藤本彩Fujimoto Aya

家屋Ⅰ 廃墟house1 ruins

セラミック、釉薬Ceramic, glaze30.0 × 65.0 × 85.0cm

家屋Ⅱ 増築house2 enlarge

セラミック、釉薬Ceramic, glaze40.0 × 60.0 × 70.0cm

家屋Ⅲ 倉house3 storehouse

セラミック、釉薬Ceramic, glaze45.0 × 60.0 × 70.0cm

家屋Ⅳ 密接house4 close

セラミック、釉薬Ceramic, glaze45.0 × 70.0 × 55.0cm

何気ない風景を観察することにより、偶然と必然から出来たおもしろい形を発見することができる。

藤本彩

大きな作品だけが大きな空間を支配するとは限らない。藤本の作品の特質はセラミックという素材と技術を起点としながらも、空間の質を確実に変化させているところにあるだろう。それを可能にしているのが作者の視点と身体感覚だ。まずこれはミニチュアサイズの住宅ではなく遠景の視点であること。そしてその視点と素材が出会う事によって得られる身体感覚。セラミックで作られた住宅群は古代の副葬品を想起させるかもしれない。これは時間を止める技術だ。ここで止まっている住宅群は機能主義の空間ではなく、ご都合主義で生まれてしまった隙間である。
何百年後の視線を感じながら、この隙間をなぞるように内側と外側の境目に形を与えてゆく。この過程で獲得された身体感覚こそが、この空間が表出された起因だろう。つくることを通して初めて見えてくるものがある。

彫刻学科教授 伊藤誠

茂木美里Mogi Misato

鏡と布Mirror and Cloth

Camphor tree, wood carving195.0 × 106.0 × 140.0cm

鏡の中に広がるあちら側の世界。
目には見えるけど、触れることはできない。
本当はあるのか、ないのか。
木を彫ることで実体を与え、少しでも近づこうとする。

茂木美里

茂木の作品「鏡と布」は鏡に映る室内と、それに掛けられた布が木彫に油彩という手法で表現されている。実像世界としてのフレームや布が荒々しく、リアルな木の質感をたたえているのに対し、虚像の世界である室内が粘っこい質感の起伏と、それに対応するかのような色調によって表現されている。
それは、ただ単に鏡の機能である虚像世界ではなく異世界への入り口としての印象を持つ事ができる。
そして、近寄るにつれ現実と虚像の境界が消失する。クローネンバーグの「ビデオドローム」のように、虚像が実体を持ち増幅され、意思を持って実像世界をも食い殺してしまうのではないか!と。もうすでに彼女にとって、鏡に映された世界は虚像ではなく、実像以上に強い意思を持ちはじめているのだ。

彫刻学科教授 三沢厚彦

森明音Mori Akane

まちⅠTownⅠ

Iron220.0 × 430.0cm

街並みのような、地図のような、
建物のような、そんな作品です。
鉄と戯れるように作りました。

森明音

通常なんらかの物が作られる場合、その用途、形によって素材が選ばれる。大きな平面によって構成される近代建築には平たい鋼板は便利であるが、複雑な形体を要求する彫刻には不便な素材である。
森は、そのつるつるした人工的な一枚の鉄板を不揃いで小さな鉄片に分断し複雑な立体物を作ってきた。この場合小さな単位にすることは合理的である。しかしこの作品のように平面的、レリーフ的表現にとって必ずしも合理的とは云えない。ここでは目的と手段が逆転している。立体物をつくる手段が平面的、レリーフ的表現の目的となって作者を突き動かしている。鉄片を溶接する過程での熱による歪み、歪みを修整しようとハンマーで叩くことによる別の歪み。気の遠くなるような不合理で理不尽な行為の果てに、一枚の鉄板の新しい姿が出現してくる。この場合イメージは重要ではない。

彫刻学科教授 戸谷成雄