新見隆教授のコラム「シェーカー・デザインと、万博」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、8月30日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年8月30日(金)「プロムナード」掲載

シェーカー・デザインと、万博
大阪万博の是非が云々(うんぬん)されているが、いったい、どうなるんだろうか。私は、行かないだろう。畏友のオーストリアのファッション・デザイナー、スザンヌ・ビソフスキーがオーストリア館の制服をやっているから見たいと思うが、ウィーンで会ったら、まだ建物のめどが立っていない由。
1970年万博を私は古里から電車で大阪に行き、親戚の家に泊まって見て歩いた。小学6年生。前年、アポロ11号が月から持ち帰った小石のために、アメリカ館に何時間も並んだ。だが記憶はない。
学芸員になって、アメリカの新教徒、清貧で志の高い生活を送ったシェーカーの人々の文化を紹介する展覧会をやる機会に恵まれた。その時知ったのは、70年万博のアメリカ館に、シェーカー教徒の家具や民具などが展示されていたこと。アメリカ館のキュレーター、なかなか、オシャレなことやるじゃないか!
文明の最先端と、19世紀に祈りと労働に生涯を捧げたシェーカー教徒の民衆文化の対比。覚えている日本人は皆無に等しいだろう。そりゃそうだ、戦後25年経って、日本は文明先端のアメリカに倣って、三種の神器に一億総まっしぐら。アメリカの一民衆文化に見向くはずもない。
シェーカーの展示は、世界が利便性や先端技術にひたすら向き合うことへの、アメリカなりの文明批判であった。
その3年前のモントリオール万博ではテンション構造の異形のドーム建築がアメリカ館として登場。建築家、バックミンスター・フラーの設計。その最大の出し物は、世界初、世界最大のテレヴィジョン・ゲーム。当時最先端のコンピューターを動員して計算された世界中の人口、資源、つまり水、食料、石油、石炭、金属などが出来うる限りインプットされた、世界地図の電光掲示板だったという。称して「ワールド・ゲーム」。
人口と資源をいかに瞬間移動させて、均等に配分すれば、地球は生き残れるのか。地球環境や資源を考えるガイア思想の先鞭(せんべん)であった。
同じ頃、ある海洋生物学者が海洋プランクトンの異変に気づき、家庭用洗剤が原因であるのをつきとめ、警鐘の書を世に問う。レイチェル・カーソン『沈黙の春』。癌に冒された彼女が、最後に問うたのは、自然に耳傾けよという詩のように美しい『センス・オヴ・ワンダー』だった。
南北戦争のおり北軍に徴兵されたシェーカーの人々は、長老ブラザーをリンカーンに送った。信仰の理由でつまり神を信じるが故に、武器をとって戦い、人を傷つけることを絶対拒否。それを受け入れたリンカーンは合衆国憲法の国民男子皆兵制に、唯一の例外条項「宗教上の理由による、良心的兵役拒否」を加えた。
百年後、ベトナム戦争で徴兵された若者は身も知らない人々の暮らす戦地におもむき、銃を撃ち、枯葉剤を撒いて、殺戮に参加した。強制的にさせられた。負傷して帰国、あげくは自殺した若者も多く、社会的大問題になった。何故、他所の国を理由もなく攻め、人を殺すのか。
日本では、その後、シェーカーの展覧会は行われていない。シンプルで味わい深い、日本人の美意識にピッタリのシェーカー・デザイン。
大げさだが、私は、世界でも唯一無二の平和憲法を誇る日本で、シェーカーの展観が行われないのは、日本人の平和スピリットに悖(もと)るのではないか、と考えている。


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