青山かほり・坂倉圭一Aoyama Kahori, Sakakura Keiichi

INDIVIDUAL RESTORATION

インスタレーション、パフォーマンス、映像|モニター、毛皮、鉄、シルクオーガンジー、塩、アイランプ、ライトスタンド、鏡、ドラム式延長コード、砂Installation art, performance, movie|monitor, fur, iron, silk organdie, salt, eye lamp, light stand, mirror, drum-type extension cord, sand1150.0 × 450.0 × 460.0cm

これはファッションショーではなく、空間を介したパフォーマンスである。
ファッションとはただ衣服ではなく、生き様である。
心模様やその表情、背景やシチュエーションである。

リアリティのもつ説得力は、個々の美と存在感を生み、
それは束の間のはかなさを生んだ。

青山かほり・坂倉圭一

ファッションの黄昏、人生の曙。
いままでファッションショーでこのように泣いたことはない。坂倉圭一、青山かほりはパーフェクトなデュオだったと思う。彼らのショーを観ながら、私は感動して涙した。三度観たがその度に。
彼らのコラボレーションには魔法があった。感動的なイメージの連続はゼロのオーケストラ演奏を観ているようだった。夢の中にいるようなショーのセットの中で服はゼロとなり、私たちが生きるこの時代の美、暴力、情熱が渦巻く夢が謙虚な礼節を持って表現されていた。
伝説的な監督Andrzej Zulawski(the important thing is to love)や、大島渚(愛のコリーダ)、リドリー·スコット(ブラックホーク·ダウン)の世界を思い起こさせるものがあった。
服は無残で何もなく、襤褸(ぼろ)だった。それがこの作品のポイントであり、ファッションであふれている今の時代に生きている私の中で、この悲惨さは大きなステートメントとなった。
ファッションの進化とスタンダード。そしてわたしたちはどこに向かうのか?
夕暮れに染まるセットの中で私は何かが終章を迎えているのを感じた。
人生の黄昏か?
時代終焉か?
大衆文化と消費市場の中におけるファッションの在り方の変化の兆しか?
次なる価値観、アートファッションの曙。
『黄昏』の後に必ず来る『曙』を感じさせる作品として、私に密やかな予感を与えてくれた。

空間演出デザイン学科教授 パトリック・ライアン

安部紀之Abe Noriyuki

curve

インスタレーション|水糸、ブラックライトInstallation art|leveling strings, black ligh20.0 × 328.5 × 700.0cm

curve=曲線

曲線の持つ美しさを表現した空間。

曲線を波に見立て、それらが空間を浸食してゆく。

安部紀之

暗闇に、静かに押し寄せる光の波。
それには、不気味さや不安のような意味はなく。
何も音はしなくても聞き入るような、「無」と「生」の感覚がある。
発光する糸が、線が、まっすぐ進もうと震え、大きく飛ぼうともならずに、ざわめき、つぶやき、果てしなく広がろうとしているようなのだ。
そこにある静止した発光物は、あるはずの無い何かが確かに感じられる。

与えられた場所において、「闇」と「光」それ以外を上手く排除できたことが、的確に神秘性を感じさせることを可能にした。

空間演出デザイン学科教授 五十嵐久枝

刈谷康時Kariya Yasutoki

AsobiAsobi

インスタレーション|電球、電線、solenoid、arduino programmingInstallation art|light bulbs, electric wiring500.0 × 200.0 × 50.0cm

解説に代えて
インスタレーションを制作する上でのモットーは
『精度に遊びはなく、あなたの感想に、心に遊びを』
と掲げており、解説するのは避けたいと思います。
なので、強いて言うのならば、
『アソビ・デザイン』 となります。

いろいろに感じて頂けると幸いです。

刈谷康時

この作品は11個の白熱電球が直線状に吊られていて左端と右端の1個が触れて残りの10個に衝突する、という極めて単純な仕掛けである。しかし思わず作品の前に佇んでしまう。その魔力を作っている仕掛けの一つが乾いた衝突音である。カチッ、カチッ、とメトロノームのような機械音を刻んでいる。
そしてもう一つは衝突のエネルギーを視覚化するための閃光だ。この瞬き(Blink)のお蔭で11個の透明な電球が実は同一人物であるようにも見える。

空間演出デザイン学科教授 面出薫

戸口隆Toguchi Takashi

無題untitled

鉄板、モーターIron, mortar190.0 × 130.0 × 250.0cm

鉄の塊が、冷たく、重く、ゆっくりと、音を立てながら動くことにより、何とも言えない感情を出しているような、何かを語りかけているような、その奥に見える少し哀しげな情景を、ある面影を思わせながら同じ動きを繰り返す。

戸口隆

キネティック・アートの鬼才Arthur Gansonの「Machine with Chair」は、椅子のそばを通りかかる機械がさりげなく、しかし高らかに椅子を持ち上げ中空で一回転させ、そっと元の位置に誇らかに、そして静かに着地させ、一編のきらめく詩のように去って行く。
戸口の作品は、描き切れない円弧のような鉄の車輪がゆっくりときしみながらも、描き切れなかった円弧の重い夢想の前でやがて引き返してしまう。
いつの日か回ってみせたいと綿々と綴る感傷の叙事詩のようだ。

空間演出デザイン学科教授 小竹信節

若林邦甫Wakabayashi Kuniho

時行列車the train which leapt through time

舞台装置|木材、布、プロジェクター 他Set design|wood, cloth, projector, other250.0 × 450.0 × 800.0cm

夕闇を駆ける列車
時の狭間に潜り込み
辿り着いたのはうつろの国
黄色く灯る明かり
それが私の全てだった
巡る季節
縮小される世界
そして映画は粒になって砕け散った

若林邦甫

少ないけれど自分の言葉。小さいけれど自分の技術で紡いでいる作品はとても好感がもてるものである。
この作品は、自分から湧き出たままの思いで作られている。
若林邦甫は素直な表現で、彼の追体験が溢れ出てくる作品を造った。
車窓から見える風景が移り、やがて思い出の家に至る。甦る家族。甦る思い出。幼ない若林。月日が流れて、去って行った時間を胸に抱く。
—人は振り返って自分をみつめ、過去と決別し、次の扉をあけてゆくのである。「時間と空間」にこのストーリーが介入している。
—これがセノグラフである。

空間演出デザイン学科教授 堀尾幸男