青木裕美Aoki Hiromi

作品写真:きっといつかのその場所で

きっといつかのその場所でIn its place of someday surely

木パネル、綿布、エマルジョン、油絵具Panel, cotton, emulsion ink, oil paintH2273 × W3240mm

作品写真:夢のつづき

夢のつづきContinuation of the dream

木パネル、綿布、エマルジョン、油絵具Panel, cotton, emulsion ink, oil paintH1303 × W1940mm

時間、感情、思い出、場所、ひと、もの、世界、生きること、失うこと、繋がること
それらと向き合い、受け入れたり拒否したり、許したり憎んだり、愛おしみながら絵を描いていきたいと願っています。

青木裕美

青木裕美の作品を目の前にすると、現実と夢が交錯する白昼夢を見せられているかのような不思議な感覚に陥る。力強く流れるようなストロークと、冬から春へと誘うかのような繊細なタッチ。これらが、互いに調和し、協調し、時に反発しあうことによって、流動性とリズム感をもたらし、画面に鮮やかな生命感を与えている。内的な心象風景にリアリティと説得力を感じさせる佳作である。

油絵学科教授 遠藤彰子

岩崎由実Iwasaki Yumi

作品写真:遠景
作品写真:遠景

遠景Distant view

カンヴァス、油彩Canvas, oil paintingH1300 × W1620mm H1940 × W1303mm H1000 × W803mm H1620 × W1120mm H1167 × W1167mm H910 × W727mm

ひたすら遠くの景色を見つめていると、それが二次元的に立ち上がってくる様に思えるときがある。それは実際の細かい距離や空間を視覚だけでは把握出来ないためだ。
平面上に、実在する空間を捉えることが再現であるとするならば、それは実際の視覚とは乖離した形で存在することになる。
そうなった場合、絵の中に捉えたと思われた空間は実在していたものではなかったことに気付く。絵画の中には空間は実在しないが、それを作り上げようとすることは一体何なのだろうか。

岩崎由実

頭で想像するイメージや記憶は平面的なものでしょうか、立体的なものでしょうか?それはとても微妙で言葉で表すことは難しいかも知れません。岩崎は現実に見たものにもこのようなことを感じているのではないでしょうか。だから「三次元を二次元に表現する」という絵画の公式はここでは通用しません。もっともっと曖昧な領域で彼女の絵はできあがろうとしています。絵に出てくる木、雲、枠の中の光景のどれをとっても、それはおぼろげな影のようであり再現的な方向には決して進みません。見たものが記憶やイメージと混じり合ってできる曖昧さ、それこそが絵画をつくるのだと思わせる作品です。

油絵学科教授 長沢秀之

大石奈穂Oishi Nao

作品写真:恍惚の明ける頃

恍惚の明ける頃

パネル、綿布、油彩Panel, cotton, oil paintingH1455 × W2910mm

作品写真:bouquet

bouquet

パネル、綿布、油彩Panel, cotton, oil paintingH1303 × W894mm

現実の輪郭線が形を失くしていく
意識が夢に溶け出していく

認知症である祖母を見つめる中で、
死に向かっていく姿に少しでも
夢の中で寄り添っていたかった

現実と夢、生と死の狭間を表現したいです。

大石奈穂

「恍惚の人」となった作者の祖母への追憶として描かれた作品である。如何にも精霊の好み、棲みそうな大樹の根元にまどろむ若き日の祖母の姿は、母へ、作者へと繰り返される「女の生」の、時間の象徴性をも生む。過去とも、彼岸ともとれる光の空間に飛び交う蝶たちの様は、見るものに生きる時間のなかで起こったであろうことの比喩以上のものを語りかけてくる。
「想い」を描きだすという、ややもすれば情緒に流れてしまう難しい仕事を、青色だけで、細部までの丁寧な思考に支えられて定着させている。佳作である。

油絵学科教授 川口起美雄

倉田悟Kurata Satoru

作品写真:ダナスの家(2001.09.10)

ダナスの家(2001.09.10)House Of Danas(September 10, 2001)

