新見隆教授のコラム「図書館という、夢」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、7月19日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年7月19日(金)「プロムナード」掲載

図書館という、夢
現在私は美大で授業を受け持ちながら学生の教育に当たるのと、もう一つは、大学に付属する美術館・図書館の館長として、現場を指揮している。まあ、美術館は、学芸員としてもう40年も現場にいたから、お手のものと言えばいえる。だけれど、図書館の仕事は初めてだ。むろん、司書の資格も持ってはいない。
だが実はこの図書館の仕事につくのが、私には一つの夢だった。というより、図書館というのは、誰にとっても、夢の場所だったのではないだろうか。館長挨拶に、やや気負って、学生に向けてこう書いた。「私たちは、あなた方の孤独の友でありたい」と。格好つけてる?かも知れないが本心である。
〈一冊の本が、人生の真の友だとあなたが知らないなら、それは、あなた自身の人生の価値の過半をドブに捨てていることになるだろう。 生きて行くのは、辛(つら)いし、しんどい。ハッピー、だとか面白おかしいばかりであるわけはない。絶対に、ない。だが一人、たった一人で、そういう時に、図書館に来ていただきたい。一人の、自分だけの、唯一無二の、友を探すためにだ。読まなくても構わない。もう、単なるお勉強は終わったのだ。本の背を眺め、手に取ってなでるだけでも、それは立派な本とのコミュニケーション。ただボオッと、何もせず、何も思わず、図書館でぼんやりするのも、良いだろう。 誰にも、心の古里が要る。涙を流すのもよし、また、その必要もなかろうさ。あの、子供の頃の、悲しい澄んだ野原のように。無限の遊びの迷路のように。あなたたちを、我々は心から待っています。〉
皆読んでくれないから、ここにわざと引用した。
小学校の時の思い出には、図書館は出てこない。日がな運動場か帰り道の神社の境内にいて、サッカーやら隠れん坊ばっかりやっていたから出てこない。孤独....は、まだ始まっていない。中学・高校を、広島市郊外の丘の上の、私立の男子校に通う。生まれ育ったのは、県東部の港町、風光明媚(めいび)な観光地で鳴らした、尾道だ。今なら通えないこともないが、山陽新幹線も開通していなかった当時、私たち遠くの生まれの生徒は、学校内の寄宿舎で暮らした。
進学校で、部活動は週2回。通学時間がないから、たいていは放課後、図書館にいた。集団生活の中で、唯一の孤独の時間と場所。勉強などしない。広島の川を見下ろす高台の校舎、4階からの眺望は無類で、窓際に本を持っていって、閉館までそこにいる。町をただ眺めていて、飽きなかった。
学芸員は、謂わば徹底して「見ること」が商売だ。「見ること」のプロフェッショナルなのだが、その訓練はたぶん私の場合、この図書館での放課後の眺望と、おそらくは、古里尾道の美しい眺めからきているだろう。
フランス象徴詩の鬼才、ランボーに、そして小林秀雄に出会って、ショックを受けた。哲学者・森有正の難しいエッセーや、生涯の影響源になる世紀末のドイツの詩人、リルケに出会った。孤独、懊悩(おうのう)、蹉跌(さてつ)、青春のすべてをそれらが、引き受けてくれた。
やがて、慶應大の文学部仏文科に入学した。俺は勝手に生きるさ、とうそぶいた。その後、子供の頃から絵を描いたり手を動かしてモノを作ったりするのが好きでやっていたから学芸員にくら替え?そして、周り回って、また本の側にやって来た。果報者だ。


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