坂本菜乙Sakamoto Nao

作品写真:武蔵野美術大学のあゆみ 01-05
作品写真:武蔵野美術大学のあゆみ 01-05
作品写真:武蔵野美術大学のあゆみ 01-05

武蔵野美術大学のあゆみ 01-05History of Musashino Art University 01-05

本|紙Book|PaperH210 × W148mm

在学中に読んだ、武蔵野美術大学の大学史。
そこには私の知らない時代を生きた、ムサビ生の姿がありました。
この歴史を今のムサビ生にもっと知ってほしいと思い、従来の大学史から知っておくべきポイントを5つのみに絞ったグラフィックと写真中心の大学史料を制作しています。

坂本菜乙

大学史の編纂は記録性が第一義であるので、読むのにはいささか勇気がいる。学生が受けている教育の理念がどのような経緯で出来上がったものかを知ることは、多要素が相互に関係しながら効果的な成果を導き出すカリキュラムの真の意味と、能動的な社会性を育むのに役に立つ。ぶ厚く重い権威的なものでなく、好奇心を刺激し、まず読むことを前提とした大学史のデザインは、今の学生の視点で学史の要不要がバッサリと判断されていて、まことに小気味良い。

芸術文化学科教授 楫義明

高橋麻瑚Takahashi Ako

作品写真:えんどう豆の家—高齢者と子どものコミュニティ—
作品写真:えんどう豆の家—高齢者と子どものコミュニティ—
作品写真:えんどう豆の家—高齢者と子どものコミュニティ—
作品写真:えんどう豆の家—高齢者と子どものコミュニティ—

えんどう豆の家
—高齢者と子どものコミュニティ—House of the pea —Community of elderly people and children—

プランニング|紙、パネル、クッキー、中綴じ製本、くるみ製本Planning|Paper, panel, cookie, book, saddle stitch book binding, case bindingH728 × W515mm × 4点 H210 × W148mm H297 × W210mm

現代社会の抱える問題の中で、「高齢者の社会的孤立」と「子どもの放課後の居場所の不足」は深刻な問題であり、私は、この問題を解決するために、「食」「料理」という誰にとっても身近な文化を通して、高齢者と子どもをつなぐ放課後の料理教室を企画した。
高齢者にとっては、これまでの経験を活かし社会で活躍できる場として、子どもにとっては、放課後の時間を過ごす情操教育の場として機能することを考えた。

高橋麻瑚

両親が共働きの子どもの放課後の居場所を作るために、孤独な独り暮らし老人達の力を借り、生き甲斐をつくるところまでプランニングしている。こういう社会性の強いテーマでは現実的な可能性が斟酌されるが、実現を前提とした組織化にまで言及し、絵に描いた餅にしていない。 子どもの問題と同時に老人問題へのアプローチがあり、そこで行われるクッキングに、デザイン性やアート性を盛り込み、社会を正す「美術の力」の可能性を強くアピールしている。

芸術文化学科教授 楫義明

手島由記子Tejima Yukiko

作品写真:バレエ・リュス《牧神の午後》(1912)における古典古代と近代性—ニンフの衣裳表現とコレオグラフィーをめぐって—

概要
 この論文の目的は、20世紀初頭に舞踊の世界を席巻したセルゲイ・ディアギレフ率いるバレエ・リュスが一九一二年にパリで上演した《牧神の午後》における衣裳とコレオグラフィーの芸術的源泉とは何であったのかという課題を検討し、そこからモダニズムにつながるひとつの道筋を見定めようとするものである。そこで、この作品が持つ古典古代と近代性という二つの問題に触れ、当時の時代性を把握していくこととする。
 近年では、《牧神の午後》における衣裳や美術、振り付けは、古代ギリシアの壺絵から発想されたという先行研究が有力視され、現在まで無批判に認められてきた。しかし壺絵に描かれた神や女性の風貌は、《牧神の午後》の牧神やニンフの表現様式と明らかに異なる。本論ではアルカイック時代の《アクロポリスのコレーたち》を取り上げ、《牧神の午後》における衣裳とコレオグラフィーとの比較分析を行っていき、異なる時代の二つの作品の関連を考察していく。そして、ロシアの美術雑誌「芸術世界」に携わっていたディアギレフ、レオン・バクストらの芸術家達および、ロシアの知識人達が古代ギリシアへなぜ心酔したのかという背景とともに、当時の全ヨーロッパが熱望した古代ギリシア芸術の意義は何だったのかを探っていくこととする。
 また、大著『ディアギレフのバレエ・リュス』においてリン・ガラフォラは、《牧神の午後》の浮彫りのような特徴的な動きに関して、メイエルホリドの浅浮彫りのような「不動演劇」との関係性を言及している。本論はこの観点にも着目して、ガラフォラの主張する研究の不十分な箇所を補足していくこととする。
 その結果《牧神の午後》は、多くの芸術家たち、異なる時代と同時代の芸術作品、機械的な近代技術、新しい生活や価値観、新しい思想、西欧とは異質の文化を持つロシア人の「民族」という理念や彼らの新世紀への希望が、融合し合って多様な面を見せながら、その後の大きな変革の時代、すなわち近代への幕開けを告げる重要な役割を果たした作品であるという結論に達したのである。