カンバス、油絵具、色鉛筆Canvas, oil paint, colored pencilH1555 × W1555mm

作品写真:ポール・スミスのソファに座る覆面の兄妹

ポール・スミスのソファに座る覆面の兄妹Masked Elder Brother and Younger Sister on a Paul Smith Couch

カンバス、油絵具、色鉛筆Canvas, oil paint, colored pencilH1370 × W1700mm

作品写真:東京ナンバー

東京ナンバーTokyo Number

カンバス、油絵具、色鉛筆Canvas, oil paint, colored pencilH800 × W1800mm

ダナスの家(2001.9.10)について
2001年ていうと今から12、3年前、多分小学校4年生くらいだったと思う。その日は鎌倉かなんかに臨海学校にいくはずだったのだが、
台風がひどくてその日の朝にそれは延期になっていた。それでその日はうちで朝から晩まで何時間もTVゲームをしていた。窓の外は大雨・突風でとても外に出られる気配ではなくて母親がそのゲームをやっている俺のことをじっと見ていたような気がする。最近俺はそのことを思い出していた。そして俺が思い出したちょうど3日後くらいに母親にその日の話をされた。「外は台風だしあんたゲームの中に入ってて怖かった。そういえばあの日の夜911だったんだよね。」と母はいった。そういえばそうだった。朝のニュースが大騒ぎだった。でも台風は通り過ぎていたので何事もなかったように俺は臨海学校に行った。先生たちは「世界で大変なことが起きました」とか言ってた気がするけど自分には大きなウミガメが海岸に打ち上げられ血を流して死んでいたことの方が記憶に残っている。
あの日は自分にとって色んなことが重なって忘れられない日だ。だけどそれらは全然関係のないただの偶然であるとも言えるし、すべてが関係しているとも言える。あそこで自分の中の何かが大きく変わったような気もするしなんにも変わっていない気もする。ダナスとはその日来ていた台風の名前である。

倉田悟

接着剤を付けないで組み立ててしまった模型のようなちぐはぐな感じ。しかし、その見かたはもう倉田君の術中にはまっているのだろう。この見慣れないちぐはぐさこそが彼の絵画の入り口だ。彼は絵画制作の常套手段から注意深く距離を置いている。例えばここにはいわゆる「普通の筆触」が存在しない。グニグニとかぺたぺたといった子供の遊びのようなタッチがぬり絵のように塗ってあるだけだ。また、空間の広がりや光もことさら意識されていないように見える。そこには絵画制作の常識をできるだけ使わないでいようとする強い態度が存在する。しかしそれでもなぜかこの絵には離れ難い興味が湧いてくる。ひとつには不思議なシチュエーション。見る人には感知されないが、そこには彼の経験上の逸話がある。それが強力な磁石になってその不思議な場面のリアリティーを引き寄せる。もうひとつは表面的には隠されているが、絵画の定石を大切に扱っているからだと私は考える。そのひっそりとした逸話と隠された定石を接着剤に、バラバラな部品を妖しくも巧みに引き寄せ、新たな絵画として組み立て直そうと画策したのではないか。見慣れないちぐはぐな感じは今僕たちが絵画にたどり着くために考え抜かれたひとつの方法なのだ。

油絵学科教授 赤塚祐二

澤田未奈Sawada Mina

作品写真:夢に落ちる

夢に落ちるfall in dream

パネル、油彩Panel, oil paintingH1400 × W2600mm

作品写真:電信

電信telecommunication

パネル、綿布、油彩Panel, cotton, oil paintingH2273 × W1818mm

ひとを見たとき、その人の生活、その人の心情を妄想、想像しながらまたじっと見る。どこまでが自分の感覚で、どこまでがその人そのものなのかわからなくなるので、またその人のことを見つめ直す。その繰り返しをしながら思いを馳せる。
私にとって絵を描くことは私と世界を理解するための手段だと思っています。

澤田未奈

テーマは自分と他者との距離だという。他者との距離が不確かであればあるほど、自身の存在もあいまいになる。縦に走る筆の動きは、瞬きをすると消えてしまいそうな存在の儚さを象徴しているように思える。実寸よりもはるかに大きく描かれた顔は、肖像画を描こうとしたのではないことは明らかで、他者を見つめることで、不確かな自分自身の存在を感じようとしている。しかし微かに憂いを帯びた表情からは、作者の意図に関わらず意味が表れてくる。
誰でもない誰かとしての無名の顔であるほうが、「存在」に繋がる「何か」をよりリアルに感じられるのではないだろうか。

油絵学科教授 小林孝亘

芹田真奈美Serita Manami

作品写真:庭

a moss-covered garden

パネル、綿布、油彩、テンペラPanel, cotton, oil painting, temperaH1818 × W2273mm

作品写真:木立

木立grove

パネル、綿布、油彩、テンペラPanel, cotton, oil painting, temperaH1818 × W2273mm

薄暗い静寂、発光、陰影、湿り気、哀しさ。
漠然と自分の中にある、心の琴線に触れるものたちを掴もうとした。
理由はわからないけれど美しい、と感じることを大切にしたい。

