令和6年度入学式

日時 2024年4月2日(火)
10:00開式(9:30開場)
場所 武蔵野美術大学 体育館2階アリーナ(*階段のみ)

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 教員紹介
  • 学長式辞 学長 樺山祐和
  • 理事長祝辞 理事長 長澤忠徳
  • 教員祝辞 教授 白石学
  • 卒業生代表祝辞 unpis
  • 閉式の辞

会場風景

学長式辞

写真:樺山祐和

武蔵野美術大学学長
樺山祐和

本日、ここに新入生、通学課程、造形学部915名。造形構想学部170名。
大学院造形研究科修士課程134名。同博士後期課程6名。
大学院造形構想研究科修士課程62名。同博士後期課程3名。
海外からの留学生236名。
通学課程総数1,290名に通信教育課程総数を加え、新入生を迎えることができましたことは、本学、教職員、スタッフ、並びに全ての関係者にとって喜びに耐えないことでございます。
本当に嬉しく思っております。

また、新入生の背中を押し、励まし、お支えいただいた、ご家族、保護者の皆さまに置かれましては、これまでのご苦労に思いを馳せ、そのお喜び、いかばかりであるかと、ご推察申し上げます。
本当におめでとうございます。

現在、武蔵野美術大学は、1929年、本学の前身である帝国美術学校創立以来、美術、デザイン、芸術文化領域の専門大学として現在まで95年の長きにわたり、我国を代表する美術大学として歴史を刻んできました。
通学課程4,848名、通信教育課約2,700名、学生総数、約7,600名に達するわが国最大規模の美術大学です。
2017年、2学部制への移行を経て、造形構想学部クリエイティブイノベーション学科、造形構想研究科クリエイティブリーダーシップコースは、昨年度、学部卒業生、修士卒業生、博士後期課程卒業生を送り出し、完全完成年度を迎えました。
そして今年度、通信教育課程が、鷹の台キャンパスに合流し、通学課程と通信課程が場所を同じくし、学びが始まります。これは本学にとってこれまでにない大きな変化であり、今後、通学と通信の新しい関係がつくられてゆきます。美術を志す様々な人々が、この鷹の台キャンパスに集い学ぶ、今までにない美しい風景が作られて行くでしょう。
鷹の台キャンパスの他に、都心キャンパスとして市ヶ谷キャンパス、そして、中央線三鷹に通信教育課程の三鷹ルーム。
各々のキャンパスでの学びが始まることになります。

新入生諸君!
入学おめでとう!
教員、職員、スタッフ一同、皆さんの入学を心より歓迎いたします。

皆さんは、美術大学に入学することを志し、難関の入学試験をパスする為に様々な努力を重ねてきました。そして、その努力が形となって、今、ここにいます。
それは、自分の人生を、作ることに、何かを想像、イメージし、創造、クリエートすることに賭けてみたいと考えたからに違いありません。
何かをつくりたい意欲はどこからやってくるのでしょう。それは言葉では説明できない衝動としか言えないものかもしれません。
そんな、人間の根源的な衝動に突き動かされ、導かれ、皆さんは今ここにいるのです。
これから絵を描き、彫刻を作り、デザインをし、建築をし、言葉を使ってゆくことで、その衝動の正体に近づくことができるでしょう。
絵画とは何か。彫刻とは何か。デザインとは何か。建築とは何か。
徹底的に考え、その思考の果てに、作るとは何か。人間とは何か。そして自分自身とは何者なのかを探究することへ、つながってゆくのだと思います。

今日、この日から武蔵野美術大学での学びが始まります。
思う存分、制作、勉学に打ち込んでください。
探究の力が強ければ強いほど、私たち教員、職員、スタッフは、それ以上の力で皆さんを押し返し、その情熱に応えてゆくでしょう。
探究とは一人で行う単独行です。じっくりと、自分の研究領域において制作し考える。
と同時に大学という場は、個人で制作したものや考えたものを、みんなで共有し、様々な意見を自ら発し、そして聞く場です。
どうか、物おじせず積極的に話しかけ、そして聞いてください。
自分とは異なる色々な考えや方法に、気づくはずです。
そして、皆さんはこれから様々な先生、友人、仲間に出会ってゆくのです。

