新見隆教授のコラム「総合芸術の夢」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、11月1日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年11月1日(金)「プロムナード」掲載

総合芸術の夢
昔話になるが、単身、徒手空拳、ある大規模な展覧会の準備でロンドンに長く滞在した。1980年代の後半だから、ロンドンの再活性化はまだ起こっていなかった。いわば、落日の大帝国、その埃(ほこり)っぽい、それでも見栄えのしない気取った老人のたむろする、くたびれて暗い街だった。

当時はまだ、林望さんの名著『イギリスはおいしい』も出てなかった。昼のサンドイッチ、たまに行くネクタイ必須の魚料理店「ウォルトン」、ロースト・ビーフは別にして後は、中華街の飲茶か、カレーで辟易(へきえき)した。「まあ、フィッシュ・アンド・チップス食べとけば間違い無いわよ」と言われた。たしかにグラスゴーの街角で立ち食いした、その味は生涯忘れないだろう。

その時知り合ったのが、画家でステンドグラスの作家、ブライアン・クラーク。少し年上で、50年代に旋風のようにわきおこり、60年代に隆盛したロンドン・ポップアートの末裔と言ったら良いだろうか。彼はポール・マッカートニーたちとも親友で、演奏会にもよく連れて行ってくれた。

高級住宅街、ナイツ・ブリッジに瀟洒(しょうしゃ)なアトリエを構えるほど成功していたが、彼は、北のマンチェスター近隣の田舎町の炭鉱労働者の息子だ。英国特有のアーツ・アンド・クラフツ奨学金を得て美大を出た。才能ある若者を抜擢(ばってき)する、社会主義的な互助システムは建物などの文化財を徹底して保護するナショナル・トラストと共に、大英帝国が世界に誇るべき制度だろう。

ある逸話がある。

とあるパーティーでのこと。時の首相、サッチャーに、彼の亡き母君は「悪いわね、あたし労働党なんでね」と小声で呟(つぶや)いた。鉄の女宰相は「私は、あらゆる種類の忠誠心を尊敬いたします」とさ。さすが英国人魂、ここにありか。

ステンドグラスが主たる仕事で、有名建築家とのコラボレーションも多い。鉄とガラスの元祖建築家として知られる、ジョセフ・パクストンのバースにあるアーケードの大改装で大きな仕事をやり、スタンステッド空港の見事なステンドグラスは巨匠ノーマン・フォスターとの共同だ。

彼は財布にいつも、小さな紙切れを入れていた。それにはドイツ語で「総合芸術」と書いてあった。19世紀末に新しい社会が生まれる、それまで統治者の趣味趣向でバラバラだった建築や生活空間を統一して市民のためのデザインにしようとした、当時のロンドンやベルリン、ウィーンなどの芸術家の合言葉だった。彼は自分をその精神の継承者と位置づけひたすらスケッチして、デザインした。23時間仕事しかやらない人である。

私は若い頃から、英語が得意で彼が来日して私と展覧会をやった時、大企業の重役連中に高級レストランで接待されたことがある。私も同席するように言われたが、場違いで共通の話題がなかった。

私とちがい、世知にも長(た)けている社交的な彼はくだらない冗談にも、楽しそうに相づちを打って、愉快そうだった。

その夜、2人でバーに行った。「リュウちゃん。奴らのような、最低な英語を絶対に使っちゃ駄目だぜ。日本のビジネスマンは、だからバカにされる。お前さんは文化人だ。英語は人まねじゃない。拙くても何でも自分の言葉で自分の文化を話す。それが真の文化だ」

さあ、いつかもう一度奴の展覧会を日本でやることが、私に出来るだろうか。


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