新見隆教授のコラム「自画自賛」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、8月9日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年8月9日(金)「プロムナード」掲載

自画自賛
コロナ禍4年で4冊の本を出せたので、家長としての威厳は保てたかもしれない。
その直前まで大分と東京をひっきりなしに行き来していた。授業以外はほとんど空港で寝ていたような生活からも解放された。世の中の人には、世界中を飛び回って、よっぽど旅行好きなんだろうと思われているようだが、実は、正反対だ。旅、それは楽しい部分もむろんある。日頃の生活から解放されて、自由気ままに鳥のように空を旅行する喜びはあるが、ままならないストレスの連続でもあって、こんな七面倒臭いものからは、出来れば、逃げたい。
引きこもり症ではないが、家にいるのが心底好きだ。会いたくもない人にも会わなくて良い。やはりいちばん大事な、一人の時間があって、孤独が何よりのご馳走だ。我が家には、私の書斎は無い。要らない。隣家もらい火で、焼失した家を立て直してからは、どうせ極小住宅なんだからと、中心を女房の過ごす大きな台所にした。彼女は、日がな一日、ここに立って料理をしている。後は寝る部屋があるだけ。十分。いわば船上生活。ダイニングの隣の本棚とソファのある部屋が、簡易書斎である。原稿も、ここで寝転がって書いている。息子の部屋もないから、子供たちが帰ってくると、ここを息子に明け渡す。
最近著は、『共感覚への旅』(アートダイバー社)という。日がな一日聴いている、音楽の話に、専門の美術を絡めて書いたもの。念願だった。誰も書評を書いてくれないから、ここで自画自賛評をやろう。小難しく言うつもりはないが、滅多にない本だ。専門家というのは、だいたいが守備範囲が狭く、ジャンル別にそれぞれの専門に閉じ籠もって仕事をする。深めるために、仕方ない部分もある。知っている範囲でも建築家・デザイナー、画家・彫刻家、など驚くほど、他ジャンルのことを知らない。人間の交流もない。音楽家・演劇人、ダンサー・舞踊家、オペラ関係者、さらには、詩人・小説家なども、似たり寄ったり。
私は学芸員として、日本では侘び茶の大成者の千利休、外国では、20世紀の新しい総合芸術、「ロシア・バレエ団」を率いた、セルゲイ・ディアギレフという奇人を先達としている。彼らは共に、自分の手を使って何かを生み出した人ではない。周りに綺羅星(きらぼし)の如き才人を従えて、彼らを率いた。皆利休のために、ディアギレフのために、彼らの趣味と思想に従って、革新的な仕事をした。
学芸員になる学生には、我々は、作家・美術家を前に押し出す黒子なんだが、しかしながら、全文化的なる総合力で、彼らを従えないとならない、と言う。だから、彼らと同じように、場合によっては彼らよりもっと、広く、深く、あらゆる文化的事象を、身体で身につけていないと、彼らは学芸員を信用してついてきてはくれない。毎日、たゆまず絵筆を握って絵を描いているのが、画家であって、毎日、たゆまず鑿(のみ)で彫るか、粘土をこねるのが彫刻家だ。だとしたら、我々は、日々、何を弛(ゆる)まず鍛錬すれば、良いのか?
全身全霊で、モノを見て、書いて、考えて、感じるのが、仕事だ。
今回の本は、まだまだ道遠しなんだが、そういう生涯一学芸員である私の、集大成。つまり音楽を美術で、美術を音楽で、入れ子にして語った、新文学の登場であろうか。


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