美術という領域は、本当に不思議な領域です。
経験も年齢も性別も国籍も違うもの同士が、美術という、広く大きなステージに挙がるだけで、そのような違いが払拭され、同じステージで話すことができる。
そこでは様々な違いを乗り越えた自由で対等な関係が醸成されるのです。
この美術、造形がもつコミュニケーションの力の謎に、これから皆さんは分け入ってゆくのです。
そして、私たち教員が常に正しい答えを持っているという訳ではありません。
だからこそ全ての教員が今でも自身の領域を必死で探求しています。一緒に考えてゆきましょう。

これから自由な制作と勉学が始まります。
では自由とは何でしょうか。それは何でも自由に行える、と言うだけではなく、失敗をし、様々なアイデアを捨てる自由があると言うことなのです。
社会は合理と効率で動いています。しかし大学という場所は、大いに失敗をする、大いに無駄をする自由があるのです。おおいに失敗や無駄をしてください。
失敗や無駄は問題ではありません。行動する、ということが重要なのです。

生活の周辺へ丁寧な眼差しを向けることも必要です。自分自身の衣食住から考えてみる。何を食べるのか。どのように食べるのか。何を着るのか。どのように着るのか。どの様なところに住むのか。と言った極めて当たり前のところから考え、そして観察してみることで、現在や社会や自分の生活といったものが見えてくる。
アートもデザインも、そのような地点から始めることで、その表現はリアリティーを持つのだと思います。

私たちは全て名付けられた物に囲まれて生きています。
今、この場所を見渡して、名前のないものを探してみてください。名前のないものはありません。全てが名付けられている。
つまりそれは既存の意味があるということであり、全てに目的があり用途があることを意味しています。それが私たちの現実です。
しかし、ファインアートやデザインは、その現実から離脱し、違った地点から現実を指し示すことによって、新しい眼差しを社会に提示するものです。
それは既存の考え方から自由になることであり、何かを創造することは、既存の考えを疑い、現状の流れに立ち向かってゆくことで生まれるものなのです。
新しい眼差しを持つ戦いは、ささやかな日常の中から始まるのです。

今は表層的な知識を得ようとすれば、ネットを検索すれば大抵のことは教えてくれる時代です。知識を得るのではなく、問いを発すること。
今という複雑で、混沌とした時代だからこそ、その時代に対して、いかなる問いが可能で有効なのかを、考えてゆくことが重要なのです。
大学での学びとは、自分自身の問いを見つけてゆくことなのです。

留学生のみなさん。
皆さんは自国を離れ、この武蔵野美術大学での学びを実現するために、日本語を勉強し、造形を勉強して来ました。どうか、たくさんの友人を作ってください。
そして日本の新入生のみなさん。
文化も言語も異なる留学生たちと積極的に会話をし、多様な価値観を認め合ってください。造形の言葉に、国籍、民族、人種、性別、言語の違いはありません。私たちは造形の言葉によってコミュニケートする事ができる。美術だからこそ様々な違いを乗り超えて行けるのです。
そして、武蔵野美術大学での対話が、お互いの文化の差異を少しずつ乗り越え、人間としての共通の理解を作り出すでしょう。
それは未来への希望であり、私たちが果たすべき責務でもあると思います。
そして、それは、国でも大学でもない一人一人の友情から始まるものなのです。

最後になりましたが、今、ここで君たちに言葉を贈ります。
それは、「君たち自身となれ!」ということです。
君たち一人一人に、無限の可能性が、内包されています。
私たちが、存在することの不思議を思ってください。
それは、何億年も前の生命誕生の時まで遡ることができます。
君たちの中には、魚や鳥であった時の遠い記憶が内包されています。
その記憶には人種や国籍や言葉の違いなどありません。
それら無限の生命の記憶を、どれだけ深く、そしてたくさん手繰り寄せることができるのか。表現の強度とは、その様なことに関わっているのかもしれません。
本学の教育理念に「真に人間的自由に達するような美術教育」があります。
人間的自由は、美術を志す君たちに既にセットされています。
君たちの中で、それは、発動されるのを待っているのです。
つくるという旅が、始まります。
それは、行き先のわからない、経路のわからない旅です。

しかし、わからないからこそ自由であり、多くの新鮮な出会いがある。
ぜひ、君たち自身の若い力で、未だ出会えていない、新しい自分に、出会ってください。
みんな、がんばれ!

