新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、11月22日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。
日本経済新聞 2024年11月22日(金)「プロムナード」掲載
京都は終わらない?
東京は終わったか? と書いたので、やはり京都のことを書かないとならない。
私にとって古都は、今は亡き2人の姉貴分の思い出から始まる。一人は、かつて堤清二さんを偉大なる文化人=企業人ボスと仰ぐ、セゾン・グループの同僚。なき三条のホテルの支配人であった有ちゃん。大趣味人の家庭に育ち、関西のお嬢さま学校、神戸女学院出の才媛であった。食に詳しく、うるさく、料理達人だった。彼女の贔屓(ひいき)の定食屋は本願寺脇の、白味噌汁に溶き芥子(からし)の落としてあった、知られていない名店。もう一人は美術プロデューサー、咲代さん。彼女に連れて行かれた名店も数多い。「他所(よそ)の人らが、錦がどうこう言うてもなあ、出汁(だし)の昆布だけとか、かつお節、さば節だけとか扱うてる店なんて京都人しか知らへんやろなあ」。そう嘯(うそぶ)いていた御仁(ごじん)。私が京都に行くのは観光ではなく彼女たちの思い出、供養である。
さらに思い出す。昔、香川のイサム・ノグチ庭園美術館の評議員会の休憩時間のこと。米国から京都に移住した作家のドウス昌代さんが「京都は街がだんだん汚くなって辟易(へきえき)。パチンコ屋の看板やら消費者金融の派手な広告やらなんで規制しないの」と言う。隣にいたのが堂本尚郎画伯、かの大印象先生の甥(おい)だ。「あんたは、京都人のこと知らへんからなあ。お隣がどんなに汚のうなってもな、皆平気なんや。自分とこのギリギリ一杯の際まで、きれいやったらそれでええんや」。二人も鬼籍に入った。
さあ、彼らがコロナ禍前、そしてとりわけ今のインバウンド、外国人観光客の雨霰(あめあられ)を見たら、いったいどういうだろうか? 合理主義のドウスさんだったら、「日本はグンと高い観光税を、全外国人観光客に対して課しなさいよ。さらに、京都はその上、たかーい、京都入市税を課したら良いわよ」と、宣(のた)まうだろう。すると、堂本先生が「それやったら、日本人も外国行くと、高い観光税とられるで」。返して「望むところです」か。
御所という不在の中心を長くいただきながら、商人や職人が狭い土地で、何とか自らの分と範囲を守り、小市民として日々を暮らしてきたのが京都の良さ、面白さだろう。
めったにテレヴィジョンは見ないが、NHKの常盤貴子さんの主演する「京都人の密かな愉(たの)しみ」やら、近藤正臣さんの「ちょこっと京都に住んでみた」を、料理研究家候補の女将と動画配信で見る。「似非(えせ)京都弁」を自称する女将の京都弁修行のためだ。いつか半年ぐらい京都に住むか、と冗談を言い合っている。
最後に専門の美術の話。学生に絶対に行くように勧めるのが、2つの小さな美術館だ。一つ、祇園の喧騒(けんそう)の前にひっそりと佇(たたず)む、何必館・京都現代美術館。蒐集(しゅうしゅう)の鬼、梶川芳友さんの珠玉、渾身(こんしん)のコレクションが見られる。村上華岳の静謐(せいひつ)・神品の絵画や、かの北大路魯山人の、雄渾(ゆうこん)・繊細な器が圧巻である。その空気たるや凛列(りんれつ)。
五条坂、馬町にあるのは、民藝運動の陶芸家、河井寛次郎先生の、自邸と窯場・アトリエの美術館。自ら設計し、島根は安芸の大工の棟梁(とうりょう)だった一族で建てた、京都の町屋は勉強にもなるし、何しろ、その仕事の潑剌(はつらつ)とした温かみに触れる稀有(けう)なミュージアムだ。やっぱりミュージアムの醍醐味の一つは、個人ミュージアム、個人コレクションですな。
日本経済新聞|新見隆 京都は終わらない? 日本経済新聞|プロムナード(7月5日より、毎週金曜日夕刊にて連載) *日本経済新聞・無料会員は月10記事まで閲覧可能です