新見隆教授のコラム「お上に盾突いた柳宗悦」が日本経済新聞「プロムナード」に掲載

新見隆教授(教養文化・学芸員課程)のコラムが、9月20日(金)付の日本経済新聞(夕刊)「プロムナード」に掲載されました。


日本経済新聞 2024年9月20日(金)「プロムナード」掲載

お上に盾突いた柳宗悦
小難しい話をこの欄であまり書くつもりは無いが、少し、私の授業を開陳しよう。普段から「授業は道場で、秘伝だから、SNSにあげるのは駄目だよ」と学生に言っておきながら、この話は、通信教育の教科書にも書いているから、大丈夫だろう。
ミュージアムの授業で、必ずするのは、民藝(みんげい)運動の創始者で、駒場の日本民藝館をつくった、柳宗悦のことだ。私は、いわば、柳主義者、と言ってもいい。それは、こういうことだ。
柳が歴史に登場するのは、1919年。「三・一独立運動」のおり、「朝鮮人を想う」を新聞に書いて、日本政府の武力による弾圧を非難した。戦前である。立派というか、ホンモノはやはり本当にすごい。お上に盾突いただけではない。朝鮮は日本の美の兄であり、姉であると考えて、とうとう、ソウル(当時の京城)に、朝鮮民族美術館をつくった。自ら蒐集(しゅうしゅう)した、朝鮮の焼きものや、刺繍(ししゅう)、家具などを、朝鮮の人々のために、展示・公開。この美術館の企画・構想が生まれ、設立から今年で100年になる。
また、柳が最も徹底して非難したのは、母語を学校や役所で使わせず、日本語を強要した同化政策であった。言語を奪うことは文化を奪うことであると、非難した。
柳の思想は、私なりに言うと、美は中央政府、その権力から遠いところからやって来るのだ、という、強烈な、判官贔屓(ほうがんびいき)というか、反骨精神に漲(みなぎ)っている。曰(いわ)く、朝鮮、沖縄、アイヌの人たち……そして権力に圧迫されて苦しむ、民衆が自分たちで使うためにつくった、日本全国の日常の雑器だ。それが彼の言う、民衆的工藝だ。それこそが美であると言い切って、実行したのは、どんなに褒めても褒め過ぎるということはない。真の文化的英雄だろう。真の芸術的天才は、私にとっては北の巨人、かの宮澤賢治だったが、柳も別格である。
知られるようにヨーロッパの大美術館は、多くは絶対王制期の王家の財宝をもとに、継承されたものだ。美術館はその始まりから、大きく、強大な権力を背負っていた。
私は世界中のそれぞれ立派な個人のコレクションや、その実際を熟知しているが、やはり、政治ではなく、文化で社会を変えようとした、真の革命家のつくった美術館は日本民藝館以外にはない、と信じる者だ。
また当時、鑑賞するための絵画や彫刻が西洋ではいちばん位が高いのだと外国の万国博覧会で見習って、国内でそういうものばかりを奨励する日本政府に対しても柳は抵抗した。日本は工芸の国だ、使ってなんぼ、そういうものを作って、使って、見せて、何が悪い。表面的にかぶれるなと。
東京・駒場の日本民藝館は、戦前、ちょうど、ファシズムの吹き荒れる、1936年に開設された。その2年後、上野に現在の東京国立博物館の本館が開館した。設計競技が行われ、モダニズム風の建築案も出たのだが、結果、採用されたのは、現在の本館である。「帝冠様式」と呼ばれることもある、鉄筋コンクリートの建物に、東大寺の大仏殿のような、大きな東洋風の瓦屋根をのっけたものだ。
現代の若者たちは、この建物を一体全体、どう見て何を感じるのだろうか。
滑稽で、可笑(おか)しい、時代の遺物=異物、と感じるのは私だけなのだろうか。


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