佐藤碧紗Sato Aosa

作品写真:瞬評
作品写真:瞬評

瞬評 ―さらば曖昧なる「褒め殺し」評論たち
瞬描 ―絵でも文字でも「解読不可能」Flash Critics ―Good bye, backhanded complimented critics
Flash Drawings ―Unintelligible picture and characters

本、映像、インスタレーション|アクリルBook, video, installation art | Acrylic boardH300 × W4000 × D3000mm 19min25sec

四年間学んできて、いよいよ、美術のことがさっぱり分からなくなってきた私は、美術と言葉の関係について、二つの方法で実験することにした。一つ目は、あたらしい展評をかくこと。会場、会期、テーマ、作家、作品、見どころなどといった情報を、徹底的に排除する。これが、「瞬評 ―さらば曖昧なる『褒め殺し』評論たち」である。
二つ目は、何も考えないで描いたドローイングに、何も考えないで文章をつける。これが、「瞬描 ―絵でも文字でも『解読不可能』」である。
この二つの方法で、美術の文章のあり方を模索する。

佐藤碧紗

「表現」の深奥には、世界に対する賛美も憧憬も批評も呪詛も、またある。
すべてを血肉化し昇華して、乗り超え?「ただ一つの唯一」を目指すのがまた「芸術」の宿命。
至高の香気を失わず、なお、陳腐さに反逆できるか?
この果敢なる挑戦が、前人未到の二十一世紀文人画賛の試みと、凡百の似非批評を「批評する」新挑発展評に、今まさに胎動する。一人の表現者として、全霊で身震いするばかり。

芸術文化学科教授 新見隆

清藤千秋Seito Chiaki

作品写真:ラナはアメリカに帰る―ヒップ資本主義と現代の自然志向―

概要
 本稿は、アメリカにおける反逆の精神文化「ヒップ」の過去と現在、未来について、ひいては「ヒップ」を飲み込んだ資本主義と、現代の表象文化全般について、アメリカのミュージシャン、ラナ・デル・レイを通じて述べたものである。

 マーク・トゥエインの『ハックルベリー・フィンの冒険』と、亀井俊介氏の著作『ハックルベリー・フィンのアメリカ―自由はどこにあるか』をもとに、筆者は、「『ヒップ』とはある個人が二つの世界の境界線を越えた時に起こる揺れのことであり、境界線を越えた個人のことを『ヒップスター』と呼ぶ」と定義づけた。もともとは、ヨーロッパからやってきた文明人たちが、無垢な自然の美しさに心打たれ、自然志向と文明志向の両方を持つようになったという、アメリカ人独特の精神性を踏まえた定義である。

 ハックルベリー・フィンも、エルヴィス・プレスリーも、エミネムも、みなヒップスターである。この「ヒップ」のエッセンスは時とともに変化し、現在では創造産業を加速させる高度資本主義と一体になり、「ヒップ資本主義」と呼ばれるに至っている。

 ラナ・デル・レイ(一九八五年―)はそんな「ヒップ資本主義」を代表するミュージシャンだ。古き良き時代の女優風のルックスに物悲しげな雰囲気をまとい、メロウな歌声でラヴ・ソングを歌う。自身のミュージックアルバムに、ホイットマン、ギンズバーグ、エルヴィス・プレスリーを登場させ、『イージー・ライダー』や『ブルー・ベルベッド』へのオマージュをふんだんに取り入れる彼女は、燃える魂を持った反逆者、現代のヒップスターなのだろうか。本稿では、ラナの特異な表現を取り上げ、「ヒップ資本主義」の特質とからめて考察を進める。

ラナはアメリカに帰る
―ヒップ資本主義と現代の自然志向―Lana Goes Back to America ― Hip Capitalism and Contemporary Naturalism ―

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH210 × W148mm

アメリカにおける反逆の精神文化「ヒップ」。そして、エルヴィス・プレスリーやエミネムなど、文化とエスニシティの境界を揺らしてきた数々の「ヒップスター」たち。現在、インターネットの登場、9.11を経て、「ヒップ」は資本主義と一体になった。このグローバルな「ヒップ資本主義」時代にアメリカで加速するローカリズムと自然志向の動きについて、ミュージシャンのラナ・デル・レイ(1985-)を通じて精査する。

