黒河希Kurokawa Nozomi

約1.5m間A sense of distance

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1620×W2273mm

至福Bliss

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1620×W1303mm

私と他者、また場所との関係は時間とともに移ろいゆきます。その変化を自分の中で上手く処理しきれないとき、なんだか分からない違和感や愛おしさのようなものを絵にしています。
言葉になる前の一瞬も、言葉しか残っていないあの日も同じくらい大切にしていきたいです。

黒河希

彼女の作品は様々な感覚に訴えてくる。例えばうねるような力強い筆触で描かれた首のない人。乱暴さもあるが魅力的に人間を簡略化しているなと思って見ていると、突然、同系色の余白の中に陶器が端正に描き込まれているのが見えてくる。そのうち、荒々しいタッチで描かれたそれが人のいる室内であることに気がつく。驚いて一歩退くようにして画面を見ると、デ・クーニングのストロークのような大胆な絵の具の重ね方で床と壁が二つの領域に分断され、その前にどんとカーテンが下がっている。最初は人型の記号のように見えた絵だが、どんどん視線を誘い込み、突き飛ばし、いつの間にか生き生きとした感覚の体験をさせてくれる。様々な次元の装置で見る者を激しく揺さぶる作品だ。

油絵学科教授 赤塚祐二

古賀一樹Koga Kazuki

ウッドデッキWood deck

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1620×W1120mm

バイクBike

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1300×W1620mm

僕は、絵を描くとは、かたちをつくることなのではないかと思います。絵の中に世界が広がっているのを見て、そこに足を踏み入れ、自由を得るとき、喜びを感じます。

古賀一樹

絵画の中で最も長い歴史を持つと言われる人物画というジャンルは、一見オーソドックスで古い印象を与えるかも知れない。しかし一部の専門家だけでその評価の有り様を決めてしまいがちな絵画の自閉性から、絵画を外部の世界へと開き、その可能性を示すのには極めて現代的な方法でもある。その事を古賀はよく熟知し制作しているのであろう。
彼は普通でありながら何処か奇妙で滑稽な人達を描く。例えば奇妙な姿で歌っている女性や、微妙に似合わない椅子に座る女性などである。それらは空気で膨らんだ風船のようでもあり、その肌合いは塩化ビニールで出来た人形のようでもある。彼は人間の表層を描こうとはしていない。現在の人々を通して見えてくる時代や社会の気配をキャンバスへと移し、描いているのである。

油絵学科教授 丸山直文

佐藤暁Sato Atsuki

いまを生きるtoday i live

油彩、段ボールOil painting, cardboardH2350 × W3950mm

ピエロの哀しみpierrot’s pathos

油彩、パネルOil painting, panelH1620 × W1303mm

大切なのは自身の意義や価値ではなく、いまをどれだけ全力で生きているかだと思います。

佐藤暁

作品はダンボールを支持体に、それを貼りあわされたり剥がされたりしながら、何とか四角い絵の様相を呈している。描画材もオイルパステルだけで、太い線が重ねられ、荒々しく塗り込められている。作者がなぜこのような材料に惹かれるのかは分からないが、そのチープで乱暴な表現が物質としての異様な存在感を生み出しているのは確かである。
それにしてもこの夜の静寂(しじま)に立ち尽くす、漫画に出てくるような不良少女は何に立ち向かっているのだろう。それは時に慰撫し、時に逆撫でした少女を取り巻く人間たち、もしくは人々の腫れ物に触るような視線だろうか。いずれにせよそれらは段ボールで貼りあわされた塀となって、やがては増殖した一枚の大きな壁となっていったのではないかと思われる。
そんな遮断した過去の記憶の集合物が、魅力と嫌悪の両方を含んだ生々しい表現として成り立っている。

油絵学科教授 水上泰財

下野薫子Shimono Yukiko

ESTインスタレーション

カンヴァス、油絵具、チューブ、透明ビニールシートInstallation art|canvas, oil paint,tube, clear plastic sheet

to N.R.

悲しくて、かわいくて、嘘つきで、正しい。形の変化や消滅があっても消えないものと、表層に瞬間ごとに現れ、消えるもの。たくさんの喜びと悲しみがあり、すべてが光に照らされている。いまの自分のモラルにおいてのよいものを作ろうとした。

下野薫子

絵を一点で見せるのではなく、複数によって見せる試みが今回はうまくいっている。と言っても、一点では成立しないというのではなく、複数になることによって、それらはつながり、浸食し、共鳴する、という意味である。
絵肌は軽く、透明。一見マンガ的でもあるが、意味やかたちの形成を突然断ち切る筆のタッチや、やり直しのうす塗りがこの上なく絵画的で、臨場感あふれるものになっている。
このように描けたらいい、と思わせるような絵と制作者の幸福な関係も、さまざまな試行錯誤の果てに成り立ったものである。

油絵学科教授 長沢秀之

灰原千晶Haibara Chiaki

北極星を動かす方法をめぐって―いくつかのタスク―Imaging how to move the Polaris - Several Tasks -

インスタレーション|ミクストメディア、木片、油粘土、布、自転車、プロジェクター、モニターInstallation art|mixed media, wood chips, oil-based clay,cloth, bicycle, projector, monitor

どうにかしたいけどどうにもできないことがあった。
ただただどうにかしたかった。でも同時に簡単にどうにかなってはいけない気もしたし、どうにかしたいかも判然としない。
制作を進めていくうちにそのズレは広がり、まずズレに向き合うプロセスが必要だった。今回はそのプロセスをこぐま座の形と、その星座に含まれる北極星を象徴として用いることで作品にしました。