理事長祝辞

写真:長澤忠徳

学校法人武蔵野美術大学理事長
長澤忠徳

学校法人武蔵野美術大学を代表して、私、長澤忠徳よりお祝いの言葉を贈らせていただきます。

本年度、1,290名の令和6年度新入生の皆さんをお迎えすることができましたことは、武蔵野美術大学の大きな喜びです。この中には、数ある日本の美術系大学の中から本学を選び、難関を突破して入学された236名の留学生の皆さんが、含まれています。

4年ぶりに、この会場に新入生のみなさん全員が一堂に会して、入学式ができますことを、教職員一同、とても嬉しく思っています。桜も開花し、みなさんを祝福しています。

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。今日から、武蔵野美術大学が、皆さんの母校になります。

また入学生のご家族の皆さまのお慶びもひとしおかと存じます。おめでとうございます。
我が国を代表する伝統あるこの武蔵野美術大学に、御子弟を進学させていただきましたご理解とご支援に、厚く御礼を申し上げます。

さて、武蔵野美術大学(ムサビ)は、その前身となる1929年創立の帝国美術学校創立以来、「教養を有する美術家養成」を建学の理念とし、「真に人間的自由に達するような美術教育」という教育の理念を守り、我が国を代表する私立の総合美術系大学として発展してまいりました。国内はもとより、世界で活躍する数多くの卒業生を輩出してきていることは、みなさんもご存知のことと思います。

全国の都道府県のみならず、海外にも支部を有する、卒業生が加盟する本学校友会は、美術大学では我が国最大規模の7万5,000名を超える会員数を誇ります。

2029年に創立100周年を迎える本学は、70年を超える美術分野の通信教育のパイオニアとして、さらには、「造形学部」、そして、我が国で最初に「デザイン」を冠する学科を創設し、造形美術教育分野の先駆けとして、美術・デザイン教育を常にリードしてきました。

また、創立90周年の年・2019年度には、優秀な多くのクリエイティブ人材を国内外に輩出してきた伝統ある本学の「造形学部」、「大学院造形研究科」の造形教育の実績を基盤として、創立以来培ってきた造形言語リテラシー能力と、自然言語リテラシーとのハイブリッドな能力を有する新しいタイプのクリエイティブな人材の育成を目指して、従来の美術大学の固定観念を超えた「造形構想学部」と「大学院造形構想研究科」を創設し、都心・市ヶ谷に新たな「市ヶ谷キャンパス(Institute of Innovation)」を開設して活動を開始し、国内外からも注目を集めているところです。

こうして、本学は、未来社会に貢献する「創造的思考力」を育む、我が国を代表する最大規模の総合美術系大学として、2学部からなるUniversityとしてのカタチを整え、2029年度に迎える創立100周年に向けた、新しい歴史の一歩を踏み出しています。

ご存知の通り、世界では今、ロシア軍のウクライナ侵攻によって勃発した戦闘が続き、街は破壊され、多くの市民にも犠牲者が増え続け、膨大な数の市民が、戦禍に怯える悲惨な事態が、今なお続いています。さらには、パレスチナでもガザ地区へのイスラエルの攻撃で、日々犠牲者が出ている不幸な状況が続いています。
生きることへの安全・安心が脅かされ、世界の平和が崩壊の危険にさらされる地球規模での問題となっていることは、連日、報道されている通りです。

同時にまた、私たちを取り巻く地球環境も、大きく変容しています。新入生の皆さんが活躍されるこれからの時代は、我が国も世界も、文明潮流の大きな変化の中にあり、国連が提唱するSDGsという言葉で知られるように、「地球と人類の永続性を守る社会」です。

私たちは、世界に平和を取り戻し、私たち人類の望ましい未来社会をしっかりと実現するために、あらゆる叡智を結集して立ち向かっていかなければなりません。そのためにこそ、「創造的思考力」を身につけたイノベーションを推進するクリエイティブな人材を、時代は、世界は、求めているのです。