芹田真奈美

作者は風景の向こう側に何を見ているのだろう。おそらくは自身にさえ意識されていない何か。地という生と死が内包された母体に光が降り注ぐ時、光と陰の織りなす風景は日常を脱し、この世を超えてゆく予感をたたえる。作者は心を込めて、そして無心に一筆一筆を置いた。小さなつぶやきのようなタッチでひたすら画面を覆ったのである。それが空気の振動となり作者の鼓動となり作品の通奏低音となって静かに響く。見えているのは世界の表面である。しかし繰り返し確かめるようにまさぐり、描くことによって、世界と自身の隠された深層の表情が開かれる。感覚と感情とが森々と降り積もり、見る者の心を静かに振るわせる作品となった。

油絵学科教授 樺山祐和

奥誠之Oku Masayuki

作品写真:RUN
作品写真:RUN

RUN

インスタレーション|絨毯、アクリル、ボンド、水性スプレー、光沢紙、フォトフレームInstallation art|Carpet, acrylic board, glue, water-based paint, photographic paper, picture frameW5200 × D3520mm

制作はこれからも続けていきたいと思います。

奥誠之

2020年東京オリンピックが開催される事が決まった。オリンピックは東京のみならず国家事業として日本の将来へ向けてのビジョンを示すものとなるであろう。奥の父と祖父は1964年東京オリンピックのメイン会場であり、2020年もメイン会場になるであろう国立競技場のグラウンド開発に深く携わって来た。彼は父と祖父の歴史と国立競技場の歴史(明治神宮外苑競技場〜国立霞ヶ丘競技場)をクロスオーバーさせながら、国立競技場を通して少々大げさにいえば日本近代の陰と陽を作品によって浮かびあがらせようとしている。
奥はこの作品で二つの事を問題にしているように思う。一つは2020年東京オリンピックが日本にどのようなビジョンを与えるかといった問題を、前を向いて未来を思考するのではなく、後ろを振り返ることによって未来を思考すること。国立競技場の歴史を遡ることによって新たなビジョンを手にすることはできないか(国立競技場は、建設途中で関東大震災に見舞われ一時避難所になったことや第二次世界大戦末期には出陣学徒壮行会が行われたことなど、単にスポーツの祭典だけに使用されて来たわけではない)。
そしてもう一つは私的な父や祖父の記憶を紐解くことによって、“公”の問題を“私”と繋げて認識すること。それは“公”と“私”を切り離して考えるのではなく、公が私を含み私の内に公があるということを前提として、国家・社会を捉えるべきだとオーディエンスに問うているのではないか。

油絵学科教授 丸山直文

佐竹真紀子Satake Makiko

作品写真:あの町の行方
作品写真:あの町の行方
作品写真:あの町の行方

あの町の行方The whereabouts of that town

インスタレーション|ミクストメディア、スタイロフォーム、アクリル絵具、コンクリート、砂、漂流物、石膏Installation art|Mixed media,extruded foaming polystyrene, acrylic paint,concrete block, sand, driftage, gypsum boardW5000 × D9000 × H3000mm

あなたが知っていても、知らなくても
忘れていても、覚えていても
誰も帰らなくても
あの町は明日も続く。

佐竹真紀子

この作品は、まったく出所の違う 2つの要素から成り立っている。ひとつは何色ものアクリル絵具を塗り重ね、それを彫ることでかたちや色彩を得るという技法。もうひとつは作者である佐竹自身が宮城県出身でありながら東京に住み、あの 3.11の東日本大震災の被害を直接受けなかった、というデリケートな立場に立っていることである。作品のモチーフになっているのは震災後、佐竹がおとずれた宮城県仙台市の、津波で壊滅的な被害を受けた海岸沿いの町である。この経験と特殊な技法は、佐竹の中に回収できない問題としてずっと留まり続けていた。長く平行線をたどっていたそれらは、いくつかの実験を繰り返しながら少しずつ接点を探り、ついにこの作品で逃げ場のない状況でぶつかり合い、スパークした。それは下手をすれば双方が台無しになってしまうようなきわどい状況でもあっただろう。美しく広がる黄緑色のフィールドを執拗に傷つけた色鮮やかな彫り痕は、その場所の時間の重なりをさらけ出し、佐竹を含めたそこに関わる人々の想いはあっけらかんと昇華される。胸に迫る、清らかな風景。そしてこれは、隠されたもうひとつの現実なのかもしれない。

油絵学科教授 袴田京太朗