廖赤陽

廖赤陽(りょう・せきよう)
LIAO Chi-yang

専門
歴史学
History
所属
教養文化・学芸員課程
Humanities and Sciences / Museum Careers
職位
教授
Professor
略歴
1998年4月着任
1960年中国福建省生まれ
東京大学大学院 アジア文化研究専攻 博士課程修了
博士(文学)
研究テーマ
チャイニーズ・ディアスポラ、東アジアの歴史社会、東アジアの心身実践と思想。

Liao is a professor in the Humanities and Sciences at Musashino Art University. Born in Fujian, China, he was educated at Xiamen University and The University of Tokyo. Upon completing his PhD he was offered a position as an associate professor at MAU, where he has taught East Asian history, society, and culture. His research interests include the Chinese diaspora, overseas Chinese and their ties to China and Japan, new immigration and foreign students in Japan, China’s relations with its Asian neighbors, and the social, business, and knowledge networks and socio-cultural changes of the transnational East Asian region.
Selected Publications:
Nagasaki kashō to higashi Asia kouekimou no keisei [Ethnic Chinese Business in Nagasaki and the Formation of East Asian Business Networks] (Tokyo: Kyuko Shoin, 2000); Surfing the Interfaces of Market, Society, and State: Chinese Merchants in East Asian Coastal Cities and the Making of Business Networks [In Chinese] (Singapore: World Scientific Publishing, 2008); Kikou de yomitoku roushi [Laozi: An Approach from Qigong] (Tokyo: Shunjusha, 2009); Surging Tide: Study in Japan During the Period of Reform and the Opening-up [In Chinese] (Beijing: Social Sciences Academic Press, 2010); Kikou: sono shisou to jissen [Qigong: The Thought and Practice ] (Tokyo: Shunjusha, 2012).


すべての歴史は自己史

100年近く前、クローチェは「全ての歴史は現代史である」と宣言した。その意味するところは、おそらく、現代人が常に今現在の問題意識を抱えていてこそ歴史と向き合っているということではなかろうか。
例えば、数年前から、日本では戦国武将の歴史に関するブームが起こり、これは、おそらく、冷戦終結の後、日本社会における長期不況が続く中で、人々はかつてのように特定の組織やイデオロギーのみに頼ることができなくなって、戦国武将のように、自らの判断と力で乱世に生きる道を切り開かなければならない状況に置かれていることと無関係ではない。そして、最近、日本近代史がひそかにブームとなったのも、20年以上も停滞し続ける日本社会における閉塞感に対する焦りと新たな方向模索に対する期待が背景にあると思われる。
しかし、歴史畑を歩いてきた私にとって、これまでの人生に照らし合わせると、かの名言を「すべての歴史は自己史である」とも書き変えたくなる。
私の生れの故郷は山と海に囲まれ人口密度が高く畑の少ない地域である。古くからこの地域の人々は海を畑として海外通商・移住活動を行ってきた。私の親も華僑の家系の生まれで、1949年の中国革命参加のために帰国した。文化大革命中、父が生死不明の状況の中で、母に連れられて辺鄙な農村に下放(都会の幹部や知識人の農村行き)され、まともな教育は受けられなかったが、田舎に散在する古典名著や漢籍などを手当たり次第に読んだ(都会ではこの類いの書物はおよそ没収され焼かれたが)。1977年、改革開放以降、中国では10年ぶりに大学入試が再開され、運よく200万人の地域で唯一の現役で合格した文系の大学生となった。文学志向の私は文筆業の母から「文学は災いのもと」という忠告を受け入れ歴史学部に入った。厦門大学という名門校であるが、その大学も華僑の寄付によって設立されたものである。卒論は迷いもなく清朝の華僑政策の転換をテーマにした。卒業した後、華僑大学華僑研究所に勤めて、1988年、日本に留学し、東京大学の博士論文は、西洋による近代化ではなく、むしろ長崎を中心に近代東・東南アジアに広げた華商の広域ネットワークの再構築に没頭した。卒業後、1998年から本学で歴史の教鞭をとり、自分も留学生から華僑の一人になった。これ以降の関心の焦点は、次第にトランスナショナルと新移民に移った。
このように、華僑華人史を専攻する私にとって、これは、何よりも自己の歴史でもある、その背後には、故郷、家族、母校、エスニック、そして、広域の移動・交流と世界規模の地盤変動がある。