私たちの武蔵野美術大学は、いまや、日本の私立の一美術大学としての存在を超えて、我が国のみならず、世界の文化、芸術、クリエイティブ産業を支え、リードし、ますます重要になる世界再構築に貢献するイノベーティブな人材育成を使命として担っているということを、皆さんには、しっかり自覚して、ここムサビで学んでいただきたいと思います。

さて、私は、昨年3月、2期8年間の学長任期を終え、11月に本学の設置者である学校法人の理事長に就任いたしました。後任の樺山学長とともに、私もこの武蔵野美術大学の卒業生でもあり、ともに手を携えて本学の永続性と更なる発展を推進してまいる所存でありますが、学長に就任した2015年以来、「あの遥か彼方に見える水平線の上に立てるか…」というメッセージを、毎年、学生諸君に問いかけて来ました。

今回もまた、このメッセージを皆さんに贈りたいと思います。
「あの遥か彼方に見える水平線の上に立つ…」ことを信じて、凪いでいても、難破しそうな大嵐でも、いつかきっと「水平線の上に立てる…!」とひたすら信じ続けるチカラこそ、未来を切り拓く力になります。

理屈で不可能だと決め込んで、やらずに諦めるのではなく、足下を遠望すれば見えている「水平線」に立とう…と信じて進むことが重要だと、私は思います。「クリエイティブ、創造的である」ということは、そういうことだと私は信じているからです。

私たちの「水平線に立つことを目指した航海」は、ここ数年間、コロナ禍という大嵐のまっただ中にありましたが、昨年度も、皆さんの先輩たちは、その苦難を乗り越えて立派な成果を残し、先月、ムサビを巣立って行きました。

私は、余儀なくされたコロナ禍という負荷や、低迷する我が国の経済状況をものともせずに挑んだ彼らの奮闘ぶりから、「創造の持久力」ということに気づかされました。

信じ続けるチカラ、そして、挑み続けるチカラ、それは「持久力」です。「持久力」を鍛えること。すなわち、ここムサビは、「創造の持久力」を鍛える場である…ということを、しっかり自覚していただきたく思います。

「創造の持久力」を鍛えるためには、あえて苦難に挑む「堅い意志」が必要です。
この「意志」という言葉の「意」という漢字を想像してみてください。「意」という文字は、「音」と「心」という部分で成り立っています。つまり、胸に秘めた熱い思いというのは、自分にしか聴こえない「心の音」のことなのです。それが、みなさんそれぞれの「個性」なのだと思います。そして、「表現」とは、そんな自分の「心の音」を聞き、その「心の音」を、あらゆる可能な方法で、自分の身体の外に出すことではないか…と思うのです。

本学への進学がそうであったように、これまであなたを突き動かしてきた「心の音」を、どのように聴き、どう実現するか。どうやって自分の外に表出するか…については、あなた自身が一生懸命に悩み、考え、試行錯誤して、実現していただきたいと思います。
個性豊かな仲間が、そして先生方が、あなたを応援してくれると思います。皆さんの大学生活は、多くの体験によって多彩で多様な可能性を拓く、人生の大切な時間なのです。

皆さんは、すでに、「あの水平線の上に立つ」ことを目指して、大海原に漕ぎ出しているのです。そして、私たちの思いも同じです。
「創造の持久力」を鍛えた私たちに息づく「創造性」は、生きる力の根本でもあります。

この未曾有の時代の変容と地球規模の困難の中、皆さんのひたむきな「創造へのチャレンジ」を、私たち教職員は、武蔵野美術大学の伝統とも言える「寛容さ」と「自在性」を「勇気」をもって、しっかり支えて行く覚悟です。

ここで、ひとつ大切な事を話しておきたいと思います。
成人年齢が18歳となり、本学の学生諸君は、全員が「成人」であるということです。これまで保護の対象であった「未成年」ではなく、法的に自立した「成人」として、新たな権利を得ると同時に、社会的責任を負うことになります。学生諸君は、どうか、その事をしっかり自覚して、自分の行動に責任を持っていただきたいと思います。

学びのプロセスには、不自由なこと、不安なこと、辛いこともあると思います。皆さんは、多くの困難さえも学びの資源として、「創造の持久力」を鍛えてください。標榜する本学の教育理念である「真に人間的自由に達するような美術教育」の真髄を体得してください。

