に無くなっていきました。

韓国は日本から一番近く、その為か文化的にもとても似ている所が多々あります。
ですが、こちらで暮らすうち、人の性質は異なる点が多いと感じようになりました。
韓国の人々は、感情表現が豊かで主張をしっかりする人が多いです。
その積極性からか、人と親密になるのが早く、距離も日本と比べると近いよう感じられます。環境は似ている中、人の性質は異なるという発見はとても興味深かったです。

また、なんでも早く進めるといった国民性が強く、留学当初は不慣れなこともあり、とても戸惑いました。これはデザインの面においても反映されています。
ムサビではじっくりコンセプトを練ることに重点を置き、3年半学んできましたが、こちらでは案が浮かんだら即行動というスタイルな為、進んでいく過程がとても速いです。
この違いは大変面白く、新しいスタイルの中での勉強はとても刺激的で充実感をもたらしてくれます。

授業に関しては、デジタルスキルを学ぶものや3Dプリンターを使用してのデザイン制作が多く、デジタルが積極的に取り入れられています。
また、ムサビと違う点といえば、こちらはグループ課題が多く、それ故コミュニケーションが授業内で自然と必要になってきます。韓国語での会話はまだ慣れない点もありますが、自分の言語能力向上、また学生たちとの交流にも繋がり、勉強になることが多いです。
そして、弘益大学校は交換留学生が多く 、アジアは勿論、ヨーロッパ圏の学生も多数在学しています。
私のルームメイトもロンドンからの留学生で、毎日英語での会話が大変ではありますが、日本の生活とは一変した日常に楽しみを感じています。
このように色々な国の学生たちと遊びに行ったり、他愛無い会話や意見交換等を繰り返したりしながら、留学しなければこんな機会は巡ってこなかったのだろうな、とサポートして下さった方々に感謝する日々です。
残り二か月弱と、とても短い留学期間ではありますが、出来る限りのものを吸収し、授業も様々な国の人々との交流も自分の糧になると考え、与えられたこの機会を大切にしていこうと思います。

武麻子

視覚伝達デザイン学科4年ベルリン芸術大学建築・メディア・デザイン学部2015年4月~2015年8月派遣

写真:シュエ・ダンニ

ベルリンの街はアーティストで溢れている。一歩街へ出ればそこら中にアーティストがいる。しかしアーティストと言っても様々で、まじめに働きながら活動している人もいれば、ほぼホームレスのような生活をしているアーティストもいる。むしろホームレスのような生活をしている人々の方が多いのかもしれない。しかし定職に就かなくても、アーティストとしてでも、ホームレスとしてでも、なんとか生活できてしまうのがベルリンである。ベルリンにはお金や社会的な地位がなくても、心を豊かにしてくれる何かがある。
ボロボロの服をまとい、安いビールを公園でのみ、安いクラブに行き、安いケバブを食べるような生活をしていても、街へ一歩でれば、そこら中で素晴らしい音楽、ストリートアートに出会える。常に刺激的で新しいものに出会え、感動し共感することにより人と人との輪が広がっていく。

そんなベルリンに魅了された人々やアーティストがベルリンの街に溢れている。
そんなベルリンに憧れ、毎日新しい人がベルリンに来て、また、多くの人が去っていく。

私はillustrationのクラスとanalysis drawingのクラスを専攻しており、どちらのクラスも個人作業がほとんどだが、授業内で常にクラスメイトはお互いの作業の進み具合をお互いに報告しあい、アドバイスをしあうので、毎回の授業がとても貴重な時間で、刺激を受けている。クラスメイトのほとんどは、ベルリン以外の街の出身者が多く、また、ベルリン以外の街にも興味を持ち、海外で展示をしたり、卒業後海外へインターンシップ、就職を目指している人がたくさんいる。あたりまえのことだが、世界は広く、すべての国、街で活動する可能性を皆が持っているということに改めて気づかされる。また同時に東京が閉鎖的だと言う事に気づく。閉鎖的だからこそ、独自の不思議な文化が東京には多く存在しているのだろう。

ベルリンで学ぶことで得た事は、積極性だ。多くの文化が混ざり合い、多くの国から人が行き来するベルリンでは、自分から得にいかないかぎり、誰もなにも与えてくれない。それは授業内でも同じで、自分から学びに行けば多くのことを学べるが、自分から学びに行かなければ、ただ時間だけがすぎていく。ベルリンにきて4ヶ月いろいろなことがあり、いろいろな人に出会い、多くのことを学んだ。しかし常に何かが起きていて、常に誰かが新しい事をしているベルリンで、起こっているすべてを見るには、身体がいくつあっても足りないだろう。ベルリンで過ごしたサマーセメスターは充実しているようで、まだ充実しきれないような不思議な時間だ。