バレエ・リュス《牧神の午後》(1912)における古典古代と近代性
—ニンフの衣裳表現とコレオグラフィーをめぐって—Classical antiquity and modernity in Ballets Russes “The afternoon of a Faun”(1912) —About costume of the nymph and the choreography—

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH297 × W210mm

本論では20世紀初頭、舞踊界を席巻したディアギレフ率いるバレエ・リュス《牧神の午後》を取り上げる。《牧神の午後》における衣裳や振り付けの発想源は、古代ギリシアの《アクロポリスのコレー》ではないかという検証を試みた。さらに《牧神の午後》のぎこちない動きと、メイエルホリドの「不動演劇」の演出との関連性を考察した。その結果《牧神の午後》は近代への幕開けを告げる重要な役割を果たした作品であると結論づけた。

手島由記子

本論は、ロシア・バレエ団の主宰者 S・ディアギレフが上演した≪牧神の午後≫( 1912年、パリ)を取り上げ、とりわけ衣装デザインと舞踊の振り付けをとおして、その表現イメージの源泉を考察するものである。一般に、東洋趣味や原初的な素朴性が西欧の演劇文化に衝撃を与えたといわれるが、本論では、ギリシアの古代彫刻からの影響を辿り、先行研究には不備であった部分に光をあてて、近代演劇とモダン・ダンスの水脈を明らかにしている。

芸術文化学科教授 高島直之

松田真莉子Matsuda Mariko

作品写真:聖人、おそらくは狂人—バタイユ晩年の美術論における人間性への問い—

概要
 本稿では『ドキュマン』から 24年の時を経て書かれた『ラスコーの壁画』と『沈黙の絵画 —マネ論 —』における人間性への問いを、バタイユが絶賛したカミュの『反抗的人間』を手がかりにひも解いていく。一九五〇年代のバタイユに重大な影響を与えた『反抗的人間』とその後に出版された美術論を分析することで、この出会いによって晩年に至って彼の美術論がどのように深化していったのかだけでなく、そもそもバタイユが人間を芸術や美という「未知なるもの」に対峙させることの意義を主張しつづけた理由を解くための一視点がみえてきた。
  50年代の美術界は、アメリカのアクション・ペインティングやヨーロッパ各地に興ったアンフォルメルなど、激しい抽象絵画運動の最中にあった。そんななかで出版された『マネ』にバタイユはこんな問いを提示している。—「芸術において、今日の人間の散文的な様相をどうすればよいか」。どうやら彼は、芸術が人間の様相を現す鏡としての役割だけではなく、むしろ「散文的」でない芸術、つまり「詩的な芸術」によって、私たちは人間としての道を得ることができると考えていたようだ。
 多くの研究者が指摘するとおり、バタイユの 30年代の美術論が、彼の思想家人生において重要なテーマを多く生み出していたことは確かである。しかし、本稿において最も重大な問題であったのは、初期の彼が「高いもの」と「低いもの」という価値や境界といったものを否定し、破壊することを推し進めていたのに対し、カミュの「正午の思想(=中庸 mesure)」との出会いによって、前述した「敵」をもはや相手にしなくなったということである。ただしそれは対象をまったく無視するということではない。相変わらず価値の転倒にはこだわってはいるが、それは、より確実な自由を確保するための手続きとしてである。そこにはなにものにも縛られることのない道を見出した彼の、軽やかな足取りが感じられる。
 世間のしきたりに従うことは必ずしも従属することではない。なぜなら、驚異への欲望という過剰さから生まれ、そうして節度へと至る「反抗的芸術もまた、結局、『われらあり』をあきらかにし、それによってたけだけしい人間性の途を啓示する」のだから。そのことを本稿で取り上げた作家と作品は示してくれている。

作品写真:聖人、おそらくは狂人—バタイユ晩年の美術論における人間性への問い—

聖人、おそらくは狂人
—バタイユ晩年の美術論における人間性への問い—A Sage or a Lunatic —Pursuit of humanity in Bataille’s Later Essays on Art—

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH210 × W148mm

「私は哲学者ではない。聖人、いやおそらくは狂人だ。」—本稿は、こう自称したジョルジュ・バタイユが、晩年における 2 冊の美術論『ラスコーの壁画』と『沈黙の絵画—マネ論—』(いずれも 1955)で行った人間性への問いの試みを、当時の彼が影響を受けたアルベール・カミュの『反抗的人間』(1951)を手がかりに考察した。現代においてあらゆる美術作品を考える上でもひとつの指針となる、バタイユ美術論の豊かな可能性をここに示したい。

