武蔵野美術大学入学式典

日時 2013年4月3日(水)10:00~
場所 武蔵野美術大学 体育館アリーナ

式次第

  • 開式の辞
  • 校歌斉唱
  • 学長式辞 学長 甲田洋二
  • 理事長祝辞 理事長 天坊昭彦
  • 教員祝辞 教授 新島 実
  • 卒業生代表祝辞 橋本 公
  • 閉式の辞

会場風景

式典スタッフ

総合演出 楫 義明 / 米徳信一(芸術文化学科教授)
映像協力 篠原規行(映像学科教授) / 山崎連基(映像学科助手) / 赤羽佑樹(芸術文化学科助手) / 加藤恭久(映像学科卒業生) / 木戸大地(映像学科学生) / 瀬川哲郎(映像学科学生) / 安部泰弘(映像学科学生)
音楽制作 クリストフ・シャルル(映像学科教授) / 中路あけみ(lemo) / 山屋俊彦
制作進行 相澤和広 / 内田阿紗子(芸術文化学科助手)
リーフレットデザイン 松本聖典
司会 村岡弘章(教務課教務担当課長)
協力 武蔵野美術大学 美術館・図書館 / 映像学科 / 芸術文化学科学生有志
校歌斉唱 歌 MAUコーラス
中原俊三郎 / 志田陽子 / 杉浦幸子 / 畠山香里 / 高田立子 / 千羽一郎 / 海老沢聡子 / 伊藤貴弘 / シャン・ファン / マ・ミンリ
特別出演 Funcussion
照明 大串博文(株式会社アステック)
音響 久保昌一(株式会社放送サービスセンター)
映像 須賀 弘(株式会社教映社)
特効 石川真吾(有限会社酸京クラウド)
舞台 稲角光幸(有限会社アートセンター)
舞台監督 水田晶博(株式会社アイディトラスト)

学長式辞

武蔵野美術大学学長 甲田洋二

新入生の皆さん 入学おめでとう!

本学全教職員は、在学生一同と共に、皆さんを心から歓迎致します。ご臨席のご家族の皆様、今日の良き日をお迎えになって、さぞやお喜びのことと拝察いたします。誠におめでとう御座います。

本日、造形学部、大学院修士課程、博士後期課程、そして各国からの留学生70名を含めて、1162名の新入生を迎えることが出来ました。本学としては、ずっしりとした責任を自覚するとともに、大きな喜びとするところであります。

東日本大震災や、東京電力福島原発事故も、まだまだ過去形ではなく、経済のこと、又、少子化など厳しい社会状況です。そうゆう中で行われた本学の入試状況は、最高倍率10.5倍。平均倍率4.3倍、学科により多少差はありますが、かなりの難関でありました。
それをクリアーした皆さんは、自信と誇りを持って、実りある、豊かな学生生活を創り上げて欲しいと切に願っております。

大学の沿革については、自校教育としてオリエンテーションに組み込まれておりますので、概略だけお伝えします。
武蔵野美術大学は、1929年(昭和4年)、米国ウォール街に於ける株暴落に始まる、世界恐慌の最中に、帝国美術学校として、現在の武蔵野市吉祥寺に設立されました。当時保守的で形式的な官学美術教育に対して、権力におもねず、清新で創造力豊かな美術家、デザイナー、美術教員を養成しようと出発しました。戦前、戦後の激動を乗り越えて、現在がある訳ですが、1948年(昭和23年)に多くの熱き思いの結集により、校名を武蔵野美術学校として新たな歩みを始めました。その後、日本で最初の美術領域に於ける通信教育を立ち上げました。そして、短大を設立し、4年制大学へと発展してまいりました。1962年(昭和37年)には、この地小平市小川町に鷹の台校を開校し、今日を迎えております。創立85年になります。

さて、皆さんの教育環境に少し触れておきます。創立80周年記念事業として、2号館、美術館・図書館が新たに誕生し、美術系のアトリエ、工房が充実し、「美と知」の拠点として、美術館・図書館が力強く機能しております。又、平成27年に都道が開通する事のマイナスを大いにプラスに転化すべく、本学北側キャンパスの大胆な活用を実行に移します。現在のグランドを中心にデザイン系施設を新設し、デザイン系の更なる充実を実現してまいります。
また、特に本年度の新入生の皆さんに積極的に参加し、チャレンジして欲しい事があります。本学は昨年、美術系大学として唯一であります、文部科学省より「グローバル人材育成推進事業」として認可され、5年間でかなりの金額の活動費を得て、学生の皆さんの英語能力、英語によるコミュニケーション能力強化を、具体的に展開しております。美術大学の実体に基づいた語学教育に参加し、キャリアアップに挑戦して欲しいと思います。