清藤千秋

ラナ・デル・レイは、米国の歌手。彼女の唄や映像イメージを通して、「アメリカ合衆国」の文化史のあり方を探究する論考。米国は西洋人が入植してから「文明志向」と「自然志向」という両極の矛盾を抱えて発展してきた。本論は、その不安定な「揺らぎ」を体現するのが各時代の「ヒップスター」たちであることを分析・解明している。アメリカ草創期の小説や詩からその出立を説き起こし、現代資本主義下のラナの歴史的位置をくっきりと浮かび上がらせている。

芸術文化学科教授 高島直之

高城穂々奈Takagi Hohona

作品写真:スケットブック
作品写真:スケットブック
作品写真:スケットブック

スケットブック
―透明ボードを用いた子ども向けのワークショップキット―SKETTOBOOK ―Workshop kit for children using a clear board―

プランニング|アクリル板、紙、布、ツインループ製本、くるみ製本 他Planning | Acrylic board, paper, cloth, twin ring wire for binding, case bindingH257 × W182mm

学年が上がるにつれて美術に苦手意識をもつ傾向にある“ 現代の子どもたち” に焦点をあてて、小学生を対象とした遊びのツール「スケットブック」を制作しました。
遊びを通して「描く・作る・見る」ことの楽しさをより身近に体感しながら想像力や観察力などの技術面を養うことで、「造形活動をたくさん行う図画工作・美術は楽しい」と感じることができ、美術に得意意識をもつ子どもが増えると考えます。

高城穂々奈

教職課程の教育実習先で、美術は好きだけどうまく描くことが出来ない生徒が結局美術から離れていく様子を見て、絵を描く能力を育てるツールの必要性を感じて取り組んだもの。絵を描くきっかけすら、義務教育のなかでは激減しているなか、従来のアカデミックなトレーニングではなく、子ども達の遊びの中に絵を描くことに繋がる要素を見つけ、それを切り口にした本質的な能力開発システムは、アートマネージメントの正に根っこの部分の支援であり、子ども達の選択の拡がりと可能性の開発として優れている。

芸術文化学科教授 楫義明

野中志保Nonaka Shiho

作品写真:和菓子について、私は知りたい。
作品写真:和菓子について、私は知りたい。

和菓子について、私は知りたい。I want to learn about WAGASHI.

本|紙Book| PaperH257 × W182mm

「衣食住」の中でも、とりわけ人間の生活とは切り離すことが出来ない「食」に対する工夫や知恵。それはやがて楽しみ、遊び、そしてデザインへと発展していった。中でも和菓子は日本の伝統文化の一つであり、本来は人々の手で身近につくられていた。現代では家庭でも馴染みが少なくなってしまった和菓子を簡単につくることが出来るレシピ本を、日本の食文化を伝えるツールとして制作。その中に日本伝統文化としての和菓子の歴史、種類、ルーツなどに加え、素朴な疑問や日常生活の中の和菓子の知識などをコラムとして少しずつ取り入れ、読者の和菓子への知識・関心向上を目指す。また、ゼミ全体のテーマである「地域性」にも注目し、全国各地のご当地和菓子に関する情報や、和菓子屋さんへのインタビューを行い、「人と和菓子」「地域と和菓子」のつながりについても考察している。

野中志保

和菓子を身近な「食」として取り入れて欲しい。そんな想いが制作につながった。誰もが気軽につくれる和菓子のレシピ、基本の和菓子と季節の和菓子を核に構成されている。地元の和菓子屋さんのことば、よく知られている和菓子の由来や材料の知識、コラムなど、興味を抱かせる記事を巧みに挿入した編集もいい。
どのように伝わるか、興味を持ってもらえるか、読むこと、見ること、触ることを意識したデザインも生きている。「もの」をつくる心遣いが本造りにも表れた労作である。

