新見隆教授が日本経済新聞「プロムナード」にて連載を7月5日より開始

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)が、7月5日(金)より日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」にて連載を開始しました。


日本経済新聞 2024年7月5日(金)「プロムナード」掲載

美大的日常
美大の教員という名刺を出すと、ああ美術を教えているのかと、世間の人は納得するのだろう。去年からは、教えている美大に付属する美術館・図書館の館長もやっているから、その肩書きも付く。コロナ禍前は、大分の県立美術館を立ち上げるのに、館長もやった。だが、実態はどうなんだろう?美術にあんまり関心の無い人は、「そう?そうなんですか?」と、ややポカンとするだろう。
お前は何モノだ?とは、滅多にきかれないが、普段、キュレーターという肩書きを使っている。耳慣れないから、美術館で絵を集めたり、展覧会を企画する専門職だ、と答える。
学生は皆ほとんど、造形で、身体と手を使って「モノ」をつくっているから、「先生、何やってるの?」と勘ぐる場合は、「俺は人様の絵を借りて来て、壁にかける仕事、たったそれだけで、家族を養って来たんだよ」と、答える。教えているのも、そういう方面の事どもだ。ミュージアムの専門職、つまり学芸員となる資格を取るコースの学生を受け持つ。彼らは、造形作家やデザイナーになる専門教育を受けながら、同時にその資格を取るために僕から学ぶ。二足の草鞋?だから、怠け者はまずいない。
だが、彼らがやった事のまだ無いプロの仕事の内容を教えるわけで、いろいろ工夫する。手を動かしてそれこそ「モノ」を並べさせて、駄目出ししたり、「こうやるのさ」とやってみせたりする。「やってみせ」て「ああ、そうか」と納得しないと、学びにはならない。山本五十六じゃないが、「やってみせ、説いて聞かせ、やらせて褒めて」初めて人は育つ、と信じる。
若い頃は、「十年同じ仕事を続けて、やっと一人前だ」と、言われて育った。だからなるとは思っていなかった教員になるまで17年間、美術館の学芸員をやった。なってからもやっているから、もう40年以上、この仕事しかやっていないことになる。
日本じゃポカンとされるが、海外に行くと、パスポート見せても、タクシーに乗っても、「美大の教員、美術館の館長」と言うと、ひとしなみに、「へー、凄いね!素敵だね!」と、驚き、喜び、「江戸っ子だってねえ」じゃ無いが、飯や酒まで奢ってくれる勢いになる。これは、難しく言うと、民衆の一人ひとりの意識に、美術や芸術にかかわることは、自分には出来ないが、自分たちの喜びや楽しみ、そういう人間皆が生きていくために最も大事な魂の仕事をやってくれている、という尊敬の心が染みついているからだ。長い歴史や社会の仕組みの中で、そういう土壌が育っている。誰が言ったか忘れたが、「芸術家は、社会の天使」という言葉が有名だろう。翻って日本は?とは言うまい。
駆け出し学芸員だった僕に、上司は今ではよく聞く言葉だが、「文化の場というのは、本当は豆腐屋と銭湯だ」と言った。「小さな地域に必ず一つあって」、「廉価で皆に好かれ」、そして「一つとして同じものがない」。「日本の美術館は、まだ半世紀、豆腐屋と銭湯に遅れているから、お前たちが頑張れ」と叱咤された。そして半世紀経ったが、またさらに、学生たちを同じ言葉で叱咤しないとならないのが、やや情け無い。
学生に徹底して教えるのは、そういう魂の仕事に生涯を捧げている、その誇りと気概であろうか。


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