造形の世界は簡単には答えが得られません。ひょっとしたら正解がないかもしれません。自分に出来る限り正直になり、それぞれの課題に立ち向かう事になりましょう。地味な作業が続きます。しかしそのことが皆さんの造形の土台を築くことになるのです。
手間、ひまが必要になります。従って、現在の若者には不人気な、耐える、我慢する、そしてその事を持続することが絶対に必要になります。そのことが「簡単に早く答えを求める」社会の風潮と異なる武蔵野美術大学の基本なのです。心身の健康に注意して、良き友を得、良き師に出逢い二度とない青春を満喫して下さい。

御家族の皆様に申し上げます。入学を果たされたとはいえ、まだ先行きのことに対してご心配があろうかと存じます。大学としては、皆さんの志を果たせる為に、就職、留学を含め出来る限りの力添えをしたいと思っております。最後になりますが、各国の留学生諸君、あなた達が目指す留学生活が充実したものになりますように協力を惜しみません。最初は戸惑うこともありましょうが、大丈夫です。実りある留学生活を送って下さい。

御清聴ありがとうございました。

理事長祝辞

武蔵野美術大学理事長 天坊昭彦

理事長の天坊です。

新入生の皆さん、武蔵野美術大学への入学おめでとう。
皆さんの入学を心から歓迎します。
又、新入生のご家族の皆様、本日は誠におめでとうございます。

私は皆さんに是非心がけてもらいたい三つの要望についてお話し祝辞とします。先づ、建学の理念は「教養ある美術家の養成」と「真に人間的自由に達するような美術教育」を行うことです。このような高い志の理念に基づく教育を受けた多くの先輩は、今、いろんな芸術の分野で、又、社会の一線で活躍しておられます。皆さんはこれから、情熱あふれる先生たちから、優しく、然し時には厳しい指導を受けることになりますが、皆さんもこれからの教育に夢と期待で胸を膨らませていることでしょう。
長い人生の中では、大学4年の学生生活は、あとで振り返ってみれば、あっという間の短い期間です。出来るだけ多くの教養を身につけるべく、積極的に夢中になって勉強し、一方では、いろんな経験も積めるよう是非とも時間を大切に使ってもらいたいということ、これが一つ目の要望です。

次に二点目についてです。
今の世の中は、情報通信技術の進歩によって、ものすごい早さで情報が世界を駆け回っています。そういう意味では、地球が小さくなっており、私達はグローバルな動きを無視できなくなって来ています。そして、特にビジネスの世界では、英語が標準語になって来ました。
そういう中で、情報に振りまわされずに、世の中の動きの本質を正しく理解することが必要です。日本に居ても情報だけなら知ることが出来ますが、本質をより良く理解するためには、やはり海外に出かけて、日本と違う民族、歴史、文化に触れ違いを認識しておくことが極めて重要です。
そのため、政府は昨年から、国際的に活躍できる人材育成を助成する制度を始めました。この政府のグローバル人材育成推進事業に美術系大学として武蔵美が唯一認定され、この事業に参画しています。これは、平成24年度から5年間の事業で多くの助成金が出ています。この関連で本学では英語教育に加えて、海外留学の機会も増えていますので、是非、英語の勉強もしっかりやって頂きたい。これが2点目です。

3点目を話します。
少し私事に亘る話で恐縮ですが、私は美術とは関係のない経営学を大学で学び出光興産という石油会社に就職しました。以来50年近く石油とエネルギー関係の仕事をして来ました。
出光興産という会社は、強烈な個性を持った出光佐三という創業者の考え方(経営理念)を実践している会社です。
出光の経営理念の要点は、「事業を通して社会や地域の役に立つことを実践し、同時にその事業を通して、社員が世の中で信頼され尊重される人となるべく育成して行く」ということです。
今、皆さんに言いたいことは、出光の宣伝ではなくて、私が出光の考えに基づいて会社を経営し、社員の育成に長く携わった結果わかったことについてです。それは「人を育成する上で最も大切なことは、机上で議論することよりも、実際の世の中で責任ある仕事を数多く実践させることだ。」ということです。勿論、ここは大学ですから教室で勉強することが中心になりますが、学内だけに留まらず、機会があればいろんな「Field Work」に参加して、実際に社会の人達と触れ合う実践の場を通して学ぶことにも挑戦してもらいたい。これが3番目の希望です。

