槙原泰介|Taisuke MAKIHARA Nature Study

日程 2016年11月14日(月)~2016年12月10日(土)
11:00-17:00 *日・祝日休廊
場所 2号館1F gFAL

槙原泰介さん(2003年大学院造形研究科修士課程美術専攻油絵コース修了)の展覧会のお知らせ。

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槙原泰介 /「つくる」こと

袴田京太朗(彫刻家・油絵学科教授)

ありとあらゆる手段や理由を総動員して、現代の表現者たちは常に「つくる」ことの正当性を探している。歴史に裏打ちされた造形性の極み、逃れられない人種や性差の問題、取るに足りない下品でバカバカしいことから言葉にできないような微妙なニュアンスまで、その過剰なとりとめのなさは、裏を返せば、何かを「つくる」ことが簡単には正当化されない時代にわたしたちが生きているということだ。もちろんそれは美術に限ったことではなく、「つくる」ことの困難さはもはや一般化されているといってもいい。

記憶に新しい「つくる」ことをめぐる国家ぐるみのドタバタ劇、2020年の東京オリンピック新国立競技場をめぐる騒動は、超弩級近未来系のザハ・ハディド案がその後の不細工な修正案を経て、まさかの白紙撤回、紆余曲折を経て隈研吾の当たり障りのないプランに決着した。しかしこの騒動の本来あるべき最良の結末は、無難な新競技場の建設ではなく、旧競技場のリノベーションにあったことはいうまでもないだろう。「つくる」ことがそれだけで正しく、善であるといわれた時代が終わり、「つくらない=つくる」という新しい方法論を具現化した旧国立競技場リノベーション案。だがそれは社会的な行為として最良の答えでありながら、「表現されたもの=作品」としては決定的な欠陥があるように思う。それは、使用者、つくり手、環境、国家、歴史、未来など、あらゆる意味において善であり正義であるということだ。そのことでリノベーションされた旧競技場は社会や日常に過不足なく取り込まれ、道徳的な正しさを得る代わりに、作品にとって最も重要な「他者性」を失うことになる。「他者性」とはすなわち自律性であり、こういってよければ絶対的なわけのわからなさだ。たとえ社会や日常に限りなく近づいたとしても、ギリギリのところで他者であり続けることこそが、作品と呼ばれるものの普遍的な価値を決定づけることになる。

槙原泰介も新しいなにかを「つくる」ことを徹底して疑っている作家である。多くの場合、槙原がとる「既製品の加工/未加工」という手法は、それじたい現代美術的セオリーのひとつといってもいいが、槙原の特異性はその提示の仕方のあっけないほどの明解さにある。既製品という多くのニュアンスを含んだ多義的で交換可能なものをあつかいながら、こうとしか在りようがないとでもいうような迷いのない手つきは異様ですらある。

その明解さによって槙原の作品が見せるのはある種の断絶である。知っているはずのもの、今まで意識すらもしてこなかった当たり前にあったものが、まるで分厚いガラスの向こうの言葉のない世界に追いやられてしまったかのようだ。悪意や暴力をも臭わせるその不条理は、同時に無意味でバカバカしい遊戯的な軽さを合わせ持つ。

見えているのに触れない、知っているのに理解できない、その断絶は日常や社会に寄り添う善なる正しさとは真逆の、わけのわからないもの=他者である。既製品から善なる機能を奪い、日常や社会に平然と突き返すこと。それが槙原の「つくる」ことである。

槙原泰介|Taisuke MAKIHARA Nature Study

槙原泰介|Taisuke MAKIHARA Nature Study

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