芸術文化学科教授 今井良朗

原千夏Hara Chinatsu

作品写真:白磁製マリア観音像―長崎県内における分布と造形的特徴―

概要
 当論文は、禁教時代に潜伏キリシタンたちが信仰対象としていた、白磁製のマリア観音像についての研究である。現在、《マリア観音像》と認められているものは、東京国立博物館に所蔵されている37体がすべてとされる。長崎奉行所による潜伏キリシタン信徒への取調べ文書に、これらの像が没収された際の記録が残されているためである。数が少なく様式の変遷が確認できない、また模造品も多いという理由から、マリア観音像は、キリシタン美術の中でも特に先行研究が少ない。しかし、信徒が所持していたという来歴を持つものは、長崎県内の教会や資料館にも現存する。また、現在もかくれキリシタンやその子孫によって保管されている像もある。本稿では、長崎県内におけるフィールドワーク調査をもとに、白磁製マリア観音像の分布について考察する。当調査によって確認された像と、東京国立博物館の所蔵品を比較すると、造形的特徴による、より細かな分類が可能なことが明らかになった。この造形的特徴による分類をもとに、様式の変遷や渡来時期などについて考察する。
 筆者はマリア観音像について、以下のような仮説を立てている。禁教令に伴い、多くの聖像が破壊された。信仰対象物を失った信 者たちは、中国から渡来した観音像を、聖母マリアの代わりに拝むことを余儀なくされる。初期の段階では、見立ての意識やイエズ ス会の教義に対する反省もあったが、時代が経るにつれて聖母マリアのイメージは薄れた。同時に、「ハンタマルヤ」とはある特定の 形式を持つ観音像であるという、マリア観音像の概念が形成された。その特定の形式の一つに、白磁という材質の特徴が含まれてお り、信者は意図してそれを求め信仰した。後期になると、白磁製の観音像の形式を模した像が、信者の手によって作られた。これら の論拠を提示しながら、白磁製のマリア観音像が、人々の信仰生活に与えた影響についても考察する。

白磁製マリア観音像―長崎県内における分布と造形的特徴―

白磁製マリア観音像
―長崎県内における分布と造形的特徴―Maria Kannon made of White Porcelain ―The Distribution in Nagasaki Prefecture and The Grouping of Characteristic Figuration―

論文|紙、くるみ製本Essay|Paper, case bindingH297 × W210 mm

江戸時代、約250年間続いたキリスト教弾圧の時代に、潜伏キリシタンたちの信仰対象となったのが、白磁製のマリア観音像である。当論文では、長崎県内に現存する白磁製マリア観音像とその分布について、フィールドワーク調査を行った。この調査によって確認された像と、東京国立博物館所蔵の白磁製マリア観音像を比較し、造形的特徴によるより細かな分類を行う。これをもとに様式の変遷や、渡来時期などについて考察する。

原千夏

マリア観音は、江戸幕府の禁教時代に信仰を続けた潜伏キリシタンの信仰対象物。文献を読破し、県内の作例を網羅的に実見したうえで、初期の「見立て」の時代を経て徐々に「聖母マリア」のイメージが薄れていき、特定の形式をもつ「マリア観音像」の概念が形成されたのではないか、と仮説を立てた。関係者からの聞き取り、写真撮影とスケッチ記録など、その造形的特徴を仔細に分類しての論旨は、独自性と説得力があり、美術史に一石を投じるものといえる。

芸術文化学科教授 高島直之

ホウカエイBao Jiaying

作品写真:ムサビ生in上海
作品写真:ムサビ生in上海

ムサビ生in上海
―展覧会を通じ、日本の芸術家が上海で評価される点を調査する―Musabi students in Shanghai
―Study on the good point of Japanese artist through an exhibition in Shanghai―

プランニング|パネル、映像Planning| Panel, video4min32sec 4min20sec

私は日本の芸術家やその作品を中国に紹介し、それが受け入れられて交流が生まれ、お互いの文化の発展に貢献するような展開を生み出したいです。今の中国を舞台に文化交流の新しい動きを作り出してみたいと考えました。まずは実際に中国での展覧会を企画・実施し、現地で求められるものをリサーチすることとしました。ここで得られたものをベースに、芸術文化交流のための効率的なルートを開拓したいというのが、卒業制作の目的です。

ホウカエイ

中国・上海からの留学生として、若手日本人アーティストの作品を、さまざまな可能性と難しさを内包する中国と日本を「つなぐメディア」とし、芸術文化による国際的な交流の可能性の一端を示した。プランニングだけに留まるのではなく、上海で2回の展覧会を実際に行い、来場した中国の人々からフィードバックを得て、それを分析し、未来への可能性を示すためには、高いアートマネジメント力も必要であり、その点も高く評価された。

芸術文化学科准教授 杉浦幸子