ムサビには、「ムサビ菌」が棲みついています。ムサビらしさ、ムサビの校風は、いわば「ムサビ菌」のしわざでしょう。ムサビ教育を発酵・熟成させる善玉菌である「ムサビ菌」を存分に浴びて、学んでください。友だちをつくってください。

「個」と「場」、つまり「自分」と「学びの場」の関係を肌で体験してください。そして、「美」とは何かを追求してください。「ひたむき」である姿は美しい!
青春を謳歌し、大いに遊び、語らい、楽しむことも含め、本学でのあらゆる活動が、「創造性」を獲得する本学での学びになります。

繰り返しになりますが、きっと、胸躍るみなさんの「はつらつとした青春の若いチカラ」は、この武蔵野美術大学での日々の中で、「創造の持久力」を鍛え上げられて、皆さんを「人=人間」として、強く、たくましく成長させてくれると信じています。

さぁ、今日から「創造の持久力を鍛える」武蔵美での学びが始まります!
令和6年度入学生の皆さんに、心からの祝福を贈ります。
武蔵野美術大学へのご入学、おめでとうございます!

教員祝辞

写真:白石学

武蔵野美術大学デザイン情報学科教授
白石学

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。
ならびに保護者のみなさま、本日は誠におめでとうございます。
教員を代表し、謹んでお祝い申し上げます。

新入生のみなさんが社会・人文・科学などの多岐にわたる大学の分野から、美術・デザインの道に進むことを決意し、本学の厳しい受験を突破し入学されたことを心から歓迎し、うれしく思っています。

いよいよ今日からみなさんの大学生活がスタートします。大学での学びは、自分の意思で講義や演習を履修し、単位を取っていくことになります。何らかの理由で授業を欠席したとしても、誰も責めませんし、教員から怒られることもないと思います。もし、出席日数が足りなくて、単位を落とした場合、その責任は自分自身が背負うことになります。課題が終わっていなくても、作品が納得のいく出来でなかったとしても、授業には参加してほしいと思います。ただし、完璧な成績を目指して無理をしないでほしいとも思っています。ときには休息をとりながら、ときには失敗しながらも、自分自身を見つめ、少しずつ大学生活に慣れていってほしいと思います。

そこで、今日はみなさんに、美術大学で作品を制作し、研究を続けていくために重要だと考えていることを3つだけお話しします。

一つ目は、人とのつながりを大切にすることです。
キャンパスの中には、多くの人がいます。われわれ教員とみなさん学生だけではありません。各研究室には授業を支える助教・助手・教務補助たち、大学全体の運営では学生生活の支援や設備を管理する事務職員の方々、大学の安心と安全を守る守衛の人たち、みなさんのお腹を満たしてくれる食堂の方々など、さまざまな人とのつながりで大学が成り立っていることを忘れないでください。もし、一度でもお世話になったことのある人だったら、恥ずかしがらずに「こんにちは」「おはようございます」とあいさつするだけでも、良いと思います。人とのつながりは大学在学中だけでなく、卒業後も支えになってくれることでしょう。

二つ目は、さまざまな情報を正しく理解しようとする姿勢です。
授業では、さまざまな課題やレポートが出ます。インターネットが日常生活の中で意識することなく使えるようになり、私が学生だったころからは、比較にならないぐらい、情報収集が楽になり、クリエイティブな作業での支援も受けられるようになりました。ですが、本当に価値ある情報を見極めることは困難な時代だとも思っています。ただ単に情報を集めるだけでなく、情報の発信元を確認し、その真意は何なのかと思案する姿勢を忘れないでください。

三つ目は、心と体の健康を大切にすることです。
美術大学では、創造の自由と責任の狭間で、多くの不安や悩みを持つことになると思います。また、課題の提出に追われ、眠れないことや体を壊してしまうこともあるかもしれません。
そんなときこそ、まずは何か美味しいものを食べて、心を落ち着かせてみてください。良いアイデアやテーマは、机やイーゼルに向かっているときより、トイレやお風呂で浮かんできたりします。ただ、一方で、クリエイティブ・マインドは、心と体が満たされた状態ではなく、ときに悩み、苦しい中からの達成感が必要だとも考えています。創造の自由と責任、悲観的な思いと楽観的な思い、不安と喜びといった心の振り子に揺られながら、日々、さまざまな体験をしてほしいと思います。

最後に、今年は桜が咲く時期が遅く、キャンパス内では、まだ初々しいつぼみが見られます。桜が咲いていく様子をゆっくり観ながら、これから始まる大学生活に思いを馳せてみるのも良いのではないかと思います。

武蔵野美術大学へようこそ
入学、おめでとう!