チャイニーズ・ディアスポラとはなにか

世界中分散している華僑・華人のことを近年チャイニーズ・ディアスポラと呼ばれるようになった。しかし、この分野は一体何を研究しているのか。まず、移出地と移入地の歴史、社会、経済、宗教、文化、家族等の研究がある。そして、差別・衝突と適応の過程、多重アイデンティティ、現地化と再移民、さらに、最近ではトランスナショナルの動きが注目されている。
このような研究は歴史理解に大きなヒントを与えることになる。例えば、これまでの世界史研究は、大きな事件や国家、王朝の歴史ばかり扱う傾向がある。しかし、華僑華人は、いわば常民、つまり草の根の民で、研究を通して、これまでに見えてこないこれらの常民の歴史が浮かばれる。
そして、このような歴史理解は、現状認識につながる。例えば、日本では、華僑に関して様々な誤解と俗説がある。華僑はすべて金持ちとか、華僑と華人の区別さえもつかない場合もある。しかし、近代の華僑移民の最も多くは華工(時には奴隷のように売買される者)、その背景には近代世界労働力市場の再編成がある。
しかも、華僑華人は極めて多様な存在であり、変化し続けるものである。その多様性、変動的・越境的な性格は、チャイニーズ・ディアスポラという概念によって一層鮮明になる。これは、華僑華人のイメージの解体作業であると同時に、国民国家の文脈からの脱却の試みでもある。近年、ネットワーク論が華人研究に多く議論されてきたが、これは、華人研究に限らず、現代世界を捉える手段と方法論として大きな意味を持っている。現代社会には横断的な問題群が多数発生しているが、従来の国民国家のような縦構造、或いは縦断的な学問体系の視点からこれらを捉えきれず。これに対し、ネットワーク論はこうした横の問題群の発見、整理と対応の可能性を提供している。
最後に、視線を現在の日本に戻す。少子化、過疎化、高齢化が進む現在、日本の総人口は、2050年までの半世紀間、延べ3千万人減少と推計される。外国人移民を受け入れるか否かは、日本国内でさまざまな議論を巻き起こしている。受け入れるとすれば、まさに安政開港と明治の「開国」を遥かに超えた、日本国家にとっての未曽有の巨大変革と試練となるだろう。そして、労働力という「実利」的発想を変えて見ても、トランスナショナルの時代では、「単一文化」(これも想像の産物に過ぎないが)に安住したほうが居心地がよいか、それとも異なる発想や文化の共生によって、より豊かな創造性と可能性を切り開くべきか。
言いかえれば、今後、在日外国人を一掃して、同じ顔、同じ習慣、同じ思考回路と行動パターンを持つ日本人(これもフィクションにすぎないが)のみの「小さく美しい日本」を目指すべきか、それとも華人のディアスポラも含めて、世界移民の歴史経験を学び、移動、変化、越境、交錯しながら多様な文化と出会い、異なる人々と共生する社会を作るか、問われている。

やはり冒頭に戻って、すべての歴史は現代史であり、そして、すべての歴史は自己史である。そして、ムサビの学生の皆さんがこれから歩むアートとデザインの道も、まさに一つ立派な現代史であり、自己史であろう。


