志田陽子教授が「月報司法書士」に論文を掲載

志田陽子教授(教養文化・学芸員課程)が、「月報司法書士」2023年5月号に論文「「表現の自由」は誰のものか――一人ひとりのために、共存社会のために」を掲載しました。

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(志田教授より)
これは実務系専門家向けの論文です。大学の授業や市民向けに、この分野の法律をわかりやすく説明する仕事と並行して、こうした論文も書いています。じつは私の頭の中では、こうした論文を書く作業のほうが先にあり、そのエッセンスをできるだけ平易でわかりやすい言葉に翻訳する作業を経て、授業や自治体の市民向けレクチャーなどが成り立っています。ここでは授業向けに《翻訳》する前の、研究者としての活動の一端をご紹介します。

(論文「はじめに」より抜粋)
個人の自由と、共存社会を支える統治とは、常に連環の関係にある。しかし現実には、個人と為政者の間で、個人と社会(マジョリティないしホスト社会)の間で、また個人と個人の間で、常にねじれや衝突が生じる。異論というものが起きない完全な調和の世界というものは、おそらくどこにもない。むしろ、衝突や異論があることによって、社会はハンドルを調整しながら進んでいく。その試行錯誤ができることが、「表現の自由」が想定している「自由」のあり方だろう。もしも、「不快」の声がまったく上がらない社会があるとすれば、声をあげたい人々が何かを怖れて沈黙している《絶対的差別社会》か、声があがる可能性を何者かが先回りして神経質に摘み取っている《表現の不自由社会》かのどちらかに陥っていないか、と疑ってみる必要があるだろう。…
現実の社会の中で「表現の自由」問題が起きる場面は多岐にわたる。その全体を通じて、今、「表現の自由」は誰のものか、と問い直す必要があるのではないか。…

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