鈴木廉Suzuki Ren

新たな作品発表の場を求めて―児病棟における可能性―A new circumstance for art project -pediatrist ward’s possibility-

プランニング|紙、パネル、バナーPlanning|paper, paneling, bannerH728 × W728mm × 4点 H728 × W364mm × 2点 H1700 × W728mm

アーティストの〈発表〉の機会と、社会が文化芸術に期待を抱く〈需要〉の関係から、今日におけるアートシーンの可能性を導きだした。
アートを生活に浸透させていく必要性を社会が唱えるなか、価値ある発表の場を〈病院の小児病棟〉と設定し、人々が集う医療施設での接点を提案。病棟で過ごす小児患者、見舞客、院内スタッフ、病院を必要とする市民。様々な人が交錯する施設環境を向上する一助としてのアートを介入させると同時に、社会での限られた作品発表の場を拡大していく一つの可能性として、本提案に願いを託す。

鈴木廉

芸術文化の根幹を成す「アーティスト支援」問題に、真っ正面から取り組んだプランニング。在学中、学外の様々なアートイベントに運営サイドの立場で参画し、それぞれ単発で終始せざるを得ない現実を目の当たりにし、“ 持続可能な方法論” を真剣に構築する必要性を感じて、その実現化を企てたものである。アーティスト支援で最優先すべきは作品発表の場の開拓であると結論づけ、「企画書」が生まれた経緯を綴った「研究ノート」には、その思いが溢れて胸を打つ。

芸術文化学科教授 楫義明

豊田有里Toyoda Yuri

絶望、そして無常、最後には花を―タナトス=0度の時代から旅立つアート―The Transient Flower in Despair -The Art Leaves Thanatos = the Time of Zero Angle-

論文|紙、くるみ製本Essay|paper, case bindingH210 × W148mm

タナトス、すなわち死の欲求さえ偽物にすり替えられる時代。安易な無機的反復システムの下、人間は生の一回性を奪われ、「0度」のままあらゆる変化を望まない。この生への絶望こそ、アートの出発点ではないか。
本論文では三名の現代作家、冨井大裕、宮永愛子、塩田千春を取り上げる。彼らの作品、そしてアートが、無常という立場に立ったリアリスティックな行為遂行として、現代における「感性の死」といかに向き合うかを考察する。

豊田有里

現代がもつ、言いようのない閉塞感、それに対する透徹した眼差しを根にすえながら、若手気鋭の美術家三人を、先鋭に分析した、意欲的評論。
文体に決然と顕われた、透明な詩情はまた無類であり、読むものは必ずや、現代にも、ロマン主義の命脈が断たれていないことに、瞠目するとともに、定家や長明、あるいは西行のもっていた、中世的諦念とそれを超えてゆく雄渾なる詩魂が、このようなかたちで新たに表明されることに、一筋の光を見いだすだろう。

芸術文化学科教授 新見隆

原田裕規Harada Yuki

アール・ローラン論―セザンヌ作品のダイアグラム分析をめぐって―Erle Loran : Concerning the Analysis with Diagrams of Cézanne's Works

論文|紙、くるみ製本Essay|paper, case bindingH210 × W148mm

本論は、画家アール・ローランの著書『セザンヌの構図』(1943)を主題として扱う。「セザンヌの」と題された書物ではあるが、セザンヌに限らずに広範な作家の作品に対して適用可能な原則が書かれている。ローランはその原則を「制作、批評、教育」に広く応用されるべきだと述べ、視覚的に作品分析を行った。
本論の目的は以下の3点に要約される。(1)前例のないアール・ローラン研究として、資料的役割を有すること。(2)ダイアグラム分析の分析と、美術史上での再定義。(3)研究成果を制作・批評・教育の現場に還元すること。

原田裕規

1905年アメリカ生まれの、画家であり教育者アール・ローランが、ダイアグラム分析でセザンヌの作品を読み解いた『セザンヌの構図』。ダ・ヴィンチまで遡る絵画論を参照しつつ、絵画制作の教本であり、かつ優れたセザンヌ論でもあるこの本を書いたローランの思考と実践を明らかにすることに挑戦した意欲作である。ローランのダイアグラム分析の原田による再分析は、絵を描く人、見る人、そして教える人に、豊かな可能性を提供する。

芸術文化学科准教授 杉浦幸子

山田渉Yamada Wataru

再誕する映画観客―蔡明亮における革新的映画復古の方法論―The cinema audience who is reincarnated -Methodology of the innovative cinema restoration in reference to Tsai ming-liang ’s project-

論文、インスタレーション|紙、くるみ製本Essay, Installation art|paper, case bindingH210 × W148mm

本論考は、台湾の映画監督ツァイ・ミンリャン(1957-)の諸作品に関する分析である。台詞の排除の一方で唐突に挿入されるミュージカルシーンや過激な性描写を特徴とし、映画観客そのものを物語の主体とする彼の作品群は、慣習的な映画に逆らう革新性を備えている。だが本論においては、その革新性はむしろ今日の映像を取り巻く視覚過多な環境において映画と観客が持つ伝統的な関係の復古を目指しているものであると定義する。

山田渉

台湾の映画監督である蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)の作品分析。
映画館が衰退しレンタルDVDやインターネットを介する映画鑑賞の増大にあって、蔡は台詞と音響・音楽の調和的な働きを破壊し、映画内映画の挿入や性倒錯によるジェンダーの超越によって、映像を眼差す主体のありかを撹乱する。本論は、映像分析を通して父性的言語秩序や母性的自然調和から逃れ去る、流動する新しい主体の獲得とその可能性を示唆するものである。

芸術文化学科教授 高島直之