卒業生代表祝辞

写真:unpis

卒業生代表
unpis

新入生の皆さま、新入生を支えて来られた皆さま、本日はご入学おめでとうございます。

私はイラストレーターのunpisと申します。
私がムサビに入学したのは2011年です。2011年の3月、東北で大きな地震がありました。
震災によって入学式は中止となりました。ですから今日は私にとっても初めての入学式です。

僭越ながら13年前の自分にも贈るような気持ちで祝辞を述べさせていただきたいと思います。
まず、はじめに伝えたいことは大学生活は長いようで短いということです。
大学を卒業して社会に出るとクライアントの意向や会社の予算、生活の心配など様々な現実的要素が創作活動とは切り離せなくなります。
大学時代はそれらのしがらみにとらわれず、純粋に自分が好きなことを探究し創作に心を燃やすことができる尊い期間です。
その時間をどうか大切にしてほしいと思います。

けれど反対に何もできなくても大丈夫!とも伝えたいです。
今言った通り大学生活は短いです。
その中で何か大きなことを成したり、自分が人生をかけてやりたいことをはっきりと見出すことは簡単ではありません。
できる人はほんの一握りだと思います。

かく言う私も大学時代、特別優秀でも特別不真面目でもない目立たない学生でした。
在学中何か賞をとったことはないし、卒業後やりたいことを見つけることもできず就職活動は難航し自分はもうだめだとすら思いました。
鷹の台の道を泣きながら自転車で走ったこともあります。

でも不思謙なことに私は今ここに立っています

大学生活は4年間、院に進んでも6年間しかありません。これから続いていく人生の創作活動の中ではほんの一瞬の通過点です。

だからうまくいかないことがあっても大丈夫です。重要なのは腐らないこと。
腐らないで続けていけばその先の人生がどうなるかは誰にも分かりません。

では、そんな私が大学時代に得たものはなんだったのか?
振り返って見つけたことをお伝えしたいと思います。

それは『自分だけのオリジナルの視点』でした。
ある授業で写頁の課題がありました。そのときの教授の言葉を今でも時々思い出します。

「例えば真っ白な部屋の角にカップが置かれているとする。

壁と、床と、カップ、ということは一旦忘れて
3種類の濃度の違うグレーの中に白色の塊があると捉える。
その時一番バランスのいい構図を見つけて撮影しよう。

写真をいろで捉えよう。」

ものの意味を一旦忘れて世界を見ると見慣れた景色が全く違って見えてきます。

建物の隙間から入る光の筋やビルに映る細切れの街、工事現場の布の揺らめきがとても美しく新鮮に感じられます。

他の人が気にも留めず通り過ぎる景色の中に自分だけの宝を見つけることがおもしろくて授業外でも写真をとるようになりました。それは今でも続いていて絵を描くときのアイデアの源になっています。

そういう自分だけに見える、なぜかたまらなく目や心を惹かれるものを大学生活の中で見つけてほしいと思います。
それらを観察し、なぜ好きなのか考え、自分の中に蓄積してください。

そしてそれを目に見える、手に触れられるかたちにして他の人たちにも見せてください。
皆さんは受け取るだけでなく表現することができる人たちです。
表現の方法はこれからたくさん学べるはずです。

探究の対象が社会にとって意味がなく役に立たないものでも構いません。
そういうものを全力で愛し、つくることができる場所が美大です。

いつか皆さんがムサビで得たオリジナルの視点を覗かせてもらえたらうれしいです。
またどこかでお会いできる日を楽しみにしています。

短い大学生活、どうか楽しんでください!
改めて、本日はご入学本当におめでとうございます。