最後に月並みな言葉ですが、健康に留意して悔いのない学生生活を過ごして下さい。皆さんの成長を大いに期待しています。

教員祝辞

武蔵野美術大学教授 新島 実

新入生の皆さん、そしてご臨席頂いているご家族の皆さま、ご入学おめでとうございます。視覚伝達デザイン学科の新島と申します。本日は教職員を代表してお祝いの言葉を述べさせて頂きます。
 今、皆さんは期待と不安が入り混じった不思議な感覚に包まれているのではないでしょうか。早い人は中学生の頃から、またかなりの人が高校2年生頃から、美術やデザインを学ぶ為の準備を始めていたと思います。そして今その最初の日を迎えております。
 やっとたどり着いたのか、あるいはやっと本格的に造形の勉強を始めることが出来るのか。皆さんの感慨はそれぞれでしょう。そこで本日は、私が尊敬して止まない二人の造形作家の言葉から、大学で学ぶことの意味や面白さを少しお話ししたいと思います。

今から33年前、少し年を重ねていた私は、それまでのデザイナー人生を変えたいと思い、アメリカ東部の、ニューヘイブンという古い街にある大学に留学いたしました。そして2年目を迎えた9月の初め、デザイン学科の私のデスクにおかれた一枚のペーパに当惑していました。それは私が尊敬し、直接教えを請いたいと願っていた教授からの最初の課題が書かれていたのです。

その課題は「画家、レジェの名前のアルファベット L E G E R の5文字を使用して、画家レジェを表しなさい。ただし完成した作品は制作者の表現として完成されること」と有りました。
 この課題文をざっと読んだ私は、なんなんだ、この課題の内容は。まるで美大へ入る為に練習する平面構成のような課題ではないかと。私を含めこのクラスの平均年齢は30歳を越えていました。殆どが既にデザインの専門家として仕事に従事していた経験を持つ学生ばかりでした。そして周りを見回すと私以外の15人、皆ネイティブスピーカなのですが、やはり頭を抱え当惑しておりました。ただ彼らの当惑は私とはまるで異なるものだったのですが。
 いつもいろいろと相談をしながら制作をしていた友人に「おい何を悩んでいるのだ、さっさと始めよう」と言ったところ、「お前はこの課題の英文を完全に読み込めているのか」、「レジェを表しながら自分の表現にまで持っていくのだぞ」と。そして私は改めてゆっくりと課題文を読み直してみました。
 課題文の前半だけならば「画家レジェ」を徹底的に分析すればすむことだし、その善し悪しは別にしてさほど難しいことでもなく、日常的に行われていることではないかと。しかし英語の壁はあつく、前半の課題文の中にも後になってビジュアルコミュニケーションデザインの表現を支える最も基本的で重要な視覚言語の記号操作へと導いてくれるプロセスが隠されていたのです。課題文からはすぐに読み込めず、作業を進めていく中で、徐々にこの課題の面白さと重さが理解できるようになっていったのです。そしてそれに加え、課題文の後半部分を合わせると問題はいっきに複雑になり、もう16人全員が課題を投げ出す寸前まで追いつめられていました。
 この課題は「ポール・ランド( Paul Rand )」という20世紀を代表するグラフィッックデザイナーによるものです。ランドの手掛けたデザインは「IBM、ウエスティングハウス、アメリカの放送会社ABCなどの大企業のデザインから、一人娘のための絵本までとその守備範囲は広く、既に1950年頃には日本のデザイナーに強い影響を与えていた人でした。
 ポール・ランドのデザインは、個性的な絵を描いているわけでもなく、その殆どは身の回りに存在する見慣れたものを用いてデザインしているのです。しかしランドのデザインに通底する特筆すべき点は、「誰もが理解できるが形に現すことが困難な概念」を形にして見えるようにしてしまうと言う一点に集約できるのです。
 例えば皆さんはこれから美術のあるいはデザイナーとして専門家を目指すことになりますが、この「専門家」と言う言葉、誰もが理解できますが、形にしようとするとサット見えなくなります。一瞬見えたように感じるのは「専門家」と言う文字であり形ではないでしょう。ランドはこの「専門家」と言う概念を形に現すことに成功しながらランドのデザインとして表現しきっているのです。
 「レジェを表しながら私を表現する」。この禅問答のような課題との出会いが、その後の私の制作者としての方向性を決定づけてくれるものとなり現在もまだ引きずっています。
 私がこの課題文の前半部分をやさしそうだからとそれ以上の追求をせずに、また後半部分を読み込めずにいたら、あるいはあまりの難しさにこの課題を投出し適当に処理していたとしたら、作ることやデザインすることの本当の面白さに気付かずに、もう制作者としての役割を終えていたかもしれません。そしてデザインの解答が誰のものでもなく、私だけの答えになっていると意識できるレベルに達した時に感じる、あの高揚とした気持ちも味わうことは無かったでしょう。