松田真莉子

フランスの思想家ジョルジュ・バタイユ( 1897-1962)の晩年の美術論 2作に焦点をあてた研究論文。バタイユはラスコーの壁画と E・マネの絵画をの論文の着眼点が新鮮なのは、文学とは異なる声と動画によるディズニーとおして、芸術の生誕と近代絵画の誕生を重ね、芸術表現の根源にある〈生〉のシンデレラに着目し、文字の文化と声の文化から考察したこと、「生」へへの問いに注目した。本論は、その問いの試みを、当時のバタイユが影響の問いかけとして、神話性が現在にも存在することを明らかにしたことでを受けたA・カミュの『反抗的人間』を手がかりに考察し、バタイユがあぶある。り出した芸術本来の遊戯性、祝祭性の優位を克明に跡づけるものである。

芸術文化学科教授 高島直之

山下彩華Yamashita Ayaka

作品写真:シンデレラ物語の中の神話性

概要
 本論は、主にシンデレラ物語に秘められた神話的思考が我々の生活や思想や創造活動にどのように影響してきたかを考察するものである。本論の目的を、声と音におけるシンデレラ物語の表象としてディズニー・アニメーションを取り上げる、神話は我々の身近なところで作用していることを示す、表象はあらゆる側面で影響し合うことを明らかにする、という三点に設定した。
 シンデレラ物語は世界中で親しまれている物語のひとつである。そして、その中でも神話の特徴を保存しながら語られてきた稀有な例のひとつである。八〇〇以上もの類話が存在し、絵画、演劇、映像、絵本など様々に表されてきた。最古の文献は 世紀の中国まで遡る。 世紀に民俗学者らによってシンデレラ物語をはじめとする民話研究が盛んに行われるようになると、社会学や心理学においても研究が進み、各分野・各研究者の視点によって論じられている。
 シンデレラ物語は口承民話として伝えられていた。口承民話は特定の形を持たないことで語り手によって流動性を持ち、地域や時代ごとに少しずつ変化してきた。しかし、声が記録されることによって純粋な口承民話というのは断たれてしまった。一方で、文学が誕生し、演劇が発展した。宗教儀式的目的、創作表現的目的、教育的目的などさまざまな目的に応じながら物語は表出の場を求めて変化し続けている。
 シンデレラ物語は、絵画や舞台でもモチーフとして用いられるようになり、さまざまな表象として現れるが、中でもディズニー・アニメーションによって、おとぎ話「シンデレラ」はその存在を世界に示すこととなった。本論では、ディズニー・アニメーションにおける画面の中の動きと音と声のみの世界を新たな「声」の文化の表象ととらえる。ディズニーに代表される娯楽文化によって文化の中心がヨーロッパからアメリカに移行していった背景をふまえながら、ディズニー・アニメーションによるシンデレラ物語がアメリカでいかに神話化したかを示し、シンデレラ物語の神話性が現代の神話を創ることを明らかにしようと試みた。
 学生生活の中で常づね感じていたことは、芸術は領域を取り払い、あらゆるところでつながっているということである。その感覚を明確に示したい、つなげる役割を自ら担いたい、という想いから本論を執筆するに至った。シンデレラ物語研究の新たな視点となり、表象はあらゆる側面でつながりを持つことを感じる一助となれば幸いである。

作品写真:シンデレラ物語の中の神話性

シンデレラ物語の中の神話性The Essence of Myth in Cinderella Story

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH297 × W210mm

本論は、シンデレラ物語に秘められた神話的思考が我々の生活や思想、創造活動にどのように影響してきたかを考察するものである。シンデレラ物語の類話が人類的分布を遂げた背景には神話の力が作用しているということを前提とした。「音声化」と「視覚化」をキーワードに、シンデレラ物語・神話・文化創造の間における作用を明らかにすることを試みる。
シンデレラ物語研究の新たな視点となり、表象はあらゆる側面でつながりを持つことを感じる契機となれば幸いである。

山下彩華

シンデレラ物語は、これまでもさまざまな分野で研究が行われてきた。この論文の着眼点が新鮮なのは、文学とは異なる声と動画によるディズニーのシンデレラに着目し、文字の文化と声の文化から考察したこと、「生」への問いかけとして、神話性が現在にも存在することを明らかにしたことである。
口承民話から文学、演劇と語り継がれたシンデレラの表象を、神話としての口承の時代まで遡り、ディズニーのシンデレラと重ね合わせ分析を試みた。表象研究の方法としても優れたものになった。

芸術文化学科教授 今井良朗