最近5年内の査読論文

  • 「華人知識分子社団的跨国実践及其理念」(単著)シンガポール:『華人研究国際学報』第4巻第2期、2013年3月
  • 「以“新華僑”為主体的日本中華总商会」(単著)北京:『華僑華人歴史研究』2012年第4期、2012年12月、pp.19-30
  • 「新華僑文学時期的“日華文学”」(単著)シンガポール:『華人研究国際学報』、第3巻第2期、2011年12月、pp.3-20
  • 「『日華文学』の系譜と『在日中国人』社会―新華僑文学を中心に」(単著)東京:『華僑華人研究』第7号、2010年、pp.74-96
  • 「網絡・国家与亜州地域秩序:華人研究之批判性反思」(共著)北京:『華僑華人歴史研究』、2008年第1期、2008年4月、pp.1-11

2000年以降の著書

主な著書

『気功――その思想と実践』
増補再版
東京:春秋社
2012年(共著)

『大潮涌動:改革開放与留学日本』
北京:社会科学文献出版社
2010年(主編)

『気功で読み解く老子』
東京:春秋社
2009年(単著)

『錯綜於市場・社会与国家之間:東亜口岸城市的華商与亜州区域網絡』
シンガポール:南洋理工大学・八方文化出版
2008年(共編)

『実践気功健康法』
東京:春秋社
2004年(共著)

『長崎華商と東アジア交易網の形成』
東京:汲古書院
2000年(単著)

『跨超国境:留学生与新華僑』北京:社会科学文献出版社、2013年(主編)

その他の共著書(チャプター執筆)

  • 『東アジアのディアスポラ』陳天璽、小林知子編、明石書店、2011年(pp.28-51「華僑華人の歴史的展開―1950年代までのはるかなる旅」単著)
  • 『華人移民各比較研究:適応と発展』李元瑾・廖建裕主編、シンガポール:南洋理工大学、2010年(pp.111-134「在日中国人社会的歴史経験与課題:地方、国家与全球化」単著)
  • 『海洋亜州与華人世界的互動』劉宏主編、シンガポール:華裔館、2007年(pp.225-238「在日福清移民的社会組織及其網絡:福建同郷会的活動為焦点」共著)
  • 『第13届世界華文文学国際学術研討会論文集』黄万華主編、済南:山東文芸出版社、2004年(「“日華文学”:一座標泊中的孤島」共著)
  • 『国家、地方、民衆的互動与社会変遷』唐力行主編、商務印書館、2004年(pp.414-422「全球化背景下的地方先導與伝統塑造」共著)
  • 『游仲勲先生古稀記念論文集』游仲勲先生古稀記念論文集編集委員会編、弘文堂、2003年(pp.277-296「在日中国人社会とそのネットワーク―地域・地方と国家」単著)
  • 『「つくる会」の歴史教科書を斬る』王智新ほか編、日本僑報社、2001年(pp.85-97「『大東亜戦争』は解放戦争か―シンガポールの事例を中心に」単著)

最近5年内の書評・事典・研究報告書・エッセイなど

  • 書評:『跨越市場的障碍:海外華商在国家、制度與文化之間、龙登高』シンガポール:『華人研究国際学報』第1巻第2期、2009年12月、pp.123-126(単著)
  • 事典『江戸時代来日外国人人名事典』岩崎哲典編、東京堂出版、2011年(pp.118-141「『通商』の国 中国」概説及び50項目、単著))
  • 研究報告書:『中国の貧困大学生援助策の実態に関する調査及びそれに対する支援体制構築の提言』JBIC[国際開発銀行]提案型調査研究最終報告書、2008年5月(第九章執筆))
  • 研究報告書:『アジアにおける知的ネットワークの形成』トヨタ財団「アジア隣人ネットワーク」助成研究・代表、2006-08年)
  • エッセイ「中国『一指禅功』の呼吸法」東京:『大法輪』第79巻7号、2012年7月、pp.100-104(単著))
  • エッセイ「心が変わればすべてが変わるか―意識の根源性と技術性(下)」東京:『春秋』No.517、2010年4月(単著))
  • エッセイ「找不到地方死的老子」東京:『中文導報』2010年4月(単著)