大学での勉強は皆さんの知りたいと感じることへの態度によってどのようにでも変化します。そしてどうしても言葉との格闘を伴いますが、勇気を持ってその言葉と対峙し自らの視覚言語の世界を作り上げて欲しいと願うものです。
 この作ることと考えることとの微妙な関係をわずか7行で言い切っている造形作家、20世紀初頭の芸術革新運動の中心的作家として活動し、バウハウスでも教えた「L.モホリ=ナギ」の言葉を紹介し、私の祝辞とさせて頂きます。

われわれは決して
 説明を通して芸術を経験しない。
 解釈と分析は
 よくて知的な準備として役立つにすぎない。
けれども、それらが
 芸術作品と直接に触れ合うならば、
 われわれを鼓舞するであろう。*1

ありがとうございました。改めて皆さんを心より歓迎いたします。

*1
L.モホリ=ナギ
ザ ニュー ヴィジョン
*ある芸術家の要約
大森忠行 訳
ダヴィッド社
1971年

卒業生代表祝辞

卒業生代表 橋本 公

ただいまご紹介いただきました、2003年卒業の橋本です。
新入生のみなさん、ご家族のみなさん、本日は本当におめでとうございます。

今日は、ムサビに入学された皆さんにとって、実用的でとても大切な話をしようと思います。
それは時間とお金です。
美大の入学式でお金の話?とお思いでしょうが、5分間だけ聞いてください。

先ほど私の紹介にもありました様に、私は長年、銀行員として働いて、
40歳の時に意を決して、このアートの世界に飛び込みました。

まず美大進学予備校へ一年通い、この武蔵美に3年次から編入しましたので、丸3年間、無収入の生活を送りました。
その時、私には小学生と中学生の子供が二人いました。まさにこれからお金がかかるという時期ですね。

それなのになぜ、私が美大に入ろうと思ったかと申しますと、
銀行のようにお金をもとにしてお金を作る仕事でなく、実際にモノを作って、それでお給料がもらえるような職に就きたいと思っていたからです。
その際には、絶対アートの道に進もうと決めていました。

とは言うものの、40代のおじさんがいくらアート業界で働きたいと熱望したとしても、経験がなければ門前払いになるのがオチです。
そこでまず、武蔵美で専門的な知識を身に着けようと思いました。
そして、美大でいろいろな方と交流しながら、職を得る糸口を見つけようと考えたわけです。
とにかく、「卒業したら必ずアート業界で食べていこう!」という、後戻りできないミッションだったのです。

ところで、私が高校を卒業して進学した最初の大学時代は、ムサビの時とは正反対で、目的も特になく、卒業したら何になるなんて全く考えずに入学しました。
そして、時間は無限大にあるような気がしていました。

ところが実際には、4年間はあっという間に過ぎてしまい、就職活動もがんばってやりましたが、周りの雰囲気に流されて就職先を決めたという部分も多々ありました。

ここにいる皆さんは、私の最初の大学時代とは大きく違います。なぜなら自分がやりたいことが、入学の時点でとてもはっきりしているからです。アートという普通は人が選ばない道を選んでいる時点で皆さん全員、すごい才能の持ち主です!

だからこそ、この武蔵美で学ぶこれからの数年間、一秒たりとも無駄にしないつもりで過ごしてほしいと思います。
なぜなら、ここでの四年間はあなたたちが思っている以上に、時間的にも金銭的にも貴重なものです。その大切な時期を有意義なものにするために、時間とお金のやりくりをしっかりやってください。

今日ムサビに入学する人の中には、仕送りが少なくてアルバイトをしなければならない人も少なくないかと思います。
しかし、そういう人こそ、働いてお金を稼ぐという意味を体で感じることができると思うし、
バイトの後に残された、わずかな時間を有効にアートのためにあてることができるようになるのではないでしょうか。

そしてそういう人たちは、将来アートの世界で職を得た時に、作品に費やした労力の価値がどれくらいかがわかるようになるでしょうし、時間内に仕事をきっちりと終わらせることの大切さを理解できるようになると思います。

武蔵美での体験は、宝物です。先生方は本当に親身になってあなたたちをサポートしてくださいます。食いついていけばいくほど、日が暮れるまで千本ノックにつきあってくれる人ばかりです。
あと、技術指導だけでなく、先生方はさまざまな人脈をお持ちです。「この人に会ってきたらいいよ」と紹介されたら、恥ずかしがらずに必ず出かけていきましょう。そのうち「この人だ!」と思う人に出会えるはずです。

私が銀行員を辞めてアートに関わって以来、お金のことでやりくり算段する機会は増えたかもしれませんが、それ以上に大切なものを毎日もらっているような気がしています。武蔵美に入学して以来、毎日が充実していて本当に楽しく暮らしています。

これからの数年間、必死になって、武蔵美での体験を満喫して、世に出る時の準備をしていってください。

みなさん、応援しています。がんばってください!