新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、10月4日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。
日本経済新聞 2024年10月4日(金)「プロムナード」掲載
人間をつかむ営為
学ぶのが嫌いで、独りよがりの私にも、師と呼べる人物は多い。アムステルダムの市立ステデリック美術館のデザイン担当の主任学芸員ライヤー・クラスは大先輩で、親友でもある。今は引退して春にはヨットで奥さんと外洋航海を楽しむ大趣味人。飲み友だちでもあり、港を臨むアパートで、料理自慢の彼に、何度ご馳走になったことか。
大規模なオランダの新造形派美術の展観をやった時、大きな作品をインテリアごと貸してくれた。それだけでなく、航空便で運ぶのが常識の美術作品を、初めて当時開発された空調付きの船便で送ってくれた。彼は互いの未来のためにチャレンジするのが学芸員の責務だとさらりと言った。
ライヤーを、武蔵美の訪問教授で呼んだ。招待して1週間、学生を教え、ワークショップしてもらう制度だ。昔、使った剃刀(かみそり)の歯を研ぐ、小さな玩具のような機械をいくつか持って来た。彼自慢のコレクションだという。学生は見たこともない小さなハンドルを回した。ライヤーはこれを使って展覧会を企画するように言った。自分たちの生活や、日々のあり方や、その利便さや、不便さ、人間の日常の気持ち良さがどこから来るのか、考え話し合うように促す。近代生活や発明や機械についても、自ら考えて意見を述べさせる。そうやって学生たちは皆、苦慮しながらも面白がって、素敵な展覧会を考えてプレゼンテーションした。
彼は私のように簡単に駄目出しをしない。他愛(たあい)ない、些細(ささい)な思い付きにもていねいに耳を傾ける。私とは違う姿勢に、感動すらした。最後は彼手製のタイ風トムヤンクンや、インドネシア料理でグローバル・フュージョン大宴会だ。
最後の夜、彼に呼ばれてホテルのバーに行った。
「リュウちゃん、僕が帰ってから学生に言って欲しいことがある。僕は小学生の頃、戦争中、インドネシアの日本軍の占領収容所に母親と居た。父はジャワの山奥で強制労働させられた。後、オランダに帰ってから、幾度も日本に来た。京都や奈良で修学旅行の中高生に会うだろ。あの制服が、軍服を思い出して、いつも恐怖で身体中が震えて、卒倒しそうになるんだ。今回の授業はそのトラウマをなんとか僕の中で癒すためのリハビリでもあったんだよ。学生たちに、本当に心から感謝している、と言ってくれ」私たちは、互いにただ、涙が止まらなかった。
一度ならず、オランダのデザイン展で大分にも呼んだ。臼杵に漂着した商船、リーフデ(オランダ語で愛)の乗組員を助けたのは地元の漁民たちだ。幕府通辞の三浦按針や、砲術指南、ヤン・ヨーステンが乗っていた。
臼杵の砂浜に立って「何度も、何度も、難破してなあ、それでも奴らは、日本にやって来たんだよ」。そう言って遠い海を見ていた2メートル近い巨漢の姿を、私は忘れないだろう。
彼は、今も新しい研究論文に取り組んでいる。そのテーマと言って、拾った錆びた鉄条網を捻じ曲げたブローチの写真を送ってくれた。「収容所の中で、女性たちがつくったジュエリーがテーマ」。それは痛々しいほど、彼女たちの身を守る、小さな鎧、そして誇り高く、自らを美しく着飾る、空の星のように見えた。
私たちにとって、デザインとは、人間そのものを探り、問いかけ、つかみとろうとする見果てぬ営為なのだ。
日本経済新聞|新見隆 人間をつかむ営為 日本経済新聞|プロムナード(7月5日より、毎週金曜日夕刊にて連載) *日本経済新聞・無料会員は月10記事まで閲覧可能です