灰原千晶

かつて灰原がつくった作品「渡れるかも知れない橋」は、本学と隣接しながら、ほとんど交流のなかった朝鮮大学校との間に架空の橋をかけるプロセスを作品化したものであった。その後はからずも、実際に朝鮮大美術科との交流が始まるという幸福な展開を見たが、それでもこの作品は、架空だからこそ特異な輝きを持ち得たのだと思う。
その灰原が卒制に選んだのは、天空の中心である北極星を動かす、という荒唐無稽なテーマである。彼女が求めたのは、以前の「橋」と同じように結果ではなくそのプロセスであり、架空なものへの想像力の強度であろう。廃材などによる雑多でむき出しの作品らしきものら。それらとの関わりの中で灰原は「動かないはずのもの」と、未知の言語で交信しようとする。展示室の奥には、動かない事実の象徴として灰原自身の家族の肖像が掲げられ、その横に静かに流れるのは、かつて彼女が家族と住んだ家々を自転車で巡った、どこか切ない映像である。彼女のこうした愚直な呼びかけに、私たちはくすくす笑いの中で、ほとんど意識すらもしてこなかった大量の「先入観」や「常識」が、少しずつ溶け出しているのを知るのである。

油絵学科教授 袴田京太朗

宮﨑 優花Miyazaki Yuka

山の灯Light of a mountain

パネル、綿布、油絵具Panel, cotton, oil paintH1620 × W3909mm

山の影Shadow of a mountain

パネル、綿布、油絵具Panel, cotton, oil paintH1303 × W970mm

記憶の中には確かにあったこともあり、実はなかったこともあります。
判断のつかない遠くの出来事近くの出来事それらが重なりあい姿を変えて
私の手の中で出来上がっていくのを感じる今日この頃です。

宮崎優花

深い青を基調とした独自の世界観が、静と動、太陽と月、プラスとマイナスといった両極的な意識が重なり合いながら一つのものへ調和していく過程を思わせる。彼女が生まれ育った故郷は、山間のちいさなむらだそうだ。極めて主観的な作風でありながら、身体的な実感を持って同調するような不思議な感覚を覚えるのは、そこでの生活がベースにあるからではなかろうか。現実と非現実が混じり合った異空間に、奇妙なリアリティが感じられる秀作である。

油絵学科教授 遠藤彰子

山田明果梨Yamada Akari

ひとつづきconnect in the mind

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1620 × W1940mm

みずはすなおWater reflects as it is.

カンヴァス、油絵具Canvas, oil paintH1620 × W1940mm

光と影、水やコップにうつりこむ世界をみると、どきどきする。
その中に混じってみたいと思ったり、とけこめたと感じたり...。

そういう瞬間を思いだすと、幸せな気持ちになる。

ずっと地面をおっていて、なぜ水たまりにどきどきするのか、少しずつ言葉にできるようになった。
今は、水たまりの深さを描きたいと思っている。

実際は深くはないけれど、すいこまれるように、どこまでも続いていきそうな気がする。

山田明果梨

水溜りの水面に空が映っている。その何気ない小景は、淡い色調で丁寧に描き込まれている。かすかなパースを手がかりに、水溜りのある地面を捉えようとすると、水面に映る空に引き込まれる。水溜りを見ているのか空を見ているのかあいまいになってくる。ふと、絵を見ているということに気付いて「ひとつづき」とい うタイトルを想う。見えるものも見えないものも、触れられるものも触れられないものも、存在するもののすべては、ひとつづきに繋がっているんだなと思う。彼女がその景色を見たときの実感が、じんわりと伝わってくる。

油絵学科教授 小林孝亘

渡邊瑠璃Watanabe Ruri

掬ぶMUSUBU

インスタレーション|麻ひも、土、菜の花Installation art|hemp cord, soil, field mustard

絵画の皮膚であるキャンバスを麻ひもで織ることから始まった

たて糸によこ糸をうえしたうえしたうえ…
わたしが消えてゆくような まるで祈るような作業
祈りを織りこむ

一本の長いひもが線でかたちをつくりだす
終わったら次のひもを結び またしたうえしたうえしたうえした
そのたびタマシイもむすばれてゆくのだろうか
この手で掬ってそそぎこむ

いつか解けてしまうこのかたちたちに
わたしやあなたが この山にその風にあの海に とけゆくひをゆめみて

渡邊瑠璃

渡邊は人体の背中を手がかりにしながら、巨大な子宮やカブト蟹の甲羅のような対称性の強い生命的な形態を創りだした。それは植物繊維の紐を入念に掬ぶ(むすぶ)ことによって作られているが、依り代(神霊の寄りつくもの)とされる植物繊維は、掬ぶという身体の力によって、かた・ち(型+血、乳、地)を与えられ、名付けようのないデーモン的存在として生み出された。作品は生き物の表皮あるいは抜け殻を思わせるが、渡邊は元より表皮に対する強い興味を持ち作品化してきた。しかし真に求めているものは、表皮に包まれ見る事のできない血の通った温かい内部であり、体温によってつくられる特別な場、空間なのだろう。渡邊の行為は、大切な中身が流出し離ればなれにならないようにと掬ぶ、祈りのようにも見える。その中身が何であるのか、言葉にする事は難しい。しかし掬ぶ行為によって作られた作品の姿は希望と断念を抱えて在る。

油絵学科教授 樺山祐和