新見隆教授のコラム「母国嫌いの畏友」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、10月18日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年10月18日(金)「プロムナード」掲載

母国嫌いの畏友
我が職場、武蔵野美術大には訪問教授というすてきな制度がある。これは海外から美術やら造形の専門家を招聘(しょうへい)し、1週間滞在して学生に授業や講義・ワークショップなどを行ってもらうものだ。私も何度も、友人の専門家、ミュージアムの学芸員や美術史家、デザイナーなどを呼んで授業をやってもらった。
ちょうどつい先日、スイスのバーゼルから呼んだのが畏友のラマンさん。名前の示すように、彼は早死にしたお父さんがインドの南部ケララの出身で、シュツットガルトの美術学校でお母さんに出会って、結婚して生まれた一人っ子だ。お母さんも最近亡くなったが、元気な人でデザイナーとして活躍した。そのお父さん、つまり、ラマンさんの祖父が、20世紀の総合美術学校として有名な、ドイツのバウハウスの先生だった、オスカー・シュレンマーである。
第1次世界大戦後、貧しい、復興ドイツに生まれた、非常に民主的だったワイマール政権が、新しい大衆社会の民衆の暮らしのために、使いやすく、廉価な生活デザインや住居を生み出すためにつくった、美術大学。綺羅星(きらぼし)のごとく20世紀の美術家が集い、教えたが、ナチスによって閉校させられ、短命に終わった。だが、20世紀に果たした役割は途方もなく大きい。美大でこのことを知らないと、モグリ、ということになる。
21世紀という、新しい時代に最も重要な芸術家だと私が考えているのが、このオスカー・シュレンマーだ。彼は彫刻家で、画家であり、しかも、このバウハウスで、ものすごくユニークな、実験的な演劇やダンスの教室を開いたからだ。
自然との共生やら、環境・自然保護だけではなく、21世紀は人間のこの生身の肉体と自然との関係を、私どもが最も深く考え、考えるだけではなく、自然と共に生きのびるために実践しないとならない世紀だ。それは、人間がこれまで虐(いじ)めてきた自然からの反駁(はんばく)として、このコロナ・パンデミックが起きたという事実、それだけではない。
ラマンさんと私は、このオスカー・シュレンマーの日本で初めての回顧展をやろうと、画策もしている。私にとっては、これが最後の学芸員としての仕事になるんではないか、そうでなくては、後輩が育たない、とも思っている。
よく、ヨーロッパで、ベルリンで、バーゼルで、いろいろな場所で彼と会う。そして、日本で、東京や大分で。今回は、広島に行きたい、というので行く予定だ。
インドの南、ケララはすてきな場所のようで、彼の第二の故郷で、親戚も多く、いつも一度おいでよ、と言われる。私は「いまだに、カースト制が残っているような場所には、来世でも行きたくはないナ」と冗談まじりに答える。彼は「政府が皆を助けてくれるなら、カーストはなくなるが、助けてくれないから残っているだけ」と、答える。
シュレンマーは、退廃芸術家と、ナチスにレッテルを貼られて、軟禁状態で極貧で、病気で亡くなった。最後、それでも、隣の建物の窓から映る人影を絵に描いた、悲しい「窓の絵」を残した。
彼はだから、母国ドイツが嫌いだ。滅多(めった)にドイツ語を話さない。そして、ヒンズー教徒でもなく、菜食ではないが、肉食はしない。私もとっておきの、偏屈で人に馴染(なじ)まない人間ではあるが、数少ない、畏友の一人である。


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