新見隆教授のコラム「大分に町おこしは不要」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、11月15日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年11月15日(金)「プロムナード」掲載

大分に町おこしは不要
この原稿が出る金曜日に私は大分県の別府の奥の院、古い湯治場だったすてきな温泉町・鉄輪(かんなわ)に行っている。用事は土曜、日曜に行われる「スケッチ大会」に参加するためだ。

スケッチ大会とは、非常に懐かしい言葉だ。生まれ育った広島県の東端の港町は、風光明媚(めいび)で、「絵のまち」として知られる。たしかに、狭い川のような流れの尾道水道には陽光があたり、キラキラ輝く。渡船、フェリーが行き来する。坂が密教寺院のある千光寺の山に駆けあがる。掌の中にミニチュアのプラモデルを浮かべたような絶景だ。造船所の槌(つち)音や、船のエンジンが響き合う。どこもかしこも、「五感」の絵になるのだ。

子供の頃から、いろいろ描いて飽きなかった。いわゆる千光寺の展望台から町を見下ろす鳥瞰(ちょうかん)的絶景だけではない。海産倉庫の梁(はり)やら、漁船やボートの友綱や浮輪、何より向かいの島の造船所のさまざまなクレーンや工具類を描くのが好きだった。

「スケッチ大会」とは、町の面白さを見つける、「かくれんぼ=見つけっこ」の遊びだ。一般受けやら、親が喜びそうなモノ、場所を選ぶ必要はまったくない。自分だけの、ヘンテコで面白いものがそこらじゅうに転がっているから、それを探す。自分探しとも言えるだろうか。

大分の県立美術館の立ち上げ準備期間を含めると館長を7年近くやったことになる。最後は特色ある、ユニークな地方をくまなく回ってそこの人々と話し、食べたり飲んだりする「たびするシューレ」をやった。

山あいの城下町、竹田。海産宝庫、町そのものがマリン・ミュージアムの佐伯。臼杵もしっとりして、好きだ。国東半島もいい。三隈川の、日田も大好きだ。湯布院には、すてきな山桜を見に行く。そして別府。まさに「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」だ。鉄輪は最初に来た時、尾道の匂いがして吃驚(きっきょう)した。

尾道プラス温泉だ。負けたか?

よく言われるのだが、大分市がいちばん、つまらないと言えばいえる。その町の中心でユニークな本屋カフェを営む、ミスターUターンこと岩尾晋作君は宣(のたま)う。「町おこし、地域おこし、と言うけど、放っておいてくれと思いますよ。全く」

私は「ハコモノ」学芸員で、展覧会の企画はミュージアムでしかやったことがない。今はやりの、アート・プロジェクト云々(うんぬん)にも、偏屈であんまり興味を持たない。面白い場所やユニークですてきなところで作品を見ると、なんか半分以上、作品の力というより周りの「借景」に助けられて成立しているように思えてしまう。

大分県は町そのものが面白い。だから余計な町おこし地域おこしは不要だ。

湯治は古くからの治癒のカルチャーだ。そこでは、人間の肉体が、自然や季節と一体になる、ユニークでダイナミックな文化がある。難しく考ずに、別府あるいは鉄輪に「温泉=肉体賛美ミュージアム」をつくってみたいものだ。いや、それこそよそ者が何を言うか、放っといてくれ、と叱られそうだ。

ともかくも、鉄輪のスケッチ大会が、面白くて、楽しくて仕方ない。奇作、大作、珍作、大歓迎。老若男女、そこでは人間皆が町と合体した、アートそのもの、